第9話 奴隷少女との出会い

 中心街の喧騒から外れ、俺はどこか怪しい雰囲気を醸しだす異界へと誘われていた。


 立ち並ぶ、紫やピンクの艶やかな看板。

 ガラス管で店の名前を模り、中に透明な小粒の石が詰まっているのを見ると、夜にはネオン照明のようにキラキラと光り輝くのかもしれない。


 まだ開店前なのだろうか? 辺りを見ても人気はなく、どこも木製の扉で閉ざされている。


 路地に入ってしばらく、俺はこの場所に怪しさを感じてはいたが、それは間違いだった。


 ここは怪しいではなく、しいのだ。


 となると、おおかた夜の街、なのだろう。

 

 「俺もいつか、大人になったら」と、かつて大人だった子供は思う


 そこかしこから溢れ出る色気は、今の俺にはまだ早い、それに金もない。


 路地裏がそういう場所だというのは、どこの世界も不変の定義。


 俺は名残惜しくその場を離れ、出口を目指す。


 


 路地は入り組み、歩けど歩けど道は長い。

 かなり時間は経ったと思うが、俺はまだ路地をさまよっていた。


 「何だあれ? 邪魔だな、こんなところに……」


 目の前に、一台の馬車が道を塞ぐようにして停まっていた。


 俺は「ったく」とため息をこぼす。


 こんな狭い道に馬車を乗り入れるなんて、邪魔以外の何物でもない。


 来た道を引き返すにも、いまさら余計に時間がかかるし、仕方がない。


 俺は馬車と建物のわずかに開いた隙間を通り抜けようと、壁に体をぴったりとつけた。


 「よし、なんとか通れそうだな」


 服を擦らせて、くぐり抜けたそのとき、「バシッ!」と何かを叩きつける音が辺りに響いた。


 「おい、お前! これは大事なお得意様の品だぞ。何をボサっと持っておるのだ!」

 

 俺が怒声の先に目を向けると、一人の幼い少女の前に、商人らしき男が立ちはだかっていた。


 いかにも儲けてそうな豪奢な服に身を包んだ、小太りの丸い男。似合いもしないちょび髭を撫でながら、侮蔑の目で彼女を見下ろしている。


 かたや、罵声を浴びる少女はえらく貧相だった。手足は痩せ細り、顔には生気も感じられない。それによく見ると、足下には花瓶でも割ったのか、色鮮やかな破片が至る所に飛び散っていた。


 (ああ、なるほど。納品にでも来て割っちゃったのか……。にしてもだ、あんな小さな子に怒りすぎだろ。なんか見てるこっちまで気分が悪い……)

 

 その間もなお、男の罵声はとどまることを知らず、手に持つ鞭を地面に打ちつけながら、少女へと迫っていた。


 (アイツ……まさかあの鞭で、打つなんてことは、しないよな?)


 俺がそう考えているうちに、体は反射的に動いていた。


 気づけば、少女と男の間に割って入り、両手を大きく広げていた。


 「おじさん! 何があったか知らないけど、体罰はいけないよ。そんなので打ったりしたら、この子が死んじゃうよ」


 俺の声に、丸い男が眉を顰め、不快感を露わにした。


 「なんだ、お前。部外者が口を挟むでないわ。大切な商品を壊されたのだ、叱るのは当然のことだろうが。それに、こいつは獣人の捕虜だ。死んだとしても文句は言えねえ。こいつらがどれだけの人間を殺したと思っているんだ。ほら、わかったらどけ」


 男が肩を突き飛ばしてきたが、俺は腰を落として踏みとどまる。


 (コイツ……獣人だから何だ。人を奴隷のように扱いやがって。しかも、こんな幼い子を……)


 腹の底から湧き上がる感情。沸々と滾った怒り。これは俺が正常だという何よりの証だろう。

 

 ただ単純に、物凄くイラっとした。


 俺は丸い男に、思いの剣を突きたてた。


 「どいてたまるか! お前の言い分なんかどうでもいい! 理由がどうあれ、無抵抗な子供を殺していいわけがないだろうが! たとえここが異世界だろうと、そんなことがあってたまるかよ!」


 予期せぬ抵抗に遭った男は、顔を真っ赤に憤慨ふんがいした。

 

