〈4〉第1話

〈4〉


 ──冗談じゃない!

 手元のキーボードで状況を打ち連ねながら、涼介は暴言を吐く寸前で堪えた。

 地上に落下物が落ちてきて一週間。その日は平和だった。いつも通りにモニタや計測機器を見ているが、そうそう変わったことが起きるでもないし、起きてもらうと困る。

 だが今は涼介の脳内には数字とアルファベットの並びしかなく、何かに追われるようにキーを叩き続けた。

〈計測室〉の中に、物音をさせないようにするりと入り込んだ奈沙は、扉近くのパネルの赤く光った回転灯を見やる。これはアラートを鳴らす一段回前の徴(しるし)で、万一〈計測室〉でも時間が間に合わなかたり、お手上げ状態になると、先日のようなアラートが鳴って知らせるのだ。

 ぐるりと周囲を見渡す。誰もが俯いて、たまにモニタを見ながら、カタカタと打鍵の音を響かせる。表情は硬く、私語をする者もない。それだけの事態が起こっているということだ。

 日向が気に掛けていた〈ひとみ〉の三番モニタではなく、ちょうど四つの目を持つ〈ひとみ〉の死角に当たるところから、何かが落下したらしい。死角とはいえ、回転しながら回っているので時々視界には入る。少し前までは「それ」はまだそこにあった。先程奈沙が〈観測室〉で確認してきたのだから間違いはない。

〈ひとみ〉のカメラを共有している〈計測室〉でもそれは気付いていた。だから万一の落下範囲予測や、落下物の大きさや早さなどが計算できるのだが。〈ひとみ〉がもう一回転している間に剥離した様子が観測され、〈計測室〉では再計算をするのを余儀なくさせた。

 ──モニタを見て気付いた。

〈観測室〉の職員に問うと、確かに引っかかるようにそこに収まっていたという。〈ひとみ〉のカメラをズームにしてその接地面を見ると、確かに何かがくっついていたかのように見えなくもない。

 バイオリンと楽譜とオルゴールが絡み合うようにそこにはあったらしい。そして見ない間にオルゴールが消えていた、と。ならばその正体はオルゴールで間違いないのだろうが、〈観測室〉の予定ではまだ、一ヶ月はそのまま剥がれることなく安定しているはずだったのだ。

「出た!」

「出ました!」

 涼介とベテラン職員の声が上がる。立場上ベテラン職員が早口でまくしたてる。

「落下物は木彫りのオルゴールで相違なし、また、大気圏突入の際に消失するものと思われる。瀬川は?」

「同じくです。地上に落下することはないので安心していいでしょう」

 ふうぅ──っ、と〈計測室〉のメンバーから安堵の溜息が漏れる。緊張していた糸が緩んだのだろう。背凭れを反らして脱力する者もいる。

 それが木彫りのオルゴールだったというのは幸いだった。間違いなく大気圏突入時に燃え尽きるだろう。中の金属パーツごと。

「笹垣上官」

 出入り口の扉付近で手持ち無沙汰にしている、奈沙に涼介は気付く。奈沙は片手を上げて挨拶をする。

「お疲れ様。ご苦労だったな」

「まぁ、予測できないものを計測するのは難しいですけどね、でもそれができないとやっていけないんで」

「毎回本当に嫌になるね。瀬川もいい加減疲れただろう」

「いえ、たまには緊張感を高めておかないと、感覚も鈍りそうですし」

 言って回転灯のボタンを切ってリセットした。回転灯が回っている時間も記録されているのだ。どれだけの時間で復旧させられるかと。

「コーヒー入れましょうか?」

「私が入れよう。労いだ」

「ありがとうございます」

 そう言って各個人用に用意されたマグカップにコーヒーを入れ、マグカップの所有者に涼介が奈沙からだと配って歩く。

「「「「「ありがとうございます」」」」」

 皆が出入り口を振り返って、いつの間にかそこにいた奈沙に謝辞を述べた。最後に涼介のマグカップに注ぎ自分の分は念のために設置されている紙コップに入れる。

「最近多いんだって?」

 奈沙は世間話のように訊いた。

「以前とは比較になりませんね」

 それは落下するスペースデブリである。小さなものばかりなので、すべて大気圏で燃え尽きるため、地表に降ってくる恐れはない。しかし、突如として頻度が上がったのだ。きっかけは多分何も思い当たらない。まだ次の〈かけはし〉も飛んでいないし、〈まなざし〉も種子島に据え付けられているだけだ。

 以前落ちてきた人骨とも場所が違うし、可能性で言うならスペースデブリのあるあらゆる場所から、ということになる。今まではずっと溜め込んでいたかのように、最近続けて排出するような気がするのだ。

