闇の断罪編
第18話 蠢く影
王都リゼリア──とある街の一角に佇む屋敷内。
「あのガキは、まだ見つからないのか?」
小太りの丸い男が、部下らしき男へ問い詰める。
自らの報告に不満を吐き出す主人に対し、男はばつの悪い顔で、頭の後ろをさすりながら訴えた。
「そうは言ってもだなあ、見ての通り王都は広いだろ? 手元にある捕虜データだけでは、時間がかかるんだよ。もう少しだけ大目に見てもらいたいものだなあ」
対する丸い男は、眉を顰めたまま落ち着きのない様で、男の前を右に左にうろちょろとしている。両手のひらをグッと握り、駄々っ子のようにブンブンと振るいつつ、男の言い訳に憤慨する。
「時間、時間、時間、ああ~! 時間だと? あれからもう半年も経つのだぞ! 一期後には、王からの召集命令がかかる。逃げられたとあっては、私の面子どころではない。お前の首も飛ぶことになるぞ!」
「ああなあ~、捕虜身請け人って面倒な制度だなあ。捕虜はこの国に帰属、いかなる場合にあっても返還できる用意が必要なんたらだったかあ? たしかに、マズいかもしれねぇなあ」
「わかっておるなら、さっさと見つけろ! どんな状態でも構わん。例え、死んでいようがいつものことだ」
◇◆◇
俺たちは変わらぬ日々を過ごしていた。
毎食後の清掃、早朝から始まる修練は軒並み辛く耐え難く、定期的な物資調達と狩り、そして休息、これら規則正しい生活の甲斐あって、生前の俺の怠惰を大いに是正していた。
先日のガルたちの陰謀を乗り切った俺は、あれからステータスの確認であったり、属性開放と呼ばれる新たな力の習得にも余念がなかった。
端的に言って属性開放とは、魔法効果を解除する際に、様々な変化を加えることができる力だ。ルーチェリアが死合の中で水を巧みに操っていたのは、まさにこの力によるものだった。
魔法は発動直後であれば、想像によって一定の操作が可能だが、大きな変化を与えることまではできなかった。たとえば俺が、
無論、壁が完成してしまえば、後は効果を持続させるか、あるいは消すかの二択でしかなかった。
だが、この属性開放を身につけさえすれば、魔法を解除する際、どのように消失させるかを意のままに操ることができる。もちろん、形そのものに干渉することも──。
大幅な戦力増強に繋がるのは言うまでもないが、習得には大きな問題も抱えている。
その主な理由は属性量。消耗する属性力自体も、これまでに比べ格段に増える。
属性量そのものの大幅増加が不可欠だ──と、ガルからも耳にタコができるほどに釘を刺されている。
必然的に、体力修練はこれまで以上に熾烈さ増した。何度死にかけたかもわからない。さらにこの力の習得難易度は高い。一時は俺の失敗で、ガルの家が吹き飛びかけた。「ビハーッ?!」と、彼の顎が外れかけるほどの窮地でもあった。
目の前の敵を相手にしながら、魔法を持続させることも難しいが、新たな想像で変化を加えることは、想定よりも困難を極めた。
あのルーチェリアも、激ヌルな修練ばかりをしていたわけではなかったのだと、その苦労が今ならよく分かる。
重ねた努力の末、俺もようやく形にはなってきた。けれど、相変わらずガルからのシゴキは辛く、「おのれ……今に見てろよ、この
ところで、今日は気分を変えて、久しぶりのお休みDAYとなっている。
俺たちは王都にある朝市へとやってきた。
(へえ~、異世界にも朝市って概念があるんだな)
俺は感慨深く、周囲を見渡した。
色とりどりの野菜や果物、そして、いつ来ても食欲そそる香ばしい肉の香り。他にも多くの商品や、行き交う人の流れで大いに賑わい、活気に満ち溢れている。
耳をうつ喧騒とどこからともなく聞こえる音楽。いつ来ても、いい光景だ。こうしてただ歩いているだけでも、どこか嬉しさすらも覚えてしまう。
前方には少し離れた場所をガルが歩き、隣を見れば、ルーチェリアが小さな歩幅で寄り添っていた。彼女がこの街に来たのは、半年以上前のあの時以来のことだった。
捕虜としてここに連れてこられ、身請け人の下で虐げられた日常が、記憶の底に眠る街。拭いきれない過去が燻るこの街に、彼女は勇気を出して足を踏み入れた。
何があっても、必ず守ってみせる──と、俺は蒼い空に心で誓い、ルーチェリアの手を取った。
「──え、ハルセ?」
不意を突かれた彼女は、驚きの目で俺を見た。
「あ、ああつい……でも、いっか。迷子になるといけないしな」
「う、うん。ありがと」
頬を朱色に染め、恥ずかし気に俯く彼女。
そういえば、ルーチェリアの件については腑に落ちない点もあった。ある意味いいことではあるが、いまだに、指名手配すらもされていないという話だ。
国が制定した捕虜身請け人制度。人を人とも思わない愚劣な男だったとはいえ、俺は捕虜である彼女を奪い逃げた。
にもかかわらず、ここまで何もないというのは、余程の後ろめたい何かがあの男にはあるのだろうか?
この国では捕虜が死んだとしても珍しいことではない。既に死亡者リストへの登録や報告がなされているのだろう──というのが、ガルの見立てだ。
それから彼女も、見た目がずいぶん変わった。
今となっては、あのときの少女と気づく者は誰一人としていないだろう。
俺はいつしか、ルーチェリアの姿に見惚れていた。彼女はそんな俺の視線に気づき、小首を傾げて口を開いた。
「ハルセ、どうしたの? 私の顔に何かついてる?」
「あ、いや、こうしてさ、街に三人で来るのは初めてだなって」
「う、うん。そうだね。私はまだ不安だけど……。でも、いつまでも避けているわけにもいかないし、それに古いデータじゃ判別は難しいかなって。私も前よりは成長してるから。あ、それはそうと、街では打ち合わせどおりに〝ルナ〟って呼んでね」
念には念を。俺達は街の中ではルーチェリアのことを〝ルナ〟と呼ぶことに決めていた。
この呼び名に特に理由はない。強いて言えば、俺が挙げたいくつかの候補の中で、彼女が「ルナって響きが好き」と単純に選んだだけのことだった。
「わかってるよ、ルナ。それよりデータって何のこと?」
「うん? そっか、ハルセにはまだ教えてなかったね。あらゆることを記録できる水晶があって、国民はもちろん、捕虜になった獣人もね、外見やステータスを刻み込んで管理されてるの」
「水晶に、刻む? そんなことが可能なのか?」
何気なく聞いた問いではあったが、水晶という神秘的な言葉に、俺は興味深げに首を傾げた。
「私にもよく分からないんだけど、光魔法を受けたよ。痛くはないんだけど」
「光魔法か──光を使って転写する技術かな? 前の世界でも印画紙に光で写すものがあったけど、水晶でやるってのは異世界らしいな」
「 い、いんが何? 故郷の話? いつか私も、一緒に行ってみたいな。ハルセの生まれ育った故郷に」
繋いだ手をギュッと握り直し、ルーチェリアの瞳はキラキラと輝いた。俺は「まあ、大したどこじゃないし……」と零し、続けて、「今の生活が一番だ」と笑顔で返した。
彼女は「うん」と頷きつつ、嬉々とした笑みを浮かべた。そこへ喧騒を突き破る、ガルの大きな声が響き渡り、俺たちの耳を震わせた。
「貴殿たち、急ぐのだ! 朝一は戦場だぞ、目当てのものが無くなってしまうではないか!」
ガルの戦いはすでに始まっていた。新鮮な肉に野菜、調味料に至るまで、すでに多くを買い漁り、背中に背負った布袋が大きく膨れていた。
俺は「もうあんなに?」と眉根に皺を寄せ、ルーチェリアは繋いだ手を離すと、ガルに向かって大きく手を振り駆けだした。
「危ないぞ、ルナ!」と、俺がその背を追い掛けようとしたそのとき、突然、目の前に飛び出してきたフードを被ったローブ姿の男に勢いよくぶつかってしまった。
ボフッ、と弾かれるように尻餅をついた俺を、男は胸倉を掴んで立ち上がらせると、「ちゃんと前を見ろ、ガキが。怪我すんだろうがあ」と細めを吊り上げ、凄んできた。
俺は慌てて「ごめんなさい、お怪我はありませんか?」と謝るも、男は「もういい、どっか行けよお!」と手のひらで突っぱねた。
俺は男に一礼し、「本当にすみませんでした。では」と言葉を残し、その場を後にする。
しかし反面、ガルの元へと向かいながら、心の中では苛ついていた。
(何なんだ、アイツ。俺も悪かったけど、そもそも飛び出してきたお前のほうが悪いだろ、そっちが気をつけろよな)
去り行く背に、ローブの男が「ったく」とため息を零す。
「ガキが──って、ん? そういやあ、 あのガキ、ロドリゴが言っていた特徴に似てるなあ。気のせいかも知れねぇが手がかりもねえ。いっちょまあ、調べてみるかあ」
朝市での買い物を済ませた俺たちは大量の荷物を抱えて、出口へと向かう。
「買いすぎじゃね?」と思いはしたが、ガルの家には冷蔵保存が可能な、水属性の高密度魔法石が備わっている。いわゆる冷蔵庫と呼べる代物だ。
魔法石には低密度・中密度・高密度があり、流通品である魔法石と、そうではない純粋なる属性力の結晶〝魔法源石〟が存在する。
魔法源石は諸説によれば、物によっては極域相当の属性力が宿るものも存在するらしく、仮にそんなもので肉でも焼いたりした日には、たちまち消し炭になってしまうだろう。
一般的に使われる魔法石は、その源石を砕き、他の鉱石と混ぜて作られている。そのため、ランク分けされて流通し、人々は用途に応じて必要な効力の魔法石を買い求める。
とはいえ、ガルが料理で使っている火属性の中密度魔法石ですら、場合によっては一瞬にして焦げることもある。意外にも扱いが難しいのが魔法石というものだ。
あれこれ考えているうちに、秘密の扉に到着した俺たちだったが、ずっと尾行されていたことに気づいてはいなかった。
少し離れて見つめる、ローブ姿の男。
「獣人一人と人間が二人、か。いや、待てよお」
扉をくぐる彼らの隙を、男は見逃さなかった。
「あれは」と、風で浮いた髪の毛に、目を細めてニヤリとした。
「あれは耳だなあ。あの女は獣人だ。たしか、データでは〝たれ耳〟とあったなあ。髪に見せかけ隠すとは、あっぱれな考えだ。意外とデカいが獣人は成長が早いと聞く。間違いないだろうなあ」
男は静かに頷き確信し、迷わず後を追った。
「ガルベルトさん、今日の晩御飯は何?」
「ハルセ、今晩は私の当番だよ。何が食べたい?」
「今日の当番は〝ルナ〟か。そうだな、ブルファゴのチーズ焼きがいいかな」
「OK、ガルベルトさんもそれでいい?」
「ああ、私は何でも好きだぞ」
夕飯談義に夢中な彼らと、つかず離れずの草むらの中で、密かに身を隠すローブの男。
男は、体のあちこちを「パンパンッ」と叩き、「ちっ」と舌打ちをしていた。
「ああ~痒いぜ。バグズでもいるのかよお。あいつらの住家はまだなのかあ? ったく、無駄口はいらねぇから、サッサと家に案内しろよなあ」
