〈5〉第1話
〈5〉
宇宙局としても、何も考えていないわけではない。それぞれの職員は自分の担当するものでもっと事案が明確にならないかを考えるし、さまざまな可能性を思い描く。元来、宇宙局は夢見られ、憧れられる職業でありながら、いざ入局するとすぐさま夢を打ち砕かれるようなリアルを突き付けてくる職場でもあった。だから職員たちは嫌でもリアリストになる。
そのせいか、幽霊だとか巨大ロボットだとかいう発想はしなかった。人工衛星では観測されないステルスのような彗星の存在や、いまだ見つかっていない地球外の知的生命体の存在、暗黒物質(ダークマター)の正体などを主に注視していた。
傍から見れば、どちらも同じように「あり得ない」考えかもしれないが、宇宙局では大きな相違がある。だから日々この小さな落下物が大気圏で燃え尽きる現象を見付けて分析し、今後起こり得る事象に備えるのだ。
日向が奈沙に連れてこられたのは、施設の屋上だった。そう背の高い建物ではないので、屋上とはいえども、近隣に立ち並ぶタワーマンションやオフィスビルの中に埋もれるように存在した。もちろん、宇宙局のある国有地はたいそう広いので、目の前にあると言われるタワーマンションからも数キロは離れている。
奈沙は毎回落下物が墜ちてくる方角を向いて、手首のバングル型デバイスを空に掲げた。民間人用のそれとは違い、宇宙局職員のデバイスにはさまざまな秘匿情報も映される。
「日向も見てみろ」
奈沙は屋上の手すりに背を預け、デバイスの映すホロ画面を見ながら言った。日向はそれに倣う。
〈観測室〉で見るよりもすっと美しい空。まさに「スカイブルー」の名に相応しい青に、ところどころ刷毛で掃いたような薄雲が浮かんでいる。知らない人間からすると、この先の宇宙に大量のゴミが浮かんでいるとは想像もつかないだろう。青い空の向こうには煌めく星々の浮かぶ真っ暗な「美しい」宇宙が広がっていると信じているはずだ。
「きれいですね」
日向は純粋に目に前に映る青い空の感想を述べる。宇宙局に入局しなければ、自分も知らないままでいられた「美しい」宇宙。後悔はしていないが、残念には思う。きれいなバラには棘があると言うように、美しいと思われている宇宙は実はゴミまみれだ。
デバイスを通して空を見ていると、新しく数字が浮かんでくる。今週中に落下しうるスペースデブリの数だ。それに続いて、大気圏を突破してまだ形を保ったまま宇宙局の敷地内に墜ちてくる可能性の数。
不思議なくらいその軌道は正確に宇宙局の敷地内に落下し、以前西に逸れて民間人の住む市街地に墜ちたことから修正しているようだった。学んでいるように思えて、日向は背筋がゾッとする。
いったい彼らは何を伝えたいのか? これ以上宇宙葬で遺骨をばら撒くのをやめろという警告なのか? 人類ごときが壮大な宇宙に分不相応に手を出すなということか?
考えられる可能性はいくつもあって、その原因は結局人類の側にあるという結論に帰結する。
奈沙はどう考えているのだろうか? 屋上に日向を連れてきて、何を見せようとしているのか?
「私の祖父がな」
唐突に奈沙は話し出す。日向は視線は空に向けたまま、声だけを聞く。
「昔は宇宙局の局長だったんだ」
「えっ?」
噂になるほど知っている者が少ないせいか、日向も驚いた声を上げた。思わず奈沙を見る。
「このことは上層部の数名しか知らないんだが。七光と見られるのが嫌で、私も誰にも言わなかった」
「そうなんですか」
返す言葉が思い浮かばず、日向は咄嗟に相槌を打った。素っ気ないこと極まりない。
「しかし私のことを上層部はある程度認めてくれてはいる。今の局長はお飾りのようなものだし、何か不祥事が起きた際にマスコミの前で頭を下げさせるだけの存在だ」
「辛辣ですね」
「そういうものだ。トップには二種類あって、頼りになって慕われるトップと、放置されて問題を押し付けられるだけのトップだ」
「なるほど」
現局長には日向も数回しか会ったことはないが、後者なのだろう。自覚しているのかどうかは別として。
「父はアメリカの〈NASA〉にいる。母もアメリカについていった。私は父より祖父の方が尊敬できる人だと思い、アメリカには行かなかった。〈NASA〉で〈奈沙〉が働いているなんで笑いの的じゃないか? 父は自分の後継者となることを期待して名前を付けたらしいが、親も名前も選べない子供の立場からすれば、いい迷惑なんだよ」
ふっと奈沙は息を吐いた。笑ったようだ。
「日向もどちらかと言うと影の役割を果たしているな。いい名前だと思うが」
