〈4〉第2話
一週間前に落ちてきた人骨のDNA鑑定をして、故人を特定することができた。交通事故で亡くなった、二十代前半の男性だった。なるほど、骨は頑丈だったというわけだ。
ただし、これは宇宙局の特許で照会が許されている行為なので、あの少年から遺骨を遺族に渡させることはできないし、きっとお互いにその事実を公にすることは望んでいないだろう。だから情報だけを得て、宇宙局のデータベースに保存するだけだ。夢は夢のままにしておく。
〈まなざし〉の打ち上げまで一ヶ月を切った。その前に小回りの利く人工衛星をいくつが飛ばし、掃除さながらに衛星軌道上に場所を確保する。予定では〈ひとみ〉のほぼ隣に並べる予定だが、小型の人工衛星を飛ばしてようやく、衛星軌道上にスペースデブリが溜まっているのだと政府に示すことができた。それでも何が変わるでもない。
日向は「向こう岸」を見ていた。宇宙空間の、〈ひとみ〉が映し出すゴミ溜めの向こうの銀河だ。たまにこうやって広々とした宇宙を見ていると、スペースデブリなどまだまだただの塵芥(ちりあくた)でしかない。
もちろん、見えていないだけでスペースデブリはあちこちに浮遊しているが、散骨地点よりもずっと遠いため、一見すれば図鑑に載っていそうな夢やロマンがある姿をしている。幼少期に憧れた宇宙がそこにあった。
考え事をしたかったので、六時間休憩の間は飯を食べてシャワーを浴び、早々にベッドについた。柔軟剤の香りがほんのり残っている真新しいシーツと布団カバーに枕。よく眠れそうな準備は整っていたが、日向はやはり四時間も経たないうちに目が覚める。
そこからは、頭をフル回転させ、可能性を探った、
万一新たな落下物が出てきた場合、どう対処するのか。〈計測室〉の忙しさは聞いている、それはつまり、イレギュラーな計算が多いからなのだろう。〈ひとみ〉で見えない落下物の想定もしなければならないし、落下地点や予想時刻まで考えなければならない。
もうすぐ〈まざさし〉も打ち上げられることだし、画面で見られる宇宙ゴミなど、これまでの比較にならないほど明確に見えてしまうのだろう。できれば見たくないものまでもが見えてしまう。まるで幽霊のように。
果たして「幽霊」は悪者なのだろうか。
まだ地上に墓地があった時は、盆と呼ばれる時期に死者の魂を迎え入れ、そして盆が明ける頃にはそれらを帰らせる行事があったという。戻ってきたという死者の魂は、もとの家族とともに僅かな時間を共有し、穏やかな気持ちで行なうものだった。
墓地に眠らせておいた遺骨も掘り出して、宇宙に放り出してしまおうと考え始めたのはどこの誰だったのだろう。入局の試験で覚えたはずなのに、もうすっかり忘れてしまった。確かアメリカ人だったような気がする。
高熱に晒されても実体を守り抜いた遺骨。DNAさえ壊れていなかった。しかし何故? 例えば「幽霊」になった遺骨が、自分の意志で飛んでこれるものではないだろう。ならばあれはただの偶然なのだろうか。先日発生した、大気圏で燃え尽きた落下物にしろ、普通なら誰の意志も介入しない。
──白い巨人。
日向の脳裏にふとその言葉が浮かんだ。はっきりは覚えていない夢だったが、遺骨を集めたような人骨ロボットのようにも思えた、
しかし、何故遺骨と宇宙局が戦うハメになるのだろうか。それともあれは、人類対宇宙の一コマに過ぎなかったのだろうか。
考えるほどわからない。今はただ、〈まなざし〉の性能に期待するしかなかった。新しいカメラで八方向を見ることができれば、〈観測室〉も忙しくはなるが、〈計測室〉の負担は減るに違いない。
しかし〈まなざし〉のカメラでどこまで見られるだろうか。八方向すべてに異常がなければ、宇宙局とすればそれは万々歳だ。何も起こらないに越したことはない。しかし、それだけの宇宙空間を見守っているからこそ、ささやかな変化に気付いてしまう。嫌な予感が当たってしまう。
気付いていて放置できるほど、宇宙局は無能な組織ではない。
だからこそ、日向はここにいる。
〈まなざし〉が無事打ち上げられ、衛星軌道に乗った。先に小型衛星が宇宙ゴミの掃除をしたために、なんとか〈ひとみ〉の近くに上げられた。宇宙局の各地の施設では、種子島からのリアルタイム配信を受け、〈ひとみ〉が軌道上に乗るまで、そして乗ってしばらく安定するまで、職員たちはモニタを注視していた。
やがて安堵の息が漏れ、〈観測室〉では早速八面体に張り付いたガラスの目で周囲を映した。地上での検査ではなにごともなくても、気圧が変わったことなどで予定通りの動きができなくなるかも知れないからだ。
少し触ってみると、オートマタアームも快適に動くし、〈ひとみ〉よりも高性能高画質超望遠である。これはなかなかに使えそうだと誰もが思った。
