〈7〉第3話

「──ということで、日向が瀬川のことを褒めていたぞ」

「上官、冗談も休み休みにしてください」

「冗談ではない。私が日向の株を上げてやる義理もない。ただ素直に日向は瀬川を褒めて感謝していたよ」

「……そうですか。まぁ言葉は受け取っておきます」

「素直じゃないな」

「反発している相手に無条件に褒められたら、何かあったのかと思いませんか?」

「お前は思うのだな」

「それはそうです。次からどう相手にすればいいか困りますよ」

「いつも通りでいいじゃないか」

「上官は傍観者だからそんな呑気なことが言えるんですよ」

 日向が涼介をべた褒めしていた、と誇大表現で本人に知らせたところ、やはり思った通りの反応だった。手放しで喜べるものではないらしい。

「瀬川はまだ日向を敬遠しているのか?」

「敬遠?」

 涼介は繰り返して斜め上を見上げる、そこに答えが書いてあるかのように。

「まぁ、あまり好きなタイプではなかったですが。彼の実力は認めていますよ」

「ならいいじゃないか。照れているのか? 可愛げがあるな」

「照れてません!」

 やや顔を紅潮させて涼介は否定する。だが今回の件で、なんとなく距離が縮まった気はしていた。それもどうやら一方通行ではなかったらしい。

「まぁ、上官初め、誰にも処罰がなくてよかったです。上官がデータを持って飛び出して行った時は、どうなることかと思いましたし」

「善は急げというだろう。いちいち上層部に話を通していたら、いつまで経っても事は解決しないし、新たな悪夢を生むだけだ」

「確かに日本という国そのものがそういう体質ですからね」

「だから私が行った。すべての責任は負うと皆に行ったのだから当然だ。だが、お前たちならうまくやってくれると思ったよ」

「それってただの結果オーライじゃないんですか?」

「おや、瀬川も口が立つようになったな。日向に感化されたか?」

「一緒にしないでくださいよ」

「いいじゃないか。結果オーライでもうまくいったのだから」

「……上官も、案外鉄砲玉ですね」

「きちんと戻って来ているだろう」

 そう言われると返す言葉がない。確かに結果オーライ、それでOKなのかも知れない。

「まぁ今後しばらくは宇宙葬の代わりになる方法を考えなければいけないな。そればかりは考える頭数が多いに越したことはない。政府の年寄りたちに柔軟な考えを期待しても無駄だろうし、結局我々が案を出すことになるだろう」

「仕方ないですね。国内の一番の問題ですから。公募でもしてみればいいんじゃないですか?」

「なるほど、それはいい考えだ。謝礼を付ければ名案も湧いてくるやも知れん。さすが瀬川だ」

「そんな褒められることでもないですよ。ただ人間、何の得もない時は行動しませんが、いざ謝礼が出るとかご褒美を提示すれば、こぞって集まってくるものでしょうから」

 頭を掻きながら涼介は控えめに言う。それこそ人間の性(さが)だ。

「早速伝えておくとしよう。他に私に用はないか?」

「上官にですか? 今は特に……。あ、ちゃんと休憩はとってくださいね」

「わかっている。お前も心配性だな」

「だって放っておくと上官は休憩を取らないじゃないですか」

「それは日向にも言ってやれ。ワーカホリックで困る」

「困るのは上官でしょう。悪いところを見習ってしまったんじゃないですか」

「そういう瀬川は休憩はとっているか?」

 不思議そうに問う奈沙に、涼介は呆れた顔で返す。

「当たり前です。休憩をとらないとパフォーマンスが下がるでしょう。俺は休める時にはきちんと休んでますよ」

「それは職員の鑑だな」

「普通のことです!」

「じゃあ私もなるべく見習うとしよう。皆ちゃんと休んでいるのはすごいな」

 真剣な顔で奈沙が言うので、この人はどれだけ仕事好きなんだと涼介は思う。自分も仕事は好きだし、誇りを持って働いているが、取るべき休憩は義務として取っている。日向のようにショートスリーパーではないし、奈沙のようにアクティブがすぎることもない。