「散骨の時の遺品類の精査が必要になるかもな」

「そうしてくれればいいんですけど」

「宇宙はゴミ箱と同じに考えてるんですかね」

「いらないものが見えなくなるとスッキリするだろう? そういう人間心理だ」

「まぁ、見てるのは俺たちくらいでしょうし。損な役割だな」

「瀬川はよくやっているよ。お前の判断力の早さには驚かされる」

「そう言ってもらえればやり甲斐があります。上官はやる気を起こさせるのがうまいですね」

「それは職場がいいんだよ。お互いに認め合ってここにいる。誰が欠けても宇宙局の機能は劣る」

「チームワークですね」

「部屋はいくつにも分かれているが、情報は共有されているだろう。自分の手柄だと主張しないのが日本人の美徳だな。損なところも大いにあるが」

 休憩に入るらしい数名が、二人の横を「お疲れ様でーす」と通り過ぎていく。奈沙は手を上げて応える。

「瀬川は休憩は?」

「もう終わりました。戻ったらさっきの状態だったんで驚きましたよ。関わったのはわずか数分ですけど」

「そうだったのか。よく把握できたな」

「スペースデブリの剥離は最近多いですから。カメラで追えなかったのがキツかったですね。〈まなざし〉には期待したいです」

「ああ、十分に期待しておけ。政府の鳴り物入りの玩具でなければいいんだがな」

「ははっ、辛辣ですね」

「真実を述べたに過ぎないよ」

「確かに」

 二人はコーヒーを飲みながら、取るに足りない雑談をしていた。

 確かに最近の〈計測室〉は特に忙しそうだ。〈観測室〉もなかなかに暇とまではないが、剥離して落下するものが見えなければ手の打ちようがない。だから自然と〈計測室〉での計算で、落下物の大きさや速度、おおよその落下地点を割り出さなければならない。

 しかもこれには「数分以内で」という縛りがあるのだ。もちろん「信頼の置ける数字を」である。

〈計測室〉に配属されている職員は総じてコンピュータに強い。いつでも最先端の情報を持っているし、使いこなすこともできる。だからこそ〈JISA〉の〈計測室〉は花形の職業であり、日本の宇宙進出にあたっても大きな貢献をしているのだ。

 日本の尊厳と責任を背負った辛さはあるが、誰かがやらなければならない仕事である。各人プライドを持って仕事に当たっているのは、日々を見ている奈沙にはよくわかった。これでは友人と遊ぶことさえままならない。結婚など非現実的だと思ったこともあった。よくある「仕事が恋人」というやつか。

 そういう奈沙も、今のところ恋愛は希望していないし、宇宙局の施設内をうろうろしている方が楽しかったりする。時々こうして部下とコービーを飲んでダベっているだけでも〈副長〉と呼ばれるのだ。なかなかない高待遇だろう。

「笹垣上官、ちょっと訊いてもいいですか?」

「どうした」

「上官は幽霊とかって信じます?」

 えらくまぁ飛躍した話だな、とは思ったが、涼介の目が真剣だったので、笑い飛ばすようなことはしなかった。

「私は基本的にリアリストだからな。万一自分の目で幽霊を見たのなら、信じるだろう」

「今は信じてないわけですね」

「残念ながら見たことないのでね」

「そうですか」

 その先がなかったので、信じていない相手には言えない話なのだろうかと思わず後悔しそうになる。しかし涼介は苦笑しながら言った。

「昔、墓地がまだあった時には、そこで肝試しなんかをやっていたそうですね。俺は聞いただけで実際にやったことはないですけど」

「それは私も聞いたことがある。同じく経験はないが」

 奈沙は自分の幼少期を振り返って思い出す。祖父母宅で悪いことをすると、「お化けの出る部屋に閉じ込めるよ!」と言われたものだ。実際には押入れのような狭くて暗い場所に放り込まれるのだが、怖いどころか冷たい布団が気持ち良く、寝入ってしまうこともしばしばあった。

ふてぶてしさは今も変わらない。

「実際幽霊って、成仏できなかった霊魂だとか、この地に未練のある意識が残るって言われているんですよ」

「ほう、だから『自殺の名所』というのができるわけか」

「そうかも知れません。俺も別に幽霊を真剣に信じているわけじゃないですけど、宇宙葬になってから宇宙に遺骨が放り出されて、毎年参ってくれる墓もなくて、もしかしたら思い出してもらうことも少なくなると、幽霊のようになったりしないかなって思うんですよ」

 涼介の言いたいことにはピンときた。つまり、宇宙に放り出された死者の魂が啼いているのだと言いたいのだろう。

「宇宙葬が生んだ悲劇……という話か」

「あくまでロマンティックに脚色してますけどね。他の人には言えないですよ」

 涼介は頭を掻きながら恥ずかしそうに笑った。確かに相手をよく見て選んだ方がいい話だろう。このご時世に幽霊など、子供でも怖がらない。

「宇宙にばら撒かれた遺骨にもしも負の感情があったとしたら、スペースデブリを地球に落下させられそうな気がするんです」

 マグカップを空にして、ドリッパーの隣のシンクで軽くゆすぐ。

「それは……見たことがないから絶対にない、とは言えない話だな」

「考えすぎですかね?」

「執着は良くないが、可能性の一つとして考えるなら入れておくべきだな」

 涼介は荒唐無稽な話を受け入れてもらえただけでホッとした。代わりに奈沙の表情がやや曇る。早速脳内がフル回転し始めた。

「ごちそうさん」

 コーヒーを飲み干して、簡易カップをゴミ箱に捨ててから、涼介に軽く手を上げて奈沙は〈計測室〉を出た。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る