〈1〉第2話
おかしいな、と思った。
先日奈沙に伝えた三番モニタの左下方、そこのぼやけ具合が酷い。先輩職員に相談しても、「ただのスペースデブリだろう」ということで、あまり重く受け止められなかった。
宇宙散骨が始まって、確かにスペースデブリは増えている。遺骨をゴミ扱いするのも気が引けるが、骨壷ごと放出されているものもあるため、かつての秩序立った宇宙の姿ではない。すべて地球に住む人間が排出したゴミの集まりなのだ。
もちろん、遺骨なので一つ一つはそう大きなものではない。しかし、長年に渡って地球の土地を圧迫していたものがすべて宇宙に出されたのだから、それなりの分量にはなっていた。
周囲を見渡すが、今日はまだ奈沙の姿はない。〈副長〉であるため、一つの部署に留まってはいないのだ。だからと言って、副長室に行けば会えるとも限らない。現場主義の奈沙なので、いつもどこかしらの部署にふらりと入っていき、「今はどうなっている?」と声を掛けるのが日課なのだ。
日向は仕方なくタイムスタンプを記録し、いつでも情報を引き出せるようにしておく。それから三時間の仮眠休憩に入り、食堂でカツ丼を食べてから仮眠室で横になった。
三交代制で週休一日。その貴重な一日も緊急事態があれば呼び出されるため、遠方に旅行をしてのんびり、というわけにもいかない。結局寮の部屋で読書をしている、という生活だった。ただ、日向はその生活に問題はないと思っている。就業パターンは試験前からわかっていたし、かつての防衛大学のように、宇宙大学は通いながら給与がもらえた。経験を積みながら勉強してお金をもらう。それならシフトや給与にも十分納得がいった。
同僚の間でも文句を言う者はいないし、少しでも文句がある奴は既に宇宙局を辞めている。だから理想的な職場ではあるのだった。
ただ、瀬川涼介は主席で入局した日向のことが気に入らないらしく、何かと揚げ足をとってくる。部署が別なのは幸いだが、自分が一番になれなかったことがよほど悔しかったらしい。
もともと家が金持ちで、勉強も運動も人並み以上にできた涼介は、当然宇宙大学を主席で卒業するはずだった。有明日向というモブさえいなければ。もちろん涼介には実力はあったし、勉強も懸命にした。しかし、主席にはなれなかった。
そんなことで日向に執着して、隙あらば難癖をつけてくる。〈観測室〉の問題は日向の問題だとでもいうように、連絡ミスなどは日向が集中して愚痴を言われた。
ただ、日向はそんなことは気にしていない。悪いと思えば謝るし、今後失敗しないような対策を練る。その真面目ぶりが涼介には癪に障って、ますます日向への当たりを強くした。
その時も〈観測室〉で気になったことを〈計測室〉と共有しようと、同じ建物の別のフロアへと足を向けた。するとそこには奈沙がいた。缶コーヒーを片手に。
「よう日向。〈計測室〉か?」
「はい。やっぱり先日のもやが気になったので、調べてもらおうと思って」
「今は瀬川がいるぞ」
「そうですか」
特に日向は気に掛けないが、相手が嫌がるのだろうなと思った。涼介の日向への扱いは、周知の事実だ。主席と二番手という関係を知らない職員たちは、同期で入ってきた者同士、切磋琢磨していると思っていることだろう。涼介は仕事もきちんとできたから。
「お前は本当に物怖じしないな」
奈沙は少し呆れたような声で言った。
「そうですか?」
心当たりのない日向はそう返す。確かに物怖じするタイプではないが、鈍感というわけでもないつもりだ。
「瀬川に会えばまたキツく当たられるだろう。面倒じゃないのか?」
「いえ、特には。言っていることは正しいですし」
その回答に奈沙は苦笑しする。
「副長はそろそろ休憩なのでは?」
日向は大まかに全体の構成員の休暇やシフトを頭の中に入れている。〈副長〉の奈沙ともなればなおさらだ。自分の休憩には無頓着なのに、他人のことは一人一人しっかりと見ていた。
「お前に心配されなくても休むよ。今だって休憩みたいなもんだ。〈計測室〉でダベって帰りに缶コーヒーを飲みながらふらふらしているんだからな」
ふふ、と笑いながら奈沙は日向を見る。きりりと真面目に口唇を結び、片手にはファイルを持っている。まるでヒヨッコの学生のようだな、と奈沙は五年前を思い出す。宇宙大学を卒業して教育担当になった時のように。
しかしもう日向はヒヨッコではない。人一倍仕事を正確にこなす即戦力に育った。奈沙の指導のおかげでもあるが、それ以上に日向は覚えが良かった。わからないことは納得するまで何度でも訊いた。メモは欠かさないし、自室に帰ればそれを清書して復習している。主席で卒業し、宇宙局に入局したのも頷ける。
「日向もきちんと休めよ。お前は放っておくと仕事ばかりするから」
「俺だってちゃんと休んでますよ。寝入りが早いんです」
「そうか」
くっくっと肩を震わせて奈沙が笑う。日向は何故自分が笑われたのかがわからず、きょとんとしていた。
「じゃあ行って来い。私は今から休憩に入る。終わったら〈観測室〉に行くからな」
「はい。準備しておきます」
奈沙はコーヒーを持ってない方の片手を挙げて、そのまま休憩室の方へ歩いていった。日向は奈沙が通ってきた道を逆に辿って〈計測室〉に行く。
「失礼します」
ICカードを翳して入室し、声を掛ける。一番初めに気が付いたのは、やはり涼介だった。
「おやおや、〈観測室〉のエリート様が何の御用かな?」
壁面のコンピュータを弄っていた涼介は日向に向き直り、大袈裟に肩をすくませる。
「観測機〈ひとみ〉の一部データを持ってきました。ちょっと確認してもらいたいことがあって」
「ほうほう、それはご苦労だな。それで? そのデータの確認とは?」
涼介が日向の方に歩いてくる。担当は涼介と決まったようなものだ。他の職員は自分の仕事に熱心なふうに装う。
「見てもらえますか?」
「いいとも」
かなりの上から目線で涼介は言うが、日向は意にも介しない。お願いをしているのは自分の方なのだから、相手に合わせることが正しいと考えた。
涼介は後方の座席にあるスタンドアローンのパソコンを起動する。日向から渡されたメモリーチップをコピーし、すぐさま開いた。
「〈ひとみ〉の三番モニタの映像です。左下方部にもやがあるのですが」
「それは見ればわかる。これが何かを知りたいんだろう?」
「はい。日々もやが広がっているような気がするのですが」
「スペースデブリの塊だ。その存在は〈計測室〉でも認知している。遺骨を入れた容器や、お役御免になった衛星の集合体だ。心配しなくても、地上に落下することはない」
「やはりそうですか」
「やはりって、わかっていて持ち込んだのか」
涼介は眼光を鋭くして日向を見る。コクリと頷くと、涼介は「ふざけるなよ」と押し殺した声で言った。
「〈観測室〉でおおまかに答えは出ていたんだろう。わざわざ〈計測室〉へ持ち込んで、何を期待していたんだ」
「万一のためです。〈計測室〉と〈観測室〉は情報の共有が重要でしょう。こちらではスペースデブリだろうということしかわからなかったので、お墨付きを貰いに来ました」
涼介は微動だにしない日向に項垂れた。やはりこいつは感情が希薄だ。存在感も薄いが、そもそも何を考えているのかわからない。そういう意味では不気味な存在だ。
「仮に地球の重力に引かれても、大気圏で燃え尽きる大きさですか?」
当の日向は気にもせずに先を進める。
「これがまとめて落ちてこない限り心配には及ばん。もちろん塊のまま落ちてくる可能性は皆無だ。だから何も気に掛けることはない」
「そうですか。ありがとうございます」
そのまま日向は回れ右をして〈計測室〉を出ようとする。苛立った涼介は、「くだらないことでいちいち仕事を止めるな」と先輩めいた小言を言ってパソコンの電源を落とした。