「じゃあまた後で」

「休んでくださいよ!」

「ああ、承知した」

 涼介の労いというか熱烈な訴えに、簡単に返事を返して奈沙は〈計測室〉を辞する。



「あれ?」

 食堂でカツ丼を食べていた日向は、無言で向かい側に本日の定食のトレイを持って座った涼介に驚いて声を上げた。他に空いている席は山ほどあるのだが。

「相席は迷惑だったか?」

 箸を取る前に涼介は問う。日向は「別に構いませんが」と言って丼を置いた。

「今日の定食はポークチャップですか」

「そうらしいな。俺は毎日同じものは嫌なので、内容も見ずに定食にしているんだが」

「カツ丼は楽ですよ。丼一つで満腹になる」

「だからって毎日ってのはどうなんだ?」

「飽きません」

「それは立派だ」

 さして褒め言葉でもないが、一応日向は「どうも」と返す。

 以前もここで声を掛けられたことを思い出す。あの時は絡み口調で面倒臭かったので、休憩の終わりを言い訳にした席を立ったのだったか。今日は食べた後に少し仮眠をするつもりだが、相変わらず眠れる気がしない。

「宇宙葬の代替案、思い付いたか?」

「いえ、目ぼしいものはないですね」

「目ぼしくないものは?」

「みんなが思いつくようなもので、きっと却下されるようなものです」

「失くなるまで砕くとか?」

「ええ、そういう、今回の案件をろくに問題視していないようなものですね」

「上も考えているんだか保留のまま放っているんだか、微妙なところだしな」

 言いながら涼介は味噌汁をすする。猫舌ではないのだな、と日向は変に羨ましく思う。

「国とはそういうものらしいですよ」

「上官のセリフだな。それはもっともだと俺も思う」

 豚肉を掴んで口に入れ、しばらく何も話さない間に日向も丼を掻き込んだ。涼介が何の意図を持って相席したのかわからない。

 その疑問を浮かべた表情に気付いたのか、白飯を咀嚼してから言った。

「俺はお前を嫌っているんだと思っていたか?」

「それは、その、そこまではっきりとは思っていませんが、好かれてはいないとは思ってます」

「今でも?」

「今でも」

 日向は返す言葉に詰まる。今更何だろう。

「言っておくが、俺は常日頃からお前を憎んで生きているわけじゃない。そこまで暇ではないし、お前に対する執着もない」

「はぁ」

「ただ、嫉妬心が消えないだけだ。何のことかわかっているか?」

「さぁ」

 気のない返事に涼介は長い溜息をつく。自分が他人にどう思われていても関係ないと言える心の強さには拍手を送るが、相変わらず感情の希薄な日向には呆れさせられてしまう。

「ずっとお前のことを『主席サマ』と呼んでいただろう」

「そうですね」

「だからそういうことだ」

「?」

 疑問付が目に見えるように日向はキョトンとする。合図のわからない子犬のように。

「だから。俺はお前が主席入局したのが気に入らないんだよ」

「そうは言っても、たまたま試験と面接でうまくいっただけなので」

 そんなふうに言うとは思っていた。主席入局を狙っていたわけではない、と。

「俺は自分が主席だと信じて疑わなかった。相応以上に努力をしたし、本番でも力を出せたと思っている」

「なら何故」

「それでも主席になれなかった。わかるか? 順位なんてどうでもいいと言う奴がしれっと主席入局して、猛烈に頑張った俺が二番手だと知った時のショックが」

「想像はつきますが、きっと俺が思っている以上なんでしょうね」

 日向は控えめに応える。

「そうだよ。しかもお前は主席入局を自慢せず、気にも掛けずにコツコツとまだ伸びしろのある努力を続けている。そんな奴が同期だったら、嫉妬せずにいられないんだよ俺は」

 そうですか、と言うにはあまりにも興味がなさ過ぎると思い、日向は言葉を飲み込んだ。涼介は言葉を続ける。

「器の小さい奴だと思うだろう? くだらないことで悩んでいると思うだろう? それでも俺は一番になりたかったんだ。今までずっと、一番以外取ったことがなかったから」

「それはすごいじゃないですか」

 日向は心からそう思った。二十二歳で宇宙局に入局するまで、一切トップの座を誰にも譲ったことがない。勉強も、運動も、人徳も、何もかもにおいて。

「だからお前の存在は俺の初めての失態なんだ。はっきりって大嫌いだった時もあった。入局してすぐの頃は、なんとかお前が脱落しないかを期待したりもした。思っただけだが」

