第42話 ハルセとルーナ。時々ルーチェリア

 何とか無事に名づけという大仕事を終えた俺は、彼女たちと連れ立って、我が家から南東に少し離れた【ルーゼルの丘】へと散歩にきていた。


 ここは俺とルーチェリアのお気に入りの場所。見える景色も格別で、この高い丘から見下ろすように一望できるだけでも、何ものにも代えがたい贅沢だ。特に陽の光を浴びて輝く王都リゼリアの白い城壁と周囲を取り囲むジーニア湖の水面の蒼さが絵画のように溶け込んだ風景は、思わずため息が漏れるほどの美しさ。そのうえ、この丘を駆けのぼる風の中、両手を上げて思いっきり叫べば最高の気分だ。


 「やっぱここは最高だあー!」


 「アハハ、ハルセっていつもここに来たら叫んでるね」


 「お、ルーナも叫ぶう!」


 とまあ、ここにきたら定番の雄叫び。ルーチェリアはあまりそういうのには乗り気にはならないが、ルーナは何でもやりたがり。俺のようにハマるかどうかまではわからないけれど、なんとも楽しそうだ。


 そんなルーナのことについては、まだまだ謎だらけ。今日ここに来たのも、


 『貴殿らだけで、どこか散歩がてら話でもしてきたらどうだ? そのほうがルーナ殿も話しやすかろう』


 と、ガルからの配慮もあったからだ。


 「ハルセー! なんかー、飛んでるうー!」


 大声を上げ、湖面を跳ねる魚の群れを指差しながら、こちらを見てニッコリと笑う。


 眉を隠すように流れ込む前髪と、背中で靡く銀色の長髪ロングヘア。温かみのある朱色の中に星が散りばめられたキラキラの瞳。時折背に覗く、小さな翼は興奮して飛び跳ねるたびにパタパタと羽ばたき、一言でいえば全てが可愛すぎる。


 彼女はこちらに駆け寄ると俺の腕にしがみつき、「ハルセ、大好きい!」とこれまた愛らしい笑顔を眩いまでに向けてくる。


 「ル、ルーナ、少しだけ離れようか。せっかくこんな広いところに来たのにさ、ねえ……」


 こうして面と向かって好きといわれて嫌なわけじゃない。むしろ嬉しい──が、俺がそういうのも無理はないのだ。目の前には頬をプクッとはち切れんばかりに膨らませたルーチェリアが立っているのだから。


 「えーやだよぉ。ハルセ、ルーナのこと嫌いなの?」


 ここでそれを聞くのか……。ジトッとした圧を感じる視線と、従順な子犬のような眼差しに挟まれた俺は、「いや……その、違うよ、好きさ。だから、ね」と遠慮がちに言いつつ、軽くルーナの腕を外そうとするも逆効果。さらに締めつけは強くなった。


 「ほんとにぃ!? ルーナも大好きー! ガゥウ!」


 距離を取ろうと試みるもあえなく失敗。ルーチェリアの嫉妬の炎はメラメラと燃えさかり、静かに、俺とルーナの元へと近づく。


 「いつまでそうやって抱きついてるのかなあ~?」


 空いていた俺の左腕。ルーチェリアがギュッと体を寄せて抱きついてくる。


 (お、おお……こ、これは……。ルーチェリアさん、当たってる……。バッチリ当たってるよ)


 俺はどこにいるのだろうか? ここはまさに天国と地獄の狭間とでもいうのか。腕に押し寄せる渓谷は俺を優しく包み、まるで崇め奉っているかのようだ。


 そして始まる、女同士の熾烈な争い。

 

