〈3〉第1話
〈3〉
施設内に大きなアラートが鳴り響く。スペースデブリの一部が剥がれ落ちたという〈計測室〉からの知らせだった。地表到達まで残り二分弱。〈ひとみ〉のズームでは追えないところまで離れた破片の落下地点を、〈計測室〉では全力で計算している。角度が想定よりズレたらしく、宇宙局の施設外に落下する恐れがあるとのことだった。
民間人が持たされているメディアデバイスに、隕石落下の知らせが一斉に届く。大きさは問題ないが、それでも地表から二〇〇キロ地点から降ってくる小石だと思えば、万一人体の急所、例えば頭などに直撃すれば命を落とす可能性がないでもない。五分間は屋根のある場所や建物内から出ないようにと通達した。
日向のデバイスにもその情報は届く。廊下の途中で見つけた奈沙に「少し出ます!」とだけ告げて念の為ヘルメットをかぶり、施設の外へ出た。進路はもとの計算より少し西にズレたらしい。宇宙局のそばを走る国道か、その横に広がる市街地を当たるつもりだった。
地表到着まであと十秒。そこで中高生くらいの少年が三人、ヘルメットをかぶり、軍手を身に着けてうろうろしている姿を見つけた。キラリと光るものが見える。それは市街地の中で消えた。
少年たちの騒ぐ声がする。日向は走った。彼らは落下物と思われるものを手にし、興奮している様子だった。
これは先を越されたな、と察する。離れた場所で彼らを眺めながらどうしたものかと考えた。
「俺が一番に拾ったんだから俺のモンだぜ」
「えー、俺らにも平等に触らせてくれよ」
「隕石探そうぜって言ったのは俺だろ」
三人の少年たちはそれぞれに言い分を見つけて落下物を自分のものにしようとする。結局最初の少年が持ち帰ることになり、所有権は三人で平等にして、いつでも見られるようにするということで話はまとまったようだった。
日向は他の家の角に身を隠し、持ち帰った少年の家を確認する。今のところはそれで良しとしよう。家の中に入っていく少年たちを尻目に施設へ戻った。
出ていった裏口を入ったところで奈沙が待っていた。これはお小言だな、と日向は覚悟する。が、奈沙は意外にも鷹揚に言った。
「目的のものは得られたか?」
「副長……」
「お前の様子を見ていれば予測はつく。落下物を探しに行ったのだろう?」
「はい……。でも先を越されてしまいました」
「それは残念な」
奈沙は心底悔やむような視線を送る。そこへ涼介が走ってくるのが見えた。奈沙の姿を捕らえる。
「上官!」
涼介もヘルメットをかぶっているところを見ると、行動は日向と同様であるらしい。
「空振りだよ」
「え?」
そこで涼介の視界に初めて日向が入り込む。舌打ちしたい気分だったが、上官の前なので既(すんで)のところで抑えた。
「あらまぁ、主席サマも同じお考えで?」
「落下物を拾いに行こうと思いましたが、先を越されてしまいました」
「何?」
〈計測室〉から離れられなかった涼介が出遅れている間に、日向は既に手柄を民間人に渡してしまったという。何をしているのだと罵りたい気分だった。奈沙がいなければそうしていただろう。
「そんなもの、何でも理由を付けて貰い受けてくれば良かったんじゃないのか?」
「どんな理由を?」
「宇宙局職員だというだけで十分だろう」
「できれば宇宙局の人間だと思われたくなかったので」
日向は淡々と答える。熱くなる涼介に視線で落ち着けと命じ、奈沙は言った。
「確かに宇宙局職員を名乗れば渡してくれたかもな。この通り、私たちは制服も着ているのだし」
「個人的な興味でしたから」
「そうか。ならば今後の見通しも立ててあるのだろうな」
「メディアライターを装って取材を申し込むつもりです」
「そんな婉曲な」
涼介が堪らず口を挟む。一刻も早く手に入れたかったのに。
「許可は出す。何かは持ち帰れよ」
「はい」
「上官! そんなことでいいんですか?」
「日向にも考えがあるんだろう。少し待ってみようじゃないか」
「くっ」
上官にそう言われては涼介も従うしかなかった。ちらりと日向を見る。無表情にヘルメットを取り、中に入ってきた。
「俺も行きます」
「瀬川も?」
「主席サマは口下手な様子なので。口下手なメディアライターなんていないでしょう」
「なら一緒に行くといい。事後処理の後でな」
「はい」
返事をして日向は奈沙と涼介を置いて歩き出す。
「何なんだ……」
思わず涼介は零した。
「ああいう奴だからな。誤解も受けやすいが、何も考えていないわけではない。補助してやってくれ」
「……わかりました」
日向を庇うような奈沙の言葉に、少々不満そうに涼介は頷いた。
〈観測室〉では特にすることはなかった。剥がれ落ちた残りのスペースデブリの様子を確認し、新たな剥がれ目がないことを薄ぼんやりとしたもやの映像から確認する。その後の計算は〈計測室〉の役目だ。落下地点はわかっているし、涼介が「僕が行きます」と名乗りを上げたため、情報の持ち帰りを待つ形となった。被害は何も出ていないことは確認されている。民間人のアラートも解除した。
「有明日向。行くぞ」
〈観測室〉に現れた涼介は、最後尾のデスクに座っていた日向に声を掛けた。不承不承といった感じだ。
「今からですか?」
「俺は今から休憩だからな。主席サマはいつでも出られるんだろう?」
「ええ、まあ」
言って日向は立ち上がる。
二人して廊下を歩きながら、涼介は言った。
「しゃべるのは俺がやる。主席サマは落下物でも観察しといてくれ」
「わかりました」
私服に着替えて外に出ると、日向の先導で落下物を拾った人物の家へと向かう。国道を挟んだ市街地の一角だった。
「ここのガキが持ってるのか?」
「そのはずです」
「じゃあ行くか」
迷いなく涼介はインターホンを押した。当人と思われる少年の声が出る。涼介はフリーのメディアライターを名乗り、先程拾った隕石の取材をさせて欲しいと願い出た。少年は明らかに嬉しそうな声で了承し、すぐに玄関の扉を開けた。
「なんで俺が持ってるってわかったんですか?」
「ふふ、メディアライターの嗅覚を舐めてもらっては困るね」
格好を付けていなす方が、この年頃の少年には効果があると知っていた。少年は目を輝かせて「すげー」と言い、早速アクリルケースに詰めた落下物を見せた。
「これを拾った時のことを聞かせて欲しいんだけど……あ、ちょっと中を触らせてもらってもいいかな?」
「いいけど、これは渡さないぜ」
「もちろん、拾ったのは君だ。じゃあ開けさせてもらうね」
中から出した小石程度の白い落下物を、そのまま日向に渡した。自分が時間を稼いでいる間に何かしらの情報を読み取れということらしい。日向は助手に徹して、黙ってその落下物を調べ始めた。
涼介は少年にそれらしい質問をして、ほうほうと持ち上げては「すごいね」を連発している。まんざらでもなさそうな少年は、詳細に落下物を拾った経緯を説明していた。
日向は落下物をぐるりと見回す。一見すればただの小石だ。少年たちが落下する瞬間を捉えていなければ拾えなかっただろう。見た感じでは何の変哲もない固形物だった。手触りは小石よりも少し柔らかく感じる。予定通り日向は作業して、落下物を涼介に手渡した。彼もぐるりと見回して、少年を褒め称える。それからそれを返却し、取材の礼を言って少年の家を辞した。
誰にも見られないように宇宙局の敷地に入り、裏口から中に入る。
「何かわかったか?」
「わかるかも知れません。何か容器はありますか?」
「容器?」
不審に思いながらも涼介は廊下の途中にある備品室からパレットを取ってきた。
「ほら」
差し出すと、日向は自分の小指からぱらぱらと粉を落とした。詳細に調べているフリを装って、一部を削り取っていたのだ。なんてことだ。涼介がどうにか落下物を借りられないかと思案している間に、サンプルを奪ってしまうとは。
「案外柔らかかったので、削り取ることができました。これを〈解析室〉で調べてもらえれば」
日向はあくまで淡々と言う。その冷静な様子がまた気に入らない。
「じゃあ俺が持っていくよ。主席サマは上官に報告してくれ」
「わかりました」
では、と日向は制服に着替えるためにロッカー室に入り、手早く〈JISA〉のロゴ入りの濃紺の作業着に袖を通す。〈A〉の部分に星をあしらったマークは〈JAXA〉の名残だろう。そのまま奈沙を探そうとしたが、ちょうど〈観測室〉から出てきたところを見つけた。奈沙も日向に気付く。
「早かったな」
「はい。瀬川さんの要領が良かったので」
「それで?」
「落下物拾得までの状況は瀬川さんが詳しく聞いています。先程サンプルを少しだけパレットに入れて渡しました。〈解析室〉に持っていってくれています」
「何? サンプルを取れたのか?」
さすがの奈沙も驚いた。
「少年は落下物は渡さないと言うので、こっそり小指の爪でこそげ取ってきました」
「お前という奴は……」
「案外柔らかかったので」
そういう問題じゃない、と言いたかったが、ここはまず部下の判断を褒めるのが先だろう。奈沙は「よくやった」と日向の肩を叩き、「〈解析室〉だな?」と確認して歩いていった。
別に爪を伸ばしているわけではなかったが、たまたまそろそろ切ろうかなと言うタイミング程度には伸びていたので、柔らかめだった素材という幸運もあり、日向は計画を実行できた。万一爪程度でサンプルが取れないようならと、ポケットに折りたたみナイフも仕込んでおいたのだが、それは必要なかった。
こそげ取った程度では少年には気付かれないだろうし、遺骨が主な成分なら固くもないだろうと踏んだのだったが、それは当たりだった。あとは〈解析室〉でどのような結果が出されるかを待つばかりである。
日向は手を洗い、〈観測室〉の自分のデスクに戻る。相変わらずもやのかかった三番モニタは気になったが、剥離した落下物のおかげで少しは気が楽になった。ひとまず一通りのモニタを観察して変化のないことを確認した。
たまにはと自分で専用のマグカップにコーヒーを入れる。ポットの湯で溶かしたインスタントの中に三つほど氷を落とし、すぐに飲める温度にした。ちょっと薄い。
〈解析室〉では文字通りさまざまなものの解析を主に行っている。落下物が手に入ることなどは稀なので、基本的に〈計測室〉のデータの解析がメインの仕事だった。だがもちろんDNA解析などはお手の物なので、結果はそう待つまでもなく出されるだろう。日向はそれまで案外暇だ。
「有明日向。呼び出しだ」
そう思っていたら、早速背後の扉が開いて涼介が眉をひそめて待っていた。結果はもう聞いたのだろうか? あまり機嫌は良さそうにない。日向の前では機嫌が良いことなどほとんどないのだが。
「〈解析室〉ですか?」
「そうだ。支度しろ」
支度というほどのものはなく、立ち上がって上着を羽織った。コーヒーを置いて部屋の外に出る。
「もう結果が?」
「ああ。上官は付きっきりだ」
足早に二人は少し離れた〈解析室〉へ向かう。機器類が多いので、他の部屋よりもやや広めに設計された〈解析室〉は、それでも狭く感じられた。
「失礼します」
声を掛けて入室すると、奈沙が苦い表情で腰に手を当てて立っていた。思わしい結果が得られなかったのだろうか。それとも想像したくない結果が?
日向は怪訝な顔をして「どうでしたか?」と訊ねる。
「やはり遺骨の一部だろう。人体の骨のDNAと合致した」
「そうですか」
それは予想の範囲内だ。だが奈沙まで機嫌がよろしくない。何故だろう。
「しかし〈解析室〉では、採取方法からして日向の爪の遺伝子が濃く反映されたものだと結論付けた。だから日向、お前のサンプルを寄越せ。詳細に調べる」
「はあ」
そういうことか。日向が自分の爪でこそげ取ったものだから、あの粉末はほとんどが日向の爪の剥がれたものだと言われたわけだ。奈沙も納得いくまい。
「髪の毛でいいですか?」
「何でもいい」
日向は自分の髪を一本抜き、奈沙の差し出したパレットに置いた。先程のサンプルの詳細が日向のDNAと完全に一致したなら、その言い分を認めるしかない。だが、日向はそれはないと思った。多少は自分の爪の一部が混入しているかも知れないが、明らかにあれは他人の遺骨の一部であろう。それは自信を持って言える。
「しばらく待っていろ」
奈沙はパレットを持って〈解析室〉の小部屋に入っていき、パレットを差し出す。担当者はそれをピンセットでつまみ上げて装置に掛けた。
「証明も難しいもんだな」
涼介が珍しく嫌味なく言う。日向は気にせず「念には念をということなんでしょうね」と返した。
すぐに結果は出る。日向のDNA型とサンプルのDNA型は完全には一致しなかった。つまり他人のものということが証明されたのだ。これには〈解析室〉の職員も首を傾げた。何も不思議はないというのに。
「宇宙から降ってきた遺骨の一部なのだ。多少日向の爪の成分が混じっていようと、同一人物のものであるはずがないだろう」
奈沙は憤慨しながら〈解析室〉の小部屋を出てくる。
「これからどうするんですか?」
日向は問うた。スペースデブリから剥がれ落ちて地上に落下したのが、過去に散骨された遺骨の一部であるのなら、今後同様のことが起こる可能性はある。その度に確認に走って証明を重ねることは無意味だった。
「ひとまず上に報告だ。それから宇宙葬に関する会議を早急に行ってもらうよう進言する」
「動きますかね」
「動かすんだ。今回は五年前のようにはいかないぞ」
奈沙は勢い込んで頭をフル回転させていた。日向は政治家の気質に期待はできないと考え、涼介は奈沙の立ち位置が危うくならないかを心配した。
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