第27話 ジアルケスの謀略 その1
── 獣国ルーゲンベルクス 帝都ミアザベート ──
獣王騎士団司令部前に広がる演壇場。
『総員、整列!』と厳格に響き渡る号令と集められた多くの獣騎士たちの姿。
横隊となった彼らは、威厳漂う演壇を見上げている。
『一体何の騒ぎだ? いよいよ
『ああ。分からねぇが、総員集まれとのご達しだからな。嫌な予感がするぜ』と、獣騎士たちは一様にざわついていたが、それも無理もない。
総員での集会など極めて稀。これが初めてという者も決して少なくはなかった。
前回行われたのは西の
そんな中、『皆、ご苦労』と壇上に上がったのは、獣王騎士団団長ロックエル=ジュード。
彼が登壇すると総員一斉に剣先を上にし、両手で握った柄を左胸へと押し当てた。
獣王騎士団伝統の敬礼をもって団長を迎える。
ロックエルは『さて、剣を収めよ』と令し、話し始めた。
『皆、ご苦労である。
彼の言葉で、険しい眼差しに光を取り戻した獣騎士たち。互いに顔を見合わせ、コクリと頷き合う。
新たな副団長が選出される──この事実は彼らにとっての救い。まさに夢のような現実でもあった。
現獣王騎士団では、副団長ジアルケスの独裁による締めつけによって、多くの獣騎士たちが疲弊しきっていた。
ロックエル=ジュードこそが獣王騎士団の頂点であり、そのことに異論はない。だが実際に現場で指揮を執り、戦場での実権を握るものは団長ではない。
指揮権を持つジアルケスは暴慢かつ残虐。
たとえ小規模な作戦であったとしても多くの血を求め、凄惨さに塗れた悲劇を味わう。
こんな男でもごく一部、賛同し崇拝する者たちもいるが、どいつもこいつも狂った奴らばかりだった。
騎士たる者、国のために剣を振るい、民を守るための盾となる。
当たり前だと思っていた信念は影を潜め、多くの獣騎士たちは心を痛めていた。
正義も糞もない。長年募らせた怒りや不満は、決して外に出すことなく生唾と一緒に喉の奥へと押しやっていた。
そんな彼らを縛りつけていたのは、恐怖。
〝漆黒の闘剣〟の異名を持ち、魔双剣:
敵味方の区別なく業火の刃で切り刻むその様は、恐怖という名の忠誠心を植えつけるには十分すぎるほどの光景だった。
団長への忠誠心は正当なものだが、ジアルケスへの忠誠心は恐れでしかなく、新たな副団長抜擢への期待は非常に大きいものとなっていた。
一体誰になるのか? 獣騎士らは、とある一人の男を思い描いていた。
ロックエルは『ジアルケス副団長には暁を一任する。そして黄昏は──』と話を続けた。
『ガルベルト=ジークウッド。剣を上げよ』
彼の呼びかけにガルベルトは『ハッ』と返し、剣を高々と突き上げた。
『では、ガルベルトよ。貴殿のことは高く評価しておる。この大義、受けてくれるな?』
『お言葉、ありがたき幸せにございます。僭越ながらこのガルベルト=ジークウッド。副団長の任、確とお受けいたします』
この場にいた多くの獣騎士たちの願いどおり、ガルベルトが副団長へと選出された。
彼は元兵士の出。獣騎士としての経歴は長いとは言えなかったが、いざ戦いともなれば、自らが盾となって味方を守り抜くなど周囲からの人望は並々ならぬものがあった。
その上、作戦の立案能力と精度の高さにも定評があり、実力も申し分ない。
黒き旋風、
当然ながら、己と対極のような存在をジアルケスが認めるはずもない。
彼にとって、これまでガルベルトは一配下でしかなく、群れの中の一頭の獣に過ぎなかった。
面識などほとんどない。実力はあれど、一兵卒と話すことなどあるわけがない。
