〈5〉第2話

 見えない。

〈観測室〉では職員総出でモニタに繋がれた配線や端末を調べていた。誰が担当しているモニタでも、画面に砂嵐が出て何も見えないのだ。磁気嵐でも発生したのか、〈ひとみ〉だけでなく〈まなざし〉からの画像も砂嵐だった。

 それは同じ画像を共有している〈計測室〉でも同様で、モニタの下部に示される数字だけが頼りだった。それを見る限り、落下物の気配はないが、磁気嵐が去った途端に落下という可能性もあった。だから〈計測室〉では半ば手動で電卓を叩いていたりする。

「そっちはどうだ?」

「問題ありません」

「繋がっています」

 そんなやり取りがあちこちでなされる。

「モニタ、出ました!」

 唐突にモニタに画面が映し出され、〈ひとみ〉と〈まなざし〉のカメラからの映像が復活する。

「よし!」

〈観測室〉内でも歓声があがり、ひとまず落ち着いた。画像が見えなくなっていた時間はわずか五分にも満たない。だが、直後にアラートが鳴り響く。モニタが沈黙していたせいではない。何かがあったということだ。このわずか五分足らずのうちに。

 各職員が自分のデバイスで状況を確認する。どうやら〈計測室〉の手動計算によると、見えなかった間に落下物が大気圏を突破したらしい。今までのものより大きいという。

 各部署では早速緊急事態用の行動を始める。〈計測室〉からの警告で、連続して落下するものはないかを注視する。

 その間、日向も他の皆と同様にモニタに見入っていた。今回の落下物も確実に宇宙局の敷地内に墜ちる。だから慌てて外に駆け出す必要はなかった。ひとまず復旧したモニタをチェックする。〈ひとみ〉と〈まなざし〉のメインカメラがすべて正常に映ることを確認し、落下物の着地点へと急ぐ。やはり裏口前の通路で涼介とバッティングした。

 軽く会釈するが、苦々しい顔でスルーされる。特に気にはしない。

 裏口の扉を開けると、二人は同じ方向へ走り出す。まるで競い合っているように全速力で駆けるが、新しい施設を建てる予定地として何年も遊ばせていて森のようになっている通称〈庭〉に入った時、二人は足を止めた。この辺りのどこかにあるらしいとデバイスが表示する。

「主席サマはまたお手柄散策ですか?」

 早速涼介が絡んでくる。日向は気にせず、適当に「ええ」と返しておく。別に手柄を求めているわけではないのだが。

「あった」

 涼介が先に声を上げる。地面を抉るようにそこにあったのは、やはり人骨と見られる白い物体だった。先にデバイスで写真を撮ってから、涼介が「失礼しますよ、っと」と言って掘り起こす。手のひらで余るような大きさだった。

「また〈解析室〉ですか?」

「他にどこに持っていくんだよ」

「そうですね」

 やや気遣って会話を試みた日向だったが、早々に撃沈したので気にしないことにする。

 二人で裏口から入ると、相変わらず奈沙がコーヒー片手に待っていた。真っ先に飛び出すのがこの二人であることを、誰もが知っているからだ。それにしても奈沙はコーヒーの飲みすぎではないかと心配になるほど、いつも片手に持っている。

「ご苦労さん」

 二人が挨拶し、涼介が落下物を見せた。歪な形をした白い物体。直径は十センチはあるだろう。これは直撃すると無事ではいられない大きさだ。

「磁気嵐の間に落下なんて、卑怯もいいところでしょう」

 涼介が眉をひそめてボヤく。

「狙われていた、という可能性はないでしょうか」

 日向は思わず「あり得ない」と返されそうな仮説を口に出す。これが初めてなら笑って済ませるが、もう何度となく遺骨を落とされ、大気圏で燃え尽きているという現実がある以上、事実を認めるしかなかった。

「宇宙の意志とやらにか?」

「わずか五分間の磁気嵐ですよ? そんなものありますか? ピンポイントで狙ったようにこの施設内に落下するなんて、どう考えても偶然では片付けられません」

「そうだな。これは放っておくと事が大きくなりそうだ」

「民間人には避難アラートを出していませんが、火球は多く発見されてSNSで拡散されています。これ以上隠しておけないのでは?」

 日向がこんなに熱くなることは滅多にない。それほど危機感を感じているということだ。

「〈まなざし〉の映像を見ましたか?」

 日向は奈沙と涼介に問う。二人は頷いた。

「まるで寄り添うように、散骨した遺骨が集まっています。適当にばら撒かれた遺骨が、こんなに都合良く塊になるでしょうか。元は死んだ人間の亡骸です。亡霊になってもおかしくない」

