5.住む世界が違う人

5.住む世界が違う人

―伊織―

「さっむ…」

呟いた声と共に吐き出した息が白い。薄暗い空を見上げると、厚い雲がかかっていた。もしかしたら雪が降るのかもしれない。

繁華街の中を最寄りの駅まで歩く道すがら、ふとCDショップのポスターが目に留まった。

大人数アイドルの新譜告知ポスターだった。そういえば、と思い付き、自動ドアをくぐって店内に入る。

賑やかに音楽がかかる店内には大きく男性アイドルのポスターが貼られ、ファンらしき女の子達が写真を撮っていた。

足早にその横を通り過ぎ、目当てのコーナーへたどり着く。

好きなアーティストの新譜を手に取る。試聴機が用意されていたので、ヘッドフォンを着けて再生ボタンを押した。

アコースティックギターの優しいメロディが耳元に流れてくる。歌い出しに入るか入らないかというところで、不意に後ろからヘッドフォンを取られて驚いた。

「なーに聞いてるの?」

聞き覚えのある低音に振り返る。その人物―瞬は、黒いパーカーのフードを被った上からヘッドフォンを着けると勝手に聞き始めた。

「へえ、洋楽。おしゃれだね伊織くん」

「何すんだよ」

ヘッドフォンを取り返そうと手を伸ばす。身長差がありすぎて、一歩足を引いただけで避けられてしまった。

「…天下のトップアイドルが、こんな所で何やってんの」

「ん?伊織くんの姿が見えたから、車から降りて来ちゃった」

「はあ?」

瞬はヘッドフォンを外すと、俺の頭に手を伸ばした。

「これ、羊みたいなふわふわ髪」

「は?!ちょ、やめろよっ」

「はは、可愛い」

俺の事をからかって楽しげに笑う瞬の手を振り払う。

「お前さ…ばれたらまずいんじゃないの?」

小声で言って、アイドルのポスターの貼られた方へ視線を巡らせる。

よく見てみると、一番大きく貼られたポスターには『star.b』のロゴが入っていた。写真を撮る女の子たちの数も、さっき見た時より心なしか増えている。

「それが灯台下暗しっつーか、意外と気づかれないんだよね」

笑いながらポスターを指差す。

「あそこにでかでかと貼ってある写真の本人がここにいるなんて、思ってもいないんでしょ」

そう言う割には、気になったのか顎までおろしていたマスクを上げた。

「洋楽かあ…俺も聞いてみようかな」

瞬がCDの陳列棚に手を伸ばす。ふと、粉っぽい匂いが鼻先をかすめた。

「お前、香水つけてる?」

「え?ああ…」

瞬はCDを棚に戻すと、手首をマスク越しの鼻先に近づけた。

「今日メイクしてるんだよね、俺。コスメブランドのイメージモデルしててさ。撮影があったから、その匂いかな」

「え、男が化粧すんの」

「あーそれは偏見だよ、伊織くん。今はメンズコスメだって売ってるでしょ」

「興味ないから知らない…」

言いつつ顔を上げると、瞬と目が合った。切れ長のはっきりとした二重の瞼に、うっすらとアイシャドウで陰影がつけられているのが分かった。

男にしては綺麗すぎる美貌につい見とれていると、瞬が不意に、くすっと笑った。

「伊織くんて、右目だけ二重なんだね」

「…目つき悪いって言いたいんだろ」

「そんな事言ってないじゃん。メイクしたら映えそうだなって思ったのに」

「適当な事ばっか言って」

「そんな事ないってば。いいじゃん、伊織くんの個性でしょ」

瞬が、俺の目をじっと覗き込んでくる。

「俺は好きだけどな」

からかうでもなく真顔で放たれた言葉に、どきりとした。

「…っ」

 「あ、ごめん電話だ」

パーカーのポケットに手を突っ込みスマホを取り出す。すぐに出るのかと思ったら、瞬は俺の顔を見た。

「伊織くん、明日はバイト?」

「…そうだけど」

「また花買いに行くわ」

「は?」

「ばいばい」

ひらりと手を振って背中を向けたかと思ったら、何事か思い出したのか、そうだ、とまた俺の方を向いた。

「お前じゃなくて、瞬、ね」

「はあ?」

「良いから、ほら」

呼んで、と促してくるので仕方なく、瞬、と名前を呼んでやる。

瞬は、うん、と満足そうに頷いた。

「じゃあまたね」

ひらりと手を振って店を出て行く姿を見送る。

「…何なんだよ、もう…」

前髪をかきむしり、ため息をつく。試聴機が目に入ったけどもうどうでも良くなり、帰ろうとショップの出口に足を向けた。壁に貼られた『star.b』のポスターが目に飛び込んでくる。

アルバム、出たばっかなんだ。

ポスターの前には、まだちらほらと写真を撮っている女の子達が残っていたけれど、近くに陳列されたCDの山の付近には人がいなかった。何となく近づき、試聴機のヘッドフォンを手に取りはめる。再生ボタンを押した。ミディアムテンポのイントロが流れてくる。

どのボーカルが誰だかさっぱり分からないが、曲中盤あたりで歌っている瞬の低音だけは聞き取れた。

…いい声だな。

聞き入っていると、ふと視線を感じた。見ると、さっきまで写真を撮るのに夢中になっていた女の子達と目が合った。怪訝そうな表情に気づき、慌ててヘッドフォンを外す。

急激に恥ずかしくなって、その場から逃げるように外へ飛び出した。

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