第4話
「ねえレジャン様ぁ、一緒にワインでも飲みませんか?」
甘えた声を出す女が身に纏っていた衣服を一枚一枚脱ぎ捨て、その美しい肌を露わにして下着姿となった。ゆっくりとベッドに入り込み、片手にはワイングラスを持ち続けている。
豊満な体をシーツに潜らせ、滑らかなレジャンの白い肌にピタリと密着し妖しく微笑んだ。
「ワイン?」
「ええ、少し酔いたくて...」
レジャンがワインボトルに視線を移し、また女を見つめる。
その視線に気付き、自分がより美しく見えるようにワイングラスを優雅に赤い唇へと運んだ。そしてねだるようにしてレジャンの形の良い唇を見つめる。
「レジャン様、私が飲ませてあげましょうか?」
誘うような言葉を耳元で囁かれ、レジャンは気だるそうにも穏やかに微笑んだ。
ああ、この男はなぜこんなにも美しく魅惑的なのだろうかとエリスは頬を赤らめる。
軽やかに揺れるウェーブがかった髪は気品ある顔立ちによく似合っているし、その髪の間から覗く瞳も深く淡い色合いを持ち神秘的だ。じっと見つめられるとどうにかなってしまいそう。
「このワイン、誰が用意したの?」
「ふふっ、このエリスが用意しましたわ。気が利くでしょう?」
「...そう、君が」
「あの貯蔵庫には価値ある高価なものが多そうですね?レジャン様ったら、一人占めするつもりだったのですか?...ふふっ、けれどその秘密は私とも共有してくださいね」
だって私はあなたの特別でしょう?と細身ながらもしなやかな筋肉のついた身体に頬を寄せる。
薄く微笑むレジャンの長い指が自慢のシルクのような細髪に触れ、そのまま後頭部を優しく撫でる。
エリスの胸は高鳴りレジャンを見つめる。柔らかに曲線を描くこの唇と口付け出来たらどれほど心地好いのだろうか?どれほどの余韻を楽しめる?
早くもっと近くに引き寄せてと願い、エリスはうっとりと瞳を閉じた。
「!!きゃあっ...」
一瞬、自分の身になにが起きているのか分からなかった。エリスはレジャンに乱暴に髪を掴まれているのだ。それなのに目の前のレジャンは穏やかに微笑んだままだ。
「あっ...な、ぜ...」
「ねえ、エリス嬢」
「あ...」
聞き馴染んだ柔らかな声のはずなのに、どうしてこんなにも冷ややかに聞こえるのだろうか。
いつも余裕があり紳士的に振る舞うレジャンのこんな姿は初めてだった。あまりの変わりように身体が小刻みに震えだす。
「誰があの建物に入っていいと言った?あそこは駄目だと言ってあっただろう?」
「っ!たっ...ただの貯蔵庫でしょう?私はただっ」
「ただ?」
ぐっと髪を後ろに掴まれ、顎をつき出すようにしてレジャンと向き合わされる。甘く魅惑的だった瞳が今は真っ暗闇だ。それに怯えたように体がゾクリと震える。
「女も男も関係ない。オレはね?エリス嬢。約束を破る人間が大嫌いなんだ」
「まっ...待って、私は、あなたの、特別になりたかっただけなの!」
誰も特別を作らないこの男の特別に、自分はなりたかった。それは自分だけではない。きっと遊びで満足するフリをしている者達も同じた。本当は皆この男を自分のものにしたいのだ。
だからほんの少しだけでも、レジャンに群がる者達へと牽制したかった。
この広い屋敷の片隅には、主人のレジャン以外誰も入ることが許されない小さな建物がある。そこには何があるのか誰も分からない。
だからこそ、そこへ足を踏み入れ自分は許された特別な女だと自慢してやりたかった。
けれどそこには椅子がひとつだけ置かれた暗がりの部屋と、地下にあるワイン貯蔵庫それだけだった。拍子抜けした。そんな大袈裟なもなはなかったのだと。それなのに。
「レジャン様、お許しください。私はあなたのことが知りたくて、このような事をしてしまっただけなのです!」
レジャンが眠っている間、わざわざ動物臭い場所まで足を運んだというのに、まさかここまで怒るとは思わなかった。
「ふっ...ははっ。誰が誰のなんだって?君がオレの特別?あはは」
「なっ...!笑うなんて酷いわ!こんなにも深い行為を何度もしているのに!」
「深い行為?オレは君にキスひとつしようとは思えないのに?」
「っ!」
エリスは顔を赤くしレジャンを睨みつけた。この男は体を重ねるよりも、一度もしたことのない口付けの方が大切だと言うのか。
「エリス嬢。心のない行為はただの発散だ。そんなこと、この部屋を訪れる者はみんな承知しているし、君もそうだったろう?」
「レジャン...様」
そっと掴まれた髪を離される。
「残念だけどここまでだ」
もうその瞳には怒りはなく、興味すら含まれてなかった。それにエリスは焦る。
「待って、レジャン様話をっ、きゃっ」
今度は腕を掴まれ、着ていたドレスと共に部屋から追いやられる。
「ちょっと...、レジャン様っ!嘘でしょう?!」
「ああ、盗んだ鍵は返してもらおうか」
「ぬっ盗んなんて私!ちゃんと元の位置に戻しましたわっ」
「そう、それなら良かった。ではエリス嬢、さようなら。お元気で」
「!レジャン様っ!...あ...」
バタンッと扉を閉められ、その場にヘナヘナと座り込む。
「そんな...」
どこか自分は他と違うと思いたかった。思いたくていつの間にかそれが真実だと思った。だけどやはりそれは幻想だったのだ。
だってこんなにも簡単に切り捨てられ、終わらせられる程の関係だったのだから。
彼は自分のものにも、誰のものにもならない。きっと、誰も愛さない男なのだ。
「さあ屋敷に着いたぞ」
『わああ...素敵!』
「ははは、そうだなあ」
アルシカは初めて目にする大きくて立派な建物に、興奮と驚きを隠せずいた。すすすとマグニフィセントの頭上に移動し大きくプルンと震える。
ゼフィロスを見つけた門番は即座に敬礼し、丁寧に手前に引いて門を開こうとした。しかし、その瞬間、彼はアルシカの存在に気付き動きをピタリと止めた。彼の表情には驚きと戸惑いが入り混じっている。
「あの...」
「ああ、このスライムはオレの連れだ。なんの悪さもしないから大丈夫だぞ」
「団長様のペットでございますね?」
「いや、あー...、まあそういうことにしておいてくれ」
了解です!といって素早い動きで門を開ける。
「すまないな、アルシカ。ペットのような扱いをして」
『別にいーよ。人間も魔物も警戒し合うのが自然だもの。それに所有者が分かっていれば安心するよね。ここでのアルシカはゼフィロスのペット~』
アルシカの理性的で理解力のある姿勢に、ゼフィロスは驚きながらも感心した。彼はスライム本来の魔物らさとはあまりにも異なるからだ。
「...アルシカが構わないのならいいが」
『アルシカは3食昼寝付きだよ。よろしくね』
「ははは、分かったよ」
石造りの外観を通ると、すぐ中央に大きな噴水があり、アルシカ達を出迎えるようにして派手に水しぶきを上げた。それを見たアルシカがキャッキャッと声を上げ喜んでいる。
「庭園もあるぞ」
『ほわ』
噴水の後ろには屋敷を囲うようにして沢山の花々が咲き誇っているその中央には緑豊かな芝生が広がっていて、寝転ぶととても気持ち良さそうだとアルシカは思った。
『んー、匂いが凄い』
「薔薇の香りだな。スライムは鼻が効くだろうからな。苦手か?」
『森に咲く野薔薇の方が、甘くて優しい匂いがするよ。とっても可憐なんだ』
「そうか...。庭に咲かせた薔薇は品種改良されたものが多いからな。香りもより強いんだ」
『一度嗅ぐと忘れられない匂いだ』
「そうかもなぁ」
『森に帰っても忘れないよ』
「...おいおい、急に寂しいこと言うなよ...」
まだ来たばかりだろう?とゼフィロスはアルシカの頭を撫でた。
『ここはお城みたい』
そう言って、高くそびえ立つ真っ白な塔を見上げるアルシカ。
「森を出た事ないのに城を知っているのか?」
『知ってる。ここよりもっと大きな水色のお城があるのも知ってるよ』
「...それは誰かに教えて貰ったのか?例えば森の生き物達と情報を交わしたりだとか」
『森の子達はあまり森の外のことには興味がないよ。世界中を飛び回る渡り鳥だって羽を休めることに忙しいんだ』
「ではアルシカの主か?」
「知らないことは聞けば教えてくれるよ。だけど元々知ってることはわざわざ聞かない」
「そうか...」
水色のお城とは、このエルアンドル王国の王都にある王城のことだろう。ふむ、とゼフィロスは考えを巡らせる。
アルシカは深い森の奥に住んでおり、他の誰かから教えられなければ知り得ないことを驚くほどよく知っていた。確かに知らないこともあるが、物事の基本については非常に理解が深く、魔物にしては豊富な知識を持っていた。
道中、初めて目にする青い海を見ながら、アルシカは口にした。
『想像以上に壮大で偉大だね。このしょっぱい潮の匂いも嫌いじゃないよ』
「ははは、あそこに船もあるぞ」
『あの小さな船も可愛いけどアルシカ、ウィンジャット・ロック号が好き!』
「ウィンジャット・ロック号?ああ、絵本の物語に出てくる海賊船か」
『そう!』
「物語は有名だがちゃんと読んだことはないんだ。しかしウィンジャット・ロック号も海賊を名乗るくらいだから悪党なんじゃないのか?」
『違うっ!ウィンジャット・ロック号の海賊達は、海を荒らす悪者達と闘う英雄なんだ!それに戦いで得た戦利品は、貧しい人々や孤児院に寄付するんだよ』
「おお、それは格好いいな。ところでアルシカは本を読むのか?」
『読まないよ、持ってないもの』
「じゃあなぜ物語を知ってる?」
『元々知ってるから。アルシカ、知らないことも多いけど、知ってることも沢山あるよ』
アルシカは実際に目にしたことのない海や城、絵本の中の海賊の話など奇妙なほどの知識を持っていた。それに辿々しくもあるが言葉を紡ぎ、人間とのコミュニケーションを取ることができる。
その知識の源は一体何なのか、アルシカという不思議な存在には知識の加護があるのかもしれない。
『ゼフィロス?』
「えっ?あ、ああ、悪い。考え事をしていた。まずはマグニフィセントを厩舎で休ませよう。近くにウサギ小屋もあるぞ」
『ウサギ?!はーい!!あっマグニフィセント、ここまで連れて来てくれてありがとう』
アルシカがびたーんと体を伸ばし、マグニフィセントの体の熱を冷ましてやる。するとマグニフィセントは表情を緩め、気持ち良さそうに目を細めた。
「優しいな、アルシカは」
『へへっ、お礼をしただけだよ』
またもやゼフィロスの心は癒された。
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