第19話 王都連行
「ほ~ら、ガルベルトさん。これ見てよ」
「ビ、ビハッ?!」
俺が手に持っているのは、この世界での猫じゃらし、フール草。
ガルの目の前で大きく左右に振ると、彼はたまらず、「ビハァ~」と甘ったるく飛びつく。
時に激しく、時に小刻み揺れるフール草に、体をくねらせ擦り寄っている。
俺はその様子に、片方の唇の端をニタリと吊り上げ、「ふっ、逆らえぬ、猫科の性か」と一人ごちる。
これは秘密裏にルーチェリアと特訓をしていたことへの報復だ。
(さあ見るがいい、ルーチェリアよ。この愛くるしい、ガルの姿を……)
まだ眠たげな瞼をこすり、俺と「おはよう」と言い交わした彼女は、目の前でガルが戯れているにも関わらず、平然とお湯を沸かし始めた。
「ハルセも飲む? エルリンド茶沸かすけど」
「エ、エル……?」
俺はルーチェリアの尋ねに、ある種の戸惑いを覚えた。他に何かいうことはないのかと。すごいものが今まさに、転がっているでしょうと。
「ルーチェリア……あのさ、今の状況、見えてる?」
「え? 何が? あ、おはよう、ガルベルトさん」
彼女は俺をちらりと見ると、そのまま、床に転がるガルにこともあろうに、挨拶を投げかけた。
(ち、ちがーう! この状況で普通に
ルーチェリアの変わりない態度に、俺は驚愕した。開いた口が塞がらなかった。
ただただ口をあんぐりと開き、ポカンとする俺を目に、ルーチェリアは不思議そうに小首を傾げた。
「うん? どうしたの? 私の顔に何かついてる? さて、と、朝食の準備しなくちゃ。ガルベルトさん、今日は当番ですよ?」
彼女の話など、ガルはまったく意に介さなかった。フール草に頬をすりつけ、いまだにゴロゴロ床を這いずる。
ルーチェリアは眉をひそめ、俺に対して小言を言った。
「ハルセ、そろそろ止めてあげて。ご飯の準備ができないよ」
俺は「ああ……」と一言、フール草を振る手をとめた。今日は機嫌でも悪いのだろうか? 彼女の目がどこか冷たい。
その直後、足元でゴロニャンしていたガルが、「ハッ?!」と正気を取り戻した。何事もなかったかのように立ち上がり、体についた埃を払う素振りをみせる。
彼は「ゴホン!」と咳ばらいを入れつつ腕を組み、顎を引いて俺を睨む。
「ハルセ殿、こういうのは良くない。急にフール草など、断じてならぬ。私にとっては禁忌そのものだ。いろんな意味で危険にさらされるやもしれぬのだぞ?」
ガルは不服を訴え、「ふん」と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
俺は「あれ~?」と頬を緩ませ、「集中してれば、問題ないんじゃなかったっけ~?」と、肩をおしつけ悪戯に迫る。
「う~む。そ、それはだな……まあ、あれだ。本能とでもいうのだろうな……」
ガルは頭の後ろをポリポリと掻いて歯切れの悪い受け答えをしながら、トボトボと台所へと向かっていった。
朝食の時間──俺たちはガルが見せたあられもない姿を振り返り、談笑していた。
「それでさ、ルーチェリア。あの後さ──」
「ええい、もうよいではないか! なにをいつまでも話す必要があるのだ」
「ハハハッ。でもあれって、子供のあやしに使うものって自分で言ってたじゃん。なのに、大の大人が普通にじゃれつくんだもんなあ~そりゃあ、笑うよ」
俺に続き、ルーチェリアも「フフッ」と鼻で笑う。ガルは恥ずかし気に食器をテーブルの隅に寄せ、大きな口でチビチビとサラダを食んだ。
獣人には個人差があれど、物と戯れる習性がある。幼い頃はフール草が主流のようだが、嗜好は徐々に違いがでてくるとのことだ。ガルの場合はそれがフール草のまま変わらなかったというだけ。
言われてみれば確かに、ルーチェリアもボール遊びが大好きだった。ほんの数か月前までは、修練後に一緒によく遊んでいたのが記憶に新しい。
俺は彼女に、「久しぶりにボール遊びでもするか?」と話を振ってみたが、彼女は「えー!」と眉尻をヘの字に下げて、嫌な顔をした。
「子供の頃ならともかくさ、今はダメかな……だって、そんな淫らな姿、ハルセには見られたくないよお」
「いや、言い方!」と、彼女の淫靡な返事に、逆に俺のほうが困惑した。
朝の歓談と食事を終えた俺たちは、いつも通りに後片づけに入る。だがそのとき、ガルは急に声を重たくし、俺に「明かりを消せ」と静かに告げた。
俺は言われるがままに急いで明かりを消し、壁際に身を寄せる二人の傍へと駆け寄った。
日の出前の薄暗い早朝。「パカラッ、パカラッ」と馬の足音が大きくなる。漏れる吐息、何者かの気配が家の周囲を取り囲んでいる。
そして静けさを打ち破る、女の声が響き渡った。
