第31話 集結

 望む終曲フィナーレ

 ルーチェリアの抜き放った刃は放物線を描き、ロドリゴへと流れた。


 これには然しものジアルケスと言えども阻止することはできない──俺はそう確信していた。


 しかし、それは思い上がりにすぎなかった。


 俺たちと彼らとの距離は常人では決して届かないほどに離れていたが、ジアルケスの別次元なまでの圧倒的な力が彼女に牙を剝いたのだ。


 そこにはもはや距離という概念は存在しない。

 ジアルケスは足をバネのように沈めると、ドゴンッと大地を踏みつぶして弾丸のように飛び立った。


 そして一瞬にして距離を詰めると魔双剣を背中の鞘に納めて片手を翳す。ルーチェリアとロドリゴの僅かな隙間を狙い、火属性魔法、火弾撃ファイアショットを放った。


 ゾクッと耳を逆立てたルーチェリア。凄まじいまでの殺気オーラにすぐさま刃を引き、ロドリゴを踏み台にして後方宙返りで避けに転じる。


 一方ロドリゴも慌てて指輪をパチンと叩き、転送魔法を発動した。


 ジアルケスの放った魔法は彼らの間をすり抜け、奥にある岩に着弾し、燃えさかる熱風があたりを吹き荒んだ。

 

 「グルルル」と唸り、吹き荒れる風を背にしてこちらを振り向くジアルケス。


 「自信を持つのは構わぬが、少々油断したな。だがもう分かったであろう? この圧倒的なまでの力の差を」


 誇らしげに牙をみせる男を前に、俺はグッと拳を握った。


 俺たちはこの作戦に賭けていた。

 相手に考える余地を与えてしまっては勝負にならないことを、十二分に理解していたから──だからこその短期決戦だった。


 それにしても恐ろしい火弾だ。

 あの瞬間、ルーチェリアは退避していた。


 俺はジアルケスの背後に目を細めるも、砂礫が舞い、彼女の無事までは確認できなかった。


 そこから間もなく、砂煙の向こう側でうっすらとしたシルエットが動いているのが目にとまる。けどそれは、俺の求める者ではなかった。


 「ジ、ジアルケス様……ワシも危うく黒焦げになるところでしたぞ……」


 転送魔法によって難を逃れたロドリゴ。足を引き摺りながら、ジアルケスの元へ近づく。


 「ふん。あの程度で焼けこげるなど笑わせるな」


 眼前に現れた敵を前に、俺の中には焦りと不安が募っていく。


 (ル、ルーチェリア……彼女はどこにいる?)


 「ふぅ、ふう」とただ立ち尽くすだけで息が切れる。鼓動は早く、まるでその場に響くかのように俺の体を鳴らしている。


 やがて砂埃が舞を止め、俺の目には地面に横たわる一つの影が映り込んだ。


 「ルーチェリア?!」


 俺は叫び、体は無意識に動いた。だがその視界を塞ぎ、ジアルケスが俺の前に立ちはだかる。


 「グルルル、私を無視するつもりか?」


 「どけ、ジアルケス! 邪魔だ!」


 「全く、ガルベルトあの男は目上に対する口の利き方すらも教えておらぬのか。それにしてもあの女、爆風でやられたのか可哀想にな。あの熱風ではすでの喉も焼け、助けを呼ぶことすらもできぬのであろう。ああそうだ。お前には彼女の遺骨をやろう。私が今から火葬で弔ってやる。そこで待っておれ」


 ジアルケスが俺に背を向け離れようとしたそのとき、俺の中で何かが弾けた。


 怒りも悲しみも何もない。頭の中も周囲すらも、急に全ての音が消えたように静まり返った。意識を失ったのだろうか。


 そこへ誰かの囁き声が聞こえてきた。


 [……貴方に力を。大気を揺るがす衝撃……大気振撃アトモスシェイカーを汝に授けましょう……。さあ、解き放つのです……]


 これは何だろう? 心地いい声がする──と、俺はその声に耳を澄ませた。


 大人の女性の声。不思議と悪意は感じられなかった。


 俺はその声を疑うことなく従い、ただ手のひらを前に伸ばした。


 「大地よ……その力、我を伝い大気を揺るがす衝撃となれ。大気振撃アトモスシェイカー


 ただ何となく聞こえた言葉を連ねた。無意識にも近い言葉の羅列。それでも体を迸る、ありえないほどの属性力に俺の意識はハッと目覚めた。


 「こ、これは何だ……」


 指先から足の先まで、全身を駆け巡る属性力。俺の前では大気が波打つように揺らぎ、奥にいるはずのジアルケスの姿が滲んで見えた。


 そこから刹那の衝撃。ドクンとあたかも心臓が鼓動を打ったかと錯覚するほどに、俺の全身が震え、途轍もない波動がジアルケスに向けて解き放たれた。


 大地は軋み、大気の波に圧し潰されていく。

 地面を削り襲いくる衝撃波に、こちらを振り向いたジアルケスの目は驚愕に満ちていた。


 両牙を噛みしめたまま為す術もなく、男が身につけた屈強な黒き鎧も亀裂が生じて欠けだした。


 「グゥオウルル」と抗う唸り。ジアルケスの顔は歪み、激しい波動が防御不能と言わんばかりに彼を突き抜け粉砕していく。




 しばらくして俺の耳が騒めきを取り戻す頃、眼前の脅威はその姿を消していた。


 「この力は一体……」


 俺がまだ痺れの残る手のひらに目を落とした直後、急に体が前に倒れそうなほどに重くなった。


 全身を包む疲労感。あれほどの属性力を使ったのだ。きっとその反動からなのだろう。


 俺は「ハァ、ハァ」と息を吐き、崩れそうな足を前に出した。


 「待ってろ、ルーチェリア。今、行くから……」




 数分ほど経っただろうか──。

 俺は少しでも近づけているのか。気持ちだけは前に進んでいるが、足取りは重かった。


 ずっと息を止めて戦っていたのかと思えるほどの息苦しさに、俺の呼吸は荒かった。


 ガラガラと崩れ落ちる瓦礫の音。背後から聞こえる「ゴホゴホ」と咳き込む気配。


 俺は嫌な予感がした。

 静かに振り返るとそこには、血反吐を吐きながら立ち上がるジアルケスの姿があった。


 それに、体をふらつかせながら近寄るロドリゴも。


 「くそっ、生きてやがったか……」


 俺は嘆息しつつ前を向いた。

 焦る必要はない。敵の様子を見るからに、すぐに動くことはできないだろう。


 足が縺れそうになりながらも、俺は気合を乗せて歩みを進めた。


 そのハルセの背に、ジアルケスは「おのれ……」と唾を吐き、血が伝った腕を押さえながら憤慨した。


 「あの小僧、何をしやがったというのだ。我が竜鎧ドラゴンメイルを打ち砕いただと? そんな力が存在するなどあるわけがない……断じて認めぬ──」


 「ジアルケス様……ここは一度退きましょう。私の体も、これ以上は、もう……」


 ロドリゴの声に、ジアルケスは「黙れ!」と苛立ちを覚えた。


 退避すべきだということは理解している。だがこれほどの屈辱を味わったことのなかった彼のプライドは、今まさにズタズタに引き裂かれたばかりであった。


 剣は天より与えられしもの。類まれな火属性の才覚。ガルベルトさえ亡き者にすれば、己に敵う者など誰一人いなくなる──ジアルケスはそう信じていた。


 でも現実はどうか? 私のこの様は何なのだ? しかもたった一人の少年になどと、彼は奥歯をガチガチと噛み鳴らした。

  

 「ロドリゴよ。お前の魔法石、使わせてもらうぞ」




 ──その頃、俺はルーチェリアの元まであと少しのところまで達していた。

 

 「ルーチェリア! 返事をしてくれ! 顔を、上げてくれ!」


 俺は声を嗄らして呼びかけた。

 けれども、その叫びにルーチェリアは全く反応を示さない。

 

 俺は「頼む、頼むよ」と神に縋る想いで、重い足を前に伸ばす。


 「ルーチェリア、俺を置いていかないでくれ。必ず守るといったろ? ちゃんと、守らせてくれよ」


 彼女はもう目の前だ。後はこの手で抱き起すだけ。


 それなのに、神様は残酷だ。俺の願いをこうしてへし折ってくる。


 (後少し、後少しだったのに……)


 悔しさで奥歯を軋ませた俺の前に、光の粒となったジアルケスとロドリゴが流れ込み、肉体が再構築されはじめた。


 そして狼の姿を取り戻した男は「グルルル」と口元を吊り上げた。


 「小僧。ここまでの傷を負わされたのは、貴様が初めてだ。名を聞こう」


 あまりにも絶望的な状況だ。敵のすぐ足元にはルーチェリアが倒れている。


 このままではマズい、少しでも気をひかなければ──俺はジアルケスの問いに答えた。

 

 「俺の名は、ハルセだ」


 「ほう、ハルセと申すか……。その名、覚えておくとしよう。とはいえ、お前たちにはここで死んでもらう。目的は達したが、生かしておいては我が国の脅威になりかねん」


 「ふっ、そうかよ……だがな、俺だってやられるわけにいかない」


 「グルルル、まだ希望を持った目をしておるな。では、先にその光を奪ってやろう」


 ジアルケスは不敵に牙を光らせ、倒れているルーチェリアに向けて刃を振り下ろした。


 「ま、待て!」と、俺は体を必死に突き動かした。でもダメだ。間に合わない。

 

 諦念が頭を埋め尽くす中、俺の頬を風がなぞった。


 「死ねえ!」と声を荒げたジアルケスと、眠ったように横たわるルーチェリアの間に突如、風の渦が現れた。


 吹き荒ぶ風は両者を別つように巻き上り、俺は風に運ばれるように飛ばされたルーチェリアの体を何とか受け止め、力を振り絞ってその場を離れた。


 俺はそっと、耳を彼女の口元に近づける。

 微かに漏れる吐息は彼女の生存の証──ルーチェリアはまだ生きている。 


 そこへ足を引き摺りながら近づく人影が一人。

 「ハルセ殿、これを受け取れ」と、ガルの声が聞こえ、緑色に輝く小瓶が彼の手元を離れた。

 

 俺はパシッと片手で受け取ると、急いで抱きかかえたルーチェリアの口元に近づけた。

 

 とはいえ、意識のない彼女が進んで飲むはずもなく、軽く口に含ませてみても横からたらたらと零れ落ちてしまう。


 この様子に俺は「仕方ない」と、自ら回復薬を口に含んだ。いつもなら躊躇するところだが、今はそんなことを言っていられる状況ではない。


 俺はそのまま、彼女の唇に重ねた。

 こうなったら口移しでルーチェリアに飲ませる。


 たとえ少しでも喉を通ればそれでいい。この薬は少量でも即効性がある。


 ルーチェリアの喉がゴクリと音を鳴らすと、徐々に体の傷が塞がりはじめた。


 (よし、効いてきたみたいだ。後少し飲ませよう)


 俺はもう一口と回復薬を口にし、彼女の唇に触れたそのとき、「ハル……セ?」と唇の先が優しく擦れた。

 

 その声と感触に驚いた俺は含んだ薬をそのまま飲みこみ、ゲホゲホとむせ返った。


 「あ、あれ? 大丈夫? 助けてくれたんだね……ありがとう、私はもう平気」

 

 「……あ、ああ、よかった。そうか大丈夫か。あと、ガルベルトさんも無事だったよ」


 「うん。この薬の味、ガルベルトさんのだもん。それに言ったでしょ? 信じようって」


 俺たちがガルの無事を喜んでいると、「ビハッ、熱い熱い」と冷やかしつつも安堵の表情を浮かべた彼が、ゆっくりとした足取りで近づいてきた。


 だが、足を負傷しているのか、傷口に巻かれた古布は赤く染まっていた。


 「二人とも、よく無事でいてくれた。遅くなってすまなかったな……」


 「それよりもその足、出血が酷い……ルーチェリア、急いで魔法を」


 「うん。ガルベルトさん、少し見せてね」と布を採り、傷の確認をしたルーチェリアは、手足の痺れや傷口のただれ具合から麻痺毒と判断。


 彼女はすぐさま水麗癒滴ウォーターポーションを発動し、続けて属性開放を発動させた。


 回復から解毒までを連続して行う魔法の連携は、ガルの傷をあっという間に癒していった。


 ガルは「だいぶ軽くなった。助かったぞ」と頭を下げ、ルーチェリアは「よかった」と胸をなでおろした。

 

 俺も「ふう」と不安を吐き出し、口を開いた。


 「ガルベルトさん、見てのとおり、まだ決着がついてないんだ」


 「ああそのようだな。再会の喜びはもう少し後にとっておくとしよう」


 衰えぬ殺気。その先には様子を窺うジアルケスとロドリゴが佇む。

 

 あれほど攻撃的なジアルケスがただ黙っているところを見ると、思いのほか受けたダメージが大きいのだろう。そのうえ、彼らには回復する手立てがない。

 

 ガルは眉を顰めて「あれは一体」と首を傾げて、話しを続けた。


 「ジアルケスが相当な手負いのようだが……ここで、何があったのだ?」

 

 彼は宿敵の傷ついた姿に驚きが隠せない様子だが、それも当然の反応だ。


 この場で、ジアルケスと渡り合える者などガルを除いて一人もいないのだから。


 俺は「ゴホン」とわざとらしい咳ばらいをし、「あの傷は俺がつけたんだ。魔法でね」と誇らしげに胸を張った。 


 これにはガルはもちろん、ルーチェリアの耳もピーンと逆立った。


 「え? あれ、ハルセがやったの?」


 「何だと? あれがハルセ殿の魔法によるものだというのか? 俄には信じがたい……だが、貴殿らを除けばこの場には誰もおらぬ。最強とまで謳われておる竜鎧をあれほどまでに……私の全力を以てしても、この短時間では不可能な域だ」


 ジアルケスが纏う黒き鎧は竜鎧ドラゴンメイルと呼ばれ、いかなる刃も通さないとされる竜種の皮を幾重にも張り巡らせ、さらには調合された強化鉱石でコーティングし仕立てられる。


 この世界でも最高峰の一品としてその名を轟かせていた。


 「まあよい。続きは後でゆっくりと聞くとしよう。準備はいいな? 二人とも──ヤツらが来る」




 ── 魔法紹介 ──


 【大気振撃アトモスシェイカー

 ・属性領域:???

 ・用途:??特性

 ・発動言詞:『大気を揺るがす衝撃』

 ・発動手段(直接発動及び属性付与)

  発動言詞の詠唱及び大気振動を起こす想像実行又は振動を纏う想像実行。

 ・備考

  ???

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