第5話 縮まらない距離
サトシは、いつもならまだ二か月ほど、賞与迄機関があったのだが、みゆきに会いたくて仕方がなくなっていた。もはや、
「サービスを受けたい」
であったり、
「癒されたい」
などという感覚ではなく、ただ単に遭いたいという思いが衝動となって気持ちを揺さぶるのだった。
もう、その時点でみゆきはナンバーワンになっていたが、さすがに高級店、予約さえすれば、前日の予約であっても、十分に余裕があった。その日もみゆきはいつものように出迎えてくれた。
ほぼ四か月ぶりであったのに、まるで昨日も会ったかのような錯覚を覚える。これは半年ぶりであっても同じことで、それがみゆきの一つの魅力であり、あやめには感じられないことだった。
だからと言って、あやめとは単純に比較できないところがある。そう自分に言い聞かせたサトシだった。
その日、サトシは、あやめにしたように、みゆきにも、
「他のお店に君に似た女の子がいる」
ということを話した。
みゆきはそれに対して、ほとんどノーリアクションだった。
「そうなのね。やっぱりいたんだ」
と言って、何かを考えているようだ。
「知っていたのか? 誰か他のお客さんから聞いたの?」
と言われたみゆきは、
「いいえ、何となくそんな気がしていたんです」
というではないか。
知っているとすれば、何かきっかけになるようなことがあるはずだが、本人が見かけたりしない限りは、やはり誰かからの話でもなければありえないような気がした。
すると、みゆきから意外な言葉が飛び出してきた。
「それは、前に付き合っていた男の素振りで分かったんですよ」
という。
「前に付き合っていた男っていうと、このお仕事を始める前ということ?」
「ええ、そうなの。私はその男のせいで、借金を抱え込まされてね。それで今こういうことになってるんだけどね。その人がある日、私を見て、すごくビックリしたような顔をしていたのね。その時に、何だろう? って思っていたんだけど、この間、サトシさんも私に何か不思議そうな顔をしたでしょう? 同じ表情というわけではなかったんだけど、私にとって、同じ衝撃に感じられたのよ。それで今のお話を訊いて確信したの。あの時のあの男が私を見てビックリしたのは、似ている女の子を見つけたからじゃないかってね」
とみゆきは言った。
その言葉に間違いはないだろうと、サトシは感じた。
みゆきは勘のいい女性である。そこがみゆきのいいところだと思うのだが、みゆきの勘の良さは、その雰囲気から醸し出されているような気がする。みゆきは、あやめと違って、絶対零度を感じるのだ。冷たすぎて触ってしまうと、すべての感覚がマヒしてしまいそうになり、そのまま金縛りに遭ってしまい、動けなくなりそうな予感があるのだった。
「その子に遭ってみたいわね」
とみゆきは呟いた。
「えっ?」
この言葉は意外中の意外だった。
「私はなるべくこのお仕事をしている間、同業者の女の子とはあまり接触したくないと思っていたんだけど、その子にだけは遭ってみたい気がするの。いえ、会わなければいけないんじゃないかっていう気さえしてくるのよ。何だろう? 彼女によからぬことが起こりそうな気がして、それを止めることができるのは私しかいないような気がしてね」
とみゆきはいうのだ。
――似た者同士という言葉があるけど、それは容姿ではなく、雰囲気や性格のことなんだけどな。でも、顔が似ていると、雰囲気は違っても性格は似ているのかも知れないな。そうでなければ、この俺が二人を好きになるということはないはずだから――
とサトシは感じていた。
好きだという感情は、もちろん、彼女や恋人に対してのものではない、そもそも好きだという感情があれば、付き合わなければいけなかったり、何か、お互いを拘束するような関係にならなければいけないということはないはずだ。黙って感じているだけであれば、そこにお互いを縛るものは何もないはずだ。
あやめに対しても、みゆきに対しても同じことを感じている。サトシが二人に遭いにいくのはその感情を確かめたいからだった。だから、あやめと会った日の帰りに思い出すのはみゆきであったり、みゆきと会った日の帰りに思い出すのは、あやめのことであったりするのだろう。
その日、サトシはみゆきと会って、そのことを確信した気がした。みゆきがあやめに遭ってみたいと言った時、サトシも自分の感情を理解するに至ったような気がした。
――やっぱり、今日来てみてよかったな――
と、サトシは感じていた。
「みゆきは、自分にそっくりな人がこの世に何人もいたら、気持ち悪いと思う方なのかい?」
とサトシが聞くと、
