〈7〉最終話

 それは夢だとわかった。白い巨人が荷電粒子砲に焼かれ、残った残骸が小さな小人となる。脳に直接訴えてくるような「コロシテ」の響き。コロシテコロシテコロシテ──コロス。

 死者の願いを叶えてやれず、日向の乗った機体は白い小人の放った業火に焼かれる。熱い、苦しい、空気がなくなる。喘ぎながらオートで帰還するモードの数値を打ち込む。大気圏突入の際にキャノピが最低限まで薄くなり、着地できた時には虫の息だった。酸素ボンベをなかなか手放せない。誰も迎えに来てくれない。降りたのは宇宙局の敷地内ではなく、見知らぬ国の見知らぬ高原だった。

 ──コロス。

 その言葉は果たされなかったが、このままどことも知れない場所で体力の消耗を放っていると、本当に死んでしまうかも知れない。

「起きろバカ」

 知った声が聞こえる。そうだ、これは夢なのだから死にはしない。だがなかなか瞼を上げられない。額にトントンと指で突付かれる感覚があった。自分が息を止めていたことに気付く。

「ぷはあぁっ」

 息を吐くと同時に目を開けた。目の前に涼介の顔がある。何故だろう。〈観測室〉の職員用仮眠室で眠っていたはずなのに。

「どうしたんですか」

「それはこっちのセリフだ。たまたまここの前を歩いていたら、〈観測室〉の後輩に声を掛けられたんだ。日向が休憩時間を過ぎても目を覚まさないとな」

 自然に名前で呼ばれて驚いたが、それよりも自分がセットしたアラームに気付きもせずに眠り続けていたことの方がよっぽど驚いた。

「揺さぶっても起きないから、どうしたらいいかと呼び止められた。俺はぶん殴って起こせと言ったんだが、さすがに後輩には先輩を殴ることはできないと言うので、俺がデコピンしてやったんだよ。目は覚めたか?」

「はい、ありがとうございます。危うく夢に呑まれるところでした」

「夢に呑まれる?」

 不思議な表現に涼介は首を傾げる。日向は気にせず説明をした。

「たまに自分でそうだとわかっている夢を見るんです。その時は夢だとわかっていても、夢から覚める方法がわからなくて、深い眠りに墜ちてしまうんです」

「だからお前はショートスリーパーなのか?」

「だからというわけではありませんが、まぁ、普段の睡眠時間が短い分、時々こういうことが起こります」

「起こります、ってな。それ、〈医務室〉で見てもらった方がいいんじゃないか? 下手すると夢から目覚めなくなるんだろう?」

「今まで目覚めなかったことは幸いにしてありませんが、生気を抜かれた気持ちになりますね」

「それは一種の病気だろう。ちゃんと然るべき検査を受けるべきだ」

「そうですか?」

「そうだよ。お前は他人にもそうだが、自分にも興味がなさすぎる」

 額に手を当てて涼介は呆れた顔をする。ひとまず日向を起こすことはできたが、本人に危機感がなさすぎて一層危惧が強まった。

「それより、俺、寝過ごしたんですよね。早く行かないと」

「後輩たちが説明に行ってくれてる。感謝しとけよ」

「はい。瀬川さんもありがとうございます」

「お前、本当に主席入局なのか? こんな変人でないと主席は取れないのか?」

「どうでしょう。ショートスリーパーだとは申請していますが」

「嫌味を真面目に受け答えするな」

「嫌味だったんですか?」

「〜〜〜〜! いいから〈観測室〉に行け。仕事だ仕事」

「あ、そうですね。では行ってきます」

 日向は緩めた首元を締め、身支度を整えた。そこへ涼介が不思議そうに問う。

「どんな夢だったんだ?」

「あの白い小人に殺されそうになる夢です。何とか地球に生還できましたが、どこともつかない場所で呆然としてました」

「恐ろしい夢だな。夢だとわかっていても」

「そうですね。起きられて良かったです」

 では、と日向は仮眠室を出て行き、涼介はしばしそのまま動かなかった。

 夢とわかっていても覚めることができない夢。内容がハッピーならそれもいいが、悪夢にうなされたまま「夢に呑まれる」なんていうことは恐怖でしかない。こなれた様子でしれっと日向は言っていたが、本当に医師に診てもらうべきだと涼介は強く思った。



