第39話 エルバの森と謎の少女

 エルバの森に到着した俺たちは、周囲を警戒しながら、ゆっくり深緑の奥地へと踏み入る。


 先頭はガル。俺とルーチェリアはそれぞれ右と左に分かれて、三角形トライアングルの隊形を維持したまま前進する。


 「さて、これのようだな。ハルセ殿がつけた目印というのは」


 ふと立ち止まり地面に目を落としたガルの声に、俺は「ああ。まだ崩れてはいないな」と安堵の返事をした。


 地面を隆起させただけの簡易な目印。雨でも降ればすぐに流れてしまいそうだが、どうにか崩れることなく山を保っている。


 俺たちは奥へと続くその目印を辿り、川へと向かう。


 それにしても森の中は静かだ。耳に残る音と言えば、時折聞こえる野鳥の囀りと風が運ぶ草木のざわめき。深緑の香りがどことなく落ち着きを与えてくれ、魔物が潜む不気味さとは無縁にも感じるほどの自然豊かな場所だ。


 そのことを裏付けるように、いまだ一匹のモンスターとすら出会ってはいない──やはり、夜行性のものが多いのだろうか。


 「う~む。今のところ、手がかりとなる痕跡一つ見当たらぬな。貴殿らの見たという魔物ほどの大きさであれば、足跡くらいは残っていてもよさそうなものだが……」


 ガルは斧を肩に担ぎ、膝を落として周囲を見渡す。たしかに彼のいうとおり、ここにくるまで大きな足跡など一つもなかった。あれだけ追い掛け回されたにもかかわらず、これは明らかにおかしい。


 地面に散らばっているのは、無数の小さな足跡と散った木の葉。しかしこの小さな足跡は俺たちやここを訪れた街の住人、それに小型のモンスターのものに違いないし、追っているあの巨大な影のモンスターのものであるはずもない。


 とはいえ、俺たちが見たのはあくまでも影。かなりの混乱状態にも陥っていたことも考慮すれば、実際には、より巨大に見えていた可能性も否定することはできない。だがそれでも、ここにあるものは小さすぎるが。


 俺たちは「さあ、先を急ぐとするか」とのガルの声で再び歩み始め、森が残した痕跡を見落とすまいと各々の目を光らせていた。


 


 ──そこからしばらくして、俺たちは何一つ手がかりを掴めぬまま、目的地である川へと辿り着いた。


 俺が「この川の奥だ」と向こう岸を指差すと、ガルは奥へと続く暗がりに瞳孔を大きく開いた。


 「そうか、この奥か……。では、行ってみるしかないな」


 彼は俺とルーチェリアに目配せをしながら、川にバシャンと片足を踏み入れたが、その直後、「二人とも油断を──んんっ?!」と言いかけた言葉を置き去りにし、川下の方を見つめて体を固めた。


 俺は「どうしたの? ガルベルトさん」と首を傾げたが、その視線の先を辿ってみると、そこには川べりに腰かけた一人の少女がつま先で飛沫をバシャバシャとあげていた。


 少女の周りを飛び交う水玉。まるで宝石のように陽光が煌めかせ、天使のような彼女を幻想的に包み込んでいた。


 こんな森の奥に、女の子が一人?──と俺が思ったのも束の間、少女はハッとした面持ちで、こちらをジッと凝視してくる。

 

 そして「あー!」と俺たちを指差して跳び上がるように立つと、「戻って来てくれた! ガゥウ!」と静寂に染み渡る健気な声に満面の笑みを添え、喜び勇んで走り出した。


 「は、え? ど、どういうこと?!」と慌てふためく俺を余所目に、ドドドドと猛烈な勢いで駆け寄る少女。まん丸に輝く瞳はひたすらに真っすぐ、俺を捉えて離さなかった。


 「も~、置いてかないでよお~。寂しかったんだからね! ガゥウ!」


 と叫び、こちらに向かって飛びかかる少女だったが、まったく悪意は感じられず、俺はそのまま顔面で体当たりを受け止めた。


 ガッチリと顔にしがみつく少女。俺の顔はお腹か胸かどこだかわからない空間に埋もれている。


 「お、おおっ……」


 何も見えないままに、俺が腰を落として地面に仰向けになると、ようやく視界が晴れ、胸にまたがった少女の顔がはっきりと見えた。


 少女は、ニンマリと唇の端を横に大きく開き、


 「やっと捕まえた。もう逃げないでよ」


 と、猫のように俺の首辺りにスリスリと顔を擦りつけた。

 

 一方、ガルとルーチェリアはといえば、このあまりにも突然の出来事を前にして、まるで時が止まったかのようにただ茫然と立ち尽くしていた。

 

 俺は「え、ええと」と切り出し、少女の両肩を支えながら体を起こした。


 「あの、さ。君、誰かと勘違いしているのかも知れないけど、お父さんやお母さんとかは一緒じゃないの?」


 こちらの問いかけに少女は「ガゥウ?」と目を丸くして、鼻先が擦れそうなほどに顔を近づける。


 「ちょ、ちょっと離れようか。話がしたいんだ」


 俺の訴えに少女はコクンと首を振り、少しだけ顔を離した。


 少女は俺のことを知っているようだが、紛れもない初対面。しかし俺は少女の『ガゥウ』との言葉にだけは聞き覚えがあった。それもそのはずだ。昨日会った魔物の鳴き声と瓜二つだからだ。