日向は〈まなざし〉のどのカメラが〈ひとみ〉の三番モニタと隣接していたかを比較する。完全に一致はしないのは当然だが、〈まなざし〉の二番あたりが近いようだ。回転している間に〈ひとみ〉の死角になった時、うまくカバーしてくれればと願った。
しばらくして〈まなざし〉は通常運転に入る。折り畳まれた太陽光パネルを全開に広げ、効率の良い形に収まった。早速日向は〈まなざし〉の八つのモニタに映されたものを確認する。「向こう側」を映すもの、ISSの方へ向くもの、地球全体を映すものなど、それぞれ重要な視点を持っている。
確かにこれは悪くない。〈ひとみ〉が廃棄されるのではないかということも杞憂だった。人工衛星を破棄するということは、また一つ宇宙に大きなゴミが捨てられるということだからだ。
奈沙の言っていた通り、人員の補強はなさそうだったが、それはそれで構わない。〈観測室〉に詰めているのは、若い優秀な逸材ばかりなのだから。日向のように、寝食も忘れてモニタに見入るほどの強者(つわもの)はいないが、みんな真面目に働いて、休憩もきちんと取っている。
職員同士のコミュニケーションも盛んなようで、緊急事態に備えて寮から離れることはできないし、ベロベロに酔っ払うこともできないが、人間関係は円満だ。
美しい宇宙をもっともらしく「美しく」見せるなら、「向こう側」が映っているカメラからの映像をばら撒いておけば、民間人は美しい宇宙を疑いもしないだろう。
しかし剥離して小さくなってから落下し、大気圏突時に燃え尽きるとはいえ、〈観測室〉のモニタの数が倍になり、増員もないとなるとやや気持ちが覚束ない。〈計測室〉などの他部署にも同じ画像が映されているが、そこではそこで観測以外の業務があるわけなので、結局宇宙のゴミばかりを四六時中見ているのは〈観測室〉の面々だけなのだ。ならばその責務を負わなければならない。メインの仕事が〈ひとみ〉と〈まなざし〉の目を通して見ることなのだから。
激しいアラートが施設内に響き渡る。
〈観測室〉では、〈まなざし〉のカメラでも捉えきれず、生じた死角を狙っていたのだとしか思えないタイミングでのスペースデブリの剥離だった。最長まで望遠を伸ばすが、気付いたのが遅かったので、小さすぎて見えない。
〈計測室〉での落下位置と時刻の特定の計算をしていたが、恐らくは大気圏突入時に燃え尽きるはずだという見解だった。万一地表に到達する場合の時刻を過ぎても何も起こらなかったため、やはり大気圏で燃え尽きたと結論された。
「何なんだ、いったい」
たまたま施設内の廊下を缶コーヒー片手にうろついていた奈沙は、このまま〈計測室〉に行くのも憚られるような気がして、情報だけは女性職員向けのバングル型デバイス──男性は腕時計型だ──で見ていたが、やはり地表にまでは遠く及ばないものらしかった。しかし、だからと言って安心はできない。
そもそも最近落下物の数が半端ない。宇宙空間では動いている星もあるし、輪を持つ惑星だって少なくはない。地球の輪はスペースデブリでできている人工的なものだったので、美しくもなんともないが、木星や土星にはグラデーション型の輪があるのだ。
また一つ宇宙ゴミが消えた──と上層部や政府は考えるだろう。しかし〈計測室〉から出されるデータには、かつてないほどの頻度で小さな落下物が剥離してきている。まるで地球というゴミ箱に捨てるかのように。
そう考えて、自分で背中がゾワリとした。
人類が宇宙をゴミ溜めにしたことを、誰かが怒っていたりするのだろうか。例えば近くにある可能性のある知能生命地の住む惑星だとか。神とか天とか呼ばれるものとか。
ものを上に投げると、当たり前だが落ちてくる。それは重力があるからだ。しかし無重力であるはずの宇宙空間から、意図的に遺骨や遺品を剥がし取り、それを地球に向かって意図的に放り投げている何かがあるのなら、見過ごすわけにはいかない。
宇宙人だろうと、神だろうと、宇宙そのものであろうと。
とにかく今は〈計測室〉では次の落下物の有無や、大きさや距離をシミュレートしている。だから間違いなくドタバタしているだろうから、〈計測室〉に立ち寄るのは気が引ける。なので、〈観測室〉のモニタで見てみようと足を向けた。
そっとIDカードを翳して扉を開ける。いつもの一番後ろのデスクに日向がいた。他の職員も真剣にモニタに張り付き、角度を変えながら〈ひとみ〉と〈まなざし〉の捉える視界を注視している。
「副長」
そっと近付いたのに、日向は椅子をクルリと回して振り返る。
「どうしてわかるんだ? 足音は立てていないつもりだったが」
「足音を立てないからですよ。もう慣れました」