「聞け! ガルベルト=ジークウッド! 我はアズールバル王国騎士団団長、メリッサ=ジノワールである。我が主君の命により、その身柄を連行する。罪状は捕虜強奪罪! ほか共犯とされる者1名、捕虜ルーチェリア=シアノ、両名についても連行対象である。ここは完全に包囲した。抵抗は無駄だ。大人しくしていれば危害は加えない。直ちに投降せよ」
罪状と俺たちの名が叫ばれ、「ガシャッ」と金属が擦れる音を鳴らして、一人の女が馬を降りた。
ガルは窓から探り見た姿に、「ふぅ」っと溜息をついた。
「槍聖メリッサとはな。まさか自ら出向いてくるとは……。しかし、いかにして私の関与を知り得たのか──まあよい。さて、二人ともよく聞け。この場は大人しく軍門に下るぞ。さすがに逃げ切るのは困難だ。特に、メリッサ……彼の者が相手では分が悪い」
「で、でも軍門に下るって……」
彼の声に、俺は眉を顰めて俯いた。ガルは俺の肩に手をのせると、
「ビハッ。何を怖じ気づいておるのだ、ハルセ殿。案ずるな、私がついておる。貴殿らのことは必ず守る」
と、自慢の牙を覗かせた。
俺は静かに頷き、「わ、分かったよ、ガルベルトさん」と応じた。一方ルーチェリアは、両手のひらを合わせて握り、祈る様に願い出た。
「ガルベルトさん……私のせいよね、きっと。ハルセもごめんね。私が出て、話をしてくる──」
虚ろいだ彼女の瞳に、「それは違う」と真剣な眼差しの俺が映る。
「ルーチェリアのせいじゃない! 奴隷みたいに扱い、殺してもいいようなことを言っていた、アイツが悪いんだ!」
「ハルセ殿のいうとおりだ、ルーチェリア殿に責はない」
「で、でも、わたし……」
俺はルーチェリアの目を見て「大丈夫」と伝え、彼女の肩を軽くポンポンと叩いた。
「よし。では、貴殿たちいくぞ」
ガルに従い、俺たちは大人しく投降する。
争いの意思がないことを示すため、両手を見える位置に、ゆっくりと扉を開いた。
すると同時に「ジャキッ」と鋭利に響いた音が、澄んだ空気を切り裂いた。鉄の鞘から抜かれた銀色の刃が、一斉にこちらに向けて翳される。
俺はゴクリと生唾を飲みこんだ。
(これが、王国騎士団か……)
ネズミ一匹たりとも逃さない。一部の隙も見せない雄々したる光景からは壮麗さすらも感じられ、中でも際立った存在が、俺の目を釘付けにした。
彼らの中央に佇む一人の女騎士。ガルが口にした、騎士団団長メリッサの姿に。
女性ながらに圧倒的なまでの威圧感、そして肌を打つ不思議な感覚。大気が震えているのか、それとも俺の肌がひりついているのか。
でも、気のせいだろうか? ルーチェリアを見て、少し微笑んだようにも見えた。
「直ちに膝をつけ! さっさとお前たちの属性を見せるんだ!」
と、そこへ一人の騎士が近づき、険しい眉間の皺をくねらせ睨みつけた。
俺たちは無言のまま指示どおりに、各々の属性を示した。
「風に、水か。これより、お前たちの属性を一時封じさせてもらう。片手を前に出せ」
騎士はそう告げると、属性ごとの錠をかけ始めた。
しかし、俺に順番が回ってくると、何故か腹を抱えて笑いだした。
「ブゥワッハハハハ! お前、地属性って
笑いが止まらない。彼に釣られるように、周囲の騎士たちからも嘲笑うように失笑が聞こえる。
(ったく、馬鹿にしやがって……)
「ガチャッ」と鈍い音が俺の腕を足元で鳴る。俺だけが抑制錠ではなく、ありきたりな鉄製の錠。しかも両手両足。
足元だけは錠を繋ぐ鎖も長く、歩く分には支障はないがただただ重い。俺の場合、属性そのものではなく、行動を封じられたというわけだ。
その後、錠をつけられた俺たちは一台の馬車へと乗せられた。
◇◆◇
俺たちを乗せた馬車が、城門前へと辿り着いた。
メリッサの呼び掛けに応じ、開かれた大扉の先には、真っ白な石畳が続いていた。
「おい、来たぞ!」
「あいつらか? 顔をよく見せろ!」
道の両端には多くの人々が集まっていた。騒動を聞きつけ集まった野次馬の声が、喧騒となって辺りを包む。
俺たちの乗る馬車は幌があるだけの簡素なもの。遮るものはなく、ただただその波に飲まれていた。
(これは見せしめか何かか? まるで極悪人だな……)
浴びせられる罵声を脱ぎ去り、ようやく城の前へと到着した。
「さっさと降りろ!」と騎士に叱責され、馬車を降りた俺たちは城の入口へと歩いていく。
連行した騎士が、入口にいた別の騎士へと身柄を引き渡す。引き継いだ騎士は「これでよし、ついて来い」と、錠に紐を結び、引っ張るように前へ進む。
こうして俺たちが辿り着いた場所は、謁見の間と呼ばれる場所だった。
この国の王と話をするのだろうか? すでに罪人扱いだ、まともに話を聞いてもらえるとは思えないが──俺は首を傾げて黙考した。
(いきなり死刑とか、さすがにそれは……ないよな?)
