スターゲイザー〜宇宙(そら)を観る者〜
桜井直樹
〈1〉第1話
ゴゴ、ゴゴ、と蠢くような気配がする。引き寄せ合う音。呼び合う音。聞こえるはずのない音が蠢いている。
嘆きの声。怒りの声。発するはずのないものが聞こえそうな気がする。
それらは何を求めて咆哮するのだろうか──。
〈1〉
有明日向(ありあけ・ひなた)はモニタに見入っていた。特に異常は見られない。黒目の大きな子犬のような瞳で凝視していたが、さすがに疲れた。常備してある目薬を差す。中性的で印象の薄い日向は、小柄で細身で華奢な身体つきも相まって、存在感が希薄だ。もちろん、職場に来ていることは誰でも認知しているが。
時は二〇六二年、日向の職場は〈日本国際総合宇宙局〉通称〈JISA〉の〈観測室〉だ。双眼鏡で空を眺めるわけではなく、衛星から送られてくる画像をリアルタイムでパソコンのモニタでチェックする。地味ではあるが、日向はそういう作業が嫌いではない。
ただ、やはり眼精疲労からは逃れられないのだった。
日向一人がモニタに張り付いている役割というわけではないので、吸い付くように凝視し続ける必要はない。ただ、性格的に自然とそうしてしまうのだ。
日向のいる〈JISA〉こと宇宙局の〈観測室〉は、埼玉県の某所に設置されている。かつて〈JAXA〉と呼ばれた〈宇宙航空研究開発機構〉を丸ごと刷新して新たな部署を設けたりして、国家予算の十分の一を占めている施設だ。それでも諸外国の宇宙進出からはやや遅れているのは否めない。
人工衛星を打ち上げたり、通信したり、行っていることは〈JAXA〉時代とそう変わらない。新しい部署がいくつか増えたり減ったりしただけだ。そして日向はその増えた施設である〈観測室〉の職員なのである。
「お疲れさん」
日向が目を擦っていると、デスクに自分専用の犬の顔が描かれた薄いブルーのマグカップが置かれた。その声に反応して姿勢を正す。
「副長。ありがとうございます」
もともと姿勢の良い日向ではあったが、上官が直々に労いのコーヒーを入れてくれているわけなので嫌でも緊張してしまう。
「そう緊張するな。お前は何年私と一緒に働いているんだ」
何年、と問われて律儀に日向は数える。新人の頃に教育担当になってからだから、もう五年になるだろう。その時はまだ〈副長〉の肩書はなくただの先輩職員だった。
「五年……ですね」
真面目に返すと頭を小突かれた。冗談が通じない奴め、と。
「あまり根を詰めすぎるなよ。仮眠を取っていないと聞いたんだが、本当か?」
「うぐ……」
誰だ漏らした奴は、と思う。仮眠の時間になっても寝付けなかったので、だったら仕事をしようと思ってずっとデスクに張り付いていたのだ。
「図星か。今は若いと思っているのだろうが、そのうち無理がきかなくなるぞ。ただでさえこの部署は敢えて若いので構成しているんだ。倒れられては困る」
彼女の言うことはまっとうで、返す言葉もない。
「次の仮眠の時は寝ます」
「あと、水分補給やストレッチも欠かすなよ。座り仕事は寿命を短くする」
はい、と返事をして日向は入れてもらったコーヒーを啜る。猫舌なのでなかなか飲めない。
宇宙局〈副長〉にして日向の上官にあたる彼女は、笹垣奈沙(ささがき・なさ)という。その名の通り宇宙局で働くべく付けられたような名前だが、実際父親がアメリカの〈NASA〉で働いており、母親も渡米してついていったので日本にはいない。
奈沙は幼少期から父親に宇宙の神秘やすごさを聞かせられて育ったので、宇宙関係の職に就くことには異論はなかったが、〈NASA〉で働くという選択肢は持たなかった。どうせなら遅れ気味の日本の宇宙局で働きたかったのだ。
また〈JISA〉の初代局長は奈沙の母方の祖父であり、名字が違うためほとんど誰にも知られていないが、父よりも祖父の方を尊敬していたせいというのもあった。父親による英才教育は役立ったが、奈沙が日本に残ると言った時には目に見えてがっかりされた。それでも奈沙は父親の人形ではない。働き口くらい自分で決めたい。
そして〈JISA〉に入局した。その頃には既に祖父は亡くなっていたが、それはそれで都合が良かった。局長の孫という七光を受けずに済む。上層部の一部の人間は奈沙の祖父を知っているが、それで副長にしたわけではない。すべて彼女の実績だ。
ただ、〈副長〉の辞令を受け取った時、「もうこれ以上上はないな」と察した。女性が局長になるなど異例だ。今は「副長」や「上官」と呼ばれて敬意を払われてはいても、誰かが追い越して〈局長〉の椅子に座る。何十年も男女平等を叫んでいるわりには、相変わらず進歩のない国だな、と感じていた。
奈沙が日向に気安く接するのは、まだ肩書のなかった頃に日向の教育担当になったからだ。宇宙局のイロハを教え、〈観測室〉での仕事を教えた。
休憩のとり方も教えたのだが、日向は休むことがどうやら苦手なようで、三時間の仮眠も半分も取らなかったり、寮で待機の日でも、することがないと言っては職場に現れた。一体いつ休んでいるのだろうと思うほどに、ワーカホリックだった。
それを除けば素直で良い青年だと思う。生意気でもなければ女性蔑視もしないし、言われたことはしっかりとする。休養以外は。仕事も安心して任せられるし、機転も利いた。さすがに主席で入局しただけあるなと感じたものだ。
日向はただの上官から〈副長〉へ出世した奈沙に敬意を払い、呼び方まで変えたが、いつまでも子犬のように懐いてくれる。自分の中で〈副長〉との密接さの具合に引いている線でもあるのか、遠慮がちな部分もあったが、奈沙にとっては可愛い後輩で、期待の若手だった。とは言え、年齢は三歳しか変わらないのだが。
「副長、ちょっといいですか?」
奈沙が自分のマグカップを持って脇に立ちながらコーヒーを飲んでいるところに声を掛ける。
「どうした」
マグカップを日向のデスクに置いてモニタを覗き込む。
「ここなんですけど」
「ああ、不明瞭だな」
「そうなんです。モニタのせいかと思ったんですけど、他ので見ても同じでした」
「ふぅむ。どうせスペースデブリだろうが、磁気を帯びているのかもしれないな。引き続きチェックを頼む」
「わかりました」
またふぅふぅとマグカップの中身を冷ましながら、日向はちみちみとコーヒーを飲む。
二〇三〇年頃から本格的に深刻になってきた問題だが、地上に墓を建てる土地がなくなってきて、樹木葬だの海への散骨だのが人気を博してきた。だが、一部の遺骨だけを撒き、大きな骨は寺の納骨堂に収まっているというのが当たり前だった。しかし、寺の土地にも限界がある。どれだけスペースを削っても、遺骨が収まらないものはどうしようもない。
やがて宇宙葬というのが金持ちの間で流行したが、初めは一般市民には手の届かない金額だった。成層圏を越えたところで遺骨を放出し、遺族が手を合わせてから地上に戻る。わずか十分ほどの宇宙滞在で、数千万円かかった。しかも、一度散骨した骨には名前も印もない。いくら金が余るほどあったとしても、毎年盆の時期に宇宙に参るというのは非現実的で無意味な行為だった。
だから宇宙に散骨したあとは遺族の家の遺影に手を合わせるだけということになる。土地の問題を解決するには、宇宙葬をもっと安価にして一般的に浸透させる必要があった。
そこで政府は、民間からアイデアを募集して散骨専用機を開発した。遺骨だけを乗せて飛び立ち、宇宙圏内でそれらをばら撒いて、再び戻ってくる散骨機だ。その名を〈かけはし〉という。一年間に数度だけ、遺骨が十分にたまったところで宇宙へ飛び出す。そして遺骨を撒いて戻ってくる。
そんな宇宙葬が定番となり、地上にあった墓の中身もそのうち宇宙へと放出されることになった。墓参りは自宅の遺影に向かって手を合わせるのみ。ご先祖様への感謝云々という慣習は薄れ、亡くなった人間も早く忘れられるようになってしまった。
それでも土地の問題は解決した。高齢化社会が叫ばれていた頃をピークに宇宙葬も当たり前の時代になり、「かけはし」が飛ぶのだからとついでのように無縁仏の遺骨も宇宙に放出された。地上にはほとんど墓場がなくなり、超高層のタワーマンションや新興住宅地が建ち、大きな商業施設ができたりした。
いまだに宇宙葬に難色を示す人間もいないわけではなかったが、地上に収める場所がないのだから仕方がない。勝手に他人の山に撒くわけにもいかないし、海に撒くのにも許可がいる。宇宙葬はほぼ法令と化して長年続けられてきた。
今では子供も知っている。
「おじいちゃん、死んだら宇宙に行くんだよね?」
かつてはよく「お星さまになる」と比喩されていたが、宇宙に行くのは事実そのものだ。
「おじいちゃんが宇宙から見守ってくれるからね」
見守ってくれるかどうかはともかく、宇宙に遺骨が存在し続けるのは事実だった。
日向のいる宇宙局では、〈かけはし〉の様子をモニタするためと、少隕石などの発見を早期にするために、人工衛星〈ひとみ〉を飛ばしている。その名の通り四つの瞳を持ち、衛星の上下左右の様子を観測室にリアルタイムで流してくれる。
別部署ではコンピュータの演算を使って小惑星の衝突などの可能性を監視している。あらゆる角度や距離、速度からそれを割り出し、成層圏で燃え尽きそうなサイズのものは放置しておくが、地球をかすめるような可能性のあるものに対しては、発破を仕掛けて軌道をずらすということも可能だ。それが別部署の〈計測室〉である。
〈観測室〉よりは実行部隊寄りなので、花形の部署となっている。しかし目的はそう変わらないので、お互いに情報の共有はなされていた。
その花形部署である〈計測室〉に、日向の同期の瀬川涼介(せがわ・りょうすけ)という人物がいる。主席の日向に続き、二番手の成績で入局したのだが、もてはやされるのは一番だけで、それ以下の順位は上層部の人事局員程度しか知らない。だから涼介が二番手だろうと十番手だろうと変わりはなかった。
主席の日向が地味な〈観測室〉に入り、二番手の涼介が花形の〈計測室〉に入ったのは、単純に適正試験の結果に過ぎなかったのだが、一方的に敵対(ライバル)視している涼介にとってはいい気分だった。
毎日ベッタリとモニタに張り付いて、目視で〈ひとみ〉からの情報を解析する日向。それに引き換え、涼介は得意なコンピュータ技術を駆使して、危険な小惑星を発見するような派手な仕事をしている。
小学生の将来なりたい職業ランキングではだいたい三位までに入っている宇宙局だが、中でも〈計測室〉が大人気だった。
「悪い奴が来たらビームでやつけてやるんだ!」
と少年は言い、
「誰よりも早く計算して軌道を割り出すのよ」
と少女は言う。
日向は特に部署の希望はなかったし、そもそも宇宙局では適正試験で人間のタイプを振るいにかけるスタイルだったので、本人の意向は関わらない。決められた部署が嫌なら、内定を取り消すというリアルな現実があるだけだった。
そういう意味でも、日向と涼介の性格や傾向から現在の部署にあてがわれているのは、適正試験がいかに信頼の置けるものかを物語っている、
もちろん、子供たちのように無邪気に仕事はしていられないしい、〈計測室〉で万一大きな隕石が見つかれば大事(おおごと)だ。まだ地球外知的生命体は見つかってはいないので、対宇宙戦争になる時代は来なさそうだが、それも含めて〈観測室〉は稼働しており、〈計測室〉があるのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます