第25話 讐撃のルーチェリア

 ── ルーチェリア 対 ロドリゴ ──


 「くそぉ~、何なのだ。どうしてこのワシがあんなゴミ屑に。そもそも守りが手薄なのだ。このワシを守るための駒が、まったく足りぬではないか……」

 

 不満を垂れ流しながら、歩みを進めるロドリゴ。

 走るわけでもなく、ただただゆっくりと歩き、獣王騎士団の元へと向かっていた。


 そんな愚かな男に、ルーチェリアは難なく追いつき、迷いなく魔法を発動した。

 

 「水の息吹よ、彼の者を水の流れに封じよ、 水麗流障ウォーターフロー


 ロドリゴの足元を「ビュンッ」と凍てつく冷風が吹き抜けた。


 現れたのは水の領域フィールド

 そこから浮かび上がる無数の水滴が周囲を満たし、ロドリゴは「なんなのだこれは、ワシの靴がビショビショではないか!」と憤慨する。


 その間、魔法は止むことなく水滴を連ね、いくつもの大きな水の環を生み出していく。


 「お、お前! お前の仕業かあ!」とようやく気づいたロドリゴが、ルーチェリアを指差し、足をバシャバシャと踏み鳴らす。


 「ロドリゴ、貴方を決して逃がさない!」


 彼女がロドリゴに目を細めると、回転する水の環は次々とロドリゴに被さり、水の牢獄へと姿を変えた。


 水壁の向こう側。ロドリゴは手に持つ杖で水の内壁を叩き、奥歯をギリッと噛み締めてこちらを睨む。


 ルーチェリアは「ふう」と嘆息し、額に光る汗を手の甲で拭った。


 (後はこのまま、ガルベルトさんやハルセが来るのを待っていれば……でも……)


 彼女の脳裏にある当初の作戦。彼らからこうするように言われていたし、ルーチェリア自身もそのつもりでいた。


 しかし状況は、嵐の前の空のように刻一刻と変わっていく。


 ハルセはニコに、ガルベルトは獣王騎士団に、それぞれが阻まれている現実。


 任せきりでいいのか、頼りきりでいいのか、私は待つことしかできないのかと、彼女の心は揺れ動いていた。それに堪えたる悲哀も。


 ルーチェリアは唇を結び、眉間に険しさを寄せた。

 迷いを断ち切り、「私がこの手で……」と刀を持つ手に目を落とし、決意を固めた。


 抑えきれないこの衝動──何故ならこの男、ロドリゴは、ルーチェリアにとってのであるからだ。


 故郷を焼き払い、町のみんなを惨殺した諸悪の根源。


 皆の笑いが断末の叫びに染まった日。お父さんが殺された日。そしてお母さんが殺されたあの日のことも、彼女は一日たりとも忘れたことはなかった。


 きっと、ガルベルトさんもハルセも私に手を汚させないように、止めは自分たちが刺すと言ってくれたのだろう──ルーチェリアはそう思う。


 彼女自身を想っての申し出に、嬉しさがないわけじゃない。でも、ダメだと思った。


 (このままじゃ、私……もう誰にも大切な人を、帰る場所を奪われたくない……)


 そのためにはどうすれば? このままでは同じことの繰り返し。またいつか失くしてしまう。

 

 「この手にあるものを零さないためには、私の手を真っ赤に染めなければ……」とルーチェリアは自らの深層へと向き合う。


 目を閉じれば鮮明に蘇るあの日の記憶。虐げられる側、守られる側。それらは全て、現在いまの彼女の写し鏡。


 ロドリゴをこの手で葬り、過去にけじめをつけることこそが、自らの未来を切り開く、守り抜くための鍵になる。


 何もできなかった、無力な自分との決別──。


 ルーチェリアが胸のうちに秘めた弱々しい炎は今、猛る炎へと生まれ変わる。

 

 (ロドリゴ……私が貴方を、殺す)


 回転する水の檻。彼女は冷徹な眼で片手を翳し、「水閉クローザー」と静かに発した。


 「これで終わり。水流にもがき苦しみ、そして絶命なさい……」

 