あるくこと数分──。
尾行など露知らずの三人は、警戒することもなく、そのまま家へと入っていく。
大きな木の麓に建てられた小屋。そして、明かりが灯る。
「あれは獣人の──確か、ガルベルト、だったか? そんな名前だったよなあ。そうか、そうだよなあ。街を自由に出入りできる獣人なんて、そう多くはない。手間ぁかけさせやがって、やっと見つけたぞお。さてと、ロドリゴに報告してやるかあ。うるせぇからなあ、アイツは」
ついに探していた獣人の隠れ家を突き止めた、ローブの男。「痒い痒い」と愚痴をお供に、踵を返して街へと戻った。
◇◆◇
街の東側にある大きな建物へと入ったローブの男。
その建物の入口には、ガレシア商会と書かれた豪奢な看板が掲げられている。
「ロドリゴ、戻ったぞお」
「ええい、うるさいわ! ロドリゴ
ロドリゴ=ガレシア。
アズールバル王国で名の通ったガレシア商会会長であり、多くの商人を取り仕切っている。
国が定める規則においても彼は、商人たちの税収の管理を担っており、その存在は大きい。
この国の商人は必ず、どこかの商会に所属しなければならない。毎月、儲けの一部を商会へと納め、その後、彼ら会長職が取りまとめた金品から手数料を除き、国へと収めるというのが一連の流れ。だが、彼には納税と捕虜身請け人両面において、黒い噂が絶えずつきまとっている。
調査を終えた男が、頭の先にピンと飛び出た髪の毛を指先でこねくり、誇らしげに報告を行う。
「長かったが、やっと見つけたぞお。ヤツはガルベルトの家に匿われてやがる」
「ガルベルトだと? ああ、あの黒き獣人のことか。人の国にぬけぬけと入り浸りおって。あげく、捕虜の強奪とはな。後、何度も言っておるが、お前のその言葉遣いだ! もう少し敬え!」
ロドリゴは男の態度に、眉を顰めて語気を強めた。男は「わりいわりい」とこめかみを掻き、
「ええとお……たかが、獣人風情。考える頭は、な……いか……と?」
「そうよのう。捕虜強奪は、この国の王から奪ったも同義。どうなるか見物だな。お前にもしっかり働いてもらうぞ、ニコ」
ロドリゴが目配せを送った、ローブの男の名は、ニコ=リドル。
表の顔は商人の一人に過ぎないが、裏の顔はロドリゴ直属の殺し屋。口調は荒く、敬語はド下手だ。
「ロドリゴ……様。い、かがし、ますか? これから、すぐに始末をつ、けてこ、ちがう! つけ、ええと、つけ……」
「うむむむむ、何を言っておるのかさっぱり分からぬわ! もう敬語はいい! 普通に話せ!」
ロドリゴの呆れかえった言葉に、ニコは「いいのかよお」と安堵し、詰まることなく話を続けた。
「で、ロドリゴ、どうするよお? すぐに始末をつけてやろうかあ?」
「まったく、急に流暢になりおってからに。いや、ヤツは法を犯したのだ。私が危険を負うまでもない。明日、王に謁見し今回の件を報告する」
「だがロドリゴよお。うちらの商会、目をつけられてねぇかあ? ここんとこ、捕虜の死亡報告が多すぎたしなあ。まあ、軽く痛めつけた程度で死んじまう奴らがわりぃが」
「ふん、問題ない。我らはこの国の経済の要だ。そう易々と王と言えど手出しはできん。獣国との争いにも内政にも、金は必要だ。それに、この国の終わりもそう遠くはない」
◇◆◇
翌日、獣人ガルベルト=ジークウッドとその共犯とされる者たちが、捕虜ルーチェリア=シアノを強奪したという報告を受け、国王は、強制連行を目的とした王国騎士団の一部隊を差し向けた。
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