第155話 世界の宿敵

 「世界の存亡? 今が未曽有の危機であることは百も承知。乱心したか獣王! この世界を破壊しようとしているのは、獣国そのものではないか!」


 ガルベルトは全身で吠えた。

 激昂を刃に乗せ、目にも止まらぬ斬撃が獣王に向けて次々と放たれる。

 

 しかし獣王は、その刃を流れるような剣捌きで次々と弾き飛ばし、逆にガルベルトの足を後退りさせた。


 「いいから聞け、ライオニス! お前の父はもう手遅れだったのだ、ああする他に道はなかった、お前を救うためにはのう」


 「私の名はガルベルトだ、ライオニスなどではない! この期に及んでも、まだ尚、戯言を申すか!」


 振り下ろされるガルベルトの黒斧に対し、獣王は華麗に斬り返す。


 互いの武器が激しく交差し、鋭い音を響かせた。

 

 「お前も悪魔憑きデモニックという言葉を聞いたことはあるだろう?」


 「何をそのような世迷言を──」


 「あれは世迷言などではない! アズールバルでも同様のことがあったはずだ。お前は知らぬのか。悪魔憑き……それを引き起こす力を持つ者こそが世界を滅ぼすのだ」 


 言葉を交わし、刃を交える。

 激化する戦いはこの場を裸地へと変えていく。

 

 獣王の燃える黒剣が草木をその火流へと飲みこむ。


 対してガルベルトの風神宿る黒斧が、吹き荒ぶ風の刃で舞い踊る火の粉を切り刻む。


 両者譲らず、一進一退の攻防が未だ見えぬ戦いの果てへと続いていく。


 「よいか? 獣国はもはや、ヤツの掌の上だ。しかし、まだ間に合うかも知れぬ。ワシは知っておるのだ、ヤツのことを、その──」


 「世界が滅ぶだ何だと御託を並べ立てるな! 獣国が教会と結託し、四彗の復活を望んでいるではないか!私は獣騎士時代、幾度となくこの戦いに異議を唱えた。世界と手を取り合うことを模索すべきだと、だが、聞き入れてはもらえなかった」


 「違う、違うのだ、ライオニス! とにかく最後まで聞くのだ」


 「何度言えば分かる! 私の名はガルベルトだ!」


 ガガーンッ!


 風を斬るほどの速さで叩き込まれた烈風の一撃。

 さすがの獣王も顔を歪ませ、噛み締めた口元には血が滲んだ。


 「ウググッ……強うなったのう、ガルベルト……だが、ワシは獣王グラバルド=ベルクス、まだまだここで終わるわけにはゆかぬのだ。ワシは全うせねばならぬ。獣国を裏で操る真なる敵は、教皇リムス! あの女が全ての元凶、〝四彗魔氷リムルス=アイスロッド〟なのだ」


 「──!? なっ、何を言っているのだ……」


 獣王が発した衝撃の言葉に、ガルベルトの顔には動揺が満ちた。

 獣王はその隙を見逃すことなく、ガルベルトの手に持つ黒斧を強烈な一撃で地面に叩き落とすと、剣先を彼に向けて突きつけた。


 「勝負、ありだな。よいな? 話を聞いてくれるな?」


 「……」


 ガルベルトは地面に片膝をつき、無言のまま項垂れた。


 獣王は彼の肩に手を乗せ、静かに語り始めた。


 「ガルベルトよ、残念だが、今のワシは虚構の王、ヤツにとっての操り人形にすぎぬのだ。悪魔憑きとは、リムルスの精神支配のことを指しておる……あの時、お前の父はすでにヤツの支配を受け剣を抜いた。狙いは我が娘ラドアとその子であるお前だ」


 「母と私……」


 「ああ、そうだ。リムルスは現獣王以外の王血の者全てを抹消し、ワシをお飾りの王として据えることで、獣国に対する支配力をより強めることを目論んだ。目的は先代獣王から続く四彗復活への足掛かり。そして、ヤツの封じられし残りの力を取り戻すため──」


 獣王によれば、現在、中央聖魔教会教皇の地位に君臨するリムスこと、リムルス=アイスロッドは、300年前の四彗封印戦において確かに北の地に封印されていた。


 しかし、そこにあるのは彼女の一部でしかなかった。


 どのようにして封印を逃れたのか……詳しいことは分からないが、依然として完全体ではない魔氷リムルスであったとしても、すでに獣国だけでは太刀打ちできないほどの圧倒的な属性力を誇っていた。