 属性開放によって檻の内部すらも激流と化し、全てを飲みこみ目の前から消え去ったルーチェリアの魔法。


 ──だが、神の悪戯なのか。彼女の見つめる先に、仇の亡骸はなかった。


 水に散ったはずのロドリゴは、その牢獄を逃れ、ルーチェリアの背後に立っていたのだ。


 これまでの彼女であれば、慌てふためく場面があったのかもしれない。けれども彼女は、怜悧冷徹な眼差しを背けることなく、「往生際が悪いですね」と言葉を置いた。

 

 傲慢な顎を突き出し、ルーチェリアを下眼に見つめ、


 「ふう~、危ない危ない。獣人のお嬢さん、悪いねえ。私は閉所は大の苦手でね。ああ、よく見ればじゃないか。ようやくワシの下へ戻る気になったか? よいか? 今なら大目にみてやろう。恩を仇で返すなど、もうやめにしないか?」


 と、ロドリゴは自慢のちょび髭を捻じりながら語りかける。


 対するルーチェリアは刀を両手で握りしめ、噛み締めた歯が擦り切れるほどの怒りを覚えた。


 「何が恩か! 貴方は私から両親だけでなく、故郷も自由も尊厳も何もかも奪った。多くの獣人を虫けらのように殺した! 私は許さない。私の両親もきっと、の死を願っている。絶対に許さない!」


 彼女の叫びを意に介さず、ロドリゴは「はあ? 何のことだあ?」と恍け、話を続けた。


 「言いがかりも大概にしてほしいものだ。これだから獣人という種族は油断ならぬ。よいか? お前の親など見たことも、聞いたこともないわ。それよりも、さっさとワシの下へ跪き詫びろ、獣風情が!」


 この男、ロドリゴ=ガレシアという人物は、人を嘲笑いこけ下ろす天才なのか?


 ルーチェリアの眉間に刻まれた皺はさらに険しくうねり、目は猛獣のように鋭さを増した。


 彼女はここまで、故郷や両親の仇がロドリゴであることをハルセたちには明かしてこなかった。


 それでも、彼らも薄々は勘づいているだろう。

 獣王騎士団とガレシア商会には繋がりがあり、大きな戦争を起こそうとしている。


 今にして思えば、私の故郷もその火種に利用されたのだろうと、ルーチェリアは確信していた。


 父親は目の前で惨殺され、その後、ルーチェリアと母親はガレシア商会に身請けされることとなった。


 そしてあの日、全てを知った。


 ……

 ………

 …………


 王都リゼリア商業街の一角。ガレシア邸宅内に併設されている一際大きな建物こそが、商会の捕虜収容施設と呼ばれる場所。

 

 その外観は大見栄を張るロドリゴの性根が表れており、いたるところに豪奢な装飾がなされ、隣接する私邸と比べても何ら遜色はない。


 到底、収容施設とは思えない見た目に反し、その内部は大きく異なる。


 というのも、三階建ての大きな施設でありながらも捕虜の生活区はそこにはない。


 日々彼らが帰る場所は、陽の光すら届かず、人間様の足下に平伏せと無言の圧力に埋もれた場所──施設一階からさらに階段を下り、地下でひっそりと口を開ける魔鋼の檻の中だ。


 天井に揺れるランタンの薄明かりを浴びた数えきれないほどの檻が闇に浮かび、捕虜であるルーチェリアと母親も、人一人しか入れないほどの環境下で二人肌を寄せ合い過ごしていた。


 凍寒の檻が肌を震わせ、吐く息は白く手のひらを包んだ。

 寒さを凌ぐ毛布一つすら与えられず、檻の中で息絶えた捕虜も決して少なくはなかった。

 

 そんな施設内では、原則、檻から出ることは許されない。それどころか、上にあがるのは仕事が課された場合のみ。何もなければ、この薄暗い牢獄の中で一日が終わりゆく。


 ルーチェリアも多くを地下で過ごし、配達や仕分けなどの仕事があるときだけ、陽の光を浴びることができた。


 しかし、彼女の母親だけは違っていた。

 ここへ収容されてからというもの、昼間の作業ではなく夜な夜な2階へと呼びつけられていた。


 1階しか知らないルーチェリアにとって、2階は未知でしかなく、『いつも何をしてるんだろう』と幼心に胸を痛めていた。 


 彼女が思い切って訊いてみた日も、『大丈夫よ』とだけしか答えてはくれなかったが、ある時、その言葉が偽りへと変わった。


 ガンッと檻へ体をぶつけながら、凭れるように蹲った母親。血が滲む脇腹を押さえ、『ふう~ふう~』と必死に呼吸を整えている。


 ルーチェリアは『お母さん?!』と慌てて駆け寄り、自分の着ている服の袖を破り、真っ赤に染まった傷口へと押し当てた。


 『な、何なの? お母さん、誰にやられたの? 血が、血が止まらないよ』


 言葉を震わせる彼女に対し、母親は『っく』と歯を食いしばった苦悶の口元を緩め、


 『ルーチェリア、大丈夫、大丈夫よ……。明日には元気になるから、ね? でも、聞いて欲しいことがあるの』


 と続けた。

  

 『いい? 貴方は折を見て逃げなさい。あの男のいいなりになっては駄目……。お願い、約束してくれる?』


 母親はゆっくりと体を起こし、ルーチェリアの両肩を優しくさすりながら、説得するように目と目を合わせた。


 今までどんなに辛くとも、『必ず故郷へ戻れるから』と言い続けていた彼女が微笑みを浮かべて、ルーチェリアを諭した。


 一方ルーチェリアは『いや』と顔を横に振り、


 『お母さんを置いて逃げるなんてできない。逃げるんなら一緒、一緒じゃなきゃヤダ』


 と、母の願いに切り返した。


 母親は『まったく、甘えんぼさんね』とため息をついた。


 傷口を抑えたまま母の胸に顔を埋めたルーチェリアを、彼女は両手でギュッと抱きしめた。


 『お母さんの怪我が治るまで、私も一緒にいる。一人じゃ嫌』


 『もう、分かった……分かったわよ。じゃあ明日、一緒に行きましょう。お母さんの傷、見た目より浅いから心配しなくて大丈夫なのよ。さあ、今日は早めに休みましょう』



 ──そう、言ってくれたのに……。

 


 翌朝、母親はルーチェリアを抱きしめたまま氷のように冷たくなっていた。 


 『お、おかあ、さん?』


 ルーチェリアが体を起こすと、彼女の手がまるで人形のように肩からストンと床に落ちた。


 『あ、れ? な、なんで? どうして? お母さん、起きてよ。お願い、起きて……』


 母親の体を揺らし、何度もお願いした。それでももう動いてはくれなかった。ただ冷たくて、笑いかけてもくれない。


 『は、はっ、あ、あああ……』


 嘆く言葉すらも見つからない。

 ガラガラと音を立てて、彼女の心の支柱は脆くも崩れ去ってしまった。


 父親を奪われ、世界でただ一人の肉親となった母親の命すらも、ルーチェリアの手から零れ落ちてしまったのだ。


 『み、みんな、皆いなくなっちゃった……何もなくなっちゃった……誰も、私の傍には居てくれないんだ……』


 ルーチェリアの瞳に残った僅かな光は、この瞬間、闇に閉じた。


 そんな最中、『ふう、やっぱりダメだったかあ』と彼女たちの檻へ顔を覗かせたロドリゴ。母親の足を鷲掴みし、引きずり出すようにルーチェリアの手から引き離した。


 彼女は目尻を吊り上げ、『お母さんを返せ!』と亡骸にしがみつくが、ロドリゴは何度もその顔を蹴りつけ、檻の中へと押し戻した。


 『ふん、邪魔をするでないわ』と唾を吐き、そのまま階段をのぼっていく。




 その夜、ルーチェリアは母の連れ去られた痕跡を辿った。


 いつもなら、夜間は上の階への扉には鍵がかけられているが、この日はロドリゴも慌てていたのか開錠されたままだった。


 見つかれば拷問。だが、ルーチェリアはどうしても母親の傍に寄り添っていたかった。こんな場所から自由な外へと連れ出したかった。せめて弔いたかった。


 彼女は『クンクン』と鼻を利かせ、息を殺して足を忍ばせた。


 そうして踏み入った、血の匂いが続く施設2階。

 整然と並ぶいくつもの作業机がフロア中央に並べられ、その両脇を小部屋が奥までひしめきあっていた。

 

