異世界脅威編
第36話 初お使い その1
── 早朝 ──
「ハルセ殿、ここを持っていてくれ」
「あ、ちょ、ちょっと待って! まだ早いよ!」
バキッと音を立て崩れ落ちる棚。
俺とガルは「うわっ」と慌てふためき、努力の瓦解に溜息をついた。
俺たちは今、我が家の改装工事に勤しんでいる。
というのも、ルーチェリアが大きく成長したことによって、ガルが『うむ、同部屋ではハルセ殿がむっきりとしてしまう。けしからん。よしそうだ、各々の部屋を作ろう』などと言い出したからだ。
俺個人としては同部屋でも一向に構わないのだが。
ガレシア商会との戦いから早3期が過ぎ、俺たちはようやく平穏な日々を取り戻していた。
街の人々との交流も以前にも増して深まり、今では薬草採りに出かけた帰りに差し入れを持ってきてくれたりなんかして。
もちろん、俺たちだって受け取るだけでは終わらない。
度々薬草採取に同行して、襲ってきたモンスターを追い払ったり、作りすぎた食事のお裾分けといったお返しだってしっかりとやっている。
この国の王はガルを国民として認める栄誉、捕虜身請け人へと任命した。その追い風もあってこれまで表立った触れ合いを避けていた人々も、より気軽に声をかけやすくなったのだろう。
それと俺たちは城門から堂々と出入りすることも可能になった。とはいえ、秘密の扉も商業街へ直接繋がっていて便利ではあるし、未だにそちらを使うことのほうが多い気はしているのだが。
「ふう~この家を改装することになるとはな。しかし、想定よりも難航しておる。この際、ルーチェリア殿の部屋だけでよくないだろうか?」
「ダメだ。よくない!」
ここはキッパリと否定。さすがにルーチェリアと同部屋ならいざ知らず、野獣と二人取り残されては地獄そのものだ。
別にガルのことが嫌いなわけじゃないが、それはそれ、これはこれというだけのことだ。
そんな俺に彼は、「ハルセ殿。もう一つ妙案があるぞ」と目を細めた。
「妙案?」
眉を顰めた俺に、ガルは両方の牙をニタリと覗かせ、顎をクイクイっと振った。
「隣だ、隣。自分で家でも建ててみたらどうだ? 土地は
「──断固として、却下する」
俺はその提案に歯噛みし、彼をギリッと睨みつけた。
(家が岩ってさ……。俺だって木々の温もりを感じたいでしょうが! 毎晩身も心も冷えきって、心まで病むわ)
その後も、「ベッドは一つだけでよかろう? 私と一緒でも」とか、「我々の仕切りはこの藁一枚で十分だ」などと、ガルの碌でもない提案を俺は「黙って、やれ」と切って捨て続けた。
俺たちが作業をしているのは、我が家のリビング。
要はこの大きな部屋を分割して、各々の部屋へと
しかし現時点での成果は、ルーチェリアの部屋の仕切りの完成と数時間かけて作った棚を盛大にぶち壊しただけだった。
ガルは「ふう、やれやれ」と手の甲で額の汗をゴシゴシと拭き取り、
「ハルセ殿。この分だと棚や収納を作る木材が全く足りぬ。ひとまずはここで中断することとしよう。私はもう少し設計図を煮詰めておく。貴殿はルーチェリア殿と一緒に、木材でも集めに行ってきてくれぬか?」と手元の図面に目を落としながら、指示を伝える。
俺は「了解した」と頷き、「そもそものルーチェリアはどこに行ったんだ? 自分の部屋くらい手伝えっての」と愚痴を零した。
「まあ、そう言ってくれるな。今は外で花壇を作っておるはずだ」
「花壇、ね。わかった。じゃあ、行ってくる」
「ああちょっと待て、一つ言い忘れておった。ラグーム平原の奥には入らぬようにな。まあ木材調達ならば【エルバの森】に行くのだろうが」
「ラグーム平原の奥? 何かあるのか?」
「ん? もう忘れたのか? デモンサイズに追われたであろう?」
「デモンサイズ?」
「何を恍けておる? 私が助けに出向いたであろうが」
「ああ、あれか。あのカマキリみたいなヤツのことを言ってるのか?」
「カマキリ? 貴殿の世界ではそう呼ばれておるのか? まあよい。ヤツは危険というよりも、この世界での脅威と言ってもいい存在だ。近寄らぬに越したことはない」
ガルは「よいな?」と俺の目を見て念押しし、俺は「はいはい」と彼に背を向け片手を振った。
(まったく、カマキリにも大層な名前があったもんだな。デモンサイズとは……。まあ、いくら強いといっても所詮は虫だろうに)
俺は頭でぼやきつつ、「ルーチェリア、森に行くから準備しようぜ」と、家の外で花壇づくりに精を出す彼女の背に声をかけた。
◇◆◇
ここエルバの森は、大陸南西から北西へと連なる【ダカール山脈】に沿った広大な森林地帯。
森に入った俺たちは「やっぱり広いな。ルーチェリア、迷子にならないようにしろよ」「うん。ハルセこそ、道に迷ったとか言わないでよね」などと軽快な絡みで、ゆっくりと歩みを進めていた。
