第11話 新たな同居人
「何をやっておる! 貴殿の強さを求める意志は、その程度のものか! もっと、もっとだ! 己だけではなく、私も興奮させてみろ! さあ早く、素早く持ち上げろ! おーっと、そこで気を抜くな。直ぐに下ろせ! 下ろしたらさっさと持ち上げろ!」
「グッ、ググググッ……」
滝のように流れ落ちる汗。降り注ぐ陽光とガルの熱気。
今、俺は体の何倍もある大岩をロープで吊り上げては下ろす──そんな、鬼畜作業を延々と繰り返している。
(うぐっ……あの野郎。俺がケモ耳に興奮したことへの当てつけか? こんなのを連続300回だと……? 興奮させてみろって……もう、すでに大興奮しすぎだろうが!)
身体中の水分を根こそぎ大地へと還元させられるほどの所業には、やはり、
──がしかし、俺には癒しがある。もちろん、ルーチェリアだ。
「ハルセ~、がんばって~」
明らかにこの死地にはそぐわない、ゆるすぎる声援が俺の耳を優しく掠める。
小さく両手のひらを握りしめ、彼女なりの精一杯の声を、俺に向けてくれている。
むさくるしい目の前の野獣とは違う。俺に大いなる力を与えてくれそうだ。
「やる、俺はやる!うおおおー!」
俺は雄たけびを上げた。「ブオンブオン」と風切り音が唸りを上げ、大岩の上下運動は目まぐるしい勢いで加速していた。
「ハルセ殿! いいぞぉー! やればできるじゃないかあ! 私の興奮も最高潮だぞ!」
ガルは悦を燃やし、俺は自らが人という概念すらも脱ぎ去っていた。
(あぁ~、やばい……)
◇◆◇
俺は暗闇の中に微かな光を感じ、ゆっくりと瞼を開ける。
見える景色は青く澄み、流れる雲を目で追った。
「やっと起きたか? 叩き起こしてやろうと思っていたが。まあ、これくらいでへばっているようでは、まだまだだな」
覗き込むガルの姿に、俺はようやく事態を理解する。
俺は修練の最中、あまりの過酷さに、いつしか気を失っていたようだ。
体を起こし、立ち上がろうとしたとき、俺は頬に違和感を感じた。
何だか少し腫れている気がする。
(さては起こそうとだいぶ叩いた後だろ? ひどくホッペが痛いんだが?)
体力錬成は今日でまだ二日目。もう少し労りが欲しいよな──などとぼやきながら、俺は侮蔑の目でガルを見た。
一方、ルーチェリアは俺の隣でウトウトとしている。今にも寝落ちしそうだが、日陰にいる分には、湖風もあって心地よく、昼寝にはちょうどいいのかもしれない。
(そういえば、あのとき──)
俺は彼女の横顔に、この間の街での出来事を重ねていた。
ルーチェリアを助けたあの時、俺は一心不乱に
彼女を守りきれたのは運に恵まれていただけ……しかし、一つだけ気になったこともある。
それは盾が出来上がるまでの時間が非常に短かった点だ。
俺は顎に手を当て、「どうしてなんだ?」と首を捻るも結論は出ない。ここは一人思い悩む前に、鬼教官であるガルに尋ねてみるのが一番手っ取り早いだろう。
「ガルベルトさん。街で俺がルーチェリアと出会ったときの話なんだけど、覚えてる?」
彼は「はあ?」と口をつき、呆れた顔を浮かべて応じた。
「昨日の今日で忘れるわけがなかろう。もちろん、詳細に覚えておる」
「ハハッ、それもそうか。聞きたいのは、俺の地属性魔法、
「ふむ、簡単なことだ。場所の状況、ひいては環境によるものだろう。貴殿の大地盾纏は見たところ、物質自体を扱うものだ。その際、盾を構成する物質の大きさも影響するのではないか?」
俺はガルの返しに「なるほど!」と手のひらをポンと叩いた。
確かに彼の言うとおり、石畳で盾を作る場合、構成する物質の一つ一つは大きい。しかも、修練の時とは違って、何を盾にするかなんて考えてもいなかった。
『魔法は発動言詞の意味を想像するだけでも発動する』
ガルが言っていた言葉の意味は、まさにこのこと? 目に映った足元の石畳や建物の煉瓦が、無意識のうちに俺の魔法に影響を与えていたのだろうか?
