〈3〉第3話

 まだ一部の金持ちで暇を持て余している者に限られるが、それでも民間人の宇宙旅行はメジャーになってきた。ステーションに滞在するわけではないが、三十分程度の遊覧飛行を楽しむことくらいはできるようになった。大気圏外で数分の宇宙体験をするだけだった数十年前からは進んでいると言える。

 それでもあまり大々的なツアーを組んだり、価格競争をして値下げをしないのは、宇宙旅行会社が政府のコントロール下にあるからだ。遊覧飛行をする場所は、スペースデブリも人工衛星も飛んでいない地表八〇キロから一〇〇キロあたりのところである。その辺りはまだ穏やかで静かで目にも優しい。

 だから、民間人はそれが「宇宙」だと思い込んでいる。美しい闇の世界。運が良ければ遠くに見えるISSのきらめき。自分たちが宇宙にばら撒いたゴミなど一つも見当たらない。それはそうだろう。高度がまるっきり違うのだから。

 民間人に夢を与える──という名目のもと、真相は伏せられているというわけだ。遺骨や遺品や死んだ人工衛星の部品で覆われた衛星軌道は、まさか公に公開するわけにはいかない。ゴミ箱の中身は見せないのが政府のやり方だ。平和という名のもとに。

 宇宙旅行をする時の航空機の形状は旅行会社の提携する航空会社によって多少の差異はあるものの、結局空気抵抗や安全面を重視すると似たような形に落ち着いている。カモノハシのような長いノーズに、柔らかそうにさえ見える滑らかな主翼。宇宙空間でも燃やせる酸素入りのエンジンを搭載し、帰還時にのみ稼働する。地上から離陸する時は飛行機とそう変わりない。

 航空会社によってはロケット型を採用しているところもあるが、コストがかさむので不人気であるようだ。あまり飛ばされるところは聞かない。種子島との兼ね合いもあるため、なかなか運用も難しいのだろう。物好きな懐古主義者が稀に利用するらしかった。

 かく言う日向は、当然ながら実際の宇宙旅行などはしたことはない。幼い頃は宇宙に行きたいという夢があったが、宇宙局で真相を知らされてしまうと、その夢は呆気なく消えた。現実は手厳しい。

 それでも毎日〈ひとみ〉を通して宇宙空間を見ていると、悪くないなと思う。スペースデブリに満ちた空間が目につくが、背面側のカメラからは比較的本来の姿に近い宇宙の様子が拝めるのだ。それをモニタリングするのも仕事の一部だったが、もやの掛かった三番モニタを見るよりは余程心が落ち着いた。まだ宇宙には穏やかな空間もあるのだと。

 もちろん何もない宇宙空間に見入っていられるほど〈観測室〉の仕事は暇ではない。〈計測室〉などに比べればおっとりした空気が流れていることは否めないが、それでも各自自分の目でモニタを凝視し、異変がないかを本能的に嗅ぎ取っている。

 スペースデブリの位置が昨日と違う、〈かけはし〉も飛んでいないのに遺骨の配置が変わっている、遺品の面がズレているなど、ささやかなことではあるが、日々観測データに打ち込み、情報を共有していた。

 宇宙局は比較的風通しの良い職場だ。だから人員も極端な入れ替わりはなく、一般企業よりは随分優良である。人間関係も良い感じだし、局長は定年退職まで椅子に座っているだけなので、頼りにはならないが、その分口出しや説教も降り掛かってこない。〈副長〉である奈沙には皆が好印象を抱いているし、各部署内も円滑に回っていた。

 ただ、本当の宇宙を知っているという点では、宇宙局の職員も少なからず夢を打ち砕かれた者も少なくないだろう。宇宙に興味があって、好きだから試験を受ける。しかし実際のリアルを突きつけられるのは、入局してからだ。家庭を持っている者などは、さぞかし子供などに憧れられているはずだ。しかし本当の姿については言えまい。

 それほどこの三十年で宇宙は荒れた。地球周辺にスペースデブリの輪ができている。土星や木星のように、神秘的でまだ解明されきっていない夢のある物質とは違い、その衛星軌道の輪を形作るのは、遺骨や遺品、遺棄された過去の人工衛星などだ。遠くから見ても美しいとは言えないし、むしろ危険物である。

〈ひとみ〉の目は衛星軌道の前後左右を見れるように、四角いボディの各面に一つずつカメラが付けられている。回転しながらも視界に捉えたものを的確に地球に送り続けるけなげさに、宇宙局の職員の中には〈ひとみちゃん〉と呼ぶ者もいる。いずれ後継機を〈まなざしちゃん〉と呼んだりもするのだろうか。

 宇宙旅行希望者で一番多いのは、「子や孫に美しい宇宙を直に見せてやりたい」という要望が多いらしい。「美しい宇宙」を望んでいるのであれば、航空機に乗って実際の高度の低い宇宙空間へ出るしかないだろう。「美しくない宇宙」や「現実の宇宙」で良ければ〈観測室〉でいつだって鑑賞できるのだが。

 かつては宇宙権までを争った地球上の各国だが、今でもそれは微妙なバランスで存在している。だから設備や施設で競い合い、効率の良い無人機を作ったり未知の惑星を目指したりしているのだ。宇宙の冒険に変化はあまり見られない。まだほとんどのことがブラックボックスに入っているため、人類が束になって知恵を絞ってもそう簡単になどが解けるはずもなかった。

 ISSは旧時代からのものをいまだに使い続けている。もちろん、傷んだパーツの交換やこまめな点検は欠かせないが、これほどの長期に渡って現役を続けるとは誰も想像しなかっただろう。パーツの交換が過ぎて、「テセウスの船」状態にはなっているのではあるが。

 国際間での日本の宇宙技術の順位は暫定四位だ。アメリカ、中国、ロシアの次である。悪くない順位ではあるが、手持ちのカードの並びが全然違う。アメリカは国家予算の三割を宇宙関連に使っているし、中国も金と労働力を総動員してロケットを飛ばし他惑星からのサンプルを持ち帰る。ロシアは民間人の長時間宇宙旅行を最初に取り入れた。

 そこで日本はと言えば、〈JAXA〉を一度纏めてから引っ剥がし、発射設備のある種子島を押さえつつ、宇宙全体をモニタする宇宙局〈JISA〉を作った。宇宙に出ていくことより、地上から観察することにしたのだ。それが故に、地上にある宇宙局の設備が最新式で他国にない機能を備えているものもある。日本のものづくり王国の名はまだ健在なのだった。

 宇宙局は上層部を通して世界各国と情報を共有する。どこが抜きん出ているだけでも、いざという時に覇権争いが起こって対処できなくなると、笑い話にもならない。だから協定を結び、情報も共有し、宇宙に関する議題が上がる時は、国会にも呼び出される場合もあるのだ。

 外交官について世界を回る宇宙局職員も、専門分野に配置されている。人類が、自分たちが宇宙に対して行ってきたことを忘れたわけではないし、胸の痛む者もいるだろう。

 世界では他惑星に人工衛星を飛ばし、その地表のサンプルを持ち帰って分析したり、いずれ人類が移り住めるようになる惑星はないかなど、太陽系やそれ以外の惑星を丹念に調べたりしてもいる。〈NASA〉の予測を見る限り、正体不明の知的生命体に遭遇する可能性はほとんどゼロだ。ならば宇宙は自分たち人類のために用意されたものなのではないか? そう考える人間原理もない話ではないのだろう。

 ──いつかまた。

 その日がそう遠くない気がして、日向は布団をかぶった。

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