第40話 白銀の竜種

 ── 翌朝 ──


 「ふあぁ……。もう、朝か……」


 ここは念願の俺の部屋。俺以外誰もいないプライベート空間だ。


 新しい木材から漂う新築の香りも心地よく、気持ちいいの朝を迎えたはずだった。


 「うっ、やばい、吐き気がする……」


 胸の辺りがむかむかする。昨日は久々の魚料理に、思わず調子に乗って食べ過ぎてしまった。さすがにどれだけ魚がヘルシーとは言っても、食べ過ぎれば違うと思う。


 それに森で保護した少女につられてしまった。小さな体に似合わず、かなりの健啖家けんたんか。あれだけの量をものの見事に完食し、それでも足らずに皆の皿まで手を付ける始末。優に全体の半分近くを一人で平らげてしまった。一体どんな胃袋をしているのだろうか。


 俺はふと立ち上がり、部屋の窓を開く。室内へ流れ込む朝の生まれたての空気。俺は鼻と肺に冷たさを感じながら、まだ暗い遠くの空を眺めた。


 「ふう。部屋の壁、もう少し補強するかな」


 隣から聞こえる大きないびきはガルのもの。そして寝言はルーチェリアの部屋から響いてくる。ルーチェリアはともかく、ガルは騒音そのものだ。今すぐにでも鼻と口を塞いでやりたい。


 (あれ? それにしても珍しいな)


 いつもこの時間には起きているはずの彼だが、いまだ起きる気配は感じられない。


 「今日の朝食はガルの当番、だったよな? ったく、仕方ないなあ~」


 俺は代わりに朝食の準備をしようと、静かに部屋を出た。台所にくると火の魔法石をパンパンと軽く叩いて火を起こす。


 「う~ん、もう少し水圧が高ければいいのになあ。これなら外で汲んできたほうが早いか」


 木を削りだして作られた蛇口から零れ落ちる水滴。チョロチョロとコップ一杯でも結構な時間がかかりそう。改装に合わせて作ってはみたが、さすがに安物の魔法石では水圧が足りず、実用には程遠い。


 俺は金属のポットを手に外の水場にバシャと突っ込みひと掬い。再び台所に戻ると火にかけ、外のテーブルへと向かう。だが、いつもと違う何かに俺の目は丸くなる。


 「こんなところに山? 本格的な砂遊びでもしたってのか?」 


 テーブルの隣に高く積まれた砂山。まあ誰が作ったのかまでは想像できる。


 俺は「ったく」と肩を落とし、スコップの代わりになりそうな幅広の木材を手に取る。


 しかしこれだけの砂をどこから持ってきたのだろう。ルーチェリアもあの子と遊んだのなら後片付けまでちゃんと教えて欲しいよ、と不満をブツブツと呟きつつ、俺は目の前の砂山へとその先端を突き立てた。 