「亡霊とな」

 奈沙が繰り返した。日向は続ける。

「死んだ人間が土の中にいた時代もあったでしょう。その頃は墓地に火の玉や幽霊が出ると言って、特に夜は不気味がられていたんです。しかし彼らは宇宙に放り出されてしまった。恨みつらみもあるのではないでしょうか」

 決してオカルトを信じているわけではない。だが、日向は自分がそうだったらと考えた。一度放り出されてしまえば、もう誰にも会うことはできない。手を合わせてくれる人もなく、供え物を置く場所もない。自分たちは宇宙のゴミとなった。死者は皆平等に。

 ならば誰かの一声で集まることはないだろうか。少なくとも、生きている人間のコミュニティは誰かの一声から始まる。ならば。

「宇宙葬を辞めれば落下物の攻撃は止まるのか?」

 涼介が不審そうに言う。確かにそれだけで収まるとは思えない。今後宇宙葬をやめても、三十年分積み重なった恨みは晴れないだろう。現在宇宙に漂っている古い遺骨ならなおさらだ。

「俺は、変な考えかも知れないけど、宇宙に撒かれた遺骨には意志が宿っていると思います。そして仲間を集めて異形になるような気がして……」

「やはり荷電粒子砲で燃やし散らすしかないか。もちろん今後の宇宙葬は中止にした上で」

 奈沙は器用にコーヒーのカップを持ったまま腕組みをした。

「どうせそれも人骨なんだろう。〈解析室〉には回すが、調べるまでもないな」

「俺もそう思います」

「瀬川、準備の方は?」

「いつでもいけます……と言いたいところですが、さっきの磁気嵐で再計算が必要になりました。半日もあれば再計算が出せると思うので、それなら」

「わかった」

 奈沙は納得したように頷いた。日向が問う。

「荷電粒子砲を使って、すべての遺骨を焼き払うんですか?」

「まだ少し先の話になるが、それが一番手っ取り早いだろう。お前だって、宇宙用戦闘機で出撃などという暴挙は避けたいはずだろう?」

「それはもちろんですが……説得できるでしょうか」

「それはわからない。ただ、世界中にある宇宙局の中で、攻撃を受けているのは日本だけのようだ。つまり、これは我々の問題だということになる。もちろん諸外国でもある程度似たような出来事があるかも知れないが、こういうナイーヴな内容はそう表立って話すものではないしな」

 日本は国土が狭いせいで、人類の急激な増加の対応しかねている。もともと山や森だったところを開拓しても、墓地などを残す余地がなかったほどだ。宇宙葬しか死後の選択肢がないのだから、日本の衛星軌道が一番スペースデブリが多いということになる。

「まずは宇宙葬の中止を申し出る。〈計測室〉で出された数字も見せる。〈観測室〉からの一番酷い画像も見せる。我々が出せる情報はすべて出した上で、推測を兼ねた将来像を語る。まさか幽霊や宇宙の意志なんてことを言い出して一笑に付されるのは避けたいところだが、〈まなざし〉が捉えた遺骨の集合体を見せれば多少真実味は伝わるだろう」

「国の判断を待つだけですか?」

「公務員の辛いところだな。上の判断がないと動けない。しかし、あまりにも杜撰な対応だったなら、私の責任下において事を進めるつもりだ。だからお前たちも覚悟しておけ」

「はい!」

 涼介が勢い良く返事をする。だが日向はすぐには頷かなかった。

「副長の責任下って……他に手段はないんでしょうか」

「あればとっくにやっているだろう。だが民主主義国家の中でも、判断の遅さは極めつけの我が国だ。上の判断を待っている間に、宇宙局の施設そのものに直撃するような大きな隕石でも落とされたらたまらない。だから〈計測室〉の出す数字次第で私がGOサインを出すのだ」

 奈沙はすべて自分の責任とした上で、製造後初めての荷電粒子砲を使おうとしている。万一それで足りなければ、秘蔵の対宇宙用戦闘機まで出す所存だ。宇宙局内では局長を超えた判断をしても、結果オーライならいいだろう。しかし、国の、政府の判断を待たずして、民間人にも何も知らせずに、荷電粒子砲を使うのは、明らかに奈沙の首が懸かっている。

 他に手段はないのか。日向は考えるが、相手の正体が不明であるため、何も纏まらなかった。



 落下物が大気圏を突破する際に光る火球が、毎日のように民間人に撮影され、SNSで話題になる。写真に付けられているコメントを見ると、「神の怒りか?」や「地球外知的生命体からのサイン現る」とか「地球侵略の狼煙」のような不穏な意見が目立った。これ以上民間人に情報を伏せてはおけないだろう。政府要人もSNSは見ているだろうし、落下物の情報は逐一上げている。

 宇宙局では荷電粒子砲をいつでも発射できるようにリアルタイムで〈まなざし〉の画像を元に計測し、ミリ単位での微調整を続けている。だが、一度も使ったことのない荷電粒子砲が、果たして計算通りに宇宙を貫いて散骨されたスペースデブリを燃やし尽くせるのかどうかは判断しかねる。計算の上では可能ではあるが、電気を集めるために発電所との契約を新たに更新したり、一回で捉えきれなかった場合のチャージ時間も考える必要がる。その間に向こうが新たな落下物で攻撃などしてきた場合、〈計測室〉はあれこれの数字の算出にてんやわんやになるだろう。

 いつになくピリピリしたムードの宇宙局は、ほぼ休みなしで稼働中である。シフトも何もなく、休憩も仮眠も、気分的にできる雰囲気ではない。自分が休んでいる間に何事かが起こったとしたら──などと考えると、誰も自分の担当するモニタから離れ難かったし、休めと言われても休めるような精神状態ではなかった。副交感神経よりも交感神経の方が否が応でも高まる。

 もともとショートスリーパーな日向でさえ、さすがに一睡もしないで数日を過ごすのは過酷だった。だが疲れているのに眠気は訪れない。それなら仕事をしていた方がまだ安心できるという感じで、誰もが常に張り詰めているのだった。

 今日三度目の緊急アラートが鳴り、形を保ったままの落下物がグラウンドに墜ちるとデバイスが知らせる。なんとなくそんな役回りになっているため、日向が落下物を拾いに行き、〈解析室〉に届けることになる、

 涼介はさすがに忙しいようで、どうせまた人骨であろうという落下物には見向きもしなかった。それほど〈計測室〉は忙しかったようだ。

 歪な形に燃え溶けた遺骨を〈解析室〉まで運ぶ。結果は聞かなくてもわかるので、日向は早々にまた〈観測室〉に戻った。そう言えば奈沙とは顔を合わせていない。〈計測室〉にでもこもっているのだろうか。今一番忙しい部署なのだし。

 日向は自分にできることに集中する。宇宙用戦闘機のシミュレーションだ。グリーンのホロパネルで計測し、物理的には航空機のように動かすらしい。もちろん一般の航空機の操縦席にも座ったことはないのだが。

 引けば上昇、押せば下降、左右の動きはレバー式だ。車のハンドルのようなものであれば馴染みはあるのだが、そうはいかないらしい。とにかく意のままに動かせるようにならなければ、戦闘の前に真空の宇宙で命を落としかねない。慎重にシミュレーションを繰り返し、身体に覚え込ませるしかなかった。

 地上との通信は可能だった。ISSからでも動画で飛行士と話せるのだから、その辺のインフラは十分に稼働しているのだろう。

 日向が向かっているのはあくまでシミュレーターなので、操作方法しかわからない。実際宇宙に出る際のGなどはわからず、戦闘機の操縦席を見ると酸素ボンベのようなものが頼りなくぶら下がっているだけだった。シートは硬い。あまり長時間座っていたくはない座席だ。

〈副長〉命令で別案件に関わっていることになっているので、〈観測室〉に日向がいたりいなかったりしても、不満の声は上がらない。もともと存在が希薄なので、「ああ、そう」というのが各人の反応だった。別に日向が嫌われているのではなく、むしろ〈副長〉命令を出されるほどの要職に就いているのだなと思うだけだ。

 それにしてもまさか夢が現実になる日が来るとは思わなかった。夢と言っても幼い頃の純粋なものではく、悪夢の方の夢だ。歓迎はできない。白い巨人になった遺骨の集合体を、〈計測室〉の荷電粒子砲が見事撃破してくれれば、日向のここ数日のシミュレーションも無駄になるわけだが、それはそれで構わない。事は小さいうちに火を消しておくに限る。せいぜい乗用車を運転できる程度の人間が、いきなり対宇宙用の戦闘機に乗って出撃など、無謀もいいところだ。

「ここにいたか」

 暗いモニタに影が映る。今日初めて出会う奈沙だった。こちらが言いたいセリフだった。

「なかなか慣れなくて」

 振り返りながら日向は言う。

「まぁ普段から戦闘機に乗り慣れているというのも問題だからな。当然だ。操作の感覚はつかめたか?」

 軍服のようなキリッとした上官用の制服に身を包み、低い踵のあるブーツ姿で姿勢良く立つ奈沙は、今日はコーヒーを持っていなかった。そういう日もあるのだろう。

「操作感は悪くありませんが、実際の環境がたいそう辛そうなので、それを思うと慣れるのは難しそうです」

「まぁ、本当の緊急用の機体だからな。荷電粒子砲で片が付けば問題ないだろう。しかしそれに乗れば、日向は『公務』として堂々と宇宙に出られるぞ」

 入局したての頃、幼い頃の夢だったと語ったのを覚えていたのだろう。飛行士になるか、遺骨になるかしなければ、無料で宇宙に出られる方法はない。暇な金持ちなら三十分程度の宇宙旅行気分を味わうことはできるが。

「あまり嬉しくない手段ですね。好きに飛び回れ得るなら別ですが、これは命懸けとも言えるミッションでしょう?」

「別に日向に特攻しろとは言っていない。自分で無理だと判断すれば、戻ってくればいい。お前のような逸材を失うのは惜しいからな。ただ、コレを扱うに足りる人間の顔がそう思い浮かばなかったんだ。そういう時、日向が一番便利だ。大抵のことはこなすからな」

「俺は便利屋じゃありませんよ」

「そう思っているのはお前だけだぞ。〈観測室〉でも日向は飛び道具のように思われているというのに」

「本当ですか?」

 まさか自分が同僚からそう思われていたとは。落ち込むほどのことではないが、自覚がない分ややこたえた。

「もちろん褒め言葉だぞ? 日向は人望が厚いからな」

「今更褒めても無駄ですよ」

「いや、本当のことだ。〈観測室〉の職員に代わって私が保証する」

「それは、どうも」

 複雑な気分になりながらも、一応礼は言っておく。悪意はないらしいとわかったので。

「副長は今日はどこにいたんですか? 珍しく顔を合わせなかったので」

 訊かれる前に理由を付け加えておく。奈沙は気にせず〈計測室〉にいたと答えた。やはり。

「てんやわんやで私にできることなど何もない様子だったがな。その後〈解析室〉に行って、先日のアレは頭蓋骨だということがわかった。なるほど、その大きさがあったから形を持って着地できたんだろう」

「〈まなざし〉の画像は見ましたか?」

「〈計測室〉で見たよ。明らかに何らかの意志を持って集まっているような違和感があったな。いわば同志が寄り集まって、大きな集合体をなしているような」

「やっぱり白い巨人ですね」

「確かにな。だが、集まってくれている方がこちらとしては都合がいい。荷電粒子砲の直線上に大方の遺骨が並んでくれた方が、無駄な電力を食わずに済む」

「一発で仕留めるんですね」

「所詮寄せ集めだから、外すと向こうに利があることになる。荷電粒子砲のチャージには時間がかかるから、その間にまた何やらを落とされては堪らないからな」

 日向は手首のデバイスを起動し、〈計測室〉が出している数式に目をやる。いっときも休むことなく変わり続ける数字の群れを見て、落下物の情報を得ながら荷電粒子砲を向ける角度を調整している慌ただしさが見て取れた。

「俺が万一出るとしたら、一回目の放射後ですか?」

 出たくはないけれども、と思いながら日向は訊く。

「場合によるが、二回目まで外した時だと私は考えている。一発で仕留められるのが理想的だが、なにぶん使ったことはない代物だから、最初の一発で成功すれば、ビギナーズラックとでも言うんだろう」

「結局、地上にいるだけでは相手のことははっきりとはわかりませんからね」

「そういうことだ。だから二回目も外した場合に、日向の出番が回ってくる。一回目の放射は明日の正午辺りになるようだ。今日に限っては日向、本当によく眠っておくんだぞ」

「永眠しないことを祈ります」

 笑えない冗談を口にして、日向は頷いた。

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