第43話 繋がる日々と大切なもの

 ルーゼルの丘から戻ったその夜、俺は疲れ切っていた。

 それでも不思議と眠くはなく、前の世界と今を繋ぐ線上で、俺は一人、思いを巡らせていた。


 考えてみれば俺にとって、以前と現在いまの世界は実に対照的だ。

 

 夢や希望に溢れた幼き眼。その目で見ていた世界はとても広く、大きくなる体とともに輝きは色褪せ閉じていった。いつか叶うと思ったことは無力に消えさり、努力なんて報われやしない、そんな世界が常識のように蔓延りはじめる。


 いつしか周囲には、中身よりも表面で判断する者たちがのさばり、自分の身を守るための虚言、諂い、すぐに見限る関係性を高らかに翳し合う。それに耐え続けることが、大人になるということだと、何もかも諦めていた世界だ。


 俺はそんな生き方にほとほと嫌気がさしていた。生きることを諦め、もうこの命、いつ捨ててもいいとすら思っていた。


 しかしこの世界に来てからは違う。今は違うんだ。俺は生きたい。 


 ガルにルーチェリア、そして畏怖の対象である竜種、ルーナ。彼らとは何の気苦労もなく、無理もなく、ただ心のままに打ち解け合うことができた。理解し合うことができた。


 人を疑ってかかることが当たり前だったあの頃とは違い、俺は彼らのことを心から信じることができている。一度は壊れてしまった心が、温かな心によって再生されたんだ。


 ここで必要なのは誰と生きていきたいのか、誰を守りたいのか、心のままに思うのはそれだけのことだ。



 天井に吊るされた温かいランタンの光──俺は仰向けになり、その灯をぼんやりと見つめる。


 (今日は静かだな……)


 俺の部屋は三部屋中のちょうど真ん中。両隣から穏やかな寝息だけが微かに聞こえてくる。


 時々、「敵襲か!」と勘違いするほどの寝言が飛んできたりするが、今夜のところはそれもない。


 「それにしても、月が綺麗だ」


 俺はベッドから起き上がると、自室の窓を開け、遠くに輝く純白の三日月を眺めた。いまだ眠気はこない。だが、たまにはそんな日もあるだろう。こうして過去を振り返るのも、本当に久しぶりだ。


 それにこの時間帯は誰も邪魔しない。

 俺はお手製の椅子を引き、これまたお手製の机へと向かった。ガルから貰った名ばかりの魔法書を開き、筆をとる。


 本物の魔法書ならば、自らが生み出し習得した魔法は、そのデータが自動的に記録されるとの話だったが、俺のは手書き。要するに普通のノートと同じということだ。


 まあ本物の魔法書であっても、他者が生み出した魔法がどんどん追加されるということはないらしく、最新の魔法が知りたければ、最新の魔法書に買い替える必要がある。


 聞くところによると、魔法書はとても高価なもののようだ。ファンタジーといえども、なんとも世知辛い。


 ガレシア商会との戦いが終わってしばらく、俺たちは、修練と呼べるほどのことを何一つやっていない。だからこそだ。せめて新しい魔法のアイデアくらいは溜めておこうと、俺は常日頃から気づいたことを書きとめるよう心掛けている。

 

 もちろん、表立ってはやっていない。あんまり張り切ってガルの前で取り組んでいると、そのまま修練突入の危険すらある。あくまでも密やかにだ。俺はまだ死にたくはない……。


 と、そういえば、今でもずっと気になることがある──あの声の主は誰だったのかと。ジアルケスとの戦いの最中、響いてきたあの優しき声のことが。


 俺の意識に語りかけてきた謎の声。その助力もあって、俺たちは難局を乗り切ることができた。


 「しっかし、凄い威力だったな、あの魔法……」


 王都には、とても大きな図書館があるらしい。当然、歴史書もあるだろうし、俺の知らない知識が山ほど蓄えられているに違いない。本を読むと眠くなるが、学びは必要だし、何か手がかりがあるかもしれない──時間を見つけて行ってみるのも、悪くはないかも。


