第14話 対ルーチェリア戦 その2

 (このままではマズい。どうする、どうする……)

 

 焦れば焦るほど、俺の思考回路は乱れていく。

 あまり悠長に考えている暇はないが、窮地にこそ冷静さが必要なこともわかっている。


 (落ち着け。こういった場合、複雑に考えるより、単純に考えた方がいいってこともある)


 生前の世界では地属性といえば、大地を揺るがし、揺れる大地は大気をも揺るがした。


 あくまでゲームやアニメの架空の世界だが、今だって同じようなものだ。魔法のある世界なんて想像上の話だった。

 

 (大気を振動させるほどの力か。そんなものが俺の地属性にあれば、水なんて簡単に弾けるだろうな)


 だが、考えるだけ無駄か。現状、俺にそんな力はない。


 しかしそれでも、諦めたらここで終わる。何か突破口を見出さなくては。


 迫る水の障壁に、俺の視線が鋭く刺さる。


 (──そうだ。大地を揺るがすのは無理でも、小さな空気の揺らぎ、反発力を生み出すことくらいはできるんじゃないか?)


 俺はふと、昔受けた物理の授業を思い出した。

 物体は高速で動くとき、大気の揺らぎを生じさせていた。


 たとえば車や列車が猛スピードで通り過ぎた直後に吹く風、まさしくあれだ。


 俺の地属性魔法、大地拳アースフィスト

 単なる拳で起こす風なんてたかが知れている。けど、質量を増した拳による高速の打撃なら大きな空気の流れを生み出すことができるかもしれない。


 この障壁に風穴を開けることができるのかもしれない。


 とはいえ、この足場の悪さは大きなマイナス要素だ。フニャフニャというか何というか。水の障壁に囲まれたクッションのような上では踏ん張りが効かない──などとぼやいていても仕方がない。


 やるしかないと覚悟を決め、俺は右手を引き絞って構えを取る。


 「大地よ、敵を粉砕せし拳と化せ!〝大地拳アースフィスト〟!」


 詠唱が結ばれ、水の障壁一面に波紋が生じると、拳大の石が続々と壁を突き抜け、俺の右手に集まり始めた。


 俺は着々と物量を増し、巨大化する拳に力をこめ、懸命に体勢を維持した。


 「ぐぐぐっ、お、重っ! さすがにこの水の中を小石程度じゃ突き抜けられないか。半々くらいでイメージしてたけど、どれもこれも大きすぎる……」

 

 拳はさらに大きく、俺の体の半分ほどの大地の塊と化して収束した。


 「よ、よし……いくぞ」


 俺は後方に引いた腕を、歯ぎしりしながらも、力一杯に前へ突き出した。


 質量と速度。高速の打撃が生み出す空気の揺らぎ。

 それを可能とする渾身の一撃が、俺の拳に宿っている。


 「うおおおー!」


 俺は声を張り上げ気合いを乗せた。全身の力を拳の先へと送り込む。


 「バシーン!」と、激しく水を撃つ衝撃音が鳴り響く。俺の拳が目の前の水を勢いよく吹き飛ばし、水の障壁へと突き刺さった。


 そして吹き抜ける突風。拳を中心に風が吹き込み、まるで異空間への入口のような幻想的な空間が眼前に丸く開けた。


 「や、やったぞ……」


 軽く安堵の息を漏らした俺だが、実は危ないところだった。


 足場が悪すぎて腕どころか、俺ごと刺さりかけたが、どうにか踏みとどまれた。

 

 何はともあれ、水の障壁に大気の大穴を作り出すことには成功した──しかし、これも時間の問題だ。


 俺が作り出した大気の流れと障壁内の水流が激しく鬩ぎ合っている。


 急がなければ風が止み、水に飲まれ、再び出口は閉じてしまうだろう。


 俺は唇を噛み締め、両手を前に、障壁に開いた口へと頭から飛び込んだ。


 ただ、さすがに受け身までは考えていなかった。

 俺は地面を転がり、岩に体を打ちつけながら何とか止まる。


 勝負は始まったばかりだが、俺の身体はすでにボロボロだ。


 「ほお~、あれを脱出してくるとはな。ハルセ殿もやるではないか」


 ガルは顎先をつまみ、食い入るように俺たちの試合を見つめている。


 いつもなら命の危険があれば止めに入るが、今日に限っては全く止める様子はみられない。


 「よそ見するなんて余裕だね。油断、大敵! 」

 

 ぶつけた背中を押さえ、まだ立ち上がることすらできない俺に向けて、ルーチェリアが力一杯に木刀を振り下ろす。その太刀筋には一切の迷いがない。


 俺は慌てて体を投げ出し、横へと避ける。

 ルーチェリアもこちらの動きに瞬時に反応し、振り下ろしから横なぎへ太刀筋を変化させた。


 攻撃を防ぐため、大地盾纏アースシールドを発動するも全く間に合わず、俺は、革製手袋レザーグローブを身につけた腕で受け止めるのが精一杯だった。


 その後も連続して斬撃を浴びせてくるルーチェリアを前に、俺は懊悩おうのうの中に縛られていた。


 この短期間で、一体どれほどの修練を重ねればこれだけ強くなれるのか。


 修練期間は俺と変わらない。それなのにこの差は何だ? 一種の才能? あるいはそもそもの基盤ベースが違うのだろうか。

 