 「ググググッ」と言葉にならぬ唸りを上げ、俺の前へと詰め寄った。


 「何が異世界だ、クソガキ! 厚顔無恥こうがんむちにも程があるぞ。仕方あるまい、貴様にもお仕置きが必要のようだ。そこに跪け! 大人に歯向かった罰だ!」


 丸い男が、蛇のように長い鞭をしならせ、勢いよく俺たち目がけて振り下ろす。


 だが、怒りで麻痺した俺の感覚は、その程度の恫喝どうかつでは、まったく動じなかった。


 少女をかばって立ち塞がり、右腕を体の前に構えた。


 「大地よ、我を守護せん盾となれ!〝大地盾纏アースシールド〟!」

 

 次の瞬間、ゴガガガガッ!と大きな音を響かせ、足元の石畳が次々と剥がれ舞い上がった。


 「な、なんだこれはぁ?!」


 丸い男は慌てふためくも、振り下ろした鞭の勢いは止められず、まるで壁のように俺の右腕に纏われたブロック状の盾に、なすすべなく弾かれる。


 男は打ちつけた反動で、丸い体を後方へと転がした。

 

 俺は「今だ!」と、急いで少女の腕を掴んだ。


 「あ、え、え……?」


 少女は戸惑っていたが、今は構ってなどいられない。とにかく離れるんだ。


 右手に収まった細く小さな手を、俺は強く握りしめ、その場から逃げるように走り出した。



 ◇◆◇



 「あの、クソガキ! どこに行きやがった。ワシをコケにしおってからにぃ。このままで済むと思うなよ」

 

 丸い男も必死の形相で追ってきたが、俺たちは店のテントの陰に身を屈め、何とかやり過ごすことができた。

 

 「ふぅ、行ったか。もう大丈夫」

 

 俺は優しく声をかけ、少女に目を向けた。

 気のせいか、彼女は頬を赤く、どこか照れくさそうな顔をしていた。


 ──が、その理由はすぐにわかった。

 俺はどさくさに紛れて大胆なことをしていた。

 

 彼女のか細い肩を、ガッチリと抱き寄せ密着していた。


 「あっ、ご、ごめん!」

 

 慌てて手を離し、俺はペコペコと頭を下げる。

 対して少女は申し訳なさそうに、感謝を口にした。


 「いえ、ありがとう、ございます……」


 彼女は言葉とは裏腹に、表情を暗く閉ざしていた。

 あの男に怯えているのだろうか? その体はいまだ引きずるように震えている。


 「俺はハルセ。君は?」


 「ル、ルーチェリア」


 風の音に消えそうなほど、小さな声で自分の名前を伝えた少女。

 

 俺は少しでも安心させようと、唇の端を明るく吊った。


 「ルーチェリアか、いい名前だ。 ここまで来れば、もう大丈夫。心配しなくても家まで送るよ。どこに行けばいい?」


 「え、えっと、その……気持ちはありがたいんだけど、私、〝捕虜〟なの。だから、どこにも行くあてがなくて。かばってくれて、ありがとう。すごく嬉しかった。でも……もう、戻らなきゃ。今は無理でも、いつかは故郷に帰ることができるかもしれないから」


 「あの男が、そう言っていたのか?」


 「うん……」


 俺は彼女の返事に拳をギュッと握りしめた。

 奴隷のように扱い、死んでもいいとさえ考えているあの男が、約束なんて守るとは到底思えない。


 仮にその話が事実だとしても、その前に殺されてしまう。

 

 俺はルーチェリアと名乗る少女に、ある提案をする。


 「ルーチェリアって、呼んでもいいかな?」


 「え? う、うん。大丈夫」


 「ありがとう。じゃあ、遠慮なく呼ばせてもらう。俺のことはハルセでいいから。さっそくこれからのことなんだけど、俺は君に、あの男の下へ戻って欲しくない。どんな仕打ちが待っているかもわからないし、最悪、君は命を落とすかもしれない。さっきだってそうだっただろう?」


 「でも、私には……」


 「そこでだ。一つ提案なんだけど、俺も君と同じで帰る場所がなかったんだ。でも、そんな俺を守ってくれている人がいる。ガルベルトさんって言うんだけど、君と同じ獣人なんだ。きっと力になってくれるし、一緒に相談にいこう。大丈夫、俺を信じて」

 

 俺は立ち上がり、彼女に手を差し伸べた。

 ルーチェリアは薄っすらと涙を浮かべながら、静かに頷き、その手をとった。


 言葉にしなくとも、表情だけで痛いほど伝わってくる。


 あの男の下には、もう戻りたくないと。


 恐怖による支配──光を感じない彼女の目に、俺は心を抉られそうになった。


 (俺が必ず、この子を守ってあげないと)


