第32話 決着

 黒斧を手に、ガルは険しい眼差しを敵に向けた。 

 俺たちの自由を賭けた戦いは、これより最終局面を迎える。


 ここは国境の町ジルディールの南。草原だったこの場所も、今では砂礫が舞う荒地と化した。


 本作戦の標的は二人。

 俺がすでに討ち取った、殺し屋ニコ=リドル。そしてもう一人、ガレシア商会会長ロドリゴ=ガレシア。


 彼らの抹殺で戦いの終止符が打たれていたはずが、思わぬ邪魔が入った。


 獣王騎士団副団長、ジアルケス=フォルガマ。


 「ガルベルト。よもや生き延びておるとは。麻痺毒の矢でろくに動くことも出来ないはずのお前がここにいる……と、いうことはだ。私の部下たちを殺してきたか? グルルル」


 静寂を破り、言葉の刃を振るったジアルケス。

 対するガルは「ふん」と鼻を鳴らし、「何を言っている、ジアルケス」と続けた。


 「ここは戦場。私が敵に、いつまでも情けをかけるとでも思っておったのか? お前に国を追われて以来、祖国に対する愛国心など疾うに忘れ去った」


 「ほう、それはいい」と牙を覗かせたジアルケスは、自慢の愛剣、ウルフェン・イフェスティオをガチガチと擦り合わせた。


 「ようやく、かの烈風牙と本気で殺り合える。これほど血沸き肉躍ることはない。だがその前に──小僧、いや、ハルセと言ったか。貴様だけは何としてもここで殺す。決して逃げられると思うな」


 ジアルケスの執念の矛が向けられ、俺の体に震えが走った。


 そんな俺の肩に黒く大きな手のひらがパンッと力強くのせられ、「ジアルケスやつの相手は私がする。さあ離れるのだ」と、ガルが告げた。


 俺とルーチェリアがその場を離れると同時に、ガルの魔法詠唱がすぐさま始まる。

 

 「風よ、刹那に駆ける力によりて我を運べ。風駆ウィンドラム


 詠唱が幕を下ろすと、彼の足元へ猛烈な風が吹き込んだ。


 体を浮かせるほどに集束した風は、まるで突風のように吹き荒れ、ジアルケスの元へとガルの体を飛び立たせる。


 風属性魔法による高速移動。その様子にジアルケスは「やはり、お前を先に殺らねばな」と口元をニヤつかせた。


 男は慌てることなく指に嵌めた魔法石をパンと叩き、転送魔法を発動した。


 光の粒に姿を変え、ジアルケスもまたその場を離れるように流れていく。


 ガルはその光跡を辿って追い続ける。

 無論、ふたたび肉体の再形成が始まる瞬間に狙いを定めるためだろう。


 敵を見失わぬ限り、この刃から逃れる術はない──ガルの眼光が鋭さを増す。


 魔法石は永久機関などではなく、使えば使うほど消耗し、その効果は弱まっていく。


 このことを立証するように、肉体の形成が始めるまでの時間はそう長くはなかった。

 

 光の粒の動きが止まってジアルケスの耳が突き出た瞬間、「そこか!」と声を荒げ、ガルが渾身の一撃を放った。


 その斬撃はジアルケスヤツを捉えたかのように見えた。

 しかし男は片手一本、手に持たれた魔双剣でガルの黒斧を受け止めた。


 おそらくは腕に集中して形成を早めたのだろう。


 ロドリゴの魔法石が持つ転送効果は、光の粒となって移動する特性上、初撃を躱すことができたとしても見つかれば追撃は免れない。


 けれどさすがはジアルケス。

 その欠点を冷静な判断力で克服し、見事攻撃を防いでみせた。

 

 男は片方の口元を嫌みったらしく吊り上げ、「ガルベルト、まだまだ甘い」と言い放ち、黒斧もろとも跳ねのけた。

 

 その背後にはロドリゴがよたよたと近づく。


 「ジアルケス様、早く退きましょう。私の魔法石の残りもあと僅かかもしれません」


 「ロドリゴよ。お前は離れていろ。ガルベルトあの男をどうにかしなければ、我らが脱することも叶わぬ」


 「ですが、その魔法石が最後の要でして──」


 「おい。私の話を聞いていたのか? 大人しく黙っておれ」


 「ひ、ひぃいい~」


 ジアルケスの異様なまでの威圧感に腰が引け、後ずったロドリゴ。口元は震え、視点は定まらず、急に額は汗で濡れた。


 その様子にジアルケスは、「貴様、このまま一人で逃げるつもりではあるまいな?」と凄みを利かせた。


 ロドリゴは慌てて、「め、めめ滅相もございません」と両手をブルブルと振るって弁解した。


 「わ、私をお疑いですか? これまで貴方様に忠義を尽くしてきたこの私を──」


 ジアルケスは獲物を狙う狼のようにロドリゴを見定め、「ふんっ」と背を向け、ガルの懐へと飛び込んだ。


 「ガギィン!」と鋭く耳を打つ斬撃音。そのままガチガチと互いの得物を鍔迫り合いのように擦り合わせ、視線を交わした。


 「ガルベルト、貴様さえ、貴様さえいなければ」


 「ふっ、それはお互い様だ」


 鬩ぎ合う両者。互いを別つ熱き火柱を、魔双剣・ウルフェン・イフェスティオが解き放つ。

 

 「その身に刻め、火双乱切ひそうらんぎり!」


 突如として「ボオッ」と燃え上がった双剣。そこから放たれた乱撃は、相手を焦がす音を靡かせながら圧倒的手数をもって、ガルの体を刻みはじめた。


 ジアルケスの猛攻を必死に捌くガルの肩や肘、膝と次々と鮮血が噴き出し、彼の体毛を赤く染め上げていく。


 「うぐっ」と呻きながらも密かに囁き続けていたガルは、黒斧を片手に持ち替え、瞬時に疾風衝撃ゲイルインパクトを放った。


 猛烈な風が吹き込む緑球が彼らの間に生じ、「くそがあ!」と怒りを吐き捨てたジアルケスはすぐさま振る手を止め、魔双剣を十字に交差クロスさせた。


 その直後、膨張した緑球が弾け、辺りを激風が包み込んだ。


 俺は「ルーチェリア!」と叫び、彼女を守るように覆い被さった。


 吹き荒れる風は、こうして地面に伏せていなければ簡単に吹き飛ばされてしまうほどの威力。

 

 これこそが世界最強とも謳われる獣王騎士団の副団長と元獣騎士の戦いなのか。

 

 自ら放った魔法を巧みに利用し、宙を舞うように間合いを取ったガルは、俺たちのすぐ目の前に着地すると折れるように膝をついた。

 

 「ガルベルトさん!」


 「大丈夫だ、体を起こすな。そのままにしておれ」


 俺とルーチェリアは指示に従って伏せたまま、風が止むのを待った。そして弱まった頃合いをみて、急いでガルの元へと駆け寄り、回復魔法を施した。


 「ふう~、これでよし。私の魔法も重ね掛けは効果が落ちるの。ダメージはそれなりに残ってるはずだから、無理だけはしないでね」

 

 「ああすまぬ。余計な心配をかけてしまったな。いやはや、私の腕も鈍くなったものよ。よいか? 自らの身が危ういときは私のことなど捨て置け。貴殿らだけでも逃げ延びるのだ」


 ガルはそう言って「ガハッ」と咳き込み、まだ癒えきれぬ脇腹を押さえた。


 俺はそんな彼の肩をパシッと叩き、「そんなことするわけないだろ!」と切って捨てた。


 「ビハハハ……ハルセ殿は容赦がない。私の心配など無用だ。この程度の死線、幾度となく越えてきた」


 「ったく、だったら初めからそう言ってくれよ。自分が犠牲になるような言い方しやがって、冗談がすぎる。それに俺だって、ガルベルトさんに鍛えられてんだ。簡単にやられはしないさ」


 「ビハッ、言うようになったじゃないか」




 荒涼とした平原。砂礫の舞う向こう側に、ジアルケスとロドリゴの姿が陽炎のように揺らめく。


 ロドリゴは息を切らしながら、「ジアルケス様、確認できました。さあ、今のうちにございます」と訴えを続けた。


 「この指輪の属性力はまだ十分に残っております。石の大きさ的にも、一度に長距離の移動は無理にございますが、身を隠しつつ距離を稼げば何とか獣国領内へと辿りつけましょう。今一度、考え直しください」

 

 この声にジアルケスは無言のまま、ゆっくりと俯いた顔を上げ、「ぐぅっ」と怒りを噛み殺した。


 それと同時に、ロドリゴの右手指先がポロンと横に倒れ、地面へと転がった。


 業火の揺らめく魔双剣が彼の指を斬り捨てたのだ。

 

 「ぐ、ぐおおぉ~?! な、何をされるのですか! 私は貴方の忠実なるしもべ……それなのにどうして……」


 激痛に叫び、主君に見捨てられた悲しみに暮れたロドリゴ。そんな彼を横目にして、ジアルケスは落ちた指から魔法石を抜き取り、自らの指へと嵌めた。


 「ロドリゴよ、お前の口は災いにしかならぬ……。私がどれほどガルベルトヤツに対して、言葉を選んでいたと思うのだ? それをお前は『忠義を尽くしてきた』だと? くっ……易々と繋がりをぶちまけおって……」


 「え、あ、それは……」


 「もうよいのだ。ここまでご苦労であった。お前にはここで退場してもらうとしよう。だが、最後くらいは私の役に立て」


 別れを告げたジアルケスの目は冷酷さを纏い、ロドリゴの足を両断すると、そのまま顔を掴み上げ、ガルベルトたちのいる方角へと力一杯放り投げた。


 「ズシンッ」と重い音が地面を揺らす。あたかも大岩でも落ちたような音だ。


 「聞こえるか、ガルベルト! 貴様らのせいで、国家における重要な商人が殺害された。これは重大な反逆行為に等しい。この先お前たちに逃げ場などない。覚悟しておれ!」


 突然、ジアルケスの声が空高く響き渡った。

 俺たちはすぐに辺りを見渡したがその姿はなく、両足を失い地面に横たわったロドリゴだけが取り残され、虚空をジッと見つめていた。


 ゆっくりと近づいてみると、「う、ぐほぅ……」と血反吐を吐き、今にも命の灯が消えそうになりながらも、「ジ、ジアルケス、様ぁ……ワシを……見捨てないで……くださ……」と瞬きすることなく虚ろな目で縋っていた。


 まったく無様なものだ。忠実に従っていたはずの飼い主から、こうも容易く斬り捨てられる。

 

 「ほんと、因果応報ってあるんだな」と吐き捨てた俺の隣には、ルーチェリアが並び、その小さな体は震えていた。


 「お前のせいで、私は故郷を失った……。お前のせいで、どれだけの人が絶望に落ちたか……。最後まで苦しんで、苦しみ抜いて死んじゃえ」


 彼女はロドリゴに思いの丈をぶつけ、その瞳は溢れんばかりの涙で潤んでいた。


 かたやロドリゴはその声に気づいたのか、生気の消えかけた目をギロリと動かし、ルーチェリアを見るや否や、


 「この獣人風情があ……。お前たちに生きる資格などない。もっと……もっと、殺してさえいれば……ワシはこんなことには……」と力なく憤慨した。


 死にゆく間際までとんだ呆れ野郎だ。

 「貴様……」と唸り、前へ出ようとした俺を、ガルはそっと制止し首を横にふった。


 その間にルーチェリアが静かに刀を抜き、ロドリゴの頭上に立った。


 刃を突き刺すように下にして構え、男の顔を睨みつける。


 「お前のことはたとえ死んでも許さない。最後くらい人間なら、心があるなら謝れ! この屑野郎が!」


 言葉で斬りかかり、零れ落ちた彼女の涙がロドリゴの頬に当たって弾け流れた。

 

 ルーチェリアは静かに刃を下ろす。そしてロドリゴの首へ届く寸前、俺はその手を止めた。

 

 決して邪魔をしたいわけでも、殺すのを止めたわけでもない。


 戦いの中、自らと向き合い、苦しみ、そこから得た決断を実行しようとしているのは、紛れもなく彼女の心だ。


 俺はただ彼女の力になりたい。たった一人で背負うには重すぎる業だ。


 刀を握るルーチェリアの冷えきった両手。俺はその手を包み込むように握りしめた。

 

 「ルーチェリア、俺も一緒に背負うよ」


 「……ありがとう、ハルセ」


 俺たちは二人でロドリゴの命を断つ。


 これで全ての過去が消えるわけでも、殺された人々が戻ってくるわけでもない。


 それでも俺たちは仇をとった。


 未来を生きる、楔を打ち込むために。


 ルーチェリアは溜めこんでいた想い全てを曝け出し、俺の胸に顔を埋めてワンワンと泣きだした。


 そんな俺たちに、ガルもまたその大きな両手を広げて覆い被さった。


 こうして、俺たちの戦いは幕を下ろした──。


 ガレシア商会会長ロドリゴ=ガレシア、並びに殺し屋ニコ=リドルの抹殺。


 想定外の獣王騎士団の参戦もあり、その首謀ともいえるジアルケスには逃げられた形となった。


 とはいえ、本作戦の主要任務は達成したと言ってもいいだろう。


 俺たちはすっかり夜の帳が深まる空へと魔法石を投じる。もちろん成功の証としてだ。


 夜空に煌めく一瞬の閃光と、青い光が星のように空に昇って輝き始めた。


 リオハルトから預かった勝利の合図。


 これで王国にも届くだろう、俺たちの勝ちだと。




 ── 魔法紹介 ──


 【風駆ウィンドラム

 ・属性領域:中域

 ・用途:補助特性

 ・発動言詞:『刹那に駆ける』

 ・発動手段(直接発動及び属性付与)

  発動言詞の詠唱及び吹き抜ける風が自身を運ぶ想像実行又は対象者(物)への想像実行。

 ・備考

  魔法練度、環境による影響あり。 

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