 「ルーチェリア、ハルセから離れろ」


 「ルーナこそ離れてよ! さっきからず~っとベッタリじゃない。そろそろ離れてあげなきゃ、ハルセに嫌われちゃうよ?」


 「ハルセ! ルーナを嫌いになっちゃうの? 傍に居ちゃダメなの?」


 「あ、いや、そんなことは……。ア、アハ、アハハハハ……」


 「笑ってごまかさないの! ハルセ、これも躾だよ。これ以上甘やかしちゃダメ!」


 ガルは俺達だけの方が話しやすいだろうと送り出してくれたが、現状、かなり話しづらい。


 俺は二人に挟まれ、被弾しまくっているし、和気藹々な雰囲気とはどこ吹く風? 間違いなくここには吹いちゃいない。


 「ハルセ~、ルーチェリアが意地悪するぅ~。ほら見て! わたしのホッペ、ギュウってしたぁ~!」


 「はあ~? 何言ってるのよ、ルーナこそ私の顔を蹴らないでくれるぅ……っく」


 激しい……激しすぎる。俺がいまさら「まあまあ二人とも」なんて取りなしたところで、もはや収拾がつく気配はない──がしかし、俺には奥の手があった。


 俺は腰に下げた鞄の中から、二人の気を引くための、あるブツを取り出した。


 「よ、よ~し二人とも、とりあえず落ち着こう。甘~いお菓子を持ってきたぞお~」


 ガルが密かに用意してくれていたお手製のお菓子。俺はこれ見よがしに、二人へ向けて印籠の如く翳した。


 「わぁい! おやつだ、おやつ! ガゥウ!」


 「ま、まあ仕方がないかあ……。じゃあ、お茶の準備でもしましょうか」


 それは効果覿面だった。俺の両腕はおやつを見るや否や、即座に釈放された。


 まだ腕に残る火照り。山脈のように雄大な頂に挟まれた時間に別れを告げるのは少し名残惜しい気もするが、これでようやく落ち着いて話ができそうではある。


 持ってきた広めの布を丘の上に広げて腰を下ろし、お菓子を木製の皿の上に山盛りに積む。


 携帯用魔法石で水を作り、火の魔法石で沸騰。エルリンドの葉を木製取手のついた小さな洋杯コップへと浮かべて、湯を注いだら出来上がり。


 「いただきまーす!」


 三人揃っての声が響き、大自然の中でのお茶会が開始スタートされたのだった。


 本日の目的はルーナとの親睦を深めること。これからは共に暮らしていく家族となるし、互いを知ることは最も肝要なことだ。特に初めが肝心ともいうし。

 

 「なあ、ルーナは竜種なんだよな? ずっとあの森で暮らしていたのか?」


 「う、うん。森だけど、何もない暗いところ。殻から出れたのは、う~んと、3日くらい前かなあ~」


 俺とルーチェリアは「殻からでた?」と首を捻り、ルーナは「そうだよ」と頷く。


 彼女の話を要約すれば、竜種は卵生であり、殻の中で自我が芽生えてからもしばらくは外に出ることもできない。それにしても竜種という生き物は、生まれた直後でもあれほどの大きさなのか……。もっと子供らしい、昔アニメや映画で観た小さな姿を想像していた。


 「そういえば、ルーナは生まれたばかりで、どうして言葉を話せるんだ?」


 当然といえば当然の疑問。殻を破って3日ということは生後3日。人間の物差しで測るのもどうかと思うが、それにしても言葉を覚えるにはあまりにも暇がない。だがこれにも大きな理由があった。


 というのも、殻の中で自我が目覚めた状態で待つ時間が異様に長く、どれくらいとはハッキリ言い表せるものではないにしろ、とにかく長いとのこと。さらに彼女に語りかける謎の声の存在のお陰と、ルーナは言った。


 ルーナ本来の姿は、俺たちが見た白銀の竜種。俺とルーチェリアとお菓子を囲む少女の姿は人間に化けた仮の姿であるとも。


 「人の言葉も、変身も、その声が教えてくれたのか?」


 「うん、そうだよ。外は人の世界だから言葉も大事だけど、人の姿になれるようにしなさいって。それでね、送ってくれたのが、今のルーナなの」


 「送る?」


 「ええとね、外の声が送るから目を閉じなさいって言ったの。それで目を閉じるとね、真っ暗な中に今の姿が見えたの。後はルーナ、言われたとおりにしただけだよ。でも、外出たら誰もいなかったの」


