第41話 ルーナ=ガーヴァ

 衝撃的な朝を迎えた俺たちは、森で保護した少女の笑みにニッコリと微笑み返す。


 目の前にいるのは、白銀の鱗を持つ竜種ドラゴン──でも、今は一人の可憐な少女の姿。


 彼女は天真爛漫にコロコロと表情を変え、目に入るもの全てが珍しいのか、次々と質問を連ねだした。


 「ハルセ、これなぁに?」


 「それは花瓶だよ。外に花があっただろ? それに水を入れて花を生ける。部屋の飾りみたいなものかな」


 と一つ答えても、「ふぅん。ハルセ、これはこれは?」と少女の関心は次の対象へとすぐに移る。


 俺は「とりあえずさ」と切り、小首を傾げた彼女に話しかけた。


 「まずは朝食を食べてから、先に君のことを聞いてもいいかな?」


 「う、ん? ご飯? いま、ご飯っていったよね?」


 「ああ、朝ごはんだよ」


 俺は前世では独身。この世界でも見た目はまだ子供だし、もちろん独り身。子育てなんてしたこともない。動物を飼ったことくらいならあるが、竜種を動物と一緒にするのはちょっと違う気もするし。


 だがこうして、異世界で子育てをしているような疑似体験をする羽目にはなっている。


 目を離せばどこにいるか分からなくなるし、何でもかんでも口に運ぼうとしたりするし、挙句、台所の包丁までブンブンする始末。危なっかしいったらありゃしない。


 とはいえ、受け答えは意外にもしっかりしているし、いったことは「はーい」としっかり聞き入れてもくれる。ちゃんと教えこめば、生活については問題はなさそうだ。



 俺達はテーブルを囲み朝食をとる──が、手掴みで食べようとする少女に、「こっちがフォークでこうして刺して使ったりする。それとこれが──」と食器の使い方から順に教えていくことになる。


 何から何まで一つずつだ。さすがに竜種が人間のマナーを知っているわけもないし、少女が悪いわけでもない。


 その後は無論、朝のルーティン。ガルの指導で徹底的に叩きこまれる。俺とルーチェリアが口を挟む隙間などまるでなかった。


 さすがはガル、相手が竜種であっても容赦がない。


 朝の日課が終わると、俺たちは再び、外のテーブルへと集まり、ガルが「さて」として続けた。


 「まず聞きたいのは、貴殿はどこの生まれだ? それにあの姿、竜種で間違いないのだな?」


 何とも堅苦しい聞き方だ。少女はおどおどとした様子で、


 「どこの、生まれ? お家のことかな、それならええと……わたしのお家はあっちなの。でもね、誰も居なかったの」と応じた。


 そうして俯く彼女に代わり俺が、「そうだったな」と相槌し、「ガルベルトさん、森に住んでたって昨日も言ってたよ」と答えた。


 ガルは眉を顰めて、両腕を組み、


 「──森か。俄には信じられぬが、彼女の言葉を信じる以外、今は選択肢がないからな」


 と首を傾げた。


 半ば重苦しい空気の中、「わたしね」とにっこりと笑みを浮かべた少女。彼女は両眉を吊り上げ、口を大きく、自らの出自について語りだした。


 「多分、竜種であってる。わたし、少し前ね、何もないところで生まれたの。暗くて、石ころしかなくて、でも喉が渇いたから、お水がいっぱいあるところに行こうとしたんだ。そうしたらね、ハルセがいたの。ずーっと昔にね、『必ず迎えに来てくれる人がいるから、それまでここに居なさい』って、わたし、言われてたの。だから待ってたの」


 少女はさらりとガルが質問したことを口にしていた。


 彼女は竜種であり、あの森で生まれた。でも、石ころしかない場所ってどこにあるのだろう? 少なくとも俺たちが行った範囲では、鬱蒼とした森でしかなかった──しかしこの疑問も、この後すぐに払拭された。


 ガルの問いに、少女が「うん、森の先に洞窟があるの。わたしはそこで目覚めたばかりで、ほかには誰もいないよ」と返したことで、話の辻褄が噛み合ったのだ。


 少女は、「そう、誰もいないの」と再び繰り返し、ついさきほどまでの無邪気さは影を潜めた。


 だが、「大丈夫だ。出ていけというわけではない。ここに居ればよいではないか。ハルセ殿が大好きのようでもあるしな」とのガルの声に、「ホントにい?! ここにいる! ハルセ大好き! ガゥウ!」と一瞬にして笑顔を弾けさせた。