「三歳上の姉がいて、それが光る里と書いて『光里(ひかり)』というんです。どうも明るい子供になることを望んだんでしょうね。俺には当てはまりませんが」
ははは、と肯定とも否定とも受け取れるような笑い方で奈沙は表情を崩した。
「お前の意見で不思議だったのは」
再び突然話題を変える奈沙。柵に凭れたまま、硬い声になった。
「何故ロボットだったのかということだ」
「さっきの話ですか?」
「相手は白い巨人……遺骨の集合体とも言えるものだろう。そして日向は何か機体のようなものに乗っていた。やや古いアニメのような状況だが、ヒト型ロボットに限らなければ、実はあるんだよ」
「ロボットがですか?」
日向は驚いて、掲げていたデバイスを下ろして奈沙を見る。
「ロボット……ではないな。宇宙仕様の戦闘機のようなものだ。この敷地内にある」
「万一の場合には、それで戦えるということですか?」
「戦闘機だから戦闘は可能だろう。ただ、机上の空論で作った宇宙用戦闘機だから、どこまで通用するかわからない。諸外国には秘密裏に作られたものだから、訓練も試運転もできていない。それほど政府も慎重な扱いをしている」
まさか本当に対宇宙用の何かしらの戦闘用機械があったとは驚いた。もちろん、仮に未知の知的生命体と出会っても、いきなり戦争を仕掛けるわけではないだろう。しかし、万一交渉が決裂した場合、宇宙戦争になってしまったら。
そんな可能性の低い「万一」のために宇宙用戦闘機は実在したのだ。
「日本にあるのなら、きっと諸外国も同じように考えているのでしょうね」
日向の悟ったような声に、奈沙は静かに頷く。
「ヒト型は非効率的だからどこにもないのだろうが、戦闘機や地上から打てる大砲なんかはあるのだろうな。人間の発想からして、戦闘機が一番イメージしやすいし作りやすいだろう」
「ほかにも、大きな隕石の軌道を逸らしたり破壊するための大砲があるんでしょう?」
これはかなり重要なトップシークレット扱いで、宇宙局に入局する時に聞かされる。そしてその秘密を絶対に漏らさないようにサインさせられるほどなのだ。たとえ退職しようとも、決して口に出してはいけない最重要機密。このことは一人で抱えて墓場まで持っていくのだ。現実には墓場はないが。
もちろん、子供たちから「かっこいい!」と思われる程度の情報は民間人にも与えられている。万一のことがあっても、宇宙局にはそれらを避けるシステムがあると。
「荷電粒子砲が〈計測室〉の管理下にある。これまで起動させたことはないらしいが、それほど平和だったということだな。だからこちらも、宇宙用戦闘機と同じく、いつでも使えるように常にメンテナンスはされているが、長らく無用の長物とされてきた」
「瀬川さんはさっきそれを見にいったわけですか?」
「そうだ。〈計測室〉に配属されると、まずアレの操作方法を教えられる。発射ボタンを押せば、高速の荷電粒子を打ち出せるのはわかるだろうが、その前に何度も計算を繰り返して目的物に当たるように方向などを調整するんだ。だからアレは〈計測室〉の職員でなければ動かせない」
「副長でもですか?」
「私はもともと〈観測室〉所属だったからな。詳細には教えられてはいない。計算さえしてくれれば、いつでもボタンは押せるのだが」
冗談なのか本気なのかわからない表情で奈沙が言う。
「それで、俺に向いている仕事というのは何ですか」
これだけ秘密を明かされたのだ。何を頼まれても「嫌だ」とは言えない。奈沙は外堀から埋めてきたのだろう。さすがにちゃっかりしている。
「万一の場合、私は宇宙用戦闘機の操縦者に日向を推薦する」
「ええっ!?」
さすがの日向も声が裏返るほど驚いた。自分は戦闘機はおろか、自家用プロペラ機さえ操縦したことがない。当然飛行士の免許も持っていないし、できる気がしなかった。さすがにこればかりは〈副長〉命令でもできないことである。
「そういうのは普通、プロに任せるものでは?」
やんわりと、自分には無理だと醸し出す。しかし奈沙は日向の目をしっかりと見て、「大丈夫だ」と両肩に手を置いた。女性にしては長身な奈沙が、踵のあるブーツを履いていると、十分日向と目の位置を合わせられる。
「荷電粒子砲は〈計測室〉の管理下にあるが、この宇宙用戦闘機は実は〈観測室〉の管理下にあるのだ。メンテナンスはそれ用のどこにも属さない、言わば〈メンテナンス室〉に任せてある。それは荷電粒子砲も同様だ」
「副長は俺に向いてると思ったんですか?」