押し寄せる不安な気持ちをよそに、重厚な鉄の扉が開かれ、後から来たメリッサが先陣を切って中へ踏み入る。
「団長メリッサ=ジノワール、王命による三名、ただいま連行いたしました」と、彼女が宣言し、ガル、俺、ルーチェリアの順で後に続く。
正面の玉座に鎮座するは、この国の王。その隣では、剣士らしき男が目を光らせていた。
メリッサも「ガチッ、ガチッ」と鎧を鳴らし、王の隣へと並び立つと、怜悧な目をこちらに向けた。
(この人が王──思っていたよりも若い感じか……)
銀髪に顎髭、見た目の印象は厳格からはほど遠い印象を受けた。体は戦士のようにガッシリとしていて、芯のある目と言ったらいいのか──こちらの考えを見透かされそうな目力に押され、俺はそっと視線を逸らした。
「私はこの国の王、アハド=アズール。先ずは名を申せ」
「陛下、私はガルベルト=ジークウッドと申します」
「ふん、久しいな、ガルベルト。かれこれいつ以来だ? 幾度もお前とは刃を交えたものだな」
「陛下、私は……」
「悪いが、昔話はまた別の機会だ。今回は別件なのでな」
どこか親し気な王とガルの話に、俺は「ん?」と首を捻った。
(ガルは王と顔見知りなのか? 刃を交えたって、一体どういう関係なんだ?)
疑問に満ちた俺の視線に、王の眼差しが重なる。
「少年よ、お前は?」
「は、はい! ハルセ=セノです」
俺の少し上擦った声に、王は「フッ」と鼻を鳴らす。
「そうか。少しは落ち着け。ハルセ=セノか。変わった名だな、どこの生まれだ?」
王の尋ねに、俺の心は仰け反った。
(ど、どこの生まれ? どう答えるのが正解だ?)
ここで「異世界から来ました」と本当のことを言ったところで、虚偽申告と切り捨てられ、それこそ死刑となるかもしれない。
そういえばガルと初めて会った時、ジルディールという名の町を聞いたことがあった。
俺は恐る恐る口を開いた。
「ジ、ジルディール出身です……」
「ほう、ジルディールか。ここから南方の町だったか?」
「そうです、南の町です」
「あんな遠くから何故、王都へ来たのだ?」
「し、仕事を探しに来たのですが、なかなか見つからず……」
王は俺の話に表情一つ変えず、耳を傾けていた。
上手く言い逃れできたのだろうか?──俺は不安で仕方がなかったが、王の目は隣へと流れた。
「お前が捕虜のルーチェリア=シアノだな」
「……はい」
王の声に、ルーチェリアは頷きながら、小さく返事をした。
「今日、お前たちを呼んだのは他でもない。そこに居るルーチェリア=シアノを、強奪したとの報告を受けたことによるものだ。報告はガレシア商会会長である、ロドリゴ本人によるもの。何か異議はあるか?」
罪を問い、王の目は鋭く凄んだ。
この状況で、ありのままを伝えてもいいのだろうか?──俺は拳をギュッと握りしめ、沈思した。
たとえ今、何も言わずとも、俺が彼女を連れて逃げた事実は変わらない。ただの罪人として裁かれるだけだ。それに人を人とも思わないような奴をいいようにのさばらせるだけだ。
意を決した俺は、玉座に向けた顔を上げた。王に対し「私から一つよろしいでしょうか?」と切り出して進言した。
「恐れながら、国王陛下。私の独断で彼女を連れ去りました。ガルベルトさんはそのときの状況を聞き、保護することを決断しただけです」
「ほう、ではハルセよ、何故連れ去った? その理由を聞かせてくれぬか?」
王は顎鬚をつまみ、興味深げに俺を見下ろす。俺は「それは」と続けた。
「……あのままでは、ルーチェリアが殺されてしまうと思ったからです。その男は、彼女が死んでも構わないと、何度も鞭を振るいました。捕虜だからと、命を軽んじていいものでしょうか? 私はそうは思いません。だからこそ、彼女を連れて逃げました」
俺の言葉一つ一つを見定めるように、王は耳を傾け「そうであったか」と声を陰らせた。
「確かに、お前の言う通りだ。例え獣人の捕虜と言えど、命は軽んじていいものではない。だがな、国というものには守るべき
王が定めたこの国の
難しく聞こえるが、王から指定された者が保護者の役割を果たし、王が「返せ」と言ったらすぐに返す必要がある。きっと、そういうことなのだろう。
王は一定の理解を示してくれたかのように思えた。だが、状況は一変した。
「ハルセよ、法律上、お前たちは罪となる。捕虜身請け人として認められていないにも関わらず、身請け人の元から連れ去った。与えられる罰は、〝10年〟の投獄となる──」
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