第7話 目には目を歯には歯を

 彼も家族の間がいつも不仲で、その理由を自分に押し付けているように思えて仕方がなかった。

 いや、実際にそうだったのだ。そうでなければ、夫婦喧嘩が終わってから、

「お前なんか産まなきゃよかった。そうすりゃあ、こんなことにはならなかったのに」

 と母親から何度も罵声を浴びせられた。

 母親は真剣にそう思っているようだった。夫婦喧嘩の理由はいつも決まっていて、旦那の浮気だった。嫉妬深い母親は父親に露骨に腹を立てる。しかし、父親は聞く耳持たないと言わんばかりに無視を決め込む。第三者として見ていれば、旦那を嫁さんが集中的に苛めているかのように見えてくる。それが父親の狙いでもあった。

 やり過ごすこともできるし、まわりは母親のヒステリーが頭に残ってしまい、母親が嫉妬からあることないこと旦那を責めているだけにしか見えなかったからだ。そういう意味では母親は正直ではあるが、損な性格なのだろう。

 だが、その母親のその性格が下北に遺伝したのだ。

 ひょっとすると、母親とすれば、自分の鏡のように似ている性格をしている息子に苛立ちを覚えているとすれば、それはきっと、息子も父親と同じ男だという解釈でいるのかも知れない。

 本当はそんな解釈はメチャクチャであり、容認できるものではないだろうが、母親はそれを貫いていたのだ。

 母親が何かに激しい憎悪を抱いているのは分かっていた。だがそれが何かは分からない。――ひょっとすると、従っているように見えながらも憎んでいるのは父親なのかも知れない――

 と感じた。

「可愛さ余って憎さ百倍」

 という言葉もあるが、ひょっとすると、そういうことなのかも知れない。

 好きで一緒になったはずなのに、どこかが違うと思った時にはすでに遅い。しかも、離婚を考えると問題になってくるのは、子供のことではないか。

「ん? ということは?」

 そうだ、あの時母親が言った言葉、

「お前なんか産まなきゃよかった。そうすりゃあ、こんなことにはならなかったのに」

 と言ったあの時の言葉は、離婚を考えているのに、子供がいることで、簡単に離婚ができないということになるのかも知れない。

 ただ、それは子供が可哀そうだからということではなく。子供の養育問題などが関わってくることで、簡単に離婚ができないということだろう。

 母親とすれば、離婚してしまえば、後はいい男を見つけて、再婚すればいいとでも思っているのかも知れない。実際に今どきバツイチなど珍しいものではない。バツイチ同士が結婚することだって十分にある。

 その時に問題になるのが、やはり子供であろう。

 好きになった人に子供がいるかも知れない。さすがにお互いの連れ子を育てるのは結構難しいことではないだろうか。金銭的な問題もあるし、それだけではない。子供の教育方針で揉めたり、お互いで気を遣いすぎて、精神的に疲れ果てるということもあるだろう。少なくとも、しばらくは親一人子一人で過ごしてきたのだから、気を遣うことに関してはあり得ることだ。しかも、下北の母親は人に気を遣うことを極端に嫌う方だった。

 下北は一度小学生の時に家出を試みたことがあった。本当は親友でもあった西村のところに厄介になれればよかったのだが、何しろあの父親がいるのでは、とても無理であった。仕方がなく他の友達のところに厄介になったが。下北は家を出てから西村のことを見ていると、彼も自分と同じように母親のことで心を痛めているのに気が付いた。

 最初は、母親を憎んでいるのは自分だけだと下北は思っていたので、西村の様子が何から来ているのがよく分からなかった。だが、正月の時の、一人だけ帰らされたという事件で、父親が家族の中で一番偉いということを表しているような、まるで封建的な家庭であることが分かると、母親も父親に逆らえず、きっと西村を苛めているのだろうと思わずにはいられなかった。

 下北は、その時から、

――西村の気持ちを一番分かっているのは俺なんだ――

 と感じていた。

 その頃だろうか、下北の方では西村を親友のように感じていた。親友とまではいかないとすれば、一番近しい間柄だという感覚くらいはあってもいいと思うのだった。

 西村の方ではそこまで感じてはいなかった。ただ、下北も自分と同じように母親で苦労していることが分かったことで、かなりの親近感があった。

 ただ、たまに二人の間でぎこちなくなることがあった。その理由は、下北が躁鬱症の気があったからだ。

 そのせいもあってか、小学生の頃までは結構友達が多かった下北だったが、中学に入ると、急に友達が彼から離れていくことに西村は気が付いた。

「どうしてなんだろう?」

 まだ西村は下北が躁鬱症であることを知らなかった。

 いや、知らなかったというよりも、気付かないふりをしていたのかも知れない。

 自分の身近なクラスメイトの中に、中学生ですでに躁鬱症に陥っている人がいるなんて信じられなかった。しかも、結構仲のいい友達である下北だというのも気が付いた時はショックだった。

 何をどうしてあげればいいのか分からない。それを思うと、西村は次第に下北から距離を置くようになった。

 だから、

「親しい友人」

 と思っても、

「親友」

 とまではいかなかった。

 使っている漢字は同じなのに、随分と意味合いが違うものである。

 下北は自分が躁鬱なのは分かっていた。最初は一人で悩んでいたが、そのうちに西村が気が付いてくれると、時々相談するようになっていた。

「躁鬱症ってどんな感じなんだろうな」

 と西村が聞くと、

「そうだなぁ、躁状態と鬱状態が定期的にやってきて、それぞれ入れ変わる時が分かるんだ。特に、鬱状態から躁状態に替わりそうな時はよくわかるんだよ」

 と下北がいうと、

「どうしてだい?」

 と西村が訊く。

「鬱状態というのは、まるでトンネルの中を車で走っているような感覚なんだ。真っ暗だったり、黄色いランプが明るくもなく照らされている。そんなところから躁状態への抜け道は、本当にトンネルから抜ける時のような感じなんpさ。途中まで黄色い色しかなかった空間に光が差し込んでくる。しかし、その光って、それほど明るくはないんだ。色はカラーだから、ハッキリとしているんだけど、カラーになったことで、色の限界が感じられるというか、暗いと思っていた黄色が本当は明るかったんじゃないかって思うくらいなんだ」

 と下北は言った。

「なるほど、明るさに関しては、何となく分かる気がする。ドライブでトンネルの中を通った時に感じたような気がするんだ」

 と、西村は答える。

 西村はそう答えながら、小学生の低学年の時、家族で行った遊園地を思い出していた。

 本当はあまり行きたくなかった遊園地。なぜなら、父親が家族サービスという名目で勝手に組んだ休みの予定であり、せっかく見たかったテレビを見ることができず、本当は遊園地などどうでもよかったのだ。

「父親の勝手な自己満足のために駆り出される家族の身にもなってみろ」

 と言いたかったが、そんなこと言えるはずもない。

 遊園地は本当に楽しくなく、一人で父親がはしゃいでいるのを、まわりは冷たい目で見ていた。

――本当に、分からない人なんだな――

 と、とことん、家族の気持ちの反対を態度に表すという、ある意味では正直とも言える性格なのだと思うのだった。

 天邪鬼という言葉があるが、それは父親のような人にいえるのではないだろうか。本人が意識することなく、人とまったく別の行動をする、それが天邪鬼というのではないかと思ったが、あれはあくまでも妖怪からの転用であり、天邪鬼という言葉に、作為、無作為の違いがあるのかどうかはいまいち分からない。

 だが、西村は確かにそう感じた。

 確かに人に逆らってばかりいると、自分が意識的にしていたとしても、そのうち感覚がマヒしてきて。どっちが自分にとっての正論なのか分からなくなる。それは。前に進むにも後ろに進むにも分からなくなってしまい¥う、

「断崖絶壁に吊り橋の上」

 を渡っているようなものではないだろうか。

 だが、そんな父親を見ていると、どこか下北に似ているような気がしてきた。

――俺が気に入っていて親友だと思っている下北と、憎しみしかない苛立ちを感じさせる父親と、どこに接点があるというのか?

 と自分の考えを西村は、否定しようとするのだが、否定するだけの根拠が見当たらない。

 どうすればいいのか分からないまま、西村はずっと下北を親友だと思っていた。

 しかし、中学に入って下北の躁鬱症の気が見えてくると、父親の天邪鬼との間に共通点が見つかった気がした。

 だからと言って、下北を嫌いになることもなかったし。父親に歩み寄ろうとは思わなかった。

 父親に対しては余計に毛嫌いするようになり、何と言っても、正月に友達の家から、強制送還させられた恨みは消えることはないと思っていた。

 あれが、父親の天邪鬼が、西村の心にグサッと突き刺さったことはなかった。小学生時代の遊園地など甘いもので、家族全員が閉口していたのに、中学に入っての強制送還は。自分だけが悪者だった。母親が父親側についたからだ。

 それはやはり母親が父親を恐れていたからだろうとも言えるが、それよりも、母親が父親の軍門に下ったのではないかと言えることでもあった。

 自分一人だけで逆らうのは結構きつく。しかもそれを、

「反抗期だから」

 と言われてしまい、一括りにされそうなのは嫌だった。

 躁鬱症だと言っている下北を見て、西村が感じていたことは、

――躁鬱症って、時々キレたりするんだろうか?

 という思いであった。

 下北と一緒にいると楽しいし、次第に一緒にいることが自然となり、一緒にいないことの方が違和感を感じることが多くなってきた。楽しい時も悲しい時も一緒に誰かといるというのは、それまでの西村にとってはあまりないことだったので、それを自然に感がられるなど、今までは信じられないことであった。

 そういう意味でいくと、いきなりキレられてしまうと、急に我に返ってしまい、一緒にいることが違和感になってしまう。その意識が矛盾となり、それまで、ずっと一緒にいたことが不自然っであったように思えてくるのだ。

 一緒にいたことを不思議に感じ始めると、彼がなぜキレているのか、分かるはずもないのに、何となく分かる気がする。分かる気はするのだが、分かってしまいたくないという思いがあり、急に彼のそばにいたくなくなってくる。今までの思いとのギャップが強くなってくると、

「一人で考えたい」

 という気持ちになってきて。人を寄せ付けたくなるのだった。

 その思いがまわりに伝わるのか、まわりが皆自分に遠慮しているように見えて、実際に話しかけてくる人はおろか、近寄ってくる人もいなくなる。

「それでいいんだ」

 と思い、自分が本当に一人になるのを、前から望んでいたような気持ちに陥る。

 その思いが他の人でいう

「鬱状態」

 なのだろうと思うと、下北の鬱状態とは少し違っているような気がする。

 そもそも、鬱状態と一口に言っているが、誰もが鬱状態という状