「うん、あまり気持ちのいいものではないかな? ただ、それも話を訊いているだけで終わってしまった場合ね。会ってみるとそうでもなかったりするものなのだろうけど、そう思うと、自分が普段から、人見知りだということを意識しないようになるのかも知れないわね」
と、みゆきは言った。
さらにみゆきは続ける。
「でもね、さっき私に似ている女の子に遭ってみたいって言ったでしょう それは本心からであって、今のお話とは別、その女の子は私とただ似ているだけって気がしないのよ。やっぱり彼女も前の彼氏と少なからずの関係には遭ったんでしょうから。同じ気持ちを抱いているかも知れないと思うのよ。もちろん性格は違っているんでしょうから、感じ方は違っているかも知れない。でも、最後に落としどころは近いものがあると思うのよ。そう思うと、やっぱり会ってみたいっていう気がするの。もし、その子が私が理解しているような状況だったとすれば、同じことを感じるんでしょうね」
と言った。
みゆきの今の言い回しは少し曖昧な言い方であり、それだけいろいろと取れる意味を感じさせることで、何をどういえばいいのか、難しかった。
みゆきは、少しうな垂れていたが、その様子は、みゆきが何かを考えている時であり、それを邪魔することはサトシにはできなかった。
ただ、みゆきの頭の回転の早さは尋常ではないのだろう。すぐに我に返って、
「ごめんなさい」
と謝ってくれる。
「いや、いいんだよ」
というが、あれだけ自分の世界を形成して考え事をしていたのに、こんなに早く我に返ることのできる人は初めて見た気がしたのだ。
「サトシさんは、もし、自分にソックリな人を他人が見たと言えば、どんな気分になるのかしら?」
とみゆきが言い出した。
「そうだなぁ、正直にいうと、気持ち悪いかな? そういう意味では、今僕が言った話は無神経だったかも知れないね。申し訳なかった」
というと、
「そうじゃないの。私はあなたを責めているわけではないのよ。あなたが考えていることがどういうものなのかを知りたいと思っているの。さっきあなたが、気持ち悪く感じるって言ったでしょう? それってきっとドッペルゲンガーのようなものだと思うのね。知ってるでしょう? ドッペルゲンガーって言葉」
とみゆきに言われて、
「ああ、知っているよ。ただ似ているというだけではなく、その人本人が同じ時間、同じ次元で別の場所に存在しているということだよね?」
と言って、ハッとしたサトシだった。
サトシは、まったく同じ話をこの間、あやめとしたことを思い出していた。そして今頭の中で、その話がフィードバックしてきて、一緒になってしまったかのような錯覚を覚えていたのだ。
――デジャブとえも言えばいいのだろうか?
いや、デジャブというのは、過去に経験したはずのないものを、初めてだと思うことで成り立っている現象である。
ということは、今のサトシは、この間あやめと話をしたことが、実は夢であったかのような錯覚に陥っているということを感じているような気がした。
――それは違うだろう?
デジャブの方を否定するのが、本当ではないか。
あれだけ意識の中で、あやめのことを考えているはずなのに、そういうことなのだろう?
みゆきと一緒にいると、みゆきの後ろにあやめがいるような気がして、意識の中でのあやめが消えていく気がしていた。
――だからなのか、みゆきと会った帰りにあやめのことを思い出すという感覚は、忘れていたあやめを意識しなければいけないという、まるで辻褄を合わせるような感覚になっているからであろうか?
と感じた。
それだけ、この二人は似ているのである。
ドッペルゲンガーなどではなく、明らかに別の女なのだが、サトシの中では、どちらかと会っている時、もう一方の女をドッペルゲンガーのように意識してしまっている。それが、どこまで意識を正当化させるか、辻褄を合わせられるかということに繋がってくるように思うのだった。
サトシは、みゆきとその日に遭ったことで、いくつもの発見をした。元々ウスウスは感じていたことだったのかも知れないが、それだけではないような気がする、
みゆきという女性の存在が、自分の中に潜在している意識を覚醒させる何かを持っているような気がした。
その感覚が彼女をこの店でのナンバーワンに押し上げているとすれば、少し嫉妬してしまう。それは絶えず彼女が自分の中の魅力を惜しげもなく醸し出しているということであれば、相手は自分だけではない。
――そんなことは分かっているはずなのに――
みゆきという女が風俗の女であり、好きになったとしても、それは風俗嬢としてのことだと割り切っていたはずだ。
それをもし覆す何かがあったとすれば、
――あやめの存在?
