第29話 断罪

 作戦開始から、どれほどの時間が流れただろうか。

 空高く燦燦としていた太陽も、いつしか夕刻の訪れを告げるように地平線へと近づく。


 闇夜は逃亡者の助けとなる。一刻も早く決着を──ルーチェリアは焦っていた。


 オーラ状の緑の鞭を巧みに振るうロドリゴ。

 地ならしのような激しい衝撃は、大地を罅割り削りとっていく。


 実体を持たない魔法の鞭はその長さを自在に変え、避ける彼女を追って執拗に伸びた。


 (このまま距離を取って戦うのは、不利ね。だったら──)


 ルーチェリアはこの間、相手の攻撃を観察していた。

 ロドリゴが放つ魔法の鞭もいくら伸びるとはいえ、長さには限度がある。それに一度伸びきってしまうと、振り直しの動作が必要になることもわかった。


 つまり、手許へと戻すこの時こそが反撃の好機。


 彼女はロドリゴの攻撃を誘い、ギリギリまで引きつけて躱すと、鞭の戻しに合わせて一気に攻撃体勢へと移った。


 「な、なななっ!?」と慌てふためくロドリゴ。その目には、手許に引き寄せた自らの鞭と刀を構えたルーチェリアの姿が同時に飛び込んできた。


 そしてここから、放たれるルーチェリアの剣技。

 

 「兎刃の壱、〝水麗流幻すいれいりゅうきょう〟」


 刀の柄先を敵に向けて構え、空気抵抗を抑えた高速突進。


 そこから放たれた閃光のごとき刃の切っ先には、その動きに合わせ、流れるように水飛沫が走った。


 飛沫は光を捻じ曲げ、まるで刀が歪んでいるかのように映し出し、ロドリゴの目を攪乱した。


 「く、糞があ、動きが読めん」


 所詮は他力。ここまで魔法石頼りのロドリゴにこの技を見切ることは不可能だ。


 男は咄嗟に左手を上げるも、その指先をルーチェリアの刃がスッと通りすぎた。

 

 彼女が握りに力をこめて「これで終わり!」と刃を返し、ロドリゴの首に狙いをつけたそのときだった。


 眩い光が男の体を包み込み、あっと言う間に光の粒となって目の前から消えていった。


 「こ、これは……」


 ルーチェリアの頬を伝う冷たい汗。渾身の斬撃は空を斬り、勢い余って崩れかけた体を片手をついて持ちこたえる。

  

 彼女は残心を忘れず、すぐに立ち上がると周囲を警戒しながら刀を構え直した。


 するとその背後から「うおぉああー」とけたたましい悲鳴が耳をつんざく。


 「おのれおのれおのれ、痛え、痛えよおー。このメス豚があー!」


 激痛に顔を歪ませ、切れた指先を震わせるロドリゴ。

 ルーチェリアの背後を取るという絶好の機会を得たにもかかわらず、痛みに呻くだけで、手出し一つすることはなかった。


 ルーチェリアの眼下には、男の指だったはずのものが血に塗れて転がっていた。


 確実に仕留めたと思ったはずが、斬り捨てたのはこの指先だけ。


 彼女は「ふう」と嘆息し、下唇を噛んだ。


 あの男に私の魔技を避けるだけの力はない。あと一つ、効果の分からない魔法石があった。おそらく光魔法。仮に転送魔法の一種だとしたら、厄介だわ──と、ルーチェリアは沈思した。


 それでも彼女の一太刀で、戦況は大きくこちら側へと傾いた。


 ルーチェリアが切り落とした左手の指には、2つの魔法石の指輪が嵌まったままとなっていた。


 これは、ロドリゴから2つの魔法を奪ったことに他ならない。


 「ぐぐぐっ」と歯を食いしばり、ロドリゴは出血する左手に破った布をグルグルと巻きつける。


 いくら魔法といえども、失った指を繋ぎ合わせることは難しい。だが少なくとも、傷口を塞ぎ、止血することくらいは可能なはずだ。


 それすらもしないということは、回復魔法が使える指輪は斬り落とされた指に嵌められたままなのだろう。


 ルーチェリアは眉を顰めて男を見た。


 「もう回復することも出来ないようだけど、簡単には死なないでよね。私の両親の分、それにリフトニアの皆の分……じっくりと苦しんで猛省してもらわなくちゃ」


 「ぐ、ぐぐぅ……き、貴様ぁー! たかが獣人ごときが、人間様に逆らうなど身の程も知らぬか! お前も、あの母親のように鳴くか? 毎夜毎夜、いい声で鳴いておったぞ。ルーチェリア、お前はどんな声で鳴くのだ?」