 その表情はまさに千変万化。雨空が急に陽の光で溢れかえるように、曇りなんて幕間は一切ない。晴か雨。今のところはその二択。そのうえ竜種といえど、輝かしいほどの美少女が放つ光は、「私だけを見て!」と言わんばかりに俺の心を照らし出す。


 「っく、ま、眩しすぎる……」


 とまあ、言っておくが、実際に光っているわけではない。それぐらい神々しいということだ。ただ気のせいか、隣にいるルーチェリアの視線が非常に痛い気はしている。ここは気づかないことにしておくほうが無難だろう。俺の心のシグナルはそう確かに告げている……。


 全身を針の山にされそうなほどの鋭い視線を浴びながらも、俺はまた、抱きついてきた少女の頭を優しくポンポンと撫でた。


 「ハルセ、一緒にいれる。ガルベルトいいって。ガゥウ!」

 

 ここに居ればいい、そう言われたことが、余程嬉しかったのだろう。帰る場所もなく、ただ一人、あの森にいたのはきっと寂しかったはずだ。


 ガルは決して、帰る場所のない者を無下に追い出すようなことはしないし、俺もルーチェリアも彼のおかげで助けられた。この家に居させてもらえた。


 この少女のことも、ガルの目には同じように映っていることだろう。


 「ところで、貴殿の名は何と言うのだ?」


 ガルは腕組を解きつつ、少女に向かってこう尋ね、彼女は「ガゥウ?」と目を丸くした。


 そういえば昨日もルーチェリアが尋ねた際、名前よりも先に、名前という言葉の意味自体で躓いていたが、そのまま聞きそびれていた。けれど、少女の様子を見るからにまだ名前という言葉の意味自体がしっくり来ていない様子。竜種でありながら、ここまで人の言葉を理解していることは驚嘆に値するが、まだまだ万能とはいかない。「う~ん」と頭を悩ます少女に対し、ルーチェリアが優しく救いの手を差し伸べた。


 「私の名前は何ていったか覚えてる?」


 「うん、ルーチェリア!」


 「そうそう。で、ハルセもわかるよね? あなたにも、私たちが呼んでもいい呼び方があるんじゃないかな?」


 「ああー! ハルセもルーチェリアもわたしを名前?で呼びたいの?」


 少女はピンときたのか、眉頭を上げて視線を上に、「名前、名前……」と首を左右に振りだすも一向に名前は出てこなかった。


 そしてその顔は晴から雨。シュンと肩を落とし、「わたし、なんか呼ばれてた気はする。でも覚えてない……どうしよう」とその瞳を潤ませた。


 やばい、泣かれる。そう思った俺とルーチェリアは慌てて、


 「じゃあ名前を決めよう」


 「そうそう、ハルセがつけてくれるって!」


 とそれぞれに慰めの声をかけ、「俺?」と反論する暇もないほどに、少女の目はキラキラで満ちていた。


 「ハルセがくれるの、名前! やったあー! 名前! 名前! ガゥウ!」


 心の底から嬉しいのか、俺の周りを飛び跳ねながら、体全体で幸せを全開。さすがにこうなってしまっては、俺には無理だよ、とは言い出せない。


 (まあいっか、竜種だし。ペットに名前をつけるみたいなものか……)


 そのまま口にしたらルーチェリアから鉄拳制裁を喰らいそうだが、ここは一先ず、あまり深刻に考え過ぎずにこのまま気楽にいかせてもらおう。

 

 俺は小さく一息つき、「わかったよ、しゃあない。でも、気に入らないからって文句言うなよ」と一言だけ釘を刺した──が、ガルは口元から牙を覗かせ、その場の期待を逆に煽った。


 「ハルセ殿。可愛い名前をつけてあげなさい。貴殿の素晴らしいネーミングセンスに期待しておるぞ」



 (この野郎、ハードルをエレベストするんじゃねぇよ……)



 俺の眼前には心躍る二人の少女。何故かルーチェリアも一緒になって飛び跳ね、早く早くと俺に向かって催促をはじめた。

 

