〈3〉第2話
ちょうど五年前、日向が宇宙局に入って間もない頃、先程と同様に〈計測室〉のアラートが施設内に鳴り響いたことがあった。隕石の落下を知らせるものだったが、計算では大気圏で燃え尽きるはずで、実際その通りになったため、事後処理は行われなかった。当時から〈計測室〉にいた涼介も、その時のことはよく覚えている。
地上に落下するものがなかったため、それが何だったのかはわからず仕舞いだった。おおよそ遺品の一部が落下したものと考えられている。宇宙ゴミの中には金属が多いのだ。そういうものは大気圏突入時にほとんど燃え尽きて消失する。
〈観測室〉でも衛星軌道から物体が落下していくのを観測していたので、異論は出なかった。
当時は日向の教育係を務めていた奈沙は、肩書もない一般の職員だった。ただ、日向に零したことがある。
「これは一度では終わらないぞ」
と。
それから経過すること五年、小さな落下物はあれどすべて途中で燃え尽き、今回久々に地上まで到達するサンプルがあったというわけだ。小さな剥離と落下は何度もあった。だが、地表まで届いたものはこれまでにはなかった。
万一落下するなら遺骨か遺品か死んだ人工衛星の部品である。稀に本物の隕石が地球をかすめるという計算も〈計測室〉では出されていたが、幸いにも直撃するものは大小含めてなかった。隕石を破壊する装置も、軌道を逸らす装置も、だから今まで使われたことはない。メンテナンスだけはされているお守りのようなものだった。
五年前には多少問題視はされた。遺骨はともかく、遺品のサイズや構成物に制限を設けるべきではないかという声もあったらしい。だがすべて却下された。世界中に点在する優秀な宇宙関連施設があり、これまでに何の危険も起こらなかったのだから、仮に想定外の自体が起こっても人類は対処できるということで纏められたのだ。これは世界の一致で決まったことだ。宇宙技術に突出して優れているとは言い難い日本だけが反するわけにはいかない。
そうして今に至る。確かに地球の危機や人類の存続を揺るがすような事態は起こっていない。日本では宇宙葬はもはや常識であり、地上に遺骨を埋葬するだけの余った土地はない。保存する寺もない。持っておきたければ個人で保存するしかない時代だ。
そして人類は遺骨とともに死者の遺品も宇宙に飛ばした。そして衛星軌道上に捨てた。これまでに三十年間、捨て続けてきた。稀に落下物となって落ちてきても途中で燃え尽きる。これで一つ掃除ができる。その程度にしか上は考えてはいないのだろう。
だが今や三十年分溜まったスペースデブリは危機に瀕している。〈観測室〉でもそれは常々報告してきたし、根拠もデータも上げた。しかし何も動かず変わらない。国家規模とは言え、一企業に過ぎない宇宙局の意見は、あまり脅威としての実感を伴わなかったのだろう。おかげで〈計測室〉は仕事が増えたとボヤいている。
奈沙が入局した八年前は、穏やかな年だった。スペースデブリは既にたんまりと溜まってはいたが、偏ることなく衛星軌道を散らばり、平坦なゴミ箱となっていた。今後宇宙葬がもっと活発になれば、この衛星軌道もゴミゴミしてくるのだろうな、と奈沙は薄ぼんやり思ったことがある。散骨機〈かけはし〉はその間に十回は増設され、毎回収容容量が増えていた。
世界から多少の遅れを取っているとは言え、宇宙開発の早さに奈沙は驚いた。年単位より早くに状況は変わる。宇宙局の観測機器や計測機器も刷新され、どんどん性能が良くなっていった。それ自体は悪いことではない。世界に少しでも引き離されまいと、日本政府が鳴り物入りで作らせた逸品ばかりだ。
だから一企業とはいえ、宇宙局が特別な企業地位を築いていることにも頷ける。ここは世界と戦う素材なのだ。少なくとも政府から見ればそのような立ち位置に置かれているのは確かだった。宇宙局の手柄は日本という国家の手柄だ。先進国の中で置いてきぼりを喰らわないように必死なのだ。その期待は宇宙局に一身に背負わされている。
五年前に感じた奈沙の違和感は、ようやく形を帯び始めてきた。このままでは終わらない。ひょっとするともっと良くないことが起こり得る。自分たちはそれを観察し、阻止するのが役目なのだった。