ということになるのではないだろうか?
あやめという女が、みゆきを意識させ、みゆきという女があやめを意識させる。普通なら、一人を相手にしている時、その後ろにもう一人を意識させるはずなどないはずだ。それを意識させるというのは、少し歪んだ発想であるが、
「右手と左手で、別々のことができる」
というようなことではないか。
それは、ピノやギターのような楽器を弾く感覚であり、サトシにとって、もっとも苦手なことだった。
それができないから、音楽には興味が持てなかった。楽譜が読めないということもあったが、勉強する気さえあれば、楽譜を読むくらいはできたように思う。それができないということは、勉強する気がなく、その原因が、
「左右で別々のことができない」
ということに繋がってくる。
そうだったはずなのに、みゆきとあやめという左右の手の上に載っている女性を、同時に意識することができるというのは、どういうことなのであろうか?
サトシは、そんなことを考えていると、二人のことが、本当に好きだと感じた。
だが、それは、
「二人で一人」
と言えるのではないか。
この思いが、今後の三人を、いや、四人になるかも知れないが、どのような運命に誘うのか、その時はまだサトシには分かっていなかった。
みゆきにあやめを会わせたいという気持ちはあった。みゆきは間違いなくあやめを意識していて、会いたいと思っているようだが、この間のあやめの様子では、それほど気にしているようなことはなかった。どちらかというt冷めて見れるのは、あやめの方であった。
その理由が分かったのは、それから半年くらいしてからのことだっただろうか。あやめの表情が少しずつ変わってきたような気がしていた。
どのように変わったのかというと、一生懸命に表情を変えないようにしているにも関わらず、何か顔がほころびるかのように見えていたからだ。
「何かいいことでもあったのか?」
と聞いてみた。
きっと、彼氏でもできたか何かではないかと思っていたが、違っていた。
正直、彼氏ができたなどと言われると、かなりショックであったはずだが、それとは別の意味でのショックを与えられたのだ。
――どっちがいいんだろうな――
と考えたほどであったが、それが不謹慎であるということは百も承知のことだった。
「いよいよ私も目標金額に達してきたから、そろそろここも卒業することになるのよ」
というではないか。
「達成したらどうするの?」
「これでやっと解放されるという気持ちもあるので、田舎に帰ってやり直そうと思うの。でも、とっても不安なんだけどね」
と言っている。
解放されるというのは、やはり不安よりも安心感の方が当然強いはずだ。だから、頬も緩むというものだが、その分、油断してしまうと、またしても、落とし穴に落ちないとも限らない。あやめのような女性は、
「一度道を踏み外してしまうと、まるで癖になったみたいに、同じ過ちを繰り返すことが多い」
という話を訊いたことがあった。
サトシは喜んでいるあやめの気持ちを逆撫でするようなことはしたくはなかったが、心配事を無視することもできなかった。
ここで余計なことは言えないが、あやめを諭すくらいのことは考えなければいけないと思った。
「田舎に帰ってどうするの?」
と聞くと、
「今は何も考えられないんだけど、イメージとしては、お見合いでもして、そのまま結婚するなんていうのが、平凡でいいのかなって考えているの。今の私にとって平凡という言葉は、一番平凡ではない生き方になるわけで、それだけ憧れでもあるのよ」
と言っている。
彼女のように、借金などの束縛から解放された女性がどのような発想になるのかというのは、サトシには分からなかった。
しかし、あやめのように、健気な女の子には幸せになってもらいたい。何もなければ、今頃好きな人と結婚していたかも知れないし、一生懸命に仕事に打ち込んでいたかも知れない。
そんなあやめをサトシは想像することができる。
「見えない扉のその向こうには、俺の知らないあやめちゃんが、毎日を笑顔で過ごしているんだ」
と思えた。
いや、今のあやめも、決して笑顔を見せていないわけではない。少なくともサトシに見せる笑顔は営業スマイルではないと思っているのは、買いかぶりすぎであろうか。
「私には好きな人がたくさんいて、その人たちに囲まれて毎日を送っているのよ」
と、彼女は言っているようだった。
声にならなくとも、サトシに対して視線を送っているだけで、サトシには何が言いたいのか分かるような気がしていた。
――やはり俺は、あやめが好きなのかな?