「失礼しました」
扉の向こうで一礼すると、そのままスライドして扉は閉まった。
「何なんだ……」
なんだか一杯食わされたような気になって、涼介は苛立った。マイペースで仕事熱心なのはいいが、いちいち他部署の手を止めさせるなと思いつつ、〈計測室〉と〈観測室〉の情報共有は重要だと教えられたことを思い出す。しかし入局から五年も経っているのだから、臨機応変という言葉を覚えても良かろう。
いまだに些細なことでお互いを行き来する日向は、クソ真面目で融通が利かないと涼介は思っていた。今頃スペースデブリごときに気を取られても仕方があるまい。傲慢な人間が捨てた宇宙ゴミだ。落ちるなら落ちてこい、と思う。〈計測室〉には隕石を破壊するミサイルもあるし、軌道を逸らせることだってできる。
しかもあの大きさのスペースデブリの存在を見逃すはずもない。
慢心は良くないとは思うが、心配のしすぎもどうかと思う。日向は個人的に気になって持ってきたのか、上司に言われてやってきたのかは言わなかった。だが恐らく、個人的な心配の線が濃厚だろう。
くだらないことに付き合わされた、という時間の無駄を感じて涼介はさらに苛立ったが、それをぶつける相手は既にその場を辞している。
「……くそっ」
日向が去った後になって苛立ちが大きくなってくる。主席入局者とそれ以外。そんなことは新人から五年も経った今、気に掛けている者はいないだろうに、涼介はそれにばかり囚われていた。
「で? お墨付きを得たと」
「はい。塊で墜ちてくることはまずないそうです」
「小さなものでも成層圏で燃えると」
「そうです。だから心配するに及ばないそうです」
〈観測室〉に戻ってしばらくすると、奈沙が休憩から戻ってきた。日向に先程の要件を問い、案の定な報告を受ける。
「それにしてもよくお前は目に見えて攻撃的な相手の懐に飛び込めるものだな」
奈沙は苦笑しながら言う。日向は首を傾げた。
「攻撃的ですかね?」
「お前がそう思わないのなら違うのかもな。ただ瀬川は相当苛々しているぞ」
「何故瀬川さんはあんなに俺のことを嫌ってるんでしょうね」
「嫌われている自覚はあるのか……」
「何しろ他の人との扱い方が違いますから」
「お前の観察力はすごいのに、何故それを人間関係に活かせないのか」
「他人を変えるのは難しいです。俺も何を変えればいいのかわからないし、それなら普通にしているしかないでしょう」
あまりの正論に奈沙は苦笑いしかできない。日向は「百パーセントの人に好かれるなんて無理ですからね」と表情を変えずに言う。
「仕事さえうまく回っていればいいと思っているんだろう?」
「ええ。ここは職場ですから」
あくまで宇宙局は日向の職場であって、友達作りの場ではないと割り切っているらしい。もちろん、涼介以外の人間とはそれなりにうまくコミュニケーションをとれているので、他部署の同期一人に邪険にされたところで問題はないのだろう。涼介がやや哀れだなと奈沙は思う。
涼介が日向を敵視する理由は奈沙も知っている。涼介は金持ちの息子で、いつでも何をやらせても必ずトップを取る人間だということも。現に入局から五年経った今では、〈計測室〉の先輩を押しのける勢いで成長している、誰もが一目置く存在なのに。
感情的になりやすいのが惜しいな、と奈沙は感じていた。それでも仕事はできる。そろそろ役職を付けてやってもいいのではないかと思うほどに。
「私もあの映像をよく見て見たが、散骨した残骸や、屑になった衛星の塊のようだな。〈計測室〉でも注目はしているようだ。今のところはただのゴミだから放っておいても問題ないらしい」
「副長も訊いたんですか?」
「日向がやたら気にするからな。お前の直感はアテになる。だから私も確認したくなった」
「ありがとうございます」