 俺はルーチェリアと二人、秘密の扉をくぐり抜け、街を後にした。



 ◇◆◇



 「そうか、そのようなことが……」


 ルーチェリアを連れ帰った俺は、ガルに街であった出来事を伝えた。


 彼は嫌な顔一つせず、俺たちを迎え入れ、怜悧な眼差しで話を聞いてくれている。


 「ルーチェリア殿といったか、この街に連れて来られてどのくらいになる?」


 「ええと、半年、くらいです……」


 彼女は落ち着かない様子だが、受け答えは割としっかりしている。

 

 ガルもルーチェリアを気遣いながら、いつもよりゆっくりとした口調で語りかける。


 「そうか。辛かったろうが、まだまだ日が浅いから分からぬのだろう。ここから先、少々酷な話にはなるが、聞いてもらいたい。貴殿は捕虜としてここへ連れて来られたと言っていたが、その多くは間違った認識なのだ」


 ガルは王国が抱える闇、捕虜の実態について、テーブル上で頬杖をつきながら話し始めた。


 国家規範としての捕虜の考えでは、争いが終わるまでの拘束措置であったり、あるいは交渉材料の一つとして丁重に扱うべき存在と捉えられている。


 ゆえに、戦時下であっても捕虜交換などの戦時交渉によって、故郷へ帰ることができる希望があるとされている。


 当然、王国としての捕虜の考え方は、その規範に沿ったものではあるだろうが、この国には、捕虜身請け人制度というものが存在し、身請けをした者の中には、捕虜を奴隷と勘違いしているものも、決して少なくはないようだ。


 ルーチェリアを身請けしていた男も、多分に漏れず勘違い野郎だったのだろう。


 そういった連中に身請けされた場合、その多くは返還される前に命を落とす。


 つまり、現状のまま耐え続けたとしても、故郷へ生きて帰ることは難しいと、彼は言っている。


 この話を聞いたルーチェリアは俯き、肩を落とした。きっと、辛い中にも希望を捨てずひたむきに生き抜いてきたのだろう。

 

 ガルが慰めるように、その小さな肩に触れると、彼女は一瞬だけ顔を歪めた。


 「ハルセ殿、急いで水を汲んできてくれるか?」


 「え? どうしたの?」


 「いいから早くしろ」


 彼は慌てて薬の調合準備を始め、俺は水を汲みに庭先へと走った。


 それからしばらくして──。

 

 「よしできた。ルーチェリア殿、これを飲みなさい。体の痛みが消えて楽になれる」


 「──体の痛み?」


 俺は改めてルーチェリアを見た。

 すると、さっきまで気づかなかったのが嘘のように、その手や足、首元には多くの痣が浮き出ていた。


 特に肩は酷く腫れあがっている。あの男に叩かれた痕に違いない。


 きっと、俺が手を引いているときもずっと我慢していたはず、痛かっただろう。


 気づくことができなかった自分がどうしようもなく情けなく感じる。


 「ルーチェリア、ごめん……俺、気づけなくて……」


 「ううん、大丈夫。謝るようなことは何もない。私はあなたのお陰でここに居るんだから……」


 彼女は、ガルの手渡した回復薬を少し苦しそうに飲んでいたが、あの味は仕方がない。むしろ、頑張ったと褒めてやりたいほどだ。


 とはいえ相変わらず、その効果は抜群だ。

 薬を飲んで少し楽になったのか、ルーチェリアは俺たちに、故郷で起こった出来事を話してくれた。


  ……

 ………

 …………


 ルーチェリアの故郷は、ここ王都リゼリアから北西、獣国ルーゲンベルクスの南東に位置する【リフトニア】という小さな町。


 町の北側を【ライール川】と呼ばれる大河が横切り、恵まれた水源と肥沃な土壌の恩恵を受けた緑豊かな土地でもあった。農作物も有名で、獣国内ではもっぱら、町の名前で売れるまでに活況だったようだ。


 半年前のある日、リフトニアは人間の襲撃を受けた。


 町全土は火に包まれ、多くの獣人が無惨にもその場で首を斬り落とされた。


 女も子供も関係ない。全てが焦土と化し、そして灰の中に消えていく。


 大切にしてきたすべてが、目の前で理不尽に奪われる。


 必死に抵抗していたルーチェリアの両親、それに彼女自身も多くの襲撃者によって取り押さえられ、地面に顔を圧しつけられた。


 盗賊らしき男が剣を抜き、眼前へと迫る。

 彼女たちを見下ろし嘲笑い、三日月状に開かれた口元は、人の皮を被った獣のようだった。


 希望などない。僅かな光さえも断たれてしまう。


 そして、命を諦めたそのときだった。

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