〈7〉第2話
平和な日々が戻ってきた。あれから〈かけはし〉は飛んでいない。代替案はなかなか纏まらず、近辺にある国土の広い国の一部を買い上げるという案も出たが、それは外交案件だった。人口の爆発的増加は世界規模だったが、国土の小さい独立国家である日本が一番墓地問題を抱え、結果、墓を暴いて宇宙に撒くという暴挙に出た。墓地の跡には相当数の世帯が住める超高層タワーマンションが建築されている。
もっと小さな国や地域では、人口増加もそれほど酷くはないし、逆に大国では土地の余裕がまだあった。日本が一番中途半端な先進国だったせいで、今回の騒動だが持ち上がったのだ。
この事象の顛末は国内に記録されるが、世界的に発信するのはやめておこうというのが政府の見解だった。ただ、日本の土地不足は世界中の知るところだったので、土地を貸して欲しい、または一部を買い取りたいという申し出は足元を見られてなかなか進展しない。
あとは遺骨を粉々にして風に飛ばせる砂状にまで砕いてしまうという案も出た。だがそれは遺骨を撒く場所が宇宙でないというだけで、物理的に風に流してしまおうという粗雑な扱いは、また別の問題を呼びそうだという判断に落ち着いた。
人口増加の原因は、人間の長寿化と、第何次目かのベビーブームがやってきたことにある。人の住処を確保するだけでも大変で、まさかこんな事態が起こるとは誰も想像していなかったに違いない。
宇宙進出にもやや出遅れたものの、宇宙葬を思い付いて長らく運用されてきた実績はある。しかし今回のことで宇宙葬は断念せざるを得なくなった。本格的に亡くなった人間の遺骨の保存場所を考えなければならない。現状は遺族が持ち帰ることになっているため、それをその後どうしていようと誰にもわからない。あまり表沙汰にできない手段を使う者もいるであろうことは容易に推測できた。
「お疲れさん」
背後からマグカップが差し出され、日向は振り返る。奈沙が紙コップ片手に微笑んでいた。
「お疲れさまです。ありがとうございます」
「猫舌は治ったか?」
「副長が教えてくださった方法はまだまだ改善の余地がありますが、多少はうまく飲食できるようになりました」
「ほう、それは良かった」
言葉通り満足気に奈沙は言う。
「副長はあれからどうなんですか? こんなところで一服している余裕ができたんですか?」
確かに奈沙は一時的に忙しそうだった。出張という名を借りた都内への往復で、宇宙局としての今後の課題などを議論したり報告したりしていた。
「私はいつも忙しくはないよ。できないことを『忙しい』の一言で片付けるわけにはいかない」
上に立つ人物として理想的な発言をする。
「進展はありました?」
「あまり捗々(はかばか)しくはないが、政府でもかなり真面目に考えてくれる派閥も出てきた。それだけでも十分ありがたい」
「それは良かったです」
日向はマグカップに口を付け、不器用な様子で猫舌解消の飲み方に挑戦している。
「宇宙局内でも、なかなかいい案は浮かびませんね。全部燃やしてしまえという意見が大半ですし」
「まあそうだろうな。どうせ一度は焼くのだから、いっそ何も残らないほどまで焼き尽くしてしまえば、少量を遺族に渡して残りは埋め立てにでも使えばいい」
「今度はその埋立地で何事かが起こったりしませんか?」
「それは宇宙局の守備範囲ではない。政府が面倒を見てくれればいい」
「手放しましたね」
「上の奴らを甘やかしていると、国が転覆するよ。こんな小さな島国が生き残っていくには、甘やかしていてはいけない」
「確かに」
日向も頷いて同意した。
「もう副長の仕事は終わったんですか」
「終わったと言えば終わった。終わっていないと言えば終わっていない」
「どういう意味です?」
「やろうと思えば何でもするが、政府がこれ以上の宇宙局の介入を嫌がっている。正式に言うなら、私の介入が鬱陶しいのだろうな」
「どれだけ嫌われることをしたんですか」
呆れたように日向が返すと、奈沙もニヤリと笑った。
「権力を持っているのだから、正しい方向に使うべきだろう。だが、昔の方法で頭が凝り固まっている老人たちには、そもそも宇宙局で取り扱うような、ほとんどわけのわからない案件を理解できないのだろうな」
「つまり民間人と同じレベルの知識しかないと?」
「そういうことだ。邪魔になった遺骨を宇宙に撒くことに抵抗はないし、むしろ宇宙葬には夢があって金儲けもできて名案だと。宇宙に溜まったゴミは地上にいる限り関係ないし、まさか遺骨が意志を持ってそれを伝えるためにいろいろな手段を講じてきたなど、読んだこともないようなSFフィクションの世界の話くらいにしか思っていなかったんだ」
「現実逃避できる立場の人はいいですね」
精一杯の嫌味を込めて、淡々と日向は頷く。「国とはそういうものだ」と言う奈沙の口癖が、今になってよく分かる。何しろ宇宙局に表彰状と感謝状が送られて来たほどなのだ。平和ボケにもほどがある。
「まぁ、一応政府もさまざまなことを考えているようではある。第三者委員会を設立して、今後の遺骨の処分法を考える気はあるらしい。私は第三者ではないのでそのメンバーには入らないが、口出しのできる権限は勝ち取った」
「さすがですね。手ぶらでは帰ってこない副長らしいです」
「お前、言うようになったな」
皮肉の込もった日向の言葉に、奈沙はやや驚いて返す。成長したか。あまりの突飛な経験のために、精神的に大きくなったのかも知れない。
〈医務室〉の老医に聞けば、日向は三日間薬を飲んだだけで、あとは問題ないとお墨付きをもらっている。老医いわく、「あまりに強靭でしなやかな精神」ということらしい。
「ひとまず再び宇宙葬をするなどという愚行をしない限り、私たちの抱えている案件は解決したと言っていい。今まで通りの業務に戻れるし、〈まなざし〉の運用も従来の〈ひとみ〉と同様に扱っていく」
「はい。副長、ありがとうございました」
「何がだ?」
突然の謝礼に奈沙は首を傾げる。日向は奈沙がわかってないことに疑問を抱いて言った。
「この案件の一連の判断です。副長が鼓舞してくれなければ、下手すると宇宙局がターゲットになって、巨大な隕石を墜とされていたかも知れないでしょう。副長の的確で素早い判断のおかげで、荷電粒子砲も使えましたし、秘蔵の対宇宙用戦闘機まで出していただいて」
「あるものは使うまでのことだ。すまなかったな、お前を操縦士にしてしまって」
「いえ、いい経験でした」
「どれだけ肝が座っているんだ、お前は」
奈沙が苦笑するので、日向もつられて笑った。
「このあとは〈計測室〉ですか?」
「ああ、瀬川にも重い役目を任せてしまったからな」
「彼ならその方が喜びますよ。蚊帳の外を嫌うでしょうし」
「それは嫌味か?」
「事実です」
ふふ、と奈沙は口元を綻(ほころ)ばせて、日向と涼介の距離が縮まっていることを感じた。これをネタにして涼介をからかってみようか、などと腹の中で考えてしまう。
「じゃあ私は行くよ。ちゃんと休憩は取るようにな」
「はい」
相変わらずろくに休憩をとっていないことに気付かれてしまったのか、挨拶代わりのからかいだったのかはわからないが、日向はデバイスで時間を見た。仮眠休憩まであと二十分だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます