第23話 戦いの火蓋

 「……」


 俺とガルは言葉を返すことなく、武器を構える。

 風が砂を運び、まるで蜃気楼のように目の前の風殺のリドルこと、ニコの姿を覆い揺らがせる。


 地属性魔法、大地封鎖アースチェーンシール──俺が身につけた唯一の中域魔法で一気に方をつけるつもりだったのだが、あえなく失敗。しかし、まだ中にはロドリゴがいるはず。


 (どうする……このまま壁を維持したまま戦うか、それとも解放して、ガルと手分けして探すか)


 俺の生み出した大地の檻はこのままの効力を保つことが可能だ。でもそれには、常に意識を檻にも向けておく必要がある。


 魔法を維持する間も当然属性力は消耗するし、今の俺では他の魔法を同時に使うことも難しい。


 こんな時に、ガルやルーチェリアのように斧や刀といった武器があれば──などとぼやいていても仕方がない。


 俺の武器は革製手袋レザーグローブだ。この拳で戦うにしても、大地拳アースフィストを纏わなければ心もとない。俺の自力の拳など、まだまだ非力そのものだ。


 しかし、宙を駆けるあの能力は何なのか?── 俺がニコの足元を注視していると、「おう? これが気になるのかあ?」としたり顔でのってくる。


 「しゃあない、教えてやるよお。俺は優しいからなあ。これはなあ、靴底に風の魔法石を装着してんだよお。詠唱して魔法? そんな古典的な戦い方なんて俺はしねえ。使える力を取捨選択する。それがプロの仕事だからなあ。ま、詳しく教えたところでお前らは死ぬけどなあ」


 親指から人差し指、そして中指となぞるように自らの指先を舐め、愉悦に浸った眼差しでベラベラと喋りだすニコ。彼の話はさらに続いた。

 

 「そういえばお前、何属性だあ? 土や岩を使うたあ面白い能力だなあ。だが残念だあ。俺には通じねえ。それに、あれだけの魔法だあ。このまま魔法を維持したまま、俺と戦えるだけの力があんのかあ? 戦いは美味でなければいけねえ。つまらねえ戦いほど、マズいもんはないからなあ」


 ニコには俺の心が読めるのだろうか? ヤツに言われなくても、そんなことは分かっている。だが、中にいるロドリゴを逃がすわけにもいかない。


 俺が「くっ」と前歯を噛み、悔しさを滲ませニコを睨むと、ガルが「ハルセ殿」と肩に手をのせた。


 「相手の口車に乗るでない。いいか? ヤツの相手は私がする。貴殿はロドリゴを何としても見つけだすのだ」


 彼はそう告げ、俺の肩をポンと押して距離を置くと、「ビオオオオー」っと大気が震えるほどの咆哮をあげた──と同時に、周囲に風が吹き荒れた。


 圧倒的だ。これまでみたことがない。いつにも増して鋭い視線と口から覗く白い牙は、まるで猛獣の如き畏怖を与え、ニコの顔から余裕の二文字を瞬く間に奪い去った。あの優しいガルが、今はとてつもなく恐ろしい。


 「わ、分かった! ガルベルトさん、ここを頼む」

 

 俺がこの場を託し、後ろを向いた次の瞬間──なぜか眼前にニコの顔が飛び込んできた。

 

 「お前、逃げんのかあ? いい子はそのままにしとけよなあ。綺麗に喉を裂けねぇだろうがあ?」


 首元に冷たさを覚え、俺はゆっくりと視線を落とす。深緑に揺らぐ短刀ダガーが、俺の首筋には添えられていた。


 俺は死を感じた。身体中の血液が足元へ全て流れ落ちるかのように、これまで感じたことのない恐れが、俺の体を磔にした。意識が朦朧とする。俺が俺じゃなくなる。終わる。


 そう諦めかけた直後、後ろから何かに掴まれたかのように、その場から勢いよくはねのけられた。


 ガルが後ろから襟元を掴み、ニコの手から俺の体を引き離したのだ。


 「ガギャン」と凄まじい金属音を鳴らし、ガルの黒斧がニコの短刀を弾き飛ばした。


 「おっと、貴様の相手は私だろ? ハルセ殿、頼んだぞ!」


 諦念を断ち切るガルの声と期待の眼差し。俺は「頼むって……何を?」と一瞬分からなくなったが、目に映るガルとニコの姿によって、状況がフラッシュバックした。


 (──そうだ! ロドリゴ!)


 失いかけた光が、俺の目に再び宿った。完全に戦意を喪失していた、何もかも諦めてしまっていた。意識すらも飛びかけた感覚を思い出し、俺は拳を握り、「これが戦場か」と体を震わせた。


 怖くて当たり前だ。恐れを恥じる必要はない。乗り越えるんだ、俺なんかよりルーチェリアはもっと怖いはずなんだ──と俺は自らを鼓舞し、ガルを背にして走り出した。


 ルーチェリアを守る、ガルを守る。そのためにまずは動け。

 

 俺の中で何かが吹っ切れ、「奪われてたまるかぁー!」と腹の底から虚空へ叫んだ。


 仲間の敵は俺の敵。全てを叩き潰して前に進む。俺の大切なものは、誰にも奪わせない。


 

 ◇◆◇



 ── ガルベルト 対 ニコ ──


 「悪いが、ここを通すわけには行かぬ。それと生憎だが、貴様には死んでもらうとする」


 「はあ? 仲間を庇う友情ごっこでもしてんのかあ? 熱いねえ、熱すぎだなあ。ほ~んと、なんつうかさあ、いちいち、いちいち癪に障るんだよなあ。しゃあねぇなあ。まずはお前の首で綺麗な噴水あげてやるよ」


 短刀の刃をペロリとひと舐め。ニコが狂ったように目を見開き、一足飛びで距離を詰めると、横一閃に短刀を振るった。

 

 対するガルベルトは咄嗟に斧の柄を短く握り、横に靡く短刀の上に斬撃を重ねて叩き落とした。


 「ぐあっ」と呻いたニコは前のめりに体勢を崩し、ガルベルトは黒斧の柄先をその背へと叩きこんだ。


 「ぐぅおはああ!」


 悲痛を撒き散らし、地べたで嗚咽を漏らすニコ。

 斧の柄先で背中を押さえ、「ふん」と鼻を鳴らしたガルベルトは、ニコを見下ろし問いかける。

 

 「貴様こそ、一々癪に障る。まったく昔から変わらぬ。なあ、ニコよ。私の名を覚えてはおらぬのか?」



 ◇◆◇



 大地の檻を前に、俺はその壁の一部を瞬間的に解除し中へと踏み入った。

 

 壁を抜けると、辺り一面に物が散乱し、そこにいる全ての自由を奪っていた。


 「くっ、だ、誰だお前は! いやまあいい、これを外してくれ。礼は弾むぞ」


 盗賊の一人が「頼む」とせがんでくるが、俺はそれを相手にはしない。


 彼は石の鎖から逃れようと必死に体をねじり、手足の錠を解こうとするが、その度に「ギシッ」と鎖が張り、痛みに顔をしかめていた。

 

 ほかにも数名の盗賊が石の鎖で宙づりに、また荷馬車も同様に四隅を壁に固定されていた。


 うち1台は転倒。馬たちは怖かったのか壁の端に固まって「ブールルゥー」と体を振るい、こちらを警戒している。

 

 俺は「大丈夫」と優しく声をかけつつ、「お前たちは外で待ってな。危ないから街道から離れるなよ」と壁の外へと放した。


 「さて、と。これで気兼ねなく戦えるな」


 俺は二台の荷馬車を流眄りゅうべんし、考えた。

 これは敵を捕まえるための作戦ではない──そう、ただ仕留めればいいだけのことだ。わざわざ接近して相手に不意打ちの機会を与える必要もない。要はこのまま距離を取ったまま殺ることが、もっとも安全かつ合理的な戦術。


 ルーチェリアとの試合を経て、俺はそこからさらに修練を重ねた。


 一つの魔法につき、複数の属性開放の習得。属性開放は一つの魔法につき一つしか生み出すことができないのが常識だったようだが、俺はそれを打ち破った。


 それに、属性開放は魔法を終わらせる際の一度きりの効果であり、発動後は消滅するだけ。でも、俺の場合は違う。


 この壁の中に入ったとき、馬たちを外へ逃がしたとき、壁を部分的に消し、出入りを可能にしたこの技も、無論、属性開放に値する。それにもかかわず、大地の檻は消えることなく今もなお残り続けている。


 ここから俺は、二つ目の属性開放を発動する。まさに真骨頂だ。


 俺は両腕を交差クロスさせ、「〝壊鎖ブレイク〟」と叫びながら、左右へと腕を開いた。

 

 壁全体からミシミシと軋む音が広がり始める。石の鎖は俺の声に共鳴し、徐々にテンションがかかりはじめた。


 ミシミシがギシギシと破壊の変調を告げ、「うおおぉああぁお、や、やはめ、て、お、ふぁ──」などと言葉になりきれない悲鳴じみた叫びも、軋みの中に混じりあう。


 「あ……」と俺は声を漏らす。

 荷馬車を狙ったつもりが、宙づりの盗賊たちまでもが引っ張られている。


 「まあ、これは命懸けの戦いだし、仕方ないか」と、俺の感情は意外にもあっさり、彼らの命を切って捨てた。


 ついさっきまで戦意喪失していたはずの俺が、今となっては目の前で盗賊どもの四肢が引き裂かれ、絶命するのを見ていても何とも思わない。いたって冷静だ。


 人間、一度絶望の淵に立ち、そこから這い上がると、精神にまで影響を及ぼすのだろうか? これがいいことか悪いことかはわからない。


 今はただ敵を滅す、その意志だけが俺を奮い立たせている。


 バキバキと荷馬車が破壊され、目の前は塵芥と化した。生者の声も音を失い、その姿は瓦礫の下に埋もれたようだ。血痕はあれど、そこまでエグイ状態ではない。


 見る影もなく散った荷馬車の残骸を、俺は一つ一つ退けながら、ロドリゴの死体を探し始めた。


 この状況で生き残っているわけがない。


 そこからしばらく、俺はひたすら瓦礫を捲る。しかし、いない。捲れど捲れど標的であるロドリゴの姿がない。乗っていたはずの荷馬車の下に、ヤツの痕跡はどこにもなかった。


 「なぜだ? 衝撃で吹き飛んだのか? 木っ端みじんに?」


 俺は範囲を広げて檻全体を探すが、物資の残骸と盗賊どもの肉塊が砂にまみれて出てくるのみ。

 

 「まさか、囮か?」と嫌な予感が頭をよぎるが、仮にそうであれば、リオハルトから何かしらの知らせが届くはずだ。


 このままではマズい。俺は一刻も早くこのことをガルに知らせるため、大地の檻を解除し道を開いた。

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