 俺がちょっと待てとして、目を瞑り考えるも、すぐさま両頬には何故か風が当たるのを感じている。


 おそらく俺の推測では浮足立った彼女たちが俺のすぐ数センチ先まで顔を近づけ待っている。


 それでも俺は考える。今は無だ。いや、無になっては名前すらも浮かばない。俺は肌に吐息を感じつつ、深い思考に落ちていく。


 (名前、名前……。そうだな、可愛い名前か……。そう言えば以前、ルーチェリアにも偽名があったよな。ルナ──あれって、もう使わないよな? ルナね、そうだなあ。俺はあの響き好きなんだよなあ)

 

 俺はさらにさらに考える。肌を打つ風圧が強くなるのを感じている。これは限りなく、今か今かと待ちわびる彼女たちの顔がもうすぐそこまで迫っている。すでにミリ単位かもしれない。

 

 (よし、落ち着け。ふ~、呼吸は大切だ。いま目を開けたら思わぬ事故になりかねない。とにかく名前を決めてからだ。そうだな、名前はルナとしても苗字がいるか。でも、別にペットって、飼い主の苗字だよな?……って、それだと、ルーチェリアの苛烈な嫉妬は免れない。さてどうするか……)


 俺は目を閉じたまま、微動だにせず沈思する。


 (あ、鳴き声とかどうだ?『ガウヴァル』とか『ガゥウ』とか特徴ある声だし、ファーストネームが人間なら、ラストネームは竜種側から取るってのもいいじゃないか。よし、決めた!)


 が、ここで俺が目を開くとやはり事故が起きかねない。数ミリ先には彼女たちの顔があるのかもしれないのだから。こんなところで、しかもガルの目の前でキスはマズいだろ……。


 俺は瞼に光を感じたまま咄嗟に後ろへと跳び、そして目を開けた。


 「う、うあああああー」


 少女二人も俺と一緒に飛び立っていた。

 

 俺の左右の頬に彼女たちが頬ずりしながら、ズザンと背中からダイレクト着地。

 

 この世界でのファーストキスを野獣に目撃されることだけは何とか避けたが、それにしても背中が痛い。少女とルーチェリアは地面に倒れ込む寸前に俺の手を離れた。何とも計算高い連中だ。


 俺が衣服をはたいて、ゆっくりと立ち上がると、もう待ちきれないと言わんばかりの少女が目にワクワクと書き、両拳を握って期待のオーラを身に纏った。


 「じ、じゃあ発表します……」


 「うん!」


 「早く早く! ガゥウ!」


 「ようやくであったな、ハルセ殿。待っておったぞ」


 「彼女の名は……」


 一同、息を呑み、静まる。


 「ルナ=ガウヴァ」


 俺の口からでた音に、眼前の三人の目は点となった。


 「ガヴァガヴァ?」


 「ええとお、ハルセ、それって……」


 「ハ、ハルセ殿、ル、ルナガウヴァとは何ぞや?」


 ガルよ、イナバウアみたいに言わないでくれ……とまあ思ってはみたものの、俺も初めて口に出してみて何か違うと感じていた。頭の中で感じた語感と実際に口にだしてみた感覚との明らかな違い。すでに期待は打ち砕かれた、そんな面持ちの三人を前に俺は「じゃあええと」と声を絞り出した。


 「ルーナ=ガーヴァ、彼女の名前……これで、どうかな?」


 俺の再チャレンジの名付けに、いやあ~と眉尻を下げていた彼らは一転、


 「わたし、ルーナ! ルーナ=ガーヴァ! わたしの名前! ガゥウ!」


 「可愛い! いい響きじゃない、さすがはハルセ!」


 「ほう、よい名だ。ハルセ殿ならやってくれると信じておったぞ」


 と感服した言葉が宙を舞い、彼らの反応を見た俺はようやく安堵した──のも束の間、俺の腕をガシッと抱え込むようにして、そのルーナが抱きついてきた。


 「ありがとう、ハルセ。名前、大切にするね」


 「あ、ああ……」


 正直に言おう。俺はドキッとしてしまった。


 ──いや、ダメです。これはルーチェリアへの想い以上にダメなやつです。


 すぐに否定の刃が振るわれた。あの時の光の俺だ。無論、心の中での天使と悪魔の戦いのようなもの。ということは、また闇の俺も現れ熾烈な戦いが始まるのか、はたまた始まらないのか……。


 今は知る由もない聖戦茶番はそのくらいにして、今日からまた、新たな生活の扉が開かれたのだった。

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