 獣人は人間よりも成長が早く、身体能力も格上だと言われている。


 ガルが俺の攻撃は通用しないと言いたげだったのは、こういうことか──と、頭の中を負の感情が取巻いてはいるが、一矢報いず、このままで終わるわけにはいかない。


 俺は拳を強く握りしめ、足掻くことへの執念だけは絶やさなかった。


 「うぐっ……」


 腕が痛む。革製手袋で防ぐには厳しい攻撃だ。これが木刀でなければ、俺は腕を失っているかもしれない。


 続く、ルーチェリアの絶え間ない攻勢。

 本当に容赦がない。あたかも俺に対する殺意を持っているかのように。


 (これって、真剣勝負とは言ってたけど、命がけ、ってわけじゃないよな?)


 本来なら反撃タイミングを計りながら、相手の攻撃を見ていく必要があるが、今はそうも言っていられない。回避に全てを集中させる。生半可な集中力では、避けることすらも難しいからだ。

 

 目まぐるしい速度で木刀を振るう彼女が、ほんの半年前まで捕虜として使われていた、あの無力で小さな少女であったとは到底思えない。


 ルーチェリアの剣術は、相手の動きを追尾するように斬撃を変化させてくる。


 避けたと思っても、次の瞬間にはすでに捉えられている。


 これを避け続けるのは至難の業だ。それに加え、強力な水属性魔法の数々。


 特に驚いたのは、水の牢獄に閉じ込められたとき、彼女の合図で障壁全体が中心へと狭まる動きへと変わった。


 さながら、水を自分の意志でコントロールしているかのように。


 俺はこの半年で、自分とは思えないくらいの強さを身につけたと感じていた──にもかかわらず、この差は何だ。


 ルーチェリアを相手に、俺は逃げ回ることしかできない。


 込み上げる悔しさ。俺は奥歯を噛み締め、震える拳を力で抑えつける。


 俺はいつしか、彼女を傷つける恐ればかりを抱くことからも解放されていた。


 認めるしかない。あの時のガルの言葉は正しかった。


 ルーチェリアは、強い。



 ◇◆◇



 勝負が始まって、どれほどの時間が経っただろう。


 戦いは俺の一方的な消耗戦となっているが、ただただ回避に専念した結果、徐々にではあるが、ルーチェリアの太刀筋自体は見えつつあった。


 ルーチェリアが勢いよく振り下ろす剣をサイドステップで避けると、俺は右側面へと回り込む。


 切っ先が変化し、斬撃の軌道が変わる。さらにここでしゃがみつつ左へかわす。

 

 (──ふぅ、全部とはいかないけど、今度は見切れたな。じゃあ、ここで一発はいけるか)

 

 といった具合に、口には出さずとも、攻撃イメージを組み上げてはいるが、実際に攻撃に移れるかと聞かれれば、それはまた別の話だ。


 この勝負の最中、傷つけることへの恐れは薄まってはきたが、それはあくまで必要最小限に限られるし、そのうえ、全力のルーチェリアに対して中途半端な反撃では、確実に手痛いしっぺ返しを食らうことになる。


 結局のところ俺自身、ルーチェリアを殴り倒すことが出来るか? と問われれば、答えは「NO」だ。

 

 当然、この考えはガルに見抜かれていた。

 俺はこれまで感じたことのない身震いするほどの殺気を、背中から浴びせられている。


 そして次の瞬間、背後で轟いた咆哮に、俺はその場に磔にされた。

 

 「〝 烈風連鎖刃れっぷうれんさじん 〟!」


 黒斧を上段に斬り上げ、その前方に広がった、深緑に揺らぐ風の刃。


 半円、三日月、形も大きさも多種多様な無数の風の刃が、互いを研磨し、その刃を研ぐかのように激しく削り合っている。


 金属と見まがうほどの輝きに靡き、固く澄み切った音を響かせた後、今度は、「ザシュ、ザシュッ!」っと大地を斬りつけ、まるで獲物を狙う鷹のように地を這って飛び、一直線にルーチェリアへ向けて突き進む。


 あれは、到底防ぎきれるものではない。見ただけでわかる。誰もがすぐに踵を返してこの場を立ち去ることだろう。

 

 しかし、その標的となったルーチェリアは木刀を体の前で中段に構え、膝を落とし、迎え撃つ姿勢を取っている。

 

 (どうして!? あれを防ぐのは無茶だ。そんなこと、ルーチェリアなら気づくはずだ)