 姿をイメージとして送るようなもの? 竜種だけが持つ精神感応テレパシーなのだろうか──ということは、謎の声も同族の可能性が。聞いても聞いても俺の疑問が尽きることはない。


 「ルーナ、私もそんなに竜種に詳しいわけじゃないんだけど、昔、本で少しだけ読んだことがあるの。竜種には火竜ファイアードラゴンとか水竜ウォータードラゴンといった感じで、色んな種族がいるんだけど、ルーナの種族の名前とかって聞いてないかな? それが分かれば、故郷を探すことが出来るかも知れないし」


 「ルーチェリア、種族ってなぁに?」


 「そうだなぁ~、ルーナと同じ姿をした仲間に共通してる、名前みたいなものかな。ハルセは人間族で、私とガルベルトさんは獣人族みたいな」


 ルーチェリアの質問はまだまだルーナにとっては難解な様子。ルーナは「う~ん」と頭を抱えてしばし押し黙り、10秒ほどして、「何言ってるかわからない」とあっけらかんと答えた。


 ルーチェリアは「いいのいいの、ごめんね」と苦笑い。ルーナは小首を傾げて質問を投げた。


 「ルーチェリア、種族? それを見つけてルーナを返したいの? ルーナに居なくなって欲しいの?」


 「そ、そんなことない! 私もルーナと一緒なの。もう故郷には誰もいないの。でもね、こうしてハルセと一緒に暮らせる今が幸せだし、ルーナもそうなれたらなって思ってる。ただ、いつか私も故郷に行くことができたら、町の皆には、お花くらいお供えしたくて……」


 「ルーチェリアもルーナと同じ? 一人ぼっち?」


 切なげな瞳で彼女を見上げたルーナは、ルーチェリアの手を静かに握った。ルーチェリアの想いに何か感じるものがあったのだろうか。


 ルーチェリアもまた、そっとルーナを抱きしめる。


 「うん、ルーナと同じ。一緒に頑張ろう」


 「一緒。一緒って温かい。ルーナも温かい?」


 「うん。ルーナも温かい。温かいよ……」


 互いに腕を一杯に回し、離さないように強く抱き寄せる。


 「ルーナは一人じゃない。ハルセも私もいる。大丈夫! 一緒にいよう」


 「うん。一緒にいる! 二人とも大好き! 三人一緒、 ガゥウ!」


 俺はここで「ん……」と引っ掛かった。それもそのはず。明らかに忘れ去られた人がいるのだから。


 「あ、あのさ……盛り上がっているところ悪いだけど、ガルベルトさんを忘れてない? ここには居ないけど地獄耳だからな。今頃、咳き込んでるかも知れないぞ……」


 「あ……。そうよね、だっただった」


 「そうだ! ガルベルトも一緒!」


 俺たちは三人して、この直後、リゼリアの街まで届くんじゃないかと思うくらいに大声で笑った。


 これだけ話せれば、お互いを大切に思えれば、もう、いいよな。


 ルーナは竜種で一人ぼっちで生まれた。帰る場所もない。それに何より、悪い竜種などではない。


 これからは一緒に生きる家族。俺たちはそれぞれが孤独だったが、ここではお互いを大切に思い合える心で結びついている。何よりも固い絆だ。


 俺とルーチェリアは目を合わせ、静かに頷く。

 言葉を介さずとも、その意志が共通のものとなったことを認識する。


 「よし、もう夕方だしそろそろ帰ろう。夜になると怖いモンスターが出るかもしれないし、それに我が家のモンスターも「遅い!」って、荒ぶるかもしれないしな」


 「ハルセ、お家にモンスターが出るの?」


 「ルーナ、ハルセの冗談。フフッ」


 そんな他愛もない言葉を掛け合い、ゆっくりと丘を降りる三人。


 今日から、俺達に新しい家族が増えることになる。


 彼女の名は、ルーナ=ガーヴァ。


 種族名は分からないが竜種──そして、俺達の可愛い妹分。もちろん、父親役はガルだ。


 夕陽に照らされる王都。その城壁上の監視塔に、夕暮れを告げる篝火がゆらゆらと灯り始めた。

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