我こそが唯一無二の副団長であり、この獣王騎士団の指揮を任されるにふさわしい。あのような男が自らと対等の椅子に座すことになるとは、何とも愚劣なことを──などと、ジアルケスは今にも狂乱しそうなほどに嫌忌に満ちていた。
自らの行いは全て正しい。獣王騎士団をより強く、歯向かう全てを食い殺す堅牢な牙へと導くためには、絶対的な忠誠心を植えつけなければならない。
今の獣王騎士団に必要なもの、それは支配者への恐れだ。
恐れは必ずしも悪とはなり得ない。ありふれた恐れは互いを畏怖させ、時に高ぶらせた感情が衝突を生み出す。
だが、畏怖の対象が共通の存在ならば、内部での争いを防ぐことすら容易いことだ。
ジアルケス自身が畏怖の対象となることで指揮系統は集約され、逃げ出す者、立てつく者などいなくなる。
ため込んだ不満や怒りは、目の前の敵に向けすべてを吐き出させる。
(全ては獣王騎士団のため。私は何も間違えてなどいない……)
ジアルケスの中にある、恐怖こそが正義という捻じれ曲がった論理。
これを変えるつもりもなければ、ことさら変える必要もない。
獣王騎士団が世界最強としての地位を築くことができているのは、全て私の功績だ──と、ジアルケスは『グルルル』と牙を剥き出し唸っていた。
そんな状況とは露知らず、新たに副団長へと抜擢されたガルベルトが、ジアルケスの元へと向かう。
ガルベルトは『ジアルケス副団長、失礼』と頭を下げ、挨拶を切り出した。
『貴殿とはあまり話をする機会に恵まれてはこなかったが、これからも獣王騎士団のため尽力し、副団長としての重責を全うする所存。改めてよろしく頼む』
『これはこれはガルベルト
ジアルケスは憤慨する内心に反し、取り繕った言葉を並べた。
互いに二言三言交わし、ガルベルトが『では』とその場を後にすると、ジアルケスはその背を鋭い視線で突き刺した。
ジアルケスにとって、副団長の席はただ一つ。己だけに用意されたもの、他者に与えられるものに非ず。
正義感の強いガルベルトは過去、ジアルケスに対し幾度か反意を翻したことがあった。
しかしこれまで大きな軋轢とならずに済んでいたのは、ジアルケスが副団長という立場を利用し彼を遠ざけ、恐怖による圧政を徹底してきたためであった。
他とは違い、
仮に対立することにでもなれば、自身の足許が揺らぎかねないとすら思えるほどに、獣王騎士団でのガルベルトの戦果は突出していた。
そのような男が副団長という同じ舞台へと昇ってきた。つまりこれまでとは違い、避けることもできなくなる。獣騎士たちを抑え続けることすらも。
『ガルベルト……あの男をどうにか追放できないものか』
ジアルケスの画策の日々が、今まさに始まろうとしていた。
◇◆◇
暁と黄昏。両団を率いる二人の副団長。
新体制となった獣王騎士団も、早2年という歳月が経過していた。
今では獣騎士たちに惨禍を与えたジアルケスの傍若無人な振舞いは息を潜め、もっぱらガルベルト主導の作戦ばかりが目立っていた。
争いが続く両国、ルーゲンベルクスにアズールバル。
双方に大きな被害を出すことなく成功を収め続けた彼の作戦は、国内外から数多く賞賛され、副団長としての地位や名声を確固たるものとして築き上げていった。
そんな状況をジアルケスが快く思うはずもない。
彼の画策は、ガルベルトの輝かしい功績の影に紛れて着々と進んでいた。
ここまでの2年という長き年月。
ジアルケスにとって永遠とも思えるほどの時の流れをただただ黙り、耐え抜いてきたのは、まさにこの時を迎えるためでもあった。
ついに時は満ちたのだ。作戦実行の時が。
ジアルケスは唇の端を吊り上げ、不敵に牙を光らせた。
コンコンと響くノック音。