 俺の思いに反し、彼女の様子からは回避の意志が微塵も感じられない。


 (ダメだ……このままでは本当に、死ぬ)


 俺は堪らず、ルーチェリアに叫んだ。


 「避けるんだ! ルーチェリア!」


 響き渡る悲鳴じみた俺の声に、彼女は応じてくれたのか、間一髪のところで、攻撃の射線上から身を投げるようにして避けた。


 襲い来る数多の風の刃は、射線上にある全てを切り刻み、俺たちから遠く離れて消失した。


 俺は茫然とその光景を見ていた。動くことすらできなかった。ただ声を上げることしかできなかった。ただひたすらに情けなかった。


 頭の天辺から足先まで、怒りからか、恐怖からなのか、何とも言えない震えが、雷が落ちたように突き抜けた。 


 ガルは『手抜きなど一切許さぬ』と言っていたが、その答えがこれなのか。


 俺はもう、自分の感情が抑えられなくなっていた。


 「何やってんだよ! ガルベルトさん! たかが試合で命まで奪おうというのか!」


 俺の鬼気迫る声に、ガルは腕を組み、身に着けた皮製鎧レザープレートの襟元に顎を埋め、こちらを睨んだ。


 「それは私の台詞だ。貴殿こそ約束を無下にし、何をしておる。好機はいくらでもあったはずだが、何故、打って出ない? 初めに忠告しておいたはずだ。 と」


 「ふざけないでくれ! もしまたやったら、俺は許さない。たとえ、ガルベルトさんだろうと退くわけにはいかない」


 俺は力いっぱい拳を握り、睨み返した。


 「ふん。威勢の良さだけは一人前だな。その時は私が貴殿を斬り伏せるまで。もう一度いう。私は手を抜くなと言った。貴殿は強くなりたいのではないのか? その程度の力では、この世界で生き抜くことは不可能だ。こうして出会ったよしみ。どこかで野垂れ死にさせるくらいならば、私が引導を渡す。怒りに任せて当たり散らす前に、己がすべきことを見定めよ。それでも尚、私に刃を向けると言うなれば、命を捨てる覚悟を決めることだ」


 これまでにないガルの態度と語気を強めた言葉。そこには一切の逡巡すらも感じられない。


 「……すべきこと、か」と、俺は自らの拳に視線を落とした。


 彼の言うとおり、怒りによって支配されていた。

 ルーチェリアに迫った命の危機に、俺の気持ちが異常なまでに昂ぶったのは確かだった。


 「ふう~」と深く息を吐き、俺は握りしめた拳を解いた。今一度、ことを冷静に見つめ直す必要があることに、気づいたからだ。


 俺はこれまでのガルとの修練、生活の中に思いを巡らせた。


 これまで、彼が俺にやらせたこと、真剣に伝えたことで、無駄なことなど一つもなかった。


 初めは無駄に思えたことでも、後になって振り返れば、意味があったと思い知らされる。考えれば考えるほど身に染みてわかる。


 今回もきっと同じではないのか? 俺は御託ばかりと切り捨てていたが、彼は最初にその意図を伝えていたはず。


 『戦いとは、時に不条理なものだ。真の強さとはそれらを乗り越え、自らの答えを見出すこと。己が自身で導き出すことにあるのだ』などと言っていた。

 

 今の俺はすべきことを迷っている。自分の思い通りにならない現実に、どう対処すればいいのか分からなくなっている。答えが見つけられずにいる。大切なものを守るどころか傷つけるかもしれない。まったく以て、不条理なものだ。


 現状、こうなることが、ガルの想定通りの展開なのだとすれば、俺は乗り越えなければならない。その先には必ず、俺の成長に繋がる何かがある。

 

 この勝負、手を抜けば、ガルは躊躇なくルーチェリアの命を奪いに来るし、その逆もしかりだ。彼女が手を抜けば、彼の強靭な刃は俺に向けて放たれるだろう。


 魔法戦では誤魔化せていたのだろうが、物理戦では簡単に見透かされる。


 ルーチェリアは初めから真剣そのもの。このまま俺が同じことを繰り返していては、彼女の命がいくらあっても足りなくなる。


 ガルが放った魔技で、十分すぎるほど強烈に、俺の心に刻まれた。


 傷つけずに乗り切る──そんな甘い考えはここで捨てよう。


 突きつけられたガルの意志を汲み、俺はルーチェリアと真剣勝負で対峙する。



 ── 魔技紹介 ──


 【烈風連鎖刃れっぷうれんさじん

 ・ガルベルト=ジークウッドの斧技。

 風を纏わせた黒斧の斬撃に沿って無数の風の刃が生じる。発生した風刃は攻防一体の特性を持ち、また、飛び道具としての用途もある。獣波斬に比べ威力や速度は劣るものの、単発ではなく複数の風刃が生じる特性上、受ける側としては厄介な技である。

 ・風属性付与+斧技

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