彼女として付き合ってもらえるのであれば、こんなに嬉しいことはない。
あやめが目標を達成すれば、
「田舎に帰るなんて言わないで、俺の彼女になってくれないか?」
と言いたい思いもある。
ただ、それは今までの自分の気持ちを覆すことになる。彼女がいらないというわけではないが、一人の女性に束縛されるというのも、嫌だった。寂しさを選ぶか、束縛されてでも寂しくない方を選ぶか、これは、サトシにとっての、
「究極の選択」
であった。
あやめに、
「俺は君のことが好きになったんだ。答えをすぐにほしいなんて言わないから、解放されたら、この俺にもチャンスをくれないかな?」
と言ってみた。
普通なら、
「何、冗談みたいなこと言っているのよ」
と言って、一蹴されそうな気がするのに、その時のあやめは黙って真剣に考えていたようだった。
――真剣に考えてくれているんだ――
と思うと嬉しくなり、
「今そんなに真剣に考えなくてもいいからね」
と言ったのだが、
「今考えないと、私、今の気持ちを忘れてしまいそうになるのよ。だから、お願い」
と言って、また考えていた。
だが、すぐに結論など出るはずもない。何度も同じところを堂々巡りに繰り返し、そして、納得いきそうな着地点を見つけるのだ。きっと完全な納得などできないだろう。それができるくらいなら、何度も同じところを堂々巡りなどしないはずだからである。
「ごめんなさいね。ありがとう、少し頭の中の整理ができたから、この状態で、一人になって考えてみるね」
と言った。
要するに我々が最初に陥るところまで彼女は行き着いていなかったということになるのか。
「彼女は決して頭の回転の遅い方ではない、却って早い方だと思う」
と、サトシは思っていた。
それだけ彼女が今までの経験から慎重になっているということなのか、それとも、前のショックがトラウマになって、なかなか恋愛感情に自分の意識を持っていくことができなくなってしまっているのかの、どちらかではないかとサトシは考えていた。
一生懸命に考えている姿を見ていると、真剣な表情が、だんだんみゆきに似てきているような気がした。
みゆきという女性の本質は。
「いつも真剣に物事を見ている大人の女」
というイメージを持っていることだった。
あやめにはあまり目立たない部分であったが。よく見ていると、あやめも時々、そんな表情になっていたではないか。
それも他の人には決して見せない表情を、自分だけに見せてくれている。その感情が、サトシの中で、あやめを離したくはないという気持ちにさせているに違いない。
あやめは、今回一生懸命に考えてくれた。それだけでも、気持ちの上では満足である。もちろん、自分に従ってくれるあやめであってほしいとは思うが、ダメならダメで、彼女の幸せを祈ればいいと思っている。
「私、やっぱり、田舎に帰ります。でも、サトシさんのことは真剣に考えたいと思うの。少し離れるかも知れないけど、私にとって、あなたはいつもそばにいてくれる男性だという気持ちに変わりはないわ。今だってそうなのよ。私とは今は決まった時間しかお相手できないけど、一人になった時は、、気が付けばあなたのことを考えている。私ってそんな女なんです」
とあやめは言った。
その言葉はサトシを有頂天にさせた。飛び上がって大喜びしたいという気持ちも大いにあり、かといって、必要以上に喜びを表に出すのは、恥ずかしいという思いもある。
「ありがとう、あやめちゃん。僕にとってやっぱりあやめちゃんは、天使のような存在だと言ってもいいと思っているんだ」
と、サトシは言った。
「私は今まで男性に騙されることばかりだったので、いつも、今回は違うだろうって思って、結局最後は悲惨な目に遭うことになるんだけど、サトシさんを信じていいのよね?」
と言われて、
「ああ、いいさ。あやめちゃんは、もうこれ以上苦しむことはない」
というと、
「嬉しい」
と言ってあやめはサトシにしな垂れかかった。
「まずはゆっくりと、一歩一歩だね?」
というと、
「はい」
という元気な声が返ってきた。
ただ、不安がないわけではない。何と言っても、相手は風俗の女の子、そんな風に感じている自分がいるのに、彼女を好きだという気持ちも素直な気持ちだ。
――一体、どっちの俺が本当の俺なんだ――
と思っていたが、きっとどちらも本当の自分なのだろう。
それが分からない限り、二人の間の距離が縮まることはないだろう……。
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