第147話 人ならざるもの

 ── 王都リゼリア 城門前  ──


 「敬礼!」


 騎士の声が空高く響いた。

 日が暮れる前に、ジルムンク街道での調査任務を終えたメリッサの部隊が、王都へと戻って来た。


 メリッサとロゼット部隊長が先頭を歩き、その後ろには二列に整列した騎士達が続いていた。


 その長さは、最後尾がどこにあるのか見当もつかないほどだった。


 ハルセにアリシア、そしてダルケンも出迎えの騎士達に混ざって、その隊列を見つめていた。


 「おい、俺はもう行くぞ。団長を出迎えに来ただけだからな」


 ダルケンは俺とアリシアにそう言って、列の先頭に駆け寄っていった。

 

 出迎えるどころか、不審者にしか見えない。

 顔はいつものように不機嫌だが、体は一転、軽やかな走りを見せた。


 

 (……き、気持ち悪い。真顔でスキップはやめてくれ……)


 

 俺とアリシアも、ゆっくりとその場を離れる。


 俺達はまだ騎士生だ。

 本来、こうして出迎えの列に並ぶ必要はない。


 王国での出迎えは、騎士の仕事だ。

 聞くところによれば、戦時中は特に、遠征からの帰りを狙われることが多いそうだ。戦いで疲れ果てた部隊を落とすことほど簡単なことはないからだ。


 そのため、帰還時刻に合わせ、騎士が周囲を警戒し安全を確保する。


 出迎えの列を作るのは、迎える準備が出来たことの知らせと、仮に予想外の敵襲があった場合にも、帰ってきた仲間を守ることができるようにするためだ。



 (謎の襲撃もあったばかりだし……王都内と言えど、平和に見えて平和じゃないからな)



 俺とアリシアが話をしながら歩いていると、目の前からフードを深く被った一人の男が近づいてきた。


 見るからに怪しいその男は、俺とすれ違いざまに「橋で待つ」と耳打ちをした。


 俺はすぐさま振り返った。

 だが、男の姿はなかった。


 「……え? ど、どこに消えた?」


 俺は慌てて周囲を見回した。

 そんな俺を不思議そうに見つめるアリシア。 


 「ねぇ、ハルセどうしたの? 早く行こう」

 

 「どうしたのって、アリシア。 今、ここを通った男、気にならないのか?」


 「うん? 男? ちょっと~私をそんな風に怖がらせて、何を考えてるわけ~? ひょっとして……」


 アリシアは頬を赤く染めて、俺の腕にぴったりと寄り添ってくる。


 俺はいつもの彼女の仕草に、咄嗟に身を引いた。


 「違うよ、アリシア。今、目の前からフードの男が歩いて来ただろ?」


 アリシアは溜息をつき、大きく肩を落としながら、


 「はぁ……だからさ、そういうの止めてくれる? いくらハルセでも、私、怒るよ」

 

 と、俺を睨みつけ、真剣な口調で言った。


 確かにこの様子では、嘘はついていないのだろう。


 じゃあ、さっきの男は一体何者なのか。

 耳元で聞こえた声と吐息を思い出すだけで、なんだか身震いしてきた。


 正直、俺もそういう話は苦手だが、これって、もしや霊的なやつ?……なのだろうか。



  (え? この世界にもお化けなんているのか? まぁ、アリシアの態度を見てれば……いるんだろうな、きっと。そういえば、死んだときに体から抜ける精霊核は、どこにいくんだろう? 精霊核って魂のことだし、やっぱり──)



 考えれば考えるほど気味が悪くなってきた俺は、嫌がるアリシアに、無理やり話を続けた。


 「もう、いい加減にしてよ! ハルセのバカー!」


 バシーン! バシーン! バシーン!


 噴水広場に続く大通りに、強烈な音が響いた。

 彼女のビンタが俺の頬を次々と打ち抜き、意識がもうろうとするほどの衝撃が走った。


 「何、なんかあったの?」

 「あの男が何かやらかしたんじゃない?」

 「騎士団に通報……って、あれって騎士生よね? こんな面前で喧嘩だなんて」


 行き交う人々が俺達二人に驚きや非難の目を向ける。



 (あ、やばい、悪目立ちすぎる) 



 アリシアは俯き、俺から顔を背けて歩き出す。

 俺は、痛みと恥ずかしさで頬を赤く染めていた。


 それから、少し時間を置いて、俺は王都を取り囲むジーニア湖にかかる大橋に立っていた。

 

 辺りはもう暗い。

 門番のダレには、ここで待ち合わせがあるとだけ告げ、仮眠のため騎士団本部に戻ったドレには、寮長に遅れることを伝えてくれと頼んだ。


 そもそも、待ち合わせと言っても、相手が人なのか、それとも……と思うと、背筋がぞくりとする。


 俺は人気のない湖畔にぽつんと佇み、不安に揺れる心で、誰かの影を探した。


 どれくらいの時間が経っただろうか。

 夜空を流れる雲が切れると、月の光が一気に湖面に降り注いだ。


 漆黒の闇に浮かぶ星は燦燦と輝き、湖にもその光を映している。


 

 (来ないな……いや、その前に、アリシアには初めから見えていなかったみたいだ。ギルド任務でも色々あったし、俺が疲れてただけなのかも知れない……)



 疲れて幻覚を見ただけ。

 何事もなく、このまま帰るだけ──。


 俺はため息をつきながら、王都の城壁に灯る火をぼんやりと眺めていた。


 しかし突然、音もなく何かがやってきて、俺の肩に乗った。


 「遅くなった──」


 俺は直感で思った。

 これは……人ならざる者。

 そして、俺の耳元にはあの時と同じ声が聞こえた。


 俺は自分の肩に目をやろうとした。

 だが、何かがそれを止める。


 「こちらを向くな。前を見ていろ。いいな? このまま話をしよう。心配せずとも危害を加えるつもりはない」

 

 俺は、その言葉に従わざるを得ないと思い、ゆっくりと頷く。


 右肩だけがずっしりと重い。

 何か爪のようなものだろうか。

 少し、刺さるような痛みがある。


 それに、肩から全身にかけて痺れるような感覚が広がっている。


 俺は抵抗する気力すらも奪われていた。

 それは、一つだけ確信していることがあるからだ。


 もし逆らえば、俺はこの何かに殺される──。

 

 肩に乗っただけで、俺は全身から血の気がひくような感覚に襲われた。


 これは、お化け的な恐怖じゃない。


 感じたのは、あの時と同じ──。


 嵐斬魔将デモンサイズ。

 ヤツの縄張りに足を踏み入れた時に感じた、威圧するような圧迫感。


 押し寄せる不安と恐怖……そして、絶望。


 今はそれが、俺の肩から伝わる圧倒的な属性力として感じられる。


 「よろしい。では、話そう、極域の継承者よ」

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