奈沙は驚くしかなかった。確かに〈観測室〉はものを観察するのがメインの仕事だ。しかしそれはモニタ越しのものであって、地球の上で起こる物音とは違う。そして職員のプレッシャーを気に掛けてそっと扉を開(あ)け閉(た)てするのは、奈沙のいつもの癖だった。
「今週、何度目の落下だったかな」
話を逸らせようとしたのもあるが、実際に話しを聞きに来たのは事実なので、おもむろに口を突く。日向は気にせず答える。
「月曜から今日の木曜日までの間でいうなら、既に六つですね。すべて大気圏突入時に燃え尽きてはいますが」
「お前の見解はどうだ?」
奈沙に問われて、模範解答を答えるべきかどうか悩んだ挙げ句、自分の意見を通すことにした。取り繕っても仕方がないし、わざわざ日向に問い掛けたくらいだから、当たり障りのない模範解答などは不要なはずだ。
「もしかして、の話ですが」
「ほう」
念を押して話すくらいのことだから、突拍子もない仮定も受け入れてくれてもらえると考えたのだと奈沙は踏んだ。〈副長〉の肩書ではなく、〈笹垣奈沙〉上官として。一人の上司や先輩として。
「俺の勝手な想像なんですけど」
言葉を区切って話す時の日向は、自分でもまだ整理できていない話をする時だ。
「副長は宇宙人っていると思います?」
「私は自分の眼で見たものしか信じない性質(たち)だから、今のところは信じないな」
「そうですよね……」
日向は別にがっかりしたようでもなく、むしろ確信を得たという気分だった。
「〈ひとみ〉の三番モニタにもやがあったの、覚えてますか?」
「お前がやたらと気に掛けていたアレだな。まだあるんだろう?」
「はい、相変わらず明瞭に見えなくて、〈まなざし〉からもほとんど見えません。俺には何かそこに、意図を感じるんです」
「何者かが邪魔をしている、と?」
「はい。それが宇宙人なのか神と呼ばれるものなのか、宇宙の意志そのものなのかはわかりません。けれど、偶然にしてはおかしすぎる気がして」
涼介と似たようなことを言っているなと奈沙は思う。幽霊。宇宙の意志。表現は違えど、何者かの意図が介入していると彼らは言う。そう言われるとリアリストの奈沙も、少しはオカルトめいた話にでも聞く耳を持つ。
「確かに衛星に映らないうちに落下したり、うまく大気圏で燃え尽きるサイズのものしか落とさないのは、なんだか警告のように思えなくもないな」
「たとえは今後、〈計測室〉でも手が足りないほどの数のスペースデブリが降ってきたり、一つの塊の大きさが今よりも大きくなって大気圏で燃え尽きないくらいになったりしないかと……気になっています」
日向はやや不安げな表情をして思っていることを伝えた。
何も知らない人間からすれば、荒唐無稽の話かも知れない。しかし、日夜宇宙空間を見つめている宇宙局の職員であれば、笑って済ませられる話ではなかった。どんな可能性もありえる。
「〈まなざし〉打ち上げの際に装着しておいた小型人工衛星は、〈ひとみ〉のメンテナンスも兼ねている。細かい作業ができるから、〈ひとみ〉のカメラを拭き取ることくらいはしてあると思うのだが……それでも見えないか」
「ええ。そうなると、カメラに異常があるわけではなくて、実際にあの部分でガスが発生しているくらいしか考えられないんですよ」
「それはお前の求めている解答とは違うということか?」
奈沙は手持ち無沙汰に両手を頭の後ろに組んで問う。
「求めているわけではないのですが……落下物の量なんかを考えてみると、偶然とは思えないんです」
「相互関係にあると?」
「俺の仮説では、ですが」
「笑い飛ばせない仮説だな」
奈沙が話を聞きながら手持ち無沙汰な様子だったので、日向は「コーヒー入れましょう」と言って出入り口の横にあるドリッパーで二人分のコーヒーを入れた。
「ありがとう」
奈沙はそう言って受け取る。日向は自分マグカップに半分くらい注ぎ、ドリッパーの下の冷蔵庫から氷を出して三つほど入れた。相変わらずだと奈沙は苦笑する。
「それで? お前はどうしようと思っているんだ?」
「……今のところはどうしようもありません。けれど、〈計測室〉からの情報によっては何かしら動かなければならないのではないかと」
「ふぅん」
コーヒーを飲みながら奈沙は返事をする。確かに今の状況では、こちらから何らかの干渉はできない。
すると再び先程鳴り響いていたアラートが爆音で鳴り始めた。エラーではない。また何かが落ちてくるのだ。
日向も奈沙も、自分のデバイスでどの程度の緊急事態なのかを確かめる。奈沙は苦い顔をした。日向も黒目がちな瞳を大きく開く。
「これは……」
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