ルーチェリアの指摘どおり、森で迷わないためには守るべき鉄則というものがある。
それは一定間隔を保ち目印を設置すること。位置の把握、来た方角を見失わないためには欠かせないアナログな手段だ。
この森は樹冠疎密度が高い。つまり、木々が密集し日光が中まで落ち切らずに昼でも薄暗く、どこを見ても同じようにみえてくる。深く入り込むほどに方向感覚は狂いやすい。
とはいえ、日中はまだいいほうだ。薄暗いだけで全く見えないわけでもなく、目印さえ忘れなければ迷うほどの心配はない。
それに、せっかくの
空気も澄んでいて、味がするのかと思うほどに美味しい。
「ハルセ、このくらいの大きさでいい?」
「ああ十分だ。あんまり大きいと持ち帰りに苦労するからな」
俺たちは木材を集めつつ奥へと進む。もちろん、目印として俺の魔法で地面を軽く隆起させて小さな山をつくりながら。
しばらくすると、湖へと流れ込む綺麗な川へと辿り着く。
俺は「お、魚!」と目を大きく、川べりへと座って覗き込んだ。
この様子にルーチェリアは、「ハルセ、これって魚っていうの?」と不思議そうに首を傾げた。
そういえば、街の中でも肉や野菜・果物といった品が並んでいるのはよく見るが、魚は見覚えがなかった。それでも蟹や海老っぽいものは売っていた気がするし、海鮮が全くないってわけではなさそうだけど──と、俺も彼女に合わせて首を捻る。
俺は「魚、見たことがないのか?」と尋ね、彼女は「ううん」と首を振って「あるんだけど。呼び方が違うのかな。私たちは
「
「……え、
何気なく聞いた俺の言葉に、彼女は目を丸くして水面を跳ねる魚を眺めた。
(ん? 「え」って、それはこっちの台詞だ。魚料理を知らない?)
俺は蟹や海老を地面に描いたり、料理法についての質問を投げかけた。
ルーチェリアは「それ知ってる!」と嬉しそうに続けた。
「
彼女は料理された海老や蟹の姿でも想像しているのだろうか。涎が零れ落ちそうなほど、唇をプルプルと震わせている。
話を聞いてみて分かったのは、この世界には寿司や刺身といった言葉はなく、調理法を聞いても焼き物しか出てこなかったこと。
確かにこの半年を振り返ってみても、生で食べた物は卵や
俺が「生で食べたりとかしないのか?」と聞いてみると、ルーチェリアの顔が急に青ざめた。
「え……。それはダメだよお。生で食べると毒素でやられちゃうんだよ」
「毒素!? え、何? 死ぬの?」
「う~ん、死にはしないと思うんだけど、ね。お腹が痛くてもうこりごりだったな」
彼女の返事に俺は思った、それは単なる食あたりだろうと。
気を取り直して、俺は前世で味わった料理の数々をルーチェリアに語り、海鮮料理の素晴らしさを熱弁した。
「──それと他にもな、俺の故郷では〝寿司〟って言って、その
「え、あ、う~ん。私は遠慮しとこうかなあ……」
ルーチェリアの視線が俺から外れ、ばつが悪いように唇の端がヒクヒクと揺れ動く。
そんなにもこの世界では生食に抵抗があるのだろうか?
俺は「う~ん」と頭を悩ませ、一つの試みを見出した。
(おそらく、生の海鮮の食文化自体がないんだろ。じゃあ、俺がここにいるのも何かの縁。これから少しずつでも新たな食として根付かせていくこともできるじゃないかな。よしっ!)
そう心に決めた俺は善は急げとばかりに、さっそく目の前を泳ぐ
だが予想通りというか何というか、無論、魚だって馬鹿じゃあるまいしそう易々と掴まることはなかった。
この様子にルーチェリアは、「ハルセ、
けれど、水の中でバシャバシャと追いかけまわしたところで、彼女の言うとおり埒が明かないのも分かる──かといって、
俺は体の周囲をまるで「このノロマ~捕まえてみろよ」と嘲笑いながら泳ぐ魚の声が聞こえたようで、その幻聴に「ちっ」と苛つき、舌をうった。
これにはルーチェリアも「はあ」とため息をついたが、「仕方ないなあ」と救いの手を差し伸べてくれた。
「ハルセがそんなに欲しいなら、私が捕まえてあげる」
彼女の自信満々の笑みに、俺が「そんな簡単にいくわけ──」と言いかけたのも束の間、ルーチェリアは魔法を呟き、
目の前で「バッシャーン!」と音を立てて水塊が砕け、流れだす水に乗ってピチピチと飛び跳ねる魚を、俺は「おお~っしゃあ!」と急いで袋へと入れ、冷気を注ぎ封をした。
念のために
まあ、あくまで俺ではなく、ルーチェリアのお手柄なのだけれど。
「ありがと。助かったよ、ルーチェリア」
「どういたしまして」
長閑な森の中。俺たちの声だけが、その静寂に溶け込むように広がっていった。
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