逆に修練のときは、土と小石のみに意識を絞っていたし、大きな盾を形成するにはそれなりの時間を要したはずだ。
黙考する俺の隣、うつらうつらと頭を揺らしていたルーチェリアが、目をこすりながら「ふぅわあー」と大きくあくびをしている。
そして俺の肩を優しく叩き、「ハルセ、ガルベルトさんの言うとおりだよ」とやんわり口を開いた。
俺は「ん?」と不思議に首を傾げて聞き返す。
「ルーチェリアも聞いてたのか。ところで、どうしてそう思うんだ?」
「うん、私も似たような経験があるんだ。〝
彼女は自らの経験を交えて話し、それ以外にも、魔法書にある〝備考欄〟が参考になるとも教えてくれた。
俺はさっそく、手元のノートを開いて確認してみる。
そこには、〝魔法練度、環境、物質による影響あり〟と書かれていた。
(へぇ~、ちゃんと書いてあるじゃん。あの場合は環境の影響を受けたってことか──って、待てよ?)
俺はハッとした。目を見開き、ルーチェリアに視線を向ける。
「ルーチェリア! 君も魔法が使えるの?」
「う、うん。私の属性は水属性なの。まだあんまり使えないけど、少しならできるよ」
耳元を撫で、恥ずかし気に俯く彼女。
こんな幼い少女でも魔法を──などと思いはしたが、この世界において属性とは身近なものだ。たとえ無属性であっても、魔法石を使い分けて魔法を行使するとも言われているし、ごくごく自然のことなのかもしれない。
「そ、それなら、ルーチェリアも一緒に修練しようよ。見てるだけってのもつまらないだろ? 俺も一人より二人のほうが頑張れるしさ」
「えっ?! わ、わたしも?」
俺の急な誘いに、驚いた表情をみせたルーチェリアであったが、
「ハルセがそう言うなら……一緒に、頑張ってみようかな?」
と、意外にも好感触。俺が最後の一押しをしようと口を開きかけたそのとき、ガルが歓喜に満ちた拳を突き上げた。
「よーし! では、今日の修練は早めに切り上げるとしよう。ルーチェリア殿の装備を準備しなくてはならぬからな」
続けて彼は、「貴殿は年の頃はいくつになるのだ?」と切り出す。
ルーチェリアは、きょとんとした表情で「9歳だよ」と答えた。
「では装備以外にも、10歳以降の服も必要となるな」
「う、うん……。でもこの服も、10歳からでも着れるんだよ。お母さんが大きめに作ってくれたの」
服の袖を指先でつまみ、彼女は切なげに目を落とした。
身に着けた可愛らしい白色のワンピース。
襟口は朱色。袖口やスカートの裾にも、同じ朱色の三角模様が連なるように刺繍され、腰には赤と茶色の麻紐のようなもので一周し、リボンが小さく結われていた。
「見たことがある柄だ。リフトニアの民族衣装であったか? よく似合っておる。だが、着替えは必要であろう? さもなくば、ハルセ殿のお下がりということになってしまうが……。いや、それは私が見るに堪えぬ」
「ガルベルトさん、どういう意味だよ!」
「ビハハハハハ! ハルセ殿、元気が有り余っておるではないか! もう休憩は十分のようだな? さて次は、その岩を貴殿の腹に落とす。しっかりと歯を食いしばるのだぞ。ルーチェリア殿の件であまり時間がない。今日の所は、たったの100回にしといてやろう」
(た、たった……の?)
神様、俺は明日を生きているだろうか?
