第153話 封じられし記憶の断片

 「これまでの記憶は私を拾い育て上げてくれた、獣王兵団の兵士長エドガー=ジークウッドという男との出会いから始まる。私に新たな名を与え、剣や魔法というものを教えてくれたのも彼だった。何もなかった私に生きるための術を叩きこんでくれた。過酷な修練を押しつけられた日々も、今となればいい思い出だ……」


 ガルベルトの悲し気な表情に映し出される、一筋の笑み。


 恩人を懐かしみ、感謝する心がそこにはあった。


 メリッサはただ耳を傾けることしか出来なかったが、その顔にほんの少しだけの安堵感を胸に抱いた。


 「……そうであったか。貴殿の育ての親、エドガー殿は今もご健在なのか?」


 「いや、彼はもういない。20年ほど前に起きた複合型シールド国術式タワー封印陣サークルの防衛戦で命を落とした。当時、私も一兵士として同じ戦場に立っていた。最後まで平和を願い、争いを終わらせることを掲げて戦う彼の姿は今でも目に焼きついている」


 再び、ガルベルトは影が落ちたように口元を強く噛み締めた。


 「すまない、辛いことを聞いてしまった……惜しい人を失くしたものだ」


 メリッサは謝罪の言葉で気遣ったが、彼は首を横に振って答えた。


 「構わぬ、気に病まないでくれ。貴殿には知っていて欲しいことでもあるからな」


 「そうか……不躾ながらも嬉しい言葉だ。それで貴殿はいつ、記憶を取り戻したのだ?」


 「ああ……結論から言えば、獣王によって解放されたのだ」


 「──獣王によって? 貴殿は獣王と謁見をしてきたとでも言うのか!?」


 メリッサは彼の返事に驚きを見せた。

 獣王との謁見は、アズールバルのように国民に広く開かれたものとは大きく異なり、非常に厳格なものとして知られている。


 当然、身分を含む全ての情報が精査され、たとえ一つでも不適格であれば門前払い、あるいはその場で身柄を拘束され、最悪、処刑もあり得る。


 彼女自身も過去、アハド王に付き従い、謁見を申し出たことがあった。


 その際、王は城へと通されたが、彼女だけは城内に入ることすら許されなかった。


 王国騎士団団長という言わば王の側近に近い立場であったとしても、入ることが許されないこともある。


 それほどに獣王との謁見は厳しいものなのだ。


 現在のガルベルトの身分。

 愛する娘の子……娘を殺した父親の息子……自身の孫。


 そして、追放処分を下された騎士。

 国のみならず、その祖父である獣王からも一度は捨てられた身。


 メリッサは思索の渦に巻き込まれていた。


 「──実は、獣王から過去言われていたことがあったのだ。私が副団長へと指名された任命式の後のことだ」


 ガルベルトによれば、その時の獣王の言葉は、


 『これから先、苦難に見舞われることが多くあろう。耐えきれぬ事態が起きた時は一度退くのだ。よいな、忘れるでないぞ。再び会う、その時を待て』


 と言うことだった。


 「獣王がそのようなことを?」


 「そうだ。当時の私にはその意味がよく分からなかった。しかし、獣王は全てを見通しておられた。私が内部抗争に巻き込まれることすらもな。そして、決意とともにあれと、この指輪を渡されていた」


 そう言ってガルベルトは、一つの指輪をメリッサへと手渡した。


 中央に獅子のエンブレムを冠した漆黒のリング。

 メリッサはこの指輪を見てすぐに気づいた。


 「こ、これはベルクス王家の指輪。貴殿は今までこれをずっと持っていたのか?」


 「やはり、メリッサ殿にはすぐに分かるのだな。恥ずかしながら、私はこの指輪が何なのかにすら気づいていなかった。当時は獣王騎士団副団長という重責で頭が一杯であったからな。だが、彼女からの手紙を受け、踏み入る覚悟を決めたとき、ふと思い出したのだ。仕舞い込んでいた、この指輪のことを」


 「──では、最近になって知ったというのだな、この指輪がどれほど重要なものであるかを」


 「ああ……それは、王位継承者が受け継ぐ指輪。これほどのものを何故、副団長とはいえ、一介の獣騎士でしかない私に渡したのか。記憶が戻ったことでようやく、その意味を知り得た。そしてあの時、父を殺したことにも深き理由があったことも……」


 ガルベルトは過去を尊ぶ目で、メリッサの掌にある指輪を見つめた。


 彼女は静かに指輪を彼の手元に返し、問いかけた。


 「多くの記憶が蘇ったのだな。しかし、ガルベルト殿。指輪があったとしても、貴殿に追放処分を下したのは獣王自身だ。それを見せたからといって、すんなり謁見ができるとは到底思えないのだが……」


 「ああ、メリッサ殿の言うとおりだ。私としても城へ近づくことだけは避けていた。かつての従士達に用があるとはいえ、真正面からでは戦闘は避けられぬからな。当然ながら、獣王に会うなど考えもしていなかった。この指輪はお守り代わりに持っていたに過ぎぬ。それと、私が獣王とお会いしたの城ではない。この指輪の導きがあればこそだ」


 「それは、どういうことだ?」

 

 ガルベルトが受け継ぎし、王家に伝わる漆黒の指輪。


 そこには、ある秘密が隠されていた。



 ◇◆◇



 手紙を受け取って間もなく、ガルベルトはルーチェリアとルーナをある人物へと委ね、追放されて以来はじめて、祖国へと足を踏み入れた。


 獣国ルーゲンベルクスには他国からの干渉を避けるため、国全体を覆うほどの強力な結界が張り巡らされている。


 光の騎士として名高いメリッサやリオハルトの転送魔法を以てしても、内部への侵入は困難を極めるほどだ。


 特に【帝都ミアザベート】に近づけば近づくほどに結界の密度は高まり、その付近への転送はほぼ不可能に近い。


 念話も外部からは勿論、内部ですらも限られた者しか行うことが出来ず、敵国からの物理や魔法攻撃に対する盾、情報の流出を防ぐ壁としても、揺るぎない堅牢さを誇る。


 まさに不動の城塞である。


 ガルベルトが進む位置は帝都からは大きく離れていたものの、獣国内である以上、念話や魔法はその結界の網にかかって感知される恐れがある。


 そのため、アリステラムにある国境は何とか越えたものの、属性力を抑え徒歩での移動を余儀なくされていた。


 先ずは愛するミゼルアの住んでいた町へと向かう。


 そうして歩みを進めていた、その時だった──。

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