『入るぞ』とガルベルトが扉を開けてジアルケスの執務室へと立ち入った。
『急ぎと聞いた。何か問題でもあったのか?』
『ガルベルト副団長、ご足労感謝する。先日確認された王国騎士団だが、明後日には北の関所に達するようだ。ただ、別動隊も確認された』
『別動隊?』
『ああ間違いはない。報告によればその隊は現在、リフランディアに待機している。我が暁はそちらの動きを注視し対処にあたる考えだ。貴殿には先行し、北の
机の上に頬杖をつき、眉間を険しくするジアルケス。
ガルベルトは『了解した』と返し、眉をひそめた。
『そういえば、今回の先遣隊は暁の者たちであったな? 』
『ん? それがどうかしたのか?』
『いや、本作戦においてはこれで二度目だ。得た情報は貴殿と私、同時に伝達するとの約束のはずだが、何故こうも遅れている? しかもこうして貴殿から直接聞くことになるとは』
ガルベルトの猜疑の目に、ジアルケスは『グルルル、そう急くな』と口元を緩めた。
『私もつい先ほど聞いたばかりのこと。一度目は知らぬが、この件についてはこちらで伝えると言ったまでのことだ。北の防衛のこともあったからな』
『そうか……相分かった。だが情報共有については新たに見直す必要がありそうだ。少しの遅れが命取りになるからな。さて、話の続きだが、敵別動隊はすでにリフランディアに駐留中とのことであったな』
『ああ、仮にそこから北を目指すともなれば、我が領地であるカロッサ村を通ることになる。村への警備も当然考慮する必要も出てくるだろう。やつらは何をしでかすか分からぬ。少数だけでも配備すべきだと思うが?』
『考えておこう。だが、北への遠征は追加補給が困難となるのは敵も承知のはずだ。カロッサ村は我が領土とはいえ、リフランディア側の商人も多く滞在している。自ら補給を断つことは考えにくい。それにおそらく、主力部隊を率いているのは槍聖メリッサ。敵としては厄介であるが、村を襲うような野蛮なことはせぬだろう。黄昏は明朝出発し任務にあたる。団長への報告も私から行うとしよう。では準備に入る。これにて』
部屋を後にするガルベルト。
扉がガチャリと閉められ、一人の空間を取り戻したジアルケスは机の上で頭を抱えて体を震わせた。
『グルルル。そうかそうか、槍聖メリッサか。最年少で副団長にまで上り詰めた槍の天才。ガルベルトよ、同胞よりも敵将を信じるとは愚か者め。まあいい。貴様が私の言うことを素直に聞くとは端から思ってなどいない。全ては私の手のひらの上のことだ』
翌朝、指示通りにガルベルト率いる黄昏の一団は、北の複合型国術式封印陣へ向けて出発した。
そこは四彗魔人の一角、
封印を構成する魔法石への再属性付与が敵であるアズールバルの目的であり、我が獣王騎士団はこれを阻止する──が、ジアルケスにとっての最重要任務は今回は異なる。
ガルベルトの追放。そのための工作員が黄昏の中にも送り込まれていた。
(ガルベルトよ、お前がどう動こうと作戦は実行される……)
◇◆◇
北の封印陣へ向かう途中、ガルベルトは敵主力部隊に槍聖メリッサの同行を確認したとの情報を得た。
そのため、カロッサ村への警戒配備を敷くことはしなかった。
うら若き女騎士。ガルベルトは彼女をよき
メリッサとはこれまで幾度となく刃を交え、その人となりを戦いの中に感じ取っていた。
無用な殺生などは決してしない。命を尊び、たとえ敵であろうとも手を差し伸べる。
ガルベルトは自らの想いを、彼女の信念に重ねていた。
(メリッサ殿は村人たちに手出しなどせぬ。真っすぐここを目指すはずだ)
けれどもその期待を裏切る一報が、彼の鼓膜を殴った。