 俺はまたぼんやりと窓の外に目をやる。


 ルーナは今日も外で寝てるのだろうか? 寝ている間は擬態が解けるとか何とか、そんなことも言っていた気がする──にしても、竜種ドラゴンの体の大きさを考えれば仕方のないことだが、何か手だてはないのだろうか? 小さくできる魔法とか。


 いくら竜種とはいえ、まだまだ子供。夜に一人寂しく外で寝かせるというのも、何とも気が滅入るものだ。


 俺は一人、夜風を浴びるために部屋を出た。まあ、ルーナのことが気がかりってのが一番なのだが。


 家の入口を開けてすぐに目につく。食卓テーブルの隣、顔と尾をくっつけるように丸まって眠る、一頭の白銀の竜種。スヤスヤと眠るルーナの姿が。


 「ったく、こんなところを街の人にでも見られたら、大騒ぎだろうな……。ま、さすがに、夜はモンスターも多いし、出歩く人はいないだろうけど」


 俺は外の椅子に腰かけ、ルーナの寝顔に頬を緩ませる。竜種といえども正体を知っている。ルーナの笑顔を思い浮かべれば、恐ろしい竜種だって、可愛らしくみえてくるのだから不思議なものだ。


 「ふう~、なんか、眠くなってきたな……」


 俺も幸せそうな彼女の顔に少しつられたのか、いつしかウトウトと、眠りへと落ちていった。



 ◇◆◇



 どれくらい眠っていただろう。まだ夜は明けていない。

 

 俺が目を覚まし、テーブルに埋めた顔をあげると、その背には薄手のブランケットが掛けられていた。


 「あ、ハルセ、起こしちゃったね。それにしても、こんなところで寝てると風邪をひいちゃうぞ」


 寝ているルーナの影から、ルーチェリアが顔を覗かせ、ニッコリと真っ白な歯を見せつける。俺は、後ろ頭をポリポリと掻き、「ハハッ、そうだな」と笑みを返した。


 「これ、ありがと。ルーナの寝顔見てたら、つられちゃったよ」


 「そうね、分かる気がする。気持ちよさそうに寝てるもんね。どんな夢をみてるんだろう」


 俺たち二人が見守る中、安心しきった顔で眠り続けるルーナ。彼女の姿はまさに癒しだ。


 「ルーチェリアも、眠れないのか?」


 「え? う、うん。実は、ハルセが部屋から出ていく音が聞こえて、それで、なかなか帰ってこないし、様子を見にきたの」


 「あ、そっか。そりゃあ悪いことをしちゃったな……」


 「いいのいいの。もともと眠りが浅くて。それに耳も特に敏感なの」


 「耳が敏感かあ~」


 「なに? その顔、なんかやらしいんだけど……」


 俺は咄嗟に「ち、違う違う」といいつつも、正直、少しだけは考えていた。だって敏感って、そう考えちゃうものなんだもの。


 「う、う~ん……。も、もう食べられないよお、ハルセ、ムニュミュ~」


 「……」「……」


 俺たちの声に、ルーナの寝言が続いた。俺とルーチェリアは互いに手のひらで口を塞ぎあって、彼女の寝息が聞こえるまで耐え凌ぐ。再び「スピ~」と鼻を鳴らしはじめたところで、


 「あ、あぶねぇ……」


 「起こしちゃうところだったね」


 と、二人して安堵の声を漏らした。




 俺たちはその後、夜明けにはまだ早い時間帯、それぞれの部屋に戻って静かに眠りについた。



 ◇◆◇



 「貴殿達! いつまで寝ておるのだ! さっさと起きなさい!」


 朝の清々しさなど何のその。静寂を打ち砕くガルの声が家中に響き渡る。大豪邸でもあるまいし、もう少し加減というものを知って欲しい。俺は目を擦りつつ、「はいはい」と体を起こそうとした──が、


 「ハルセ、おはよ! 起きる! 起きるぞ! ガゥウ!」


 と、勢いよく飛びついてくるルーナによって、ふたたびベッドに押し倒される。せっかく部屋を持てたのに、この家にはプライベートというものがないのだろうか。


 俺は「おはよう、ルーナ」と返しつつ、「ちゃんとノックはしたのか?」と尋ねる。しかし彼女は、


 「ノック? ノックってなぁに?」


 と小首を傾げた。


 やっぱそうですよね。ルーナは竜種。生まれたばかりで言葉を話せるだけでも大したものだが、人の言葉は多種多様。色んな使い分けもあるし、様々な単語もある。マナーや何やら、同じ人間だってすぐにできることじゃない。これから少しずつ教え込んでいかねば。


 俺はさっそく、自らが手本となり、部屋に入るときのマナーを教えるために実演をした。


 そして、右に倣えでルーナにもさせてみる。


 コンコン、と部屋に響くノック音。よし、しっかりと教えたとおりにできている。


 「ハルセ、入ったぞ! ガゥウ!」


 「ち、ちがーう!」


 入る前に言って欲しい。俺はまるで漫才コンビのように、部屋に飛び込む彼女に突っ込む。


 「ルーナ、俺がしたとおりにやるんだ。いいか? ノックをしたら、俺の返事を待つ。それから、入ってもいいですか? って聞いてから、なら入る。なら入れない。わかるよな?」


 「ダメ、入れない……。ガウゥ……」


 不安げな面持ちで、「ダメ、ダメ」とダメに強い拒絶反応をみせるルーナ。そこから徐々に頬が膨らみ、不満全開でプクゥ~となる。


 俺は手のひらを呆れたように振り、「そんな顔をしてもダメなものはダメ」と切った。


 「いいか、ルーナ。一緒に暮らしていくんだから、最低限のルールってものがあるんだぞ」


 「ルール? ルールってなぁに?」


 うむ、中々進まない。普段の会話は結構できているはずだが、最早、何が通じて何が通じないのかが全然わからない。


 未知との遭遇──いや会話か。俺とルーナの特訓が行われる中、ガルとルーチェリアは二人して朝食の準備を坦々とこなしていた。


 「ハルセ、ルーナと一緒にテーブルの準備をお願い」


 ルーチェリアからの新たな指令が下った。俺とルーナはテーブルクロスや食器を持ち、外のテーブルへと向かう。


 無論ここでも、俺の指導がものをいうのだ。


 「いいか、ルーナ。こうして、食事の前にはこれをテーブルに広げるんだ」


 コクンコクンと首を縦に振るルーナが、俺の指導を真剣な眼差しで聞き、質問を投げる。


 「うん、わかった。でもこれ、何のために広げるの?」


 「ゴホン! ルーナ君、いい質問だ。例えばだが、ここに君が食べ物を零したとしよう。そのときにこれさえあれば、テーブル自体は汚れないんだ」


 「でも、これが汚れるよ?」


 「ああ大丈夫、クロスなら汚れても洗えるからな」


 「おお~、じゃあ、汚していいヤツなんだあ。便利便利」


 「う~ん……。ちょっと違うけど、まあ、なるべく汚さないように食べるんだぞ。可愛い子が食べ方が汚いと、残念だからな」


 「残念……そうか、がんばる! ガゥウ!」


 いつもなら数分で済むようなテーブルセッティングも、教えながらだと結構な時間がかかった。


 ガルやルーチェリアはとっくに支度を終えていたが、鍋を火にかけたまま保温し、俺たちの準備が終わったのを確認してから、お椀によそいはじめた。


 まずは冷えも関係ない、美味しいサラダから並び、温かなものは後から次々と運ばれてくる。


 ルーナはテーブルに張りつき、運ばれる食事に「うわああ~」と目を輝かせている。


 「ルーナ殿、これは熱いからな。あんまり顔を近づけていたら危ないぞ」


 「これ熱い。ガルベルトも熱い」


 確かにそうだ。ルーナも上手いことを言うものだ。ガルもある意味熱すぎるからな。


 朝食の準備が整うと、俺たちは前にも増して賑やかとなった食卓を囲んで椅子に座る。


 ここにいるのは大切なこの世界での仲間、いや家族。彼らと日々を繋ぎ、これからの未来を紡ぐ。


 また今日も、新しい一日を作っていく。 

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