 とは言っても、いま目の前にいるのは一輪の花のような可憐な少女であって、あの巨大な悍ましい影の面影など微塵もない。


 銀色の長い髪ロングヘアが風に靡き、朱色の瞳が星砂のように輝く。

 手足は細く長く、言葉では上手く言い表せないほどに、天使のような美しさを持った少女だった。


 つまりは、俺の気のせいだろう。


 うんうんと一人納得するように頷く俺に対し、ガルが、


 「ハルセ殿。モンスター調査にこの子を巻き込むわけにもいかぬ。ひとまずは森を出る。話はそれからでもよいであろう。正体の分からぬ魔物も、近くに潜んでおるやもしれぬからな」と告げた。


 確かに未知の魔物に遭遇したこの場所に留まるのも危険だが、日暮れが近づくにつれ、他のモンスターだって動きはじめる。


 俺とルーチェリアは、彼の提案に揃って相槌し、少女を連れて森の外へと歩きだした。




 森を出てすぐに、少女が「ねえねえ」と俺の腰を指先でツンツンとつついた。


 「ん? どうした?」


 「う~んとね、どこにいくのかなぁと思ってさ」


 こちらを見上げ小首を傾げる少女に、俺は膝を曲げ目線を合わせると、「君のお家に連れて行ってあげる。どこかわかる?」と優しく返した。


 少女は「私のお家はね」と言いつつ、森のほうを指差した。


 「あっち、あっちから来たの」


 「うん、わかってるよ。今、あの森から出てきたんだよな。それで、君のお家はどこかな?」


 「だからね、あっちから来たの……」


 少女の声が小さくなる。切なげな目で森を見つめ、頑なに「あっち」とだけ繰り返した。


 俺はその様子に、「そ、そっか……」と言葉を詰まらせ、ルーチェリアに助けを求める無言の目配せをする。気づいた彼女は少女の前にちょこんと屈みこむと、気を紛らすように声をかけた。


 「ねえ、私はルーチェリア。あなたのお名前は?」


 ふいに名前を聞かれた少女は、「お名前? 名前って何?」と小首を傾げる。


 「名前はね、ええとお~、なんて言えばいいかな」


 ルーチェリアは足元に咲いた花に触れつつ、


 「このお花の名前はシエルっていうの。雨が降っても風が吹いてもね、どんなときでもお空を向いて咲くから、そんな意味が込められてるんだって」と教え、それを静かに聞いていた少女の顔は一気に晴れやかになった。


 それにしても子供の感情はコロコロと揺れ動きやすいものだ。無邪気というかなんというか。ともあれ、ルーチェリアのおかげで幼い女の子を泣かせる事態だけは免れることができた。 


 何歳だろうと、女の涙には弱いのだ。


 俺たちの話を岩場に腰を下ろして聞いていたガル。「さあて」と腰をパンパンとはたいて立ち上がり、


 「二人とも。その子にも、何やら事情がありそうだ。今日のところは我が家でよかろう。このような場所で質問攻めでは、彼女も堪らぬであろう」と話を切った。


 名も知らぬ少女。俺とルーチェリアは少女の手を取り、再び我が家に向けて歩き出す。

 

 魔物調査に行ったはずが、なぜか迷子の保護に一転。前世もそうだが、人生、何が起こるか分からないものだ。


 帰り着いた俺たちは、森での話には一切触れず、夕食作りに取り掛かった。話の前にまずは腹ごしらえ。難しいことはその後でもいいだろう。


 俺は「よし!」と張り切り、声に気合を乗せる。今日の晩御飯は何と言っても、俺が獲ってきた大量の魚たちだ。


 (ま、まあ、捕まえたのはルーチェリアだけどね……)


 と、心で懺悔しつつ、袋から取り出した魚をまな板の上にズラリと並べる。


 しかし不思議だ。こんなにも美味しそうな魚なのに、ルーチェリアは『これって食べれるの?』と言っていたし、今だって眉間を険しく、猜疑心に満ちた目をジーッと向けている。


 かたやガルは「ほほう」と興味深げに腕を組んで仁王立ち。


 注がれる視線。非常に作りずらい空間ではあるが、俺は手際よく調理を開始。長年の一人暮らしの経験がここ異世界で役立つ日がくることになるとは。


 俺はとにかく自分が食べたいものを、遠慮なく、思いっきり作ってやった。そして出来上がったのは、寿司に海鮮丼、串に刺した魚の塩焼きにプルプルと今にも泳ぎだしそうなお刺身の群れ。


 「へい、お待ちい!」と景気のいい声を響かせ、俺は次々とテーブルへと並べた。


 色とりどりに並ぶ魚料理の数々に、


 「わあ、美味しそう。ガゥウ!」


 「えー?! これが魚料理っていうやつなの? す、すごい」


 「うむ。見た目よし、香りも悪くない。ハルセ殿、いつの間にか腕を上げたな」


 と、感動ともとれる声も一緒に並んでいた。


 それにしても、やはり気になる。この少女の『ガゥウ』という、語尾なのか鳴き声なのかわからないそれが──けど、この豪華な食事の前には愚考だ。


 「じゃあ、いただきます!」


 その夜、俺たちは賑やかな食卓を囲み、腹がはち切れそうなほどに魚料理を堪能した後、それぞれの部屋で眠りについた。

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