第154話 記憶の解放

 ガルベルトの胸元から急に光が漏れ始めた。


 「な、何なのだこれは?」


 不思議に思った彼は、首紐に通していた指輪を胸元からそっと取り出した。


 「──くっ!」


 眩いばかりの閃光。

 光は波動となり、一瞬にして周囲を包み込んだ。


 鳥の囀りすらも聞こえない。

 この場だけ世界から切り離されたように辺りは急に静まり返った。


 遠くに見える景色は、ガルベルトの瞳の奥、蒼く揺らいで映っていた。


 「こ、この指輪が生み出した幻覚……なのか? いや、それとも……」


 彼は周視し、背中に背負った斧を取り出す。

 

 (……もしや、指輪の力が敵の接近を知らせてくれているやも知れぬ)


 ガルベルトは指輪を失くさぬよう、紐を引きちぎって自身の指に嵌めると、斧を両手で保持し腰を深く落とした。


 (帝都からは遠い。来るならモンスターか、それとも近くの駐留兵か……)


 彼は身を隠すため、森の木々に紛れて進んでいた。


 ここでの視野は狭い。

 僅かに見える遠くの風景もいまや揺らいで、その外を窺い知ることすら叶わない。


 (──やむなしか)


 ガルベルトは瞼を閉じ、肌を伝う空気の流れを辿った。


 静寂の中の僅かな差異を感じ取るため、精神を研ぎ澄ませる。


 (やはりここは、俗世と隔絶された場所なのか……何も感じない)


 そう悟った彼は再び瞼を開けると、斧を背中に背負い直した。


 長居するにも時間がない。

 一先ずはこの領域の端まで進もうと決めたガルベルトは、前へ足を踏み出した。


 その時、彼の背後からふいに声が聞こえてきた。


 「ようやくであったのう。長き時であった、ガルベルトよ」


 ガルベルトは反射的にその方向とは逆に跳躍し、距離を取って警戒した。


 「大丈夫だ。恐れるでない。もっと近くへ寄れ」


 「こ……こんなことが……」


 ガルベルトの眼前に佇み、白髪のたてがみをなびかせた獅子の顔を持つ獣人。


 それはまさしく、獣王グラバルド=ベルクス、その人であった。


 「長き間、苦労をかけたのう、ガルベルト。まずは一つ謝らねばならぬことがある。すまぬな。その指輪についての話をしておらんかった。とはいえ、またすぐに会うことになろうと思って待っておったが、まさかここまで、頑なに指輪を嵌めぬとは思わなんだぞ。ノワッハッハ」


 蒼きしじまに響く、獣王の笑い声。

 遠い記憶に残るその特徴的な笑い方に、ガルベルトは未だに信じられない面持ちで見つめていた。


 「ほ、本当に獣王様であられますか……?」


 「驚くのも無理はないのう。だが、あまり猶予はない。信じてもらうほかあるまいて」


 「確かに信じがたいことですが、その声も仕草も全て、紛れもない獣王様……ですが、貴方様がどうして? ここは一体どこだというのですか?」


 「そうさのう、ここは指輪が生み出した王家だけが存在出来る空間。乃ち、指輪の持つ力によって蒼の領域が展開され、そこでは指輪を持つ者同士だけが会合を許される──さて本題であるが、よく聞いておるのだぞ。まずはその指輪のことだが、我がベルクス家に伝わる王位継承権を示すものであることには気づいておるな? 」


 「……は、はい、気づいたのはつい先日のことではありますが」


 ガルベルトは獣王の近くまで歩み寄り膝をついた。


 そして、獣王に指輪を差し出すため指から外そうとした。


 その光景に獣王は、慌てて彼を止めた。


 「待て待て、まだ外してはならん! こうしてワシとお前が再び会えたのも、指輪の力があればこそだと言ったばかりであろう。ほぉ~う……危ないものよのう。ではよいな? 話を先に進めるが、実はそれは対になっておってな、もう一つはワシがもっておる」


 「この指輪が二つ……にございますか?」


 「ああそのとおり、元は二つで一つ。現獣王が次代の獣王を決めたとき、片割れをその証として先に渡しておくのが習わしなのだ。率直に言えば、現在、この国には王が二人いる。それは現獣王のワシと次代獣王のガルベルト、お前だ」


 「──なっ?! そ、それはどういうことにございますか!? お言葉ですが、私は一介の獣騎士でしか、いえ、今は追放された元獣騎士でしかありませぬ」


 「それが違うのだ、ガルベルト。お前は一介の獣騎士などではない。ワシの大切な娘の子、我が子孫……孫なのだ」


 「!?」


 ガルベルトは獣王の言葉に、肩が震えるほど驚愕した。


 「わ、私が次代獣王? そんな馬鹿な……私の出自はそんな高貴なものでは……」


 「それも謝らねばならぬ。訳あって、お前の幼少の記憶を一部封じておる。これよりその記憶を開放しよう。今のお前ならばその事実を乗り越え、あの女の支配にも打ち勝てるはずだ。それとこの後、お前はワシに刃を向けることになるだろう。当然、ワシもそれに全力で抗うが信じてくれ」


 「……何を言ってらっしゃ──!? うぐぐぐ……」


 急にガルベルトは頭を押さえて苦しみだした。

 獣王グラバルトの目から烈火の如きオーラが空へと立ち昇ると、周囲の景色は赤く染まった。


 「もう少し我慢しておくれ……その痛みは過去の記憶の重さから来るものだ。辛く難儀な記憶をワシは植えつけてしまった。すまぬ、ガルベルトよ。いや、ワシの孫、ライオニスよ」


 ガルベルトはその場に転がり、耐えきれぬ痛みから頭を何度も地面に打ちつけた。


 獣王はただ、そんな孫の姿を見守ることしかできなかった。


 そして、静かに腰に佩いた漆黒の剣を取り出しその刃を燃やした。


 「さぁ、思いのたけをぶつけてこい、我が孫よ。ワシの話を何としても聞いてもらわねばならぬ。それでも尚、振り続ける刃を止めぬならば、この命、喜んでお前に託そう。だがまぁ、容易くはやれぬがな」


 「……」


 しばらく続いていたガルベルトの呻き声が消えた。


 静寂が時を凍らせるかのように、互いの鼓動が唯一の音となった。

 

 獣王の眼下でゆっくりと体を起こして立ち上がった彼は、地面に落ちた自身の斧を手に取ると、力一杯、横一閃に振り切った。


 ガギンッ!


 ぶつかり合う黒と黒の衝撃。

 獣王グラバルドの漆黒の剣に対し、同じくガルベルトの漆黒に光る斧が激しい火花を散らす。


 「獣王様……無礼は承知……な、何故だ。なぜ、父まで殺した……私から全てを奪ったのは貴方だったのか」


 獣王の剣を上から押さえつけるガルベルトの腕は、怒りと悲しみで震えながらも力強く膨れ上がった。


 彼らの足元では、踏みしめた地面が割れ、二人の立つ場所だけが陥没したように沈み込んでいた。


 しかし、獣王はそのような状況の中にあっても冷静さを失わず、微笑みさえ浮かべていた。


 「よかった……お前の刃からはまだ迷いが感じられる。ワシの話を聞け。お前には隠されし真実を伝える。そしてこれは──世界の存亡にもかかわることなのだ」




  ――――――――――

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