 ロドリゴの切り返しに彼女は「くっ……」と奥歯を噛み締め、顔を歪めた。


 「……こ、この屑野郎め!」


 耳を塞ぎたくなるほどの愚劣な言葉に、ルーチェリアの感情の針は制御不能の怒りへと振り切れてしまっていた。


 目尻を吊り上げ獣の眼光を向けた彼女に、いつもの冷静という2文字は微塵もなかった。

 

 ただロドリゴを斬り捨てるため、全神経を前に真っすぐにその懐へと飛び込む。 


 心の底から沸き起こる怒りは、誰かを想う愛しさと同様に人を盲目にする。


 ロドリゴにとってこれほど狙いやすい相手はいないだろう。あまりにも単調すぎる動きだ。


 怒りはときに荒々しく、持てる力をさらに強める──だが同時に、負の感情を助長するスパイスとなって、しいては大きな油断をも生み出す。


 男がルーチェリアに手渡したのは、死へ向かう片道切符。


 ロドリゴは確信的に挑発的な言葉を投げ続け、ようやくこの機を得た。


 男の右手薬指に嵌められた魔法の指輪。

 ロドリゴはそれを自らの胸元を軽く小突くように押し当てた。


 指先から生じた微かな光は、瞬く間に男の体を包み込み、


 「フハハ、貴様の負けだメス豚。何度も同じ手を食うとは、愚かなものよ」


 と、憎まれ口だけその場に残した。


 ルーチェリアの大振りの斬撃は光の粒となって消えゆくロドリゴの体をすり抜け、空を斬った。


 力任せに振り抜いた彼女の体はその反動から大きく体勢を崩し、冷静さを欠いた自らの過ちを悔いた。


 (──私、やっちゃった……。ごめん、ハルセ……ごめん、ガルベルトさん。もう、会えそうにない……)


 そんなルーチェリアの背後には光の粒子が集まりだし、深緑の鞭を振りかざしたロドリゴの姿が露わとなった。


 「ワシのせめてもの慈悲だ。さあ、母親の元へ逝け!」


 躊躇なく振り下ろされる魔法の鞭。彼女は「くっ」と歯を噛み締め、後悔に顔を染めた。


 自らの油断、冷静さの欠如。ハルセもガルベルトもはじめから分かっていたのかもしれない。


 町を焼かれ、みんなを殺され、両親もこの男の前に屈した。私はどうしても仇をとりたかった。その決意の強さが裏目に出たのか、こうも脆く崩れ去るなんて──ルーチェリアは死を覚悟した。


 彼女は涙混じりに「ハルセ、私も心から笑えるようになりたかったの……」と言葉を流し、そっとその瞼を下ろした。




 (……)


 なんとなく不思議な感覚だ。どこかまだ意識があるような、ないような──と、ルーチェリアは暗闇の中で独りごちる。


 (──あれ? 私、もう死んだのかな?)


 (──ルーチェリア、ルーチェリア! 立て! しっかりしろ!)


 彼女は誰かに呼ばれたような気がした。


 「え? 誰なの?」


 ルーチェリアは瞼の裏に光を感じ、その声に導かれるようにパッと目を開いた。


 「ルーチェリア! よかった、大丈夫か? よく頑張ったな」


 彼女の瞳にはハルセの顔が映し出されていた。

 振り下ろされた魔法の鞭を、彼が盾となって防いでくれていたのだ。


 「ハルセ!」と縋るようにその肩にしがみついた彼女を、ハルセは「ここからは俺に任せろ」と唇の端を自信で満たして吊り上げた。


 「おのれクソガキ、またお前なのか! 幾度も幾度も邪魔ばかりしおって。お仕置きの最中であるぞ!」


 振るった鞭を手元に戻し、地面をビシビシと叩きつけながら憤慨するロドリゴ。

 