〈副長〉が訊いても同じ答えなのなら、確信してもいいのだろう。もやになっているのが気になるところだが、何かガスでも発生しているのかも知れない。ただ、それは宇宙での話なので地上に住む人間には関係ない。つまり何の問題もないということだ。
「来週、種子島宇宙センターからまた散骨機〈かけはし〉が発射されるのは知っているな?」
「はい」
また溜まった遺骨を宇宙葬するために、〈かけはし〉が大量の遺骨を乗せて飛び立つ。それは宇宙局の職員なら周知の事実だ。知らない奴は周知案内を見逃しているか、ぼさっとしていて何も考えていない足手まといな職員だろう。しかし〈JISA〉にはそんな人材はいない。
〈かけはし〉は名前こそ引き継いでいるものの、既にこの三十年で四十六号機まで作られている。一度飛ばしておシャカになるのは無駄なので、最低でも一年近くは往復に耐えるように作られていた。飛ぶのは年間に多くて十回ほど。過去の〈かけはし〉も初期型の一部はスペースデブリになっている。
観測機〈ひとみ〉からは常にリアルタイムで宇宙の四方の映像が送られてくるが、それは〈かけはし〉がうまく機能しているかを確認するためでもある。来週は忙しくなりそうだった。発射関連の人員は種子島宇宙センターにいるが、埼玉の〈観測室〉でその行方を見守るのだ。現地に赴く必要はないものの、散骨を済ませて帰着するまでの無事を見届ける必要があった。
「日向」
「はい?」
突然呼ばれて首を傾げる。
「また休憩を取り忘れるぞ」
はっとして日向は腕の時計に目をやる。五分過ぎていた。
「では、休憩に入らせていただきます」
「ゆっくりな」
「はい」
仮眠を取るほど眠くはなかったし、日向は極端なショートスリーパーだ。しかし来週には〈かけはし〉が飛び立つことだし、万一に備える必要がある。簡易ベッドに潜り込んで、そっと目を閉じた。
まるでアニメの合体ロボットのようだった。白い骨が集まって、屑になった衛星を武器にしている。こちらも何かに乗って操縦しているが、自分が中にいるので外観はわからない。地球で作られた対宇宙人用ロボットか何かだろうか。操縦桿を握り、モニタに映る敵と思われる白骨の巨人を倒すために戦っているようだ。
グリーンに光るホログラフに入力してパワーをチャージ。自機が手に持っているライフルのようなものを白骨の巨人に向ける。レールガンのようなものでそれを撃ち抜くが、バラバラになってもまた集まってきて巨人の体をなす。キリがない。
ホログラフに入力する数字をMAXにするが、エネルギー切れを警告される。白骨の巨人は自分の身体の一部をこちらに投げつけてくる。研がれた肋骨のようなそれは、自機に当たるスレスレのところで軌道を変え、ブーメランのように向こうの手元に戻る。
握っている屑衛星の鋭利な部分でまた攻撃してくる。
──何だ? 何故俺は戦っているんだ?
日向はわけのわからないものとの遭遇よりも、戦う理由に重点を置いた。
果たしてこの戦闘は正当なものなのか。何故日向が対宇宙人兵器のようなものに乗っているのか。他の職員は地球で見守っているのか?
味方の機体はいないようだ。相手も白骨の巨人が一体。しかし本当に大きい。自機より大きいように思う。それを一人で倒すのが、今の日向に与えられた使命のようだ。無茶振りもいいところだが、自分の挙動に地球の存続が懸かっているのだと実感する。負けるわけにはいかない。好きで搭乗したのではないにしろ、選ばれたのならそれは職務だ。
こんなところでもワーカホリックな考えが脳裏をよぎる。
自機の動かし方がだんだんわかってきた。ライフル型のレールガンは、可変して剣のようにもなる。ホログラフに入力して強化。相手が骨の集合体ならば。いくら切ってもばらけてまたもとに戻るだけだ。核となる何かを探してそこに致命傷を刺すべきだろう。
となると、核となるものは──?
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