「それで俺はいつも絡まれていたわけですか」

 やっと納得がいったとでもいうように、日向はポンと手を打った。それにも涼介は項垂れた。天然すぎる。

「もしかしてお前、他人のことをまったく見ていないんじゃないか?」

「そうは思いませんが、瀬川さんや副長ほどに皆に目を掛けてはいないですね」

「上官は仕事だから立場上当然だが、俺だってそこまで気に掛けている奴なんていない。職場でうまくやれるような、ごく一般的な社交性を持っているだけだ」

「俺にはそれがないと?」

「そこまでは知らん。だが、少なくとも俺がお前に嫉妬していることは伝わっていなかったようだし、雑に扱われても気にも留めなかっただろう」

「俺がそういう人間だからじゃないですか?」

「今になってそう思ったよ。だからもう無意味な嫉妬は辞めた。お前の実力は認めるし、性格には難ありだが受け入れてやる」

「いいんですか?」

「何がだ」

「そんな本音を本人の前で言って」

 一切れのカツを残しながら日向は問う。

「他人の前で言える話じゃないし、本人以外に言ったら陰口だろう。俺はそこまで墜ちてはいない」

「さすがです」

「なんかお前に言われると褒められてる気がしないな。もうちょっと声や話し方に喜怒哀楽を込めた方がいいんじゃないか?」

 思わず余計なアドバイスをしてしまう。日向は困った顔で「こうですか?」と言って両手で頬を持ち上げて口角を上げた。

「変顔コンテストならそれでもいいかもな」

 最後の肉を食べ終え、それを見た日向も残したカツを口に入れる。

「じゃあ俺は、今はもう瀬川さんに嫌われていないっていうことですか?」

「言っているだろう。そこまで始終お前を憎んではいなかったと。ただ、事あるごとに関わると嫉妬心に苛まれるだけだ。だが、今回のミッションを一緒にやり遂げたことで、俺の気持ちの整理はついた。別に嫌ってはいないし、今更嫉妬しても仕方ないと思った」

「ありがとうございます」

 思いがけずぱっと明るくなった日向の表情を見て、涼介は目を見開いて驚く。こんな表情もできたのかと。

「礼を言われることじゃない。はっきりさせておきたかっただけだ。俺がな」

「でも、嫌われるよりそうでない方が嬉しいですよ」

「お前にもそういう気持ちはあるのか」

「人を何だと思ってるんですか。俺だって嫌われるだけじゃあ寂しいと思いますよ」

「気付いてもいなかったのにな」

「むぅ」

 カツを咀嚼しながら唸る。そういう涼介の表情もさっぱりしていた。背負い続けていたものを、ようやく下ろせたからだろうか。

「これから仮眠か?」

「はい。眠れる気がしませんが」

「どうして」

「ニヤニヤしてしまいそうで」

「なんでそうなるんだ。ニヤニヤしながらでもいいから寝ろ!」

 やや耳を赤く染めて涼介はトレイを持って立ち上がる。

「瀬川さんは何休憩ですか?」

「食事。しばらくコーヒーでも飲んでゆっくりしてから行く」

「そうですか。また時間が合えば相席しましょう」

「気が向いたらな」

 照れ隠しの涼介の言葉に、日向はなんとなく口元が綻ぶ。

「じゃあまた」

「おやすみ」

 目を合わせないまま挨拶をして、日向は仮眠室へ向かった。



 やはり日向はなかなか寝付けなかった。涼介の顔を思い浮かべると、宣言通りニヤニヤしてしまう。そう面白いことでもないのだが、自分でも何故そこまで嬉しく感じるのかはわからない。

 ただ、今までやたらと突っ掛かられていた本当の理由を知ることができて納得した部分は大きい。それを自分で認めて、直接伝えてくれたことにも喜びを感じる。もともと日向は涼介のことを好きとも嫌いとも思っておらず、自分の同期としか認識していなかった。これを本人に言うと、また機嫌を損ねてしまいそうなので言うつもりはないが。

 日向自身、主席入局に何の感慨も持っていなかったので、欲しければあげますよ、程度のものだったが、涼介のようにこれまで一度もトップを譲ったことのない人間からすれば、相当に憎らしい存在だったのだろう。

 そんなことを考えているうちに、眠りに落ちていた。

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