 

 「──リムルスは心へと入り込み、精神を支配する。お前の父を斬ったのは、リムルスの属性干渉を断ち切るためだった。ヤツと繋がれば属性力は大幅に増す。躊躇した一撃ではお前に向けられた刃を止めることは出来なかったのだ。すまなかったのう、お前の中に惨い過去を作ってしまった……」


 獣王がガルベルトの父を目の前で斬殺したのは、幼き命を守るためだった。


 彼の目はガルベルトを思い、愛おしむ、一人の祖父の優しさに溢れていた。


 獣王としての威厳など、今の彼からは露草ほども感じることが出来なかった。


 ガルベルトは重たい口を開き、獣王に尋ねる。


 「獣王様、お聞きしたい。私の父と母を愛されて、おられましたか?」

 

 彼の儚い問いかけに獣王は、目頭を熱くしガルベルトを胸の中に抱きしめながら答えた。


 「もちろんだとも。過去に置き去りにした思いではない。今尚、ワシは娘を、お前の父も愛しておる。ガルベルト、お前もな」


 ガルベルトの頬を獣王の涙が打ち、彼もまた歯を食いしばって、声を殺して泣いた。




 それから暫くして落ち着きを取り戻した彼らは、再び話し始めた。


 「──では、リムルスは負の感情を源にして精神を支配すると?」


 「うむ、人も獣人も感情には陰りもある。憎悪、妬み、僻み、そして怒りと様々だ。それらがある境界を超えたとき、リムルスは自身の属性力を注ぎ込み、属性暴走エレメンタルスタンピードを引き起こして精神を乗っ取るのだ。そうなれば自我すらも制御することは叶わぬ。だが、ワシはこのとおり、何とか保てておる。こうしてヤツに干渉されずにお前と話すこともな」


 「──獣王様の技能スキル、記憶に干渉し封じる力……【記憶封守リテクション】とおっしゃいましたか。それで負の感情を抑えるため、記憶を自身のみならず、私のものまで一部封じたということですか……」


 獣王はリムルスと対峙し、内面へと入り込まれる寸前、自身の持つ過去の悲哀の旋律に打ちひしがれた。


 これ以上は耐えきれないと悟った彼は、一か八か、試したことのない自身の記憶への封印を実行した。


 結果、リムルスが獣国を覆う結界外にいる場合はその影響の枷が外れる。


 だが、彼女が一歩、内部へと踏み入ればたちまち支配下に置かれる。


 完璧とまでは言えないまでも、一部成功したというところだ。


 「そのとおりだ。直にあの光景を前にした、お前の負の感情は計り知れぬ。それ以外に助かる道はなかったのだ。しかし、今日は運が良かったのう。ちょうど昨日、リムルスは獣国を離れた。この指輪のこと自体、あの女は何も知らぬ。とはいえ、いつ戻るかもわからぬ。ゆっくりと話をしていたいが、ここからは手短に伝えよう──」



 ◇◆◇



 ガルベルトの記憶が戻った経緯──メリッサは彼の話に耳を傾け、考えを纏めながら一つ一つ確認していた。


 「なるほど。ここまでは大方理解は出来た。貴殿の追放にもそういう意図が……だが、獣王は何故、最後にそのようなことを?」


 「それが分からぬのだ。私はすぐにでも三国同盟を復活させ、封印の維持に全力を尽くすべきだと訴えた。だが、獣王様はそれではダメだとおっしゃった。その理由も頑なに教えてはもらえず、未だ謎のままだ」


 「そうか……獣王様もお考えあってのことだろう。あまりに多くの情報は各国の混乱を招く、さらには魔氷リムルスに悟られる可能性もある。今はまだ熱い鉄は踏めないということだろう。しかし、今年も予定通り恙無く行え……か。闘技大会に一体何があるというのか」


 ガルベルトとメリッサの会合はこの後も数日に渡り続いた。


 その間、メリッサは王国最北端の街【アッセンベルク】に駐留し、前線指揮にあたる王国騎士団副団長、実妹のアトリスから戦況報告を受けるなど職務を全うした後、王都へと帰還した。

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