「変わった体質だな」

 奈沙に相談して返ってきた答えはそれだった。決して軽い口調ではなかったが、緊迫感もない。

「瀬川は日向が心配なのか?」

「そりゃあだって、どう考えたっておかしな症状でしょう?」

「確かにな。だがそれで命を落とすわけでもなし、本人が平気だと言うのならいいんじゃないか?」

「上官は放っておいても大丈夫だとお考えですか?」

「まぁ、仕事中に寝過ごしてしまうのはいただけないが、他人にどうできるわけでもないだろう。心配なら毎日日向が寝る時に一緒にいてやることだな」

「!?」

 本気とも冗談ともつかない表情で奈沙は真面目に提案する。やっぱり主席入局者は変人なのか? と心底気になった。

「ところでだが」

 興味がなかったのか、早々に話題を変えられてしまう。

「〈かけはし〉が解体されるそうだ」

「え?」

 それには驚いて素で返してしまう。

「あるものは使いたくなるのが人間だからな。いっそ散骨機を失くしてしまえば、宇宙葬はできなくなるだろう。散骨業者はかなり抵抗したらしいが、さすがに政府からの要請となると、最終的に受け入れるしかなかったようだ」

「じゃあ、その後の遺骨の置き場所は?」

「初めに言っていた通り、遺族が管理する。いくら人口増加で居住区がひしめき合っているとは言え、自宅に置くのに困るほど場所を取るものではなかろう。火葬の時に温度を上げて、大半が粉末になるまでにして、ボリュームを抑えるそうだ。骨上げも必要なくなる」

「そうですか」

 涼介は呆気にとられたように呟いた。結局初めの案に戻ったということだ。

「宇宙葬がなくなるため、我々の職務内容もやや変更される部分があるかも知れない。〈計測室〉はまだ変化が少ない方だろうな」

「そうでしょうね。本来の仕事は小惑星や隕石の落下を計測することですから」

「〈観測室〉の仕事が楽になる分、規模が縮小されるようだ。とは言え、なくなるわけではないし、これまで通りに観測しなければならない対象物も多いが」

 日向はどうなるのだろう、と不意に思う。ワーカホリックで常にモニタに張り付いている日向が他部署に異動になると、本人ががっかりするのではないか。口では「わかりました」と言うだろうが、不満に思わないわけがない。

「日向のことか?」

 不意に黙った涼介の心を見透かしたように、奈沙はニヤニヤ笑って問う。そう言えば日向にもこんな笑い方をされたなと思い出す。まったく主席入局者は、と思う。

「あいつは〈観測室〉の室長にでもしておけばいいだろう。ああいう職務内容が苦ではないし、むしろ喜んでやる奴だ。改めて適性試験はするだろうが、日向が〈観測室〉から離れることはないだろうよ」

「よく考えていますね」

「私がではないぞ。あくまで適性試験の結果次第だ」

「もう日向には伝えてあるんですか?」

「さっき会った時に言った。変わった体質の話を聞く前だったから何も訊けなかったな。またそのうち訊いておこう」

 日常会話の一部のように職務内容を盛り込んでくる奈沙に、涼介はさすがとしか言えない。些細な会話の中から相手の体調や心理的な不安などを引き出すのがうまいのだ。

「上官もあまり休憩していませんが、奇妙な体質だったりしませんよね?」

「ははは、私は健康そのものだよ。〈副長〉の椅子の妄言など関係ないな」

「それは何よりです」

 あまりに本当に元気そうなので、涼介は溜息混じりに言った。元気なのは良いことだが、自分で元気を主張する者ほど現実は怪しい。特に奈沙と日向は似たところがあるから、なんとなく涼介の心配が増えるような気になる。こんな性格ではなかったはずなのだが。

「瀬川も丸くなったな」

 不意に奈沙が言う。迂闊にも自分でもそんなことを考えていただけに、はっとした。

「そんなに尖っていた自覚はありませんが」

「しかし今ほど丸くはなかったぞ。日向とも打ち解けたようだし、わだかまりがなくなったのだろうな」

「何でもお見通しですね、上官は」

「それが私の仕事だからな」

 仕事とは言うが、それだけでは言い表せないほどに職員一人一人を見ている奈沙に角が取れたと指摘されれば、それはそうなのだろう。否定はできない。

「尖っていた頃の瀬川も強情で面白かったが、今は余裕が伺える」

「面白かったって何ですか」

 褒め言葉の前に引っかかるものがあったので、ついそちらに反応してしまう。強情で面白かったと言った。そこまで強情だったつもりはなかったが、確かに日向に対しては風当たりが強かったのは否めない。

「褒め言葉だよ。さぁそろそろ平和な睡眠時間を取ろう。お前も明日は休みなのだろう? 日向の睡眠を見守ってやったらどうだ?」

「どれだけ俺が暇人だと思っているんですか」

「しかしさほど忙しい休日でもなかろう。どうせ隣の寮から出られないのだし」

「古い映画の配信でも観ますよ。まぁ気が向いたら日向の様子でも見に行きます」

「頼んだよ。あいつは危なっかしいから、いつも誰かが見ていてやらないとな」

 その気持ちはわかるような気がした。感情が希薄なため、自分のことにも無頓着で、他人との区別もあまりない日向。やる時はやるくせに、普段は慎重すぎるほど仕事に重きを置く。もう少し生身の人間と関わった方がいいと涼介は思う。

 奈沙にも目を掛けられるほど実力はあるのに、本人は至極当然のことをしたまでだという態度を貫く。以前はその態度に腹を立てていたものだが、落ち着いて考えてみてようやく理解できた。嫉妬もあるが、羨ましかったのだ。自分に正直に生きる実直さや、いつも飄々としている無関心さ。そういられることが。

「なんだか保護者みたいですね」

「なんとなく保護者が必要な気がしないか?」

「それには同意します」

「そうだろう?」

 日向が聞いたら何と言うだろう。さらりと「そうですか?」と返すかも知れない。きょとんとして「何故ですか?」と言うかも知れない。ただ、そんなことはないと否定することはないだろうと思う。言われたことをそのままに受け止めるのが日向だからだ。

「はーぁ。さすがに眠いな。私も寝過ごさないようにしなければ」

「どれだけ寝ていないんですか。しっかり休憩をとってくださいよ」

「今回はそうするよ。じゃあまたな」

「はい、おやすみなさい」

 保護者が必要なのは奈沙も変わらないのではないかと涼介は思った。やっぱりあの二人は似ているところがある。

 だからこそ、放っておけないのだろうなと一人で答えを導き出した。



〈かけはし〉が解体されるとメディアででかでかと配信され、国内は一時期やや混乱した。例の一件は民間人にはトップシークレットだったので、政府は言い訳に四苦八苦した。専門家の意見だの、第三者委員会の会議だのと、お得意の責任のなすりつけ合いでとにかく決定事項として法令とされた。

 さらには〈ひとみ〉は後継機の〈まなざし〉にその座を預けて運用が終了となった。そのまま死んだ人工衛星の仲間入りをするところだったが、先日せっかく荷電粒子砲で一掃された宇宙空間に新たなスペースデブリとならないよう、遠隔でプログラムを書き換えて帰投するようにした。思った通りにいくかどうかは五分五分だったが、今はそれに懸けるしかなかった。

 今のところ宇宙からの訴えは何もない。〈観測室〉が〈まなざし〉の画像をチェックし、〈計測室〉と〈解析室〉がさまざまな宇宙の飛来物の存在を計測・解析している。

 命あるものはもちろん、生命でなくなったものにも意志は宿るのだ。民間人には明かされない秘密ではあるが、これからもその重みを背負っていかなければならない。それが宇宙局で共有されている意識であり、各々の誓いでもあった。

 日向は相変わらず楽しそうにモニタに張り付いている日々だ。それが平和のあるべき姿だった。あの日以降、宇宙局内でアラートが鳴ることはない。



                                   〈了〉

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スターゲイザー〜宇宙(そら)を観る者〜 桜井直樹 @naoki_sakurai_w

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