第55話 血塗られた平和 その2

 ── 王都リゼリア城門付近 ──


 「すみません、通してください! 私は回復術士です!」


 ルーチェリアは人混みをかき分け、急いで男の元へ駆け寄ると、即座に回復魔法の詠唱を開始した。


 騎士団の回復術士も既に魔法をかけてはいたが、さらに重ねることで効果が高まることを知っていたからだ。


 連携した回復魔法によって傷口は塞がり始める。

 とはいえ傷は深く、その速度は遅緩だった。


 男は血まみれの手でルーチェリアの腕をつかみ、声をしぼり出す。


 「あぁ、頼……む。仲間を、仲……間を助け……てくれ。黒い鎌……モンスターに……」

 

 それは仲間を想う男の願い。

 掴んだその手は、力なく解けるように血の海へと落ちていく。


 あまりにも出血が多すぎた。

 懸命な処置も虚しく、商人らしき男は仲間の救出を頼むと静かに息を引き取った。


 助けることが出来なかった──。


 自分の無力さに俯くルーチェリア。


 俺は優しく肩を抱くように手を当てた。


 (この状況じゃ助かるほうが奇跡だ……)

 

 俺はこの世界のことを信じすぎていたのだろうか。


 幻想を抱きすぎていたのだろうか?


 決して平和でもなければ、日々の安全が保障されているわけでもない。


 ……世界はいつだって危険に満ちている。


 国同士の争いも然り、一歩街を出ればモンスターが闊歩する庭でもある。


 ガレシア商会の件からも分かっていたはずだ。

 しかし、身近な危険さえもぼんやりとしか感じなかったのは、平和呆けという病からだろうか。


 改めて人の死を目の当たりにしたことで、より一層の現実を突きつけられる。


 それは、異世界であっても例外ではない。


 今、血塗られた平和が牙を剝いただけのことだ……。


 俺とルーチェリアが男の亡骸へ手を合わせ、静かに目を閉じると、その場の民衆も続くように黙祷を捧げた。


 空気は重く、静寂がその場を包みこんだ頃、遠くから〝パカラ!パカラ!〟という走る音が聞こえてきた。


 そして、俺達の背後で足音がぴたりと止んだ。

  

 「ダレ! ドレ! 何があった? 直ちに報告せよ!」


 背後から大きく響くメリッサの声に、ダレとドレは「ハッ!」と揃って返事をした。


 現状報告のため、メリッサの下へとすぐさま駆け寄る。


 彼女は俺達の姿に気づくと、報告を受けているのを中断して、手を振って声を掛けてきた。


 「二人とも来ていたのか、どうしたその手は? ルーチェリア殿も怪我をしているのか?」


 「あ、いえ、これは治療にあたっていたからで……私は大丈夫です」


 「そうか……協力に感謝する。貴殿らは彼の者から何か聞いていないか?」


 フゥっと息を吐き、少しだけ安堵の表情を浮かべるメリッサに、俺達はここでの出来事について伝える。


 だが、亡くなった男の最後の言葉はその表情に影を落とした。


 〝黒い鎌〟という一言によって……。


 「──ハルセ殿、その男は本当に言っていたのか? 〝黒い鎌〟のモンスターにやられたと?」


 メリッサは、男が言い残した言葉の真偽を俺達に問う。

 

 「どうだ? 言っていたのか!?」


 常軌を逸する事態──そう感じ取れる程の真剣な眼差しが俺を捉えて離さない。


 黒い鎌のモンスター。

 それはおそらく、俺も出会ったことのあるカマキリのことだろう。


 そう言えばガルも、あのカマキリには『手を出すな』と言っていた。


 上には上がいると。


 (たしか、デモン……なんだったかな?)


 メリッサの表情からしても、ガルの忠告の信憑性は確かなものだろう。


 「はい、間違いありません。途切れ途切れだったけど、確かに〝黒い鎌〟のモンスターと……」


 「わ、私も一緒に聞いていました。確かにそう呼んでいたかと」

 

 答えを聞いたメリッサの目元は険しく引き締まり、部下へと指示を飛ばした。

 