報告によれば、王国騎士団らしき一団がカロッサ村を襲い、村人たちを虐殺していると。
まさかあり得ない、あの気高き彼女がそのようなことをするはずがない──そう困惑するガルベルトだったが、自らの感情を抑えこみ、急いで仲間たちへと指示を出す。
『皆、聞くのだ。これから部隊を分け、カロッサ村の救援に向かう。ルノ! 一緒に来てくれ。アルダ! この場の10名だけ連れていく。後の守りを頼むぞ』
『ハッ! 了解しました。どうかご武運を』
封印の防衛指揮を副団長補佐である、アルダ=グラスワッドへと委ね、ガルベルトは少数の別動隊としてカロッサ村へと急行した。
(メリッサ殿、私は……私は、貴殿を信じておったのだぞ。どうか偽りであってくれ)
早馬を走らせ、カロッサ村へと辿り着いたガルベルトたち。彼は手綱を下ろし、『これは一体……』と目を見開いていた。
瞳に映り込む、何事もない平穏な光景。
村人たちが笑いながら酒を酌み交わし、焚火の周りを子供たちが走り回っている。
ガルベルトは『ふう』と大きくため息をつき、しばし押し黙って沈思した。
(やはり、誤情報だったのか? だとしたら何のためだ? 目的は何なのだ?)
考えても答えは出ないが、今は前線へ引き返すのが先決だと彼は思い立つ。
ガルベルトが『皆、引き返すぞ』と声を上げ、後ろを振り返ると、一緒だったはずの仲間たちが全員、忽然と姿を消していた。
彼が辺りを見渡し、『ルノ! ラスケル! どこだ?』と呼びかけたそのとき、『ぎぃやあああー』と村人の悲痛な叫びが、穏やかな村を切り裂いた。
『さあ死ね!』
グシャリッと生々しい音と噴き出す血が混じり合う。
ガルベルトが率いた獣騎士たちが、村人たちを一斉に襲いはじめたのだ。
『ルノ! 何をしておる! お前たち、止めないか!』と声を張り上げたガルベルトに対し、ルノと呼ばれた男は、『何をって?』と恍けた顔で首を傾げた。
『副団長、貴方が殺せと指示したことじゃないですか。この村は獣国でありながら、易々と敵を通している。逆賊も同然だと』
『どうしたと言うのだ、ルノ! 私がそのようなことを言うはずがない。お前が一番分かっているはずだ。その手を止めろ!』
ガルベルトの声は、今の彼らには届いていない。
獣騎士たちは止むことなく刃を振るい、平穏だった村を一瞬にして悲鳴の舞う狂気の村へと変貌させた。
『このままでは、村が……』と奥歯を噛みしめ、鋭牙を露わにしたガルベルト。
部下たちに対し、黒斧を構えその刃を向けた。
『……副団長。それってどういう意味ですか? 殺せと言ったり止めろと言ったり、本当にお忙しい方だ』
『お前たち、誰に言われた? 目的は何だ?』
『ラスケル! 副団長がご乱心のようだ。俺たちを殺すようだぞ。証拠隠滅といったところか』
姿を消していた騎士たちが次々と現れ、ガルベルトを取り囲む。
ルノは『副団長……』と哀れみの目を向け、偽りの正義を振りかざした。
『貴方は冷酷だ。血も涙もない。何の罪もない村人たちに手をかけろなんて……。こんなこと、あってはならない。もう貴方にはついていけない。これより、獣王騎士団の誇りにかけて正義の鉄槌を下す。村人たちよ、すまなかった。我ら騎士団は貴方たちの味方だ。この男を裁き、全てを終わらせる』
『ル、ルノ……』
ガルベルトは言葉を忘れてしまった。何がどうなってこうなっているのか。
幼馴染であり、長年の相棒であったルノ。
彼の裏切りに、ガルベルトはただ困惑し立ち尽くすのみであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます