第59話 迫りくる脅威 その1

 前へ進もうとすると、何かに阻まれるような空気感。

 この奥にいる強大な何かが発しているオーラか何か。

 それは勿論、魔将の一角を担うデモンサイズが放つものだと確信していた。


 今まで味わったことのない圧倒感と恐怖感に襲われた。

 ついに、俺の心にあった余裕はなくなってしまったと言っていいだろう。


 ガルが力を解放した時とも違う。

 殺し屋ニコに殺されかけた時の自己喪失感とも違う。


 ……異質。


 背筋に恐怖の雫が滴るほどの恐ろしさ。

 ルーチェリアとルーナも少し離れた位置で俺を挟むように横並びであったはずが、今では密着するかのような距離感で歩みを進めている。


 俺たちとは正反対に、何事もないかのように周囲を捜索する騎士たち。時折、聞こえる笑い声には逆に感心させられる。


 この異様とも言える空気の中でよく笑えたものだと。


 正直、捜索どころじゃない。俺たちは周囲を警戒することに意識を削がれ、神経をすり減らす。

 

 悪気があるわけでも、手を抜いているわけではない。


 この締めつけるような空気感が異常すぎるのだ。


 そんな違和感を微塵も感じない能天気な小隊長やつが、こちらへと駆け寄る。


 「おい、お前ら! 何をくっついて歩いている! そんなことじゃ捜索にもならん! これだから、お前達のような使えない輩を隊に加えることは反対だったのだ。いいから離れろ!」


 顔を顰めたまま、ルーチェリアの腕を掴んで引き離そうとする小隊長。俺はその手を振り払い「やめろ!」と一喝する。


 上官に逆らえば即刻処罰される。

 それが騎士団に置いての規則であると聞いたことがある。


 だが、そんなことは関係ない。

 何故なら、俺は騎士ではないからだ。


 「うぐぐ……私はこの隊を任された小隊長であるぞ。お前らのような虫けら如きが立てつくなど100年早い。上官への反抗、その意味がわかっているな?」


 決まり文句をツラツラと垂れ流す小隊長。


 一方的で傲慢。上に立つ者は、下に対しての敬意も必要だ。


 誰のお陰でその地位にいると思っている? 俺たちは部下ではないが、命をかけてこの作戦に参加している。そして、不本意だがお前の隊に加わっている。


 強まる怒りのベクトルはこの場の恐怖心を忘れさせるほどに、俺の中で振り切れてしまった。


 「貴様ら、立てつく気か! いいだろう。お前達をこの場で拘束し、軍門会議にかける。上官への〝反逆罪〟としてだ」


 小隊長は他の騎士数名を呼び寄せると、俺たちに縄をかけるように指示を出す。


 正面から剣を抜いた騎士が二人。

 両側からは縄で輪を作り、グルグルと回しながら二人の騎士が迫ってくる。


 呼出しに応じた四人の騎士。いずれも俺の属性を馬鹿にし、笑っていた者たちだ。


 結局、人を侮蔑するような連中は皆同じだ。


 ……それに、こいつらだけじゃない。


 この状況で止めに入らない他の騎士達も同類だ。

 初めから、俺達を排除するための画策をしていたのだろう。


 そうでもなければ、目と鼻の先でいざこざが起きている現状を見て見ぬふりというのは可笑しな話だ。


 徐々に距離を詰める騎士たち。

 小隊長は右手を上げ、合図を出すかのような姿勢に入る。


 俺はルーチェリアとルーナの手をとり、背後へと庇うように誘導する。


 そして……小隊長が合図の一声を上げようとしたその時だった。


 俺と騎士達の間に何かが転がり込んでくる。


 「ぐおあぁああー?!」


 けたたましい悲鳴が耳を穿った。


 一斉に振り向く騎士たちは、その惨劇を目の当たりにし、「ひいっ」と後ずさった。


 それもそのはず。小隊長が右肩から血を吹き出しながら膝を折って地面に倒れこんだのだから。


 男の苦しみに歪んだ顔が、俺たちの目に焼きついていた。


 (さっき、転がってきたのはなんだ……)


 俺はふと視線を目の前に落とす。

 そこにあるのは、生々しく血を吹き出している腕。


 これは、小隊長のもの。

 鎧ごと切り落とされたその断面は滑らかで、一切のひび割れもない。


 (──全身鎧フルプレートメイルは強化コーティングされているはず……それなのに、一瞬で切り裂くなんてどんな武器だ?)


 「ブオーン」と風に乗る、嫌悪感を抱かされる羽音。


 小隊長の背後には、声も涙も枯らすほどの悪魔が降り立っていた。


 (でやがった……)


 二つの鎌を鋏のように交差させ、小隊長の体を上下に別つように両断するモンスター。降り注ぐ血が黒光りする体を染め、ギロっとした視線は俺たちへと向けられる。


 そして威嚇するように、両手の鎌を大きく開いた。


 騎士たちは圧倒的な恐怖を前に、体をブルブルと震わせた。


 「ガシャン、ガシャン」と、手に持つ武器をその場に落として散り散りに走り去る。


 残されたのは、俺たちのみ。国を守るはずの騎士がこんなにも情けないとは。


 嵐斬魔将らんざんましょうデモンサイズ。


 かつて、俺を追い回した糞カマキリ。懐かしい対面だ。


 さっきまでビクビクしていた俺も、対峙した今となっては意外と冷静だった。


 「ルーチェリア、ルーナを守ってくれ。俺がデモンサイズを引き付ける。隙を見て退避するんだ」


 「ルーナも戦う! ガゥウ!」


 「いいからルーチェリアと一緒にいるんだ。今は話をしている時間はない」


 「ハルセ、ルーナは任せて。お願い……お願いだから死なないで」


 「ああ、分かってる」


 唇の端を吊り上げ、俺は「これでいい」と拳を握る。


 あのガルやメリッサが警戒するほどの相手だ。危険に晒されるのは一人でいい。


 彼女たちさえ無事でいてくれれば、俺は戦える。


 それにしてもこちらの出方でも窺っているのだろうか?

 無謀に飛びかかってくるようなことはせず、鎌を擦り合わせながら、じっくりと距離を詰められているこの感覚は、まるで人と対峙しているかのような意志を感じさせる。

 

 俺達はまだ魔法石効果範囲エリア内に入ったばかりの場所にいる。


 デモンサイズにとっては、力を存分に発揮できる領域からは外れているのだろう──とはいえ、全身鎧を紙でも斬るかのような圧倒的な力は、恐怖を抱かせるには十分すぎる。 


 もちろん、俺だって怖い。それでもルーチェリアとルーナだけは必ず守り抜く。この気持ちだけは決して折れることはない──俺は震える体を、心を燃やして突き動かした。


 「いくぞ、カマキリ! お前なんかに俺の大切なものを奪われてたまるか!」

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