 『あの扉、お母さんの匂いがする……』


 その一つ、重厚でひときわ豪奢な木製扉がルーチェリアの目にとまった。


 ゆっくりと近づき、彼女が扉の把手に手を伸ばしたそのとき、『ニコ』と呼ぶロドリゴの声がその奥から響いてきた。


 ルーチェリアは体をビクッとさせて手を止めると、その声に恐る恐る耳を傾けた。


 『ちゃんとやれたか? 後片付けだけはしっかり抜かりなくな。ワシは綺麗好きなのだ』


 『ああもちろんだあ。ちゃあんと、綺麗さっぱり灰にして流してやったからなあ。にしてもだあ、綺麗好きねえ~。あれだけ毎晩いい思いしときながらよお、ほんの少し反抗しただけで用済みとか、性根は俺より汚れてるぜえ?』


 『何を言うか、獣風情をワシがどう扱おうと構わぬであろうが。最後は跡形もなく灰となるだけだ。まあ、獣人にしてはいい女だった。もう少し生かしておいてもよかったが、ワシに逆らった罰だな』


 『そりゃあ最後に手を汚すのは俺だし、人間の女と遊ぶよりはリスクはねぇからなあ。しかしよお、あの町の獣人、結構色っぽいのいたじゃねぇかあ。斬り捨てちまって勿体ねぇことしたなあ』


 『まあ、よいではないか。獣人の女など腐るほどいる。いつでも喰い放題ではないか』


 彼女の耳に届いた言葉は、到底人とは思えぬほどの悍ましいものだった。


 己の快楽に溺れる人間の傲慢さ。愚行を地で行く人間が扉一枚を隔てて存在していることへの嫌悪。


 『こんなのが、人間……』と、握りしめたルーチェリアの手のひらは真っ黒な憎しみを帯びていた。


 扉の先にはもう、彼女の求める母親はいない。

 ルーチェリアは打ちひしがれ、その場を後にし、地下へと戻っていった。


 母親の言いつけを守らず、逃げずにとどまったのは、少しでも母の匂い形見が残るこの場所にいたかったから。


 この中にいれば、お母さんが私を抱きしめてくれる──そう、ルーチェリアの心は縋っていた。


 夜が明けても、彼女の憎しみが消えることはない。

 日々、反抗すれば鞭を打たれ、癒せぬ痛みに悶え続けた。ただただ無力。属性力の抑制錠によって、魔法ひとつ使えない。抵抗どころか体を癒す術すらも奪われていた。


 それに唯一の心の拠り所であった母親の匂いすらも、次第に薄れ、消えていった。

 

 (ねえ、お母さん、お父さん……わたし、どうすればいいの?)


 ルーチェリアの心は折れ始めた。

 全てを失い、そのうえ奪った者の下で生かされ続ける、これのどこに希望が持てると言うのか。


 ここから逃げることも、両親や故郷の仇をとることすらもできるわけがない。私は獣人で捕虜、全ての人間が敵視する、誰も助けてなんてくれない。もういっそこのまま命を断ったほうが、お父さんとお母さんの傍に──などといつしか絶望が心を蝕んでいた。

 

 そんなときだった。命の淵に佇む彼女の手をとり引き留めてくれた一人の人間が現れた。


 彼こそが、ハルセだった。


 思いがけない出会い。お母さんが私を逃がすために彼を導いてくれたのだと、ルーチェリアにはそう思えてしかたなかった。

 

 ハルセとガルベルト。彼らはこんな私に一緒に暮らそうといってくれた。心の底から嬉しかった。蔑みに擦り切れた心があの日を境にして、少しずつ温かさに満たされていくのが自分でもわかる、とルーチェリアは胸に手をあて静かに頷く。

 

 それでも両親のこと、故郷のことを忘れたことなんて一度もない。そこに眠る憎しみだって失われたわけじゃない。ときに挫けそうなときも感情を抑え、二人の前では強がっていた。


 この際、馴れ馴れしいと思われてもいい。変なヤツだと思われてもいい。彼らの前では笑顔で元気印のままでいよう。


 ……

 ………

 …………


 忘れることなく胸の内に秘めたる思い、復讐心。

 彼らには迷惑をかけたくない。私は折を見てここから居なくなる──ルーチェリアは頭の片隅に、いつも本心だけは残していた。


 けれど、ハルセたちと過ごす穏やかな日々の中、復讐の影は息を潜め、いつしか今を守りたい気持ちへと傾きだしていた。


 あれだけ仇をとると願っていたはずが薄情者だな、と彼女は「ふう」と嘆息する。


 「でも、もう逃げない。私はあなたの元へ帰るために戦う。けじめをつけて心ごと帰るの。待ってて、ハルセ」

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