 「悪いが選手交代だ。このちょび髭腐れ狸が。ルーチェリアを傷つけた分、俺からもきっちり返してやる」と告げると、つけたあだ名が気に入らないのか、よけいに鞭を打ち鳴らして顔を赤くした。


 「誰がちょび髭野郎だ! 立場を弁えろよ、この愚か者のガキめが」

 

 「いやいや違うぞ。ちょび髭だ。分かったか? お前こそ身の程をわきまえろよ」


 「ええい! 知らぬわ、そんなこと」


 相変わらず口だけは達者な男だ。しかしその表情からは痛々しさが感じられる。

 

 ロドリゴの左手には布がグルグルと分厚く巻かれ、それでもなお抑えきれていないのか、赤く染まった生地からは雫がぽたぽたと滴り落ちている。


 ロドリゴと罵り合う中、ルーチェリアが俺の隣に並び、「ハルセ、私……」と続けた。

 

 「もう大丈夫、戦えるわ。ロドリゴアイツとは、この手で決着をつけなきゃいけないの……だからお願い。私に任せて」


 ロドリゴは彼女にとっての仇。両親のみならず全ての仇だ。


 ルーチェリアがこれからを生きるためにも、彼女自身、けじめというものが必要となるだろう。


 俺は「ああ分かった。でも、一人じゃない。俺も戦う」と応じ、彼女の目を見て頷いた。


 一方ロドリゴは、「ったく」と嘆息し、「ニコの野郎は何してやがる。こんなクソガキを取り逃がすとは」と不満を漏らす。


 その答えに「アイツなら、ここにいるぞ」と、俺は袋に入れていたものを男の足下へと投げつけた。


 ゴロゴロと転がる血塗れの丸い物体。

 ロドリゴは「ん?」と眉をひそめて首を捻る。


 「ああ悪いな、一応、討ち取った証拠だが、少しやり過ぎた。ぐちゃぐちゃで分かりづらいだろうけど、そのアホ毛で誰だかわかるだろ?」


 「アホ毛?……って、いっ、に、ニコ!?」


 俺が投げつけたのはニコの首。殴りすぎて顔はよくわからなくなったが、証拠のために持ってきたものだ。

 

 ルーチェリアは「あわわわ」と口を震わせ、両手で目を覆った。 


 俺は「ごめん、ルーチェリア」と詫びつつも、「さてと」と話を繋げた。

 

 「なあロドリゴ、お前はどうされたい? ニコのように苦しみに喚き散らしたいか?」


 「んぐぐぐ、このガキ。調子に……乗るなあー!」


 憤怒するロドリゴ。指輪から伸びる深緑の鞭のオーラはさらに激しく揺らめいた。


 「へえ~、あれが力の調整ってやつか」


 俺は煽りながらも、男の手元を注意深く観察していた。


 魔法石の力調整。魔法石の発動手段は外部から加わる衝撃の強さによって変化する。

 

 例えば、弱めに叩けば効果は弱く、逆に強めならば魔法の効果は大きく上がるというもの。


 とはいえ、魔法自体が属性力を消耗するのと同様、魔法石自体にも永続性はない。


 より大きな力は当然ながら消耗も早い。


 ガルから教わった知識がここにきて役に立つ。なぜなら特性を知っているからこその対処法ってものがあるからだ。


 そして、対魔法石使いにおいて最も重要な知識の一つがこれだ。


 魔法石の強度は内に秘めた属性力の残量に比例する──つまり、使えば使うほど脆くなる。破壊するのが容易になるということだ。


 「ルーチェリア。ヤツは魔法石をあといくつ持ってるか分かるか?」


 「うん、あと3つ。右手にある分だけだよ」


 ルーチェリアの話では全部で5つの魔法石の指輪があったが、うち2個は斬り落とした左指に嵌ったままだ。


 負傷した左手をそのままにしている時点で回復効果の魔法石はすでに除外。


 残る右手には、深緑の鞭を放つ魔法石、光の粒となって移動する魔法石、それに加え、水属性のシールド効果または風属性の飛翔効果のどちらかだと推察される。


 水か風か。いずれにせよ、攻撃手段はこの鞭だけだということはハッキリとした。


 「さあいくか、ルーチェリア。断罪の時間だ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る