第37話 初お使い その2
俺はルーチェリアと二人、エルバの森に流れる川の畔で、しばしの寄り道を楽しんでいる。
色々なことに気を惹かれ、道草をしてしまう展開はお使いでよくある光景だ。
異世界で寄り道。女の子と寄り道。取り戻したかった青春。ふと振り返ると、可憐な美ウサギがこちらを見つめていた。
これはもはや、デートなのでは?と感じている俺。そこへ、俺を蔑む声が聞こえた。
(お前みたいな奴、あんな可愛い子が本気で相手するわけないだろ? 冗談は顔だけにしとけよ、このゴミ野郎……)
闇を纏った漆黒の俺が、心の中で、夢を打ち砕く全否定の一撃を放ってきた。
(俺はなんて思い上がりを……)
浮ついた気持ちを抑えようとする俺の心に、もう一人、〝光の俺〟が現れた。
言葉を矢じりにこめ、俺の心に放ってくる。
(君は本当にそれでいいのか? あの子が好きなんだろ? 気持ちに嘘をつくな)
やっぱりそうなのか。俺はルーチェリアのことが好きなんだろうか。
光の俺が放った矢は、俺の心へ
横槍が入ったことに苛立つ闇の俺が、光の俺に食ってかかった。
(光の俺よ、綺麗ごとはもう十分なんだよ。分かるか? お前のせいでこいつはあの子に振られ、家に居づらくなってしまうのだぞ!)
(ふっ……貴様のような、異世界ですら夢を拒む腐れゴミ野郎は、消し飛べ!)
(何ぃ! 腐れゴミ野郎とは俺のことか? 俺の……ことかぁー!)
(どこかで聞いたな、それ……)
俺の心の中で、光と闇の壮絶な戦いが繰り広げられる。
その間、現実の俺は考えていた。
ルーチェリアは家族のように大切な存在で、妹のように可愛がっている。
たまに気持ちが溢れそうになるが、今のままでいいんだ。
異世界に来たからといって、思い上がってはいけない。
(そうやって、自分の気持ちに蓋をするのか?)
!?
この声は光の俺? 戦いに勝ったのか?
(ああ、当然だ。私は希望の光、闇になど負けぬ。現実の俺よ、君はどうだ? 秘めたる思いを殺してしまうのか?)
闇の俺に勝利した光の俺が、現実の俺へと問いかける。
光の俺は恋を肯定し、闇の俺は否定していた。
現実の俺はルーチェリアのことで色んな感情が交錯している。
光と闇は俺自身の葛藤だ。
(結局、答えは俺自身が出すしかないんだ)
俺は、靴を脱いで川の中へと足を踏み入れる。
心を落ち着けるためには、この大自然に身を任せるのが一番だ。
「冷たくて気持ちいい。ルーチェリアも入れよ」
「え~私はいいよぉ」
「そんなこと……言うなよ、ほらっ!」
俺は掌で水を掬い、ルーチェリアへと振りかける。
「あぁー! ハルセ…やったなぁ!」
第一次水際大戦開幕。
夢中で水を掛け合う、俺とルーチェリア。
こんなに真剣な水遊びは久しぶりだ。
大人になるにつれ、こういう無駄としか思えないような行為はしなくなるものだ。
服が濡れるとか、そんなどうでもいい理由で、楽しむことをあきらめてしまう……。
人にとって無駄なことは必要だ。
無駄なことほど楽しいし、笑顔になれる。
俺は前の世界で……ルーチェリアはこの世界で。
辛く苦しい思いを抱きながら其々の命を懸命に灯し続けてきた。
そんな世界にだって、楽しいことがあってもいいじゃないか。
辛さを知るからこそ、些細なことでも幸せを感じる。
静かだった森。
いつしか、笑い声の溢れる空間へと変わっていた。
「ルーチェリア、ギブ、ギブアップだ」
「弱いなぁ、ハルセは。でも、水遊びなんて本当に久しぶり。楽しいね」
水も滴るいいウサギ。
優しくほぐれた笑顔で、俺に微笑んでくる。
(──このまま時が止まればいいのに……)
幸せを噛み締めつつ迎えた、第一次水際大戦の決着。
心地いい水の感触を肌に感じたまま、時折覗く空を見上げる。
お使いも一生懸命、遊びも思いっきり。
言われた
はじめてのお使いとしては上出来だろう。
ガルもきっと喜ぶはずだ。
川から上がり、地面へと大の字になる俺とルーチェリア。
聞こえるのは心地いいせせらぎ。
全身を包んでくれるかのように、その音は癒しを与えてくれる。
「はぁ、気持ちいいな、ルーチェリア」
「うん。気持ちいいね、ハルセ」
俺達はしばらく、水の奏でる調べに静かに耳を傾けていた。
◇◆◇
持ち物を整理し、帰り支度を始める。
忘れ物がないか確認し合い、互いに「OK!」っと笑顔を交わす。
木材収集という目的は既に達成。
後は、安全に森を抜けるだけ……そう思った矢先のことだった。
川を隔てたさらに奥。
「ガウゥ……ガウヴァル……」と獣の呻き声のようなものが聞こえてくる。
その悍ましい声に動揺する
「な、何の声だ……ルーチェリア、静かに退くぞ」
「う、うん……ハルセ」
微かな音にも気をつけて、そろりと歩き始める俺達。
少しずつ近づく恐怖の足音。