 ガスッ──。


 どこかおかしい。砂が鳴らす音でもなく、感触もまるで違う。砂よりもっと何か硬いものに木材をぶつけたような感覚。


 俺が木材を持ち上げ、その砂に目を細めたそのとき、


 「ガゥヴァール! 痛い! 痛いのだあー!」


 突然、咆哮の如き叫びが辺り一帯を包み込んだ。


 肌をひりつかせる空気と揺れ。ザザーッと風に吹かれたかのように、我が家に寄り添う大樹の葉が一斉に騒めいた。


 「はっ? え、な、何だよ? 砂山が喋った?!」


 動揺する俺の足元。まるで鞭のように白い何かが通り抜け、足元をすくわれた俺は腰からドサッと崩れ落ちた。


 「痛っ! っておいおい、冗談だろ?」


 目の前の砂の嵩はみるみると増し、砂山がより大きく空へと伸びた。


 夜明けに名残を残した月の光が、雲の隙間をぬって照らし始め、眼前にある何かの正体を明らかにしていく。


 白銀に輝く鱗と鋭い爪。降ろされた大きな翼に朱い瞳。神々しささえも感じられるその姿は間違いなく、


 「──ド、竜種ドラゴン!?」


 俺は顎が外れたかと思うほどに口を開けたまま、ゆっくりと立ち上がり、立ち尽くしたままに見上げていた。畏怖の念を抱かざるを得ない存在に、俺の脳は凍結していたのだ。


 「ハルセ殿! 何かあったのか!?」


 これだけの轟音。否が応でも気づくというものだ。俺が助けを呼ぶまでもなく、ガルが家の入口から勢いよく飛び出してきた──が、「ビハッ?!」と彼もまた表情を凍らせた。


 家の前に猛獣がいれば誰だって驚く。それも竜種であればなおさらだろう。


 そんな中、「おはよ~、ガルベルトさん、ハルセ」と目を擦りながら現れたルーチェリア。


 彼女は何か見てはいけないものを見てしまったかのように、何度も目を擦っては見上げを繰り返し、ハッとしたのか「ド、ドラニャゴオン!?」と言葉にならない奇声をあげた。


 二人の様子に我に返った俺は、奥歯をグッと噛み、拳を握って距離を取った。


 (ガルですら動かない……やっぱり、竜種ってこの世界でも最強のモンスターなんだろうな)


 ここに来てからというもの、俺は何度も死を覚悟していた。数えるのも面倒なほど。それがまた、一回増えるだけのことだ、と俺は黙考している。正直開き直りともいえるが、でもそのお陰でほんの少しだけ、恐怖が薄れていくのも感じていた。


 最強の相手とはいえ、ここで一人だけ逃げるわけにはいかない。少なくともガルは一人でもどうにかするだろう。すべきことはただ一つ。ルーチェリアを守ること──俺は拳を構え、「やるしかない」と覚悟を決めた。


 佇む白銀の竜種。睨みつける俺の顔を覗きこむように首を曲げ、「ガゥウ? ガウヴァル??」と不思議そうに鳴いた。


 「ん? この声って……」


 俺の目は驚きに満ち、大きく開いた。理由も根拠もない。ただこの竜種にも、あの時と同じ感覚を覚えた。まったく悪意を感じない。


 森で出会ったモンスターも、あの少女も同じように、同じ声音で鳴いていた。


 「も、もしかして──」


 そう俺が思ったのも束の間だった。白銀の竜種が今度は俺の名をハッキリと呼んだのだ。


 「ねえねえハルセ、これがここでの起こし方なの? ちょっと赤くなっちゃったよ? 痛かったなぁ~」


 「ビ、ビハハッ?!」


 「え、え~!?」


 俺より先に後ろの二人が驚きの声を上げた。一方俺は「やっぱ、だよな?」と苦笑いのまま首を傾げた。 


 威風堂々とした竜種は月明かりを纏い、白光に体を光らせると、少女の姿となって俺の眼下に立っていた。


 「ハルセ、ハルセ。大好きハルセ、ガゥウ!」


 間髪入れずに無邪気に抱きつく少女は、俺の腹に顔を埋めて頬でスリスリと甘えている。

  

 間違いなく俺たちの知る少女だ。でも一つだけ違うといえば、背中で小さな翼がパタパタとはためいていること。少女と出会ってから今まで、この翼には気づかなかった。紛れもなく少女が竜種である証となるもの。


 とはいえ、俺の瞳に映る少女は普通の人間の子供だ。歳は10歳ほど。俺やルーチェリアよりは明らかに年下。


 竜種でありながら、少女でもある。まさに〝白銀の天使〟──この二つ名を献上したいくらいに微笑ましい笑顔が、俺の手の中にはあった。


 かたや俺の背後で石化したように見ていたガルとルーチェリア。彼らもようやく動き出し、「ほお~」「そ、そうだった、の?」と口をあんぐりとさせつつ、俺と少女の元へと歩み寄った。

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