◇◆◇
「ハルセ、おはよ~、朝だよぉ」
ルーチェリアの優しい声が目覚めへと誘う。
天使のような癒しが、俺を包み込んでくれているかのようだ。
(ただ……ね。野鳥より目覚めが早いんだよな、この二人)
さすがというべきか、何というか。まだここに来て三日目だというのに、俺よりも我が家の朝に馴染んでいる。そもそも獣人というものが、早起きの性質でも持っているのだろうか?
「ご飯できたよ。今日は私も、ガルベルトさんのお手伝いをしたの」
唇の端を上に吊り上げた、にこやかなルーチェリアが俺の目に飛び込む。
彼女の胸元には、真新しい皮の匂いがする茶色の
昨日、ガルが街で調達してきた装備品の数々に、彼女の笑顔も満足気だ。
「おはよう、ルーチェリア。装備は食後につけたほうがいいんじゃないか? 窮屈だろ?」
「ううん。意外と見た目よりも軽いんだよ。それにベルトを緩めてれば楽ちんなんだ」
身につけた装備の調整用ベルトを指差しながら、嬉しそうに説明してくれる。
(よっぽど嬉しいんだろうな、ルーチェリアは)
俺もこの服を貰ったときは凄く嬉しくて、『もう魔法を?!』と、ガルが顎を外しそうになるほどの早替えだったのを覚えている──それほど昔のことではないが、妙に懐かしい気分だ。
このまま幸せな気分に浸りたいところだが、朝食、掃除とくれば、間髪入れずに地獄の修練が始まる。
ついルーチェリアを誘ってしまったが、泣き顔だけは見たくない。
尊すぎる彼女の笑顔だけは、何としても守らなければ──。
◇◆◇
「よーし! その調子だ! もっとだ、もっと上げろ」
威勢のいい野獣の声が響き渡る。
昨日に引き続き、俺は鬼畜な……いや、巨大な岩のリフト作業に勤しんでいる。
迸る清々しい汗──なんて、そんなものがどこにあるんだ? これは青春の苦さではなく、命懸けの苦行。そのうえ、何が『毎日やっては逆効果というものだ』だ。昨日今日と連続じゃないか。
俺の中を不満が埋め、疑問もよぎる。
(あれ? そういえば、ルーチェリアはどこに?)
彼女とは、今日から一緒に修練をしているはずだった。
俺は大岩で咽ながらも、ぐるりと辺りを見回す。
そして見つけた。吐息を漏らし、トレーニングに励むルーチェリアの姿を。
「フッ、ウッ、ウ……」
「その調子だ、ルーチェリア殿。少しずつでいいからな、無理をするでないぞ」
俺はガルの言葉に「ん?」と首を傾げた。
(ちょっと待て……
さらに、トレーニングメニューは同じようだが、場所は涼し気な木陰なうえに吊られているのは小さな岩だ。対する俺は日陰もない野ざらしで、100倍くらいはある巨大な岩をブランブランさせている。
(ちっくしょー! 俺にもその優しさの一片でもくれよぉー! )
俺の不満は怒りへと変わり、体を流れる果てなき力として覚醒した。
「見てろ、やってやる! うおりゃああああー!」
「おぉ~、ハルセ殿。今日は一段と凄いではないか。その調子であれば、あと300回は追加だな」
「え……」
チーン──と、俺の心にはこの世界との別れを告げる悲し気な長音が靡く。
俺に労りの言葉はない。容赦なしの暴言だけがぶつけられる現状を鑑みれば、もはや、これを快感へと昇華させる能力を身につける以外に、生き残る術はないのだろう。
俺は今日もまた、ただ崩れるように力尽きる。
── 魔法紹介 ──
【
・属性:水
・属性領域:低域
・用途:回復特性
・発動言詞:『癒しの雫』
・発動手段(直接発動)
発動言詞の詠唱及び水の雫による癒し効果を想像実行。
・備考
単体指定魔法。魔法練度、環境による影響あり
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