そして、静寂を打ち破る咆哮。
「ガウヴァール!!」
その何かは俺たちに気づいたらしく、一目散にこちらへと突進する。
本能で感じるこのやばさ。
心拍数が急激に上がるのが自分でも分かる。
言わずもがな、忍び足どころではない。
全力で森の出口へ向けて走り出す、俺とルーチェリア。
「ルーチェリア、目印を辿れ。振り返るな! 走れ、走るんだぁ──!」
「い、やあ"ぁぁー!!」
まさに死に物狂い。
どこから襲われるか分からない恐怖。
余裕の無さ、森の中の薄暗さも相まって、その姿を確認することすら難しい。
荷物を抱えて必死に走る。
そのうえ、設置した目印にも神経を尖らせなければならない。
この森は広く深い……彷徨していては、更なる混乱を生みだすだろう。
それに追われる立場とは実に苦しいものだ。
時折差し込む強い陽光。
輪郭をなぞり、背後に迫る何かを影のように映し出す。
俺達は圧倒的な死の圧力を感じたまま、ただ只管逃げ続ける。
戦わざるを得ない状況に陥ったら、どうするべきか……。
懸命に走りながら、最悪の事態を想定する。
木々の斜影に不慣れな森。
敵に対するリサーチ不足に装備不足。
退けるためのいい条件は、手持ちのカードには見当たらない。
やはり分が悪すぎる。
この森にこんなモンスターがいるなんて聞いたこともなかった。
小型モンスターは多く生息しているが、基本的には日中は手出しをしなければ問題はない。
ガルにしても、こんな危険なモンスターがいると知っているなら、事前に忠告したはず。
(──いや、俺が
だが、そんなことを幾ら考えようと無駄だ。
今はただ逃げきる以外の策はない。
戦う考えを捨てろ。
逃げきるために思考を巡らせるんだ。
息も切れ切れに森をひた走る。
出口まで後少しの所まで来ただろうか。
木々を遮蔽物代わりに撒くように走ってはいるが、追ってくる巨大な影が止まる気配はない。
相手の
闇雲に走り続けても、いつかは追いつかれる。
森を出たからといって、追跡が止まるかどうかすら分からない。
そう思った俺は追ってくるモンスターの射線から外れた隙に、身を隠せる程度の大地隆起を起こして壁をつくる。
そしてルーチェリアの手を引き、裏へと隠れる。
近づくモンスターの息遣い。俺達はジッとその場で耐える。
「ハァ、ハァ……いいか? 気付かれそうになったら、この壁を奴の方へ一気に倒すからな」
「フゥ、フゥ……うん、分かった。その隙にまた全力で走るんだね」
「ああ、目印通りにいけば、出口はもうすぐだ」
これで出し抜くことが出来なければ……せめて開けた場所へ出ることさえできれば……。
先手を打つことを考える。
未知の相手に対抗できるのは、この思考能力しかない。
こちらへゆっくり近づく足音。
心做しか先ほどまでの足音とは違い、遥かに小さきものに感じられる。
壁の向こうで、俺達を探すように右に左にウロウロとしている。
何かを掘るような音。匂いを嗅ぐような音。
その音一つ一つが俺達の不安を煽る。
しばらくして諦めたのだろうか。
足音はゆっくりとこの場から離れ始めた。
抜け殻のように、か細い鳴き声を残しながら……。
「ガウ、ガウゥ……ガウヴァル……」
(なんだろう……悲し気に聞こえるな……)
「ハルセ、行ったね」
「そうみたいだな。でも、家に着くまでは安心できない。背後に注意しながら|慎重に森を出よう」
俺達は周囲を警戒しながら歩みを進め、何とか無事に森を抜け出すことに成功した。
陽光が直上から降り注ぎ、薄暗さに慣れていた俺達の目を細くする。
俺とルーチェリアは顔を見合わせ、緊張の糸が切れたかのようにケタケタと笑い合う。
この世界に来てからと言うもの、俺はモンスターに追われることが多い。
ガルと出会った夜もそうだし、
そして今日はと言えば、未知のモンスターに追われる始末。
溜息が出るほど、どうやら俺はモンスターに縁があるらしい……。
ようやく見える我が家。
何だろう、この安心感……ようやく帰ってきた。
ホッとした気持ち。どっと押し寄せて来る疲労。
「ただいま」という言葉で帰りを待つ人への無事を伝え、扉を開ける。
丁度出来上がったのか、昼食のいい匂いと「おかえり」の言葉が俺達を出迎えてくれる。
やっぱり、家が一番だ。
「どうした二人とも。笑っておるのか、疲れておるのか……複雑な顔をしておるな」
「ああ、色々あってね……」
「まぁいい。さっさと昼食を食べて作業再開だ。早くしないと寝床がないからな」
正直、俺はこのまま休みたかった。
でも、改装工事に熱心なガルはそれを許してくれないだろう。
(──仕方ない、ガルと二人で雑魚寝は嫌だし……やるか)
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