 「ダレ! 城門守備の任をしばし解除する。直ちにガルベルト殿を呼んできてくれ。貴殿達は私と城へ」


 「あ、あの、メリッサさん! ルーナをそこの店に置いてきてるんだ。少しだけ話してきてもいいですか?」


 「ああ、わかった。では城の前で落ち合おう」


 俺とルーチェリアは店への説明後に城へ向かうことを約束し、一度、リコ・リッドへと向かう。


 王国最強の一角を担うほどの実力を持つメリッサ。

 その彼女が、たかだかモンスター1匹の話であれだけの動揺を見せた。


 あのカマキリは、俺が思っていたよりもずっとヤバい存在だったようだ。


 息も切れ切れ必死に走り、俺とルーチェリアは勢いよく店の扉を開いた。


 来店客を知らせる鈴の音よりも先に、バンと打ち付ける音が店内へと響く。


 どうやら、メリッサの動揺は俺達にも感染してしまったようだ。


 「おいおい、お前ら。もう少し優しく開けろ。扉が壊れるじゃねぇか」


 「リッドさん、俺達これから城に行かなきゃいけなくて、それでその……ルーナを頼んでもいいですか?」

 

 扉の破損を心配するリッドに、俺は真剣な目を向けた。 


 「──おお、そりゃあ構わねぇが」


 そんなやり取りをカウンター奥で聞いていたルーナ。


 「ガゥウ?」っと食い入るように俺のほうへ向かってくる。


 「ルーナも行く! 置いてかないで!」


 ルーナはそう言いながら、俺の脇腹目がけて飛び込んできた。


 「うっ! いててて……」


 彼女の頭突きは結構効いた……でも、今はそれどころではない。


 「いいか、ルーナ。よく聞いてくれ。これから行くかも知れないところは、とても危険な場所なんだ。ここで大人しく俺達の代わりにリッドさんを手伝っててくれないか? 必ず迎えに来るから。なっ?」


 俺の訴えも、まだまだ子供のルーナには聞き入れてはもらえない。


 置いていかれるという事実だけがルーナの心を突き動かす。


 流れる滂沱の涙が、彼女の足下をびしゃびしゃにした。


 「びぃえええええん!! ハルセはルーナを捨てるんだぁあー!」


 凄まじい轟音と衝撃。

 溢れ出る悲しみの叫びがギシギシと建物全体を軋ませる。


 ルーナは人間ではなく竜種だ。

 人の姿は擬態に過ぎず、最早、泣き声というよりも咆哮だ。


 今まさに、この店にとって彼女の叫び声は脅威だった。


 俺達三人は必死に耳を抑えた。

 こんな状況では俺達の声をルーナに届けることすら出来ない。


 覚悟を決めた俺は耳から手を離し、ルーナをぎゅっと抱きしめた。


 「……ハルセ大好き、ガゥウ」


 全く持って現金な奴……というか、抱きしめるとすぐに泣き止んだ。


 そのうえ、俺の背中に手を回すとベッタリと体を寄せて密着してくる。


 「何をデレッとしてるのよ、ハルセ」


 この様子にルーチェリアの声が被さる。

 俺は背後の冷たい視線に耐えながら、ルーナに語りかけた。

  

 「ルーナ、も、もういいだろ? 分かったから放してくれ。取り敢えず、必要そうな物だけ準備して一緒に行こう」


 「ほんと!? ほんとにルーナも連れてく?」


 「ほ、本当だよ。でも一つだけ約束してくれるか? 一人で行動しないこと。守れるか?」


 「うん! 守る守る! ルーナこのままハルセと一体。ガゥウ!」 


 「ルーナ! そのままじゃ行けないでしょ! 早くハルセから離れなさいぃー!」


 ルーチェリアはムッとしていた。

 頬を膨らませ、ルーナの引き離しにかかる。


 ルーナもまた、俺から離れたくないと足まで絡めて必死に抵抗していた。


 「二人とも落ち着いてくれ。いいか? ルーナ、俺に抱き着いたままだと逆に危ないから連れていかない。ルーチェリアも城へ行く準備をしてくれ」


 俺の言葉に、意外にも素直に従うルーチェリアとルーナ。


 「OK……ハルセ、ごめんね。準備に入るね……」


 「ガウゥ……」


 何故だろう? 二人して悄気てしまったが、一先ず俺は解放された。


 話の途中であったリッドに対して、ようやく事情を話すことが出来た。


 現状を把握した彼は、回復薬や必要な物資をリュックに詰めて俺に差し出すと、


 「バイトは一時中断だ。気をつけて行ってこい」


 と快く送り出してくれた。


 見送るリッドに手を振って急いで城へと向かった俺達は、予定の場所でメリッサと合流した。




 ――――――――――

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