今回地表まで遺骨が到達したということは、もとはかなりの大きさだったと見ることができる。火葬で千二百度前後で燃やされて脆い白骨となった人骨は、それから宇宙に上げられる。そこからまた数千度の熱を帯びて落下し、それでも小石程度とは言え固形を保っていたのだから、元の骨の強度も高かったのだろうし、落下物そのものの大きさも計り知れない。〈計測室〉ではとっくに想定の大きさは出ているのだろうが、いくつもの遺骨がくっつきあって、たまたまその中心にあって熱から最小限に守られていたものがアレなのだろう。
考えればゾッとする話ではある。宇宙葬として衛星軌道に上げた遺骨がまた戻って来たのだ。どこの誰のものかは知らないので実感は湧かないが、いわば墓場から骨が這い出して来たようなものである。一種のホラーだ。
それが隕石のような宇宙からの落下物だというだけで、民間人の少年は喜々として宝物にした。どこの誰の遺骨とも知れないものを、アクリルケースに入れて大切に保存している。誰にも渡さないと言って。
宇宙葬が始まって長い。既に人間の心からは、幽霊だの怨霊だのという恐怖は消え去っているのだろう。肝試しをする場所もなく、死者を弔う場所もない。意図的にではなくても人の死後を軽んじてしまうのは、時代的にも仕方のないことなのかも知れなかった。奈沙だって日向や涼介だって、宇宙葬がメインになってからの生まれなのだから。
それでも宇宙局には一種ピリピリした空気が流れた。多分誰ともなしに、かつて奈沙が予感した「これだけでは終わらない」ということを身に沁みてきたのかも知れない。毎日宇宙を眺めている。スペースデブリに覆われた、巨大なゴミ箱と化した宇宙を。それらが安定していつまでも衛星軌道でじっとしているわけがないと、五年前を知っている職員ならば多少の危機感は持っていただろう。
今回が小石程度まで削られた人骨だったから良かったものの、宇宙空間に捨てられた過去の人工衛星がそのまま落下すれば、そこまで小さなものにはならないだろう。鋭利な部分は多少丸みを帯びるかも知れないが、落下して安全なものかどうかはわからない。むしろそうでない可能性の方が高いのではないだろうか。
世界の均衡はちょっとしたことで崩れる。それは宇宙空間においても変わらない摂理ではないだろうか。スペースデブリの塊から剥がれ落ちた遺骨。これを皮切りに、他の物体までもが地上に落下してこないと誰に断言できるだろう。
宇宙空間を見つめているいくつもの目は、人工衛星〈ひとみ〉を通じて地球から監視する。それでも、できるのは見つめることだけだ。〈計測室〉にはいくつかの対抗手段があるとは言え、それでもお飾りでしかない。何しろ今まで使ったことのない上等な設備が置かれているだけなのだから。実際に「万一」のことが起きれば、本当にそれで対処できるのか。宇宙局局長でさえ責任を持ちたくないと逃げるのではないだろうか。
それが現在の人類の現実で限界だ。宇宙葬で放り投げられた宇宙ゴミたちが本気で牙を剥いたなら、未知のリアルに立ち向かうしかない。
「計画が早まった?」
日向は少し驚いた様子で顎を引いた。奈沙は日向を部屋から出し、廊下で立ち話をする。
「今回落ちてきたのが小石大の遺骨だったから良かったものの、過去に戻ってこられなかった大きな人工衛星が、そのまま地上に落下してきたらどうするんだ、という意見が取り上げられたらしい。だから〈ひとみ〉の後継機である〈まなざし〉の投入時期が早まった。〈観測室〉でもモニタが増えて忙しくなるだろう。〈計測室〉は言わずもがなだな」
休憩中にシャワーでも浴びたのだろうか、顎下で切り揃えられたショートボブのサラサラの髪からほのかに香りがたっている。日向のような作業着ではなく、軍服風の濃紺の制服を着こなした奈沙は、そのまま軍部をも仕切れそうな威圧感を持っている。日本に軍はないが。
「正式発表はもう少し先だが、公式発表よりもマスコミが種子島への移動を嗅ぎつける方が早いだろう。面倒だな」
「国民にはどう説明を?」
「特に不安を煽る必要はない。〈ひとみ〉より高解像度の大型人工衛星を打ち上げることで、今後の日本の宇宙技術も格段に上がっていくだろう、というただの広告に過ぎない」
「不誠実ですね」