「もちろん候補者はお前一人ではない。だから私が推薦すると言ったのだ。〈副長〉のお墨付きだぞ? 誰が他の候補者を推すものか」
「でも肝心の運転技術とか、基本的なものが俺には全然ありませんよ」
「それは誰でもそうだ。今までずっと寝かせてあったのだからな。しかし、メンテナンス中にも操縦桿周りや機体のアップデートはされている。常に最新の状態になっているということだ。何ならメンテナンスをやっている人間が一番詳しいだろうから、彼らの中から選ぶのもアリだ」
「じゃあそうしてくださいよ」
日向は珍しく不貞腐れるように言う。突然対宇宙用の戦闘機があると聞かされて、それに乗ってみろなどと言われても、やすやすと受け入れられるわけがない。
「珍しく反論するな。嬉しくないのか?」
「嬉しい方がどうかしています」
「戦闘機は男のロマンかと思ったが」
「それは平和な時代だから言えるんですよ。緊迫した状態で誰がそんな」
「まぁまぁ」
日向の言葉を遮って奈沙は日向の肩をポンポンと叩いた。
「あの戦闘機は、まさに最後の砦というものだ。それこそ、未知の知的生命体と邂逅した時だろうな、使われると設定されているのは」
「それもどうかと思いますけど」
日向はひとまず落ち着く。
「瀬川さんは荷電粒子砲を使うんですか?」
「宇宙局でアレを動かせるのは〈計測室〉の人間だけだ。現局長は〈解析室〉の出だし、私も〈観測室〉所属だった。万一今アレを動かすとしたら、〈計測室〉の中で一番相応しいのは瀬川だ。それは他のメンバーも反対するまい。何故なら失敗した時の責任は、完全に使用者が負うことになっているから」
「え?」
淡々と話す奈沙に、日向は疑問符を挟む。
「瀬川さんはそのことを知ってるんですか?」
「当然だ。〈計測室〉に配属される時に説明されたはずだ。やることは大掛かりで格好いいように思われるが、アレを動かすには技術よりメンタリティが優先される。あれほど心強い職員もそうはいない」
奈沙は涼介を認めている。だから荷電粒子砲の件はすべて任せた。そしてもう一つの秘匿事項である対宇宙用戦闘機の操縦者に日向を推すという。
荷電粒子砲は、実際には涼介一人で動かすわけではない。数人がかりで計測し、砲弾の向きや落下物の速度や位置などを数名で手分けして行う。奈沙が言うように、ボタンを押すだけなら簡単だが、そんなに楽な仕事ではないのだ。
日向はぐっと奥歯を噛みしめる。そんな重荷と知っても駆け出した涼介。それは単に自分の評価を上げたいとかいう理由ではないのだろう。宇宙局職員として、〈計測室〉の一員として、彼は行動している。
いつもは日向を見る度に「主席サマ」とか「エリート様」と言って嫌味を投げ掛けてくるが、日向は気にならなかった。主席入局であることも、エリートと呼ばれることも、別に単なる記号に過ぎない。
しかし、涼介は本気で悔しがっているのだ。本当なら自分が主席入局だったはずなのに、どこの誰とも知らない子犬みたいな奴に、欲しい物を持っていかれた。しかし主席という座はどうあがいてももう手に入らない。だから、入局した時から気持ちを切り替えてやってきた。日向を見ると無性に苛立って突っかかってしまうが、それも大人げないとは思っている。
「俺は瀬川さんをサポートすればいいわけですね?」
「やる気になったか」
「副長が命令したんでしょう」
「『命令』ではない。『お願い』だ」
「どっちも同じです」
「では、乗ってくれる気になったんだな?」
「練習とかはどうするんですか?」
「シミュレーターがある。操作はそれで慣れれば大丈夫だ。あとは任せるよ」
「任せるって……」
「お前のセンスに任せる。こちらからの情報は逐一転送されるようになっているから問題ない。そちらの情報も自動的に地上に送られるから、お前は気にせず戦闘に徹すればいい」
「できれば出番はない方がいいんですが」
「なら瀬川に言うんだな。荷電粒子砲を一ミリたりとも逸らすな、と」
むむむ、と日向は唸る。
「副長は案外意地悪ですね」
「そうか? 今まで気付かなかっただけじゃないか?」
言ってクスリと奈沙は笑った。
「まぁ、毎日少しずつシミュレーションしておいてくれ。お前を使うことにならないのが一番好ましい」
「俺もそう思います」
もう一度見上げた空は、やはり青く澄んでいて、その向こうにあるものの存在を想像させるには至らないほど美しかった。
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