〈6〉第3話
薄っすらと目を覚ますと、ドーム型の機械の中にいた。そこで自分がスキャニングに掛けられているのだと察する。不思議とすぐに現実に戻ってこれた。頭のてっぺんから爪先までまんべんなく輪切りの映像を撮られ、別方向からの光学センサで体中に異変がないかを調べられている。
日向は動かせない身体をもどかしく思いながらも、白い小人のことを考えていた。
──コロシテ。
まさか遺骨にそんなことを頼まれるとは思いもしなかった。一度死んで宇宙葬で撒かれた遺骨に、まだ意志と呼べるものが残っていようとは。
奈沙は今頃〈解析室〉だろうか。それとももう上層部に殴り込みにでも行っているだろうか。
涼介の嫌味に初めてカチンときたのは、多分精神的にナイーブになっていたからだろう。まさか自分でも言い返すとは思わなかった。気が付いたら発していた声だ。当たってしまったようで申し訳ない気になる。
「目が覚めたかね」
気付けば〈医務室〉の老医がカーテンを開けて覗いている。身体は動かせないが、声は出せたので、「はい」と静かに答えた。
「それじゃあ器具を外していこう。しばらく待ちたまえ」
ドーム型の機械をスライドさせて、裸の日向の身体のあちこちに付けられた電極のようなものを外していく。痛みはないがくすぐったい。それから下着と制服を渡されて、ようやく人前に立てるようになった。
「気分的にやや滅入っているようだが、異常値を示すほどではないから心配は無用だ。放射線を浴びてもいないし、肉体は健康そのもの。落ち込みは時間が癒やしてくれるのを待つしかないが、一応三日分の安定剤を出しておくから必ず飲むように」
「はい、ありがとうございます」
カーテンを開けて〈医務室〉のオープンなスペースに出ると、涼介が佇んでいたので驚いた。涼介も驚かれたのがわかるほど、日向の子犬のような大きな黒目が見開かれていた。
「瀬川さん。どうしたんですか?」
「お前がスキャニングされている間に〈副長〉命令でデバイスを借りた。〈解析室〉ではいい記録がとれたみたいで、一部コピーして上官が上に乗り込んでいった。俺はその用済みのお前のデバイスを返しに来た」
事実だけを淡々と述べる涼介の声を、日向はぼんやりと聞いていた。なるほど、デバイスの情報を持っていかなければならないということは、戦闘機のブラックボックスには不足していた情報があったのだろう。日向は聡明な頭で正解を予想した。
「ありがとうございます。役に立てたのなら良かったです」
「上官は喜々として戦闘モードだったよ」
少し呆れたように涼介は薄く笑う。こんな笑い方をする人だったのかと日向は感じた。いつも噛みつかれてばかりだから、不満げな表情や苦虫を噛み潰したような顔ばかり見ていた気がする。
「副長はああ見えて人を論破するのが好きですもんね」
「多分上層部に伝えたあと、自分で政府にまで乗り込みそうな勢いだったな」
聞いた日向もクスリと笑う。感情の希薄な日向も、こんな笑い方ができるのかと涼介は心の中で思った。お互いの知らない顔を見て少し喜びが湧く。不思議なことに。
「ほら、デバイス」
「ありがとうございます」
差し出された腕時計と見紛うような万能デバイスを受け取る。左腕に装着し、個人認証をして再起動させれば、もう日向の身体の一部だ。
「お前な」
涼介が言う。日向が目を合わせる。
「律儀すぎるんだよ。遺骨にたとえ意志があろうとも、温情を掛けるべきじゃない。それがお前らしいと上官は言っていたが、命取りになるぞ」
「そうですか」
「そうですか、じゃないだろ。たまたま〈計測室〉の荷電粒子砲二発が効いて相手が小さくなっていたから大きな戦闘にはならずに済んだけど、あの大きさでなければ集まった遺骨の群れに襲われていたかも知れない」
確かに、と日向は思う。白い巨人が白い小人になっていたおかげで、相手の意志も同じ方向を向いていたのだろう。もともと小さな遺骨の集まりではあるものの、集合体になれば三十年分のサイズになる。さすがに戦闘機では心許ない。ばらばらになって囲まれれば逃げられない。
「結果的にはうまくいったということで」
日向が軽く頷きながら、本気とも冗談ともつかない言葉を発する。涼介は「まったく」と小さく呟いて、「それで?」と訊いた。
「身体は大丈夫だったんだろ? 上官が精神面を気にしていた。その調子なら大丈夫そうだが」
「大丈夫だそうですが、三日間薬を飲まないといけないらしいです」
「その程度で済んで良かったな。あんなものと真正面から対峙して、すぐにまともに戻れるとは、さすが主席サマって感じだ」
「今の俺はまともですか?」
老医にお墨付きをもらったものの、気になって日向は涼介に問う。
「まともかどうかはさておき、いつも通りではあるだろ」
「そうですか」
言われて日向は手足を動かして自分の身体が自分の意志の通りに動くことを確認した。しかし精神面のことは自分ではわからない。遺骨に温情を掛けたつもりはないが、やはり自ら死に飛び込んだ白い小人のことは気になる。それは優しさなのか臆病さなのか、驚いてまともな判断力を失っていたのか、理由は自分でもわからない。
「どうした?」
もじもじとして、手をグーパーしたり、その場で足踏みをしたりしている日向の挙動を不審がる涼介。それはそうだろう。日向は普段はわりと不動だ。だから存在が希薄になる。
「いや、特に」
ならやめろよ、と言いたいところを堪えて、涼介は「戻るぞ」と言う。日向は老医に礼を言って、涼介について〈医務室〉を出た。どこに向かうのだろうと思っていたら、〈解析室〉だった。
奈沙はとっくに行動に出ているが、日向は自分のデバイスに記録されていたというデータを見せられ、「相違ありません」という書類にサインを書かされた。戦闘機のブラックボックスよりも、身体の一部になっているデバイスの方が正直だ。
「ありがとう。これで上官の行動にも言い訳が立つわ」
〈解析室〉の室長の女性に言われ、日向は頭を下げた。
それから各々の持ち場に戻る。ひとまずここ数週間続いていた意図的な落下物の心配はなくなり、〈観測室〉も〈計測室〉も張り詰めた空気が穏やかになっていた。これまで通りの業務に集中することができるし、日向もモニタのもやを気に掛ける必要もなくなった。
今までに使われたことのない対宇宙用戦闘機について、同僚に興味深くいろいろと訊ねられたが、はっきり言って他人に話して面白いものは何もなかった。ただ、「生きて戻ってこれて幸いでした」と言うと、案外周囲の人間にはウケた。日向が真剣に述べた感想だったが、それにしてはウィットに富んでいたのだろう。「生還できて何よりだ」と肩を叩かれた。
〈計測室〉では荷電粒子砲を地下に収納し、再びエンジニアたちによってメンテナンスが行われた。日向が駆った戦闘機はどこをどう修復しても再使用できそうになかったので、パーツごとに分解されて新しく作り直されるとのことだった。とは言え実際には代替機のような存在の戦闘機がもう一機あり、それを本格利用できるように手を加えるらしい。完全にゼロから作り直すわけではなさそうだった。
まさか上層部しか存在を知らない、しかもかつて一度も使われたことのない対宇宙用戦闘機でいきなり実戦投入させられるとはと、そんなものの存在を知らされていなかった宇宙局の職員たちも驚いていた。荷電粒子砲が最終兵器だと思わされてきたのだから仕方がない。
その上層部でさえ、机上の空論で作ったものを何の保証もなく使わせたことには驚いただろう。許可を出すかどうかの判断に躊躇している間に、奈沙が〈副長〉権限で使ってしまった。日向が無事戻ったからいいものの、こってり絞られることにはならないかという心配が先に立つ。その奈沙はデータを持って殴り込みに行ったらしいが。
ひとまず日向はいつもの薄くてぬるいコーヒーを入れ、椅子に座って手近なモニタを眺めた。これこそが理想的と言わんばかりの美しい宇宙が広がっていた。二発の荷電粒子砲と、戦闘機のレーザーで焼き尽くされたスペースデブリは、跡形もなく消え去った。次の〈かけはし〉が発射されなければ、宇宙はこれまで以前の美しさを取り戻すだろう。
日向は奈沙の強い意志にやや期待を寄せた。
もうあんな思いはこりごりだったから。
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