「国とはそういうものだ」
「まぁ、そうですね」
今まで何度も聞かされた言い訳だ。国とはそういうもの。楽観的で客観的で無責任で無知。情報を上げていてもろくに目を通さないのだから、民間人よりたちが悪いとも言えそうだ。
「ボディは八角形。だからカメラも八つに増えるようだ。死角は減るが、〈観測室〉は慌ただしくなりそうだな」
「増員は?」
「今のところ期待できそうにない。それだけお前たちが高く評価されているとも言えるが」
「国とはそういうものですね」
「そういうことだ」
奈沙は苦笑する。日向も言うようになったな、と。
「まぁ、倍程度なら今の人員でもどうにかなります。毎日大事(おおごと)が起こっているわけでもないですし」
「確かにな。しかしまぁ、見るだけでも大変だろう。私もなるべく詰めるようにする。何しろ〈観測室〉は人の目で見ているわけだからな」
「助かります、副長。八つのカメラで解像度も上がるとなると、余計なものまで見えてきそうですね」
「ただでさえ日向は気にしすぎるきらいがあるからな。まぁ、今より解像度が上がれば明確に見えるだけ、むしろ心配事は減るんじゃないのか?」
「もやがかからなければですけどね。あの正体は今でもわからない」
日向はまだそれを気に掛けているようだった。〈ひとみ〉の三番モニタの左下方にのみ見えるもや。何らかのガスが発生しているのだと考えるしかないが、頑ななまでに正体を見せようとしないもやに、日向は不信感を拭えない。
「それは有人ロケットでも飛ばして観測するしかないな。しかし往々にしてスペースデブリの反応によるガスか何かだろう。そこまで心配することもあるまい」
「そうなんですが……」
日向は端切れが悪い。自分の中にあるこの不安がどこから来るのかがわからないのだ。そしてそこから剥がれ落ちてきた落下物。まるではっきり見えないのをいいことに、突如襲ってきたかのように感じる。〈計測室〉でも見ているから剥離はすぐに確認されたが、宇宙局の内部がここまで性能を上げていなければ発見が遅れていただろう。
「〈まなざし〉にはまず〈ひとみ〉のカメラの掃除をお願いしたいですね」
「酷な要求をするな。オートマタアームが装備されているとは言え、所詮は無人の人工衛星だぞ。操作を誤ってカメラが割れでもしたら事だ」
確かに、と思う。誰かが有人ロケットに乗って掃除に行かなければならないのなら、別に自分が行ってもいいとさえ日向は思っていた。それほどにあのもやは気掛かりだ。
「〈まなざし〉が打ち上がれば〈ひとみ〉とかぶる視野もあるだろう。そこで補い合えればいい」
「うまく見てくれるといいんですが」
「国の鳴り物入りの新型人工衛星だぞ。盛大に期待してやろうじゃないか」
嫌味を含んだ奈沙の言葉に日向も少し笑う。
「情報はいつ解禁ですか?」
「別に今でも宇宙局内では秘匿案件ではない。ただ、〈観測室〉のメンバーが知ると気が滅入る話だろう? だからお前に先に話した。日向はワーカホリックだからな」
「そうでしょうか?」
「自覚がないのがその証拠だよ」
はっは、と奈沙は笑う。その笑い声は廊下を響いてすぐに消えた。
「そう言えばだが」
「何でしょう」
「猫舌が一瞬で治る方法があるらしいぞ」
「本当ですか?」
思わず日向は食いついた。
「どうやら舌先で温度を確認するのがよくないらしい。思い切って口の中に入れてみろ、というのが私が見た資料の製作者の持論だそうだ」
「そんなの……火傷したらどうするんですか」
何の解決にもなっていない強引な持論とやらに、日向は目に見えてがっかりする。しかし奈沙は補うように言った。
「舌先が一番繊細なんだ。そこで『熱い』と感じてしまうと、その先に口に入れることを躊躇してしまう。だから舌の半ばの、やや熱さに鈍感な部分にまで突っ込んで、あとは歯で舌を守りながら飲み食いするんだそうだ。一度やってみたらどうだ?」
自分で入れる時のコーヒーはインスタントの粉を多めに入れてお湯を少なめにし、代わりに数個の氷を入れる。水出しコーヒーは時間がかかるし、喉が渇く度に自販機に足を向ける気にもならない日向は、そうやって自分の飲み物を調節している。たまに奈沙が差し入れとともに入れてくれるコーヒーは嫌がらせのように普通に熱いので、なかなか飲み干すのに時間がかかるのだ。
「まぁ……副長がそう言うなら試してみます……」
〈副長〉命令でもないのに律儀にアドバイスを受ける日向を、奈沙は笑いながら見た。真面目で融通が利かない部分もあるが、不思議と柔軟で器用な一面もある。両極端な特性を持ち、何を考えているのかわからないかと思えば、思い切り悩みが顔に出ている時もある。
付き合いの長い奈沙だからこそ理解できる部分もあるが、一度悩み始めると解決するまでそのことが脳裏を離れない厄介な性質であることは多くの職員が知っていた。〈観測室〉でのちょっとした心配事に付き合わされる涼介などはその代表と言えるだろう。自分が煙たがられていることも意に介せずに、日向は〈観測室〉での疑問を〈計測室〉の涼介に持ち込む。同期だからだろうか。だからといって話しやすいとは到底思えないのだが。
「〈まなざし〉は〈ひとみ〉の近くに滞在するんですか?」
話を変えるように日向が言う。うん? と奈沙は首を傾げ、「どうだろうな」と言った。
「今は衛星軌道上がごちゃごちゃだ。あまり〈ひとみ〉に接近して、接触しても困るだろう。しかし大きく離れては意味がないから、いいところで折り合いをつけるんじゃないか」
「そうですか」
確かにもう宇宙は雑然としている。少なくとも〈ひとみ〉が見ている宇宙空間にはゴミがいっぱいだ。その隙間に、〈ひとみ〉より大きな人工衛星がするりと入り込める余地はない。種子島でも、その打ち上げ先の目星をつけるのに苦労しているらしかった。
「早く宇宙ゴミ清掃システムでも開発すればいいんじゃないですか?」
「集めたゴミを持ち帰るスペースは地上にはないぞ」
「それこそいい大きさにして大気圏で燃やせばいいんです」
「一見エコロジーな考えだな」
「一見だけですか?」
「いや、日向の言うことに相違はないが、あまり大気圏を焼却炉のように使うのも、後々に何らかの影響が及ばないかと思ってな」
さすがは奈沙。いつも遠い先を見据えている。日向は大気圏に穴が開くという、恐るべき自体を騒々してゾッとした。オゾン層どころの話ではない。それこそ地球存続の危機だ。
「なかなかいい考えはないものですね」
「そう人類にばかり都合良くできた世界ではないさ。人類はどう考えているかは知らないが」
「何も考えていなさそうです」
「私もそう思うよ」
ふっと奈沙が微笑する。揺れた髪先から、またいい香りが立った。
いつも凛々しい、男勝りな〈副長〉も、やはり女性なのだなと思う。入局当時は同僚に女性がいなかったこともあったのだろうが、今では多少人数は増えている。主に〈解析室〉や〈計測室〉に配属されているが、残念ながら〈観測室〉には一人もいない。確かに美容に良くなさそうな仕事内容だった。
「副長は……睡眠はちゃんと取られてますか?」
日向は不意に思ったことを口にした。自分の休憩中は知らないが、勤務中は大抵身近に奈沙がいる。廊下を歩いていてもあちこちの部屋の扉を出入りするところを見るし、だからと言って休憩時間が完全に日向とかぶっているということはあり得ない。
「取っているさ。少なくともお前よりはな」
「……じゃああまり取っていないんじゃないですか」
自分のことは棚に上げて、日向は不平を漏らす。さんざん日向に休息を取れと言っておきながら、自分だって相当なワーカホリックではないか。〈副長〉など本来は副長室で踏ん反り返っているだけでいいものを、奈沙はあちこちの部署に顔を出し、仕事を手伝う。差し入れを持って現れたり、職員一人一人に声を掛けるなど、ケアも怠らない。
局長がいていないも同然だからなのか、奈沙が現場第一主義だからなのか、姿を見ない日はなかった。疲労の色は見えないが、女性は化粧をしているから本当のところはわからない。
「健康診断ではA判定だったぞ」
「俺もです。信用できませんよ」
「日向でもA判定が出るのか? それは検査方法を変えた方がいいかも知れないな」
「そうすると副長もヤバいですよ」
「うーむ」
言われると奈沙は困ったように顎に手を当て、「健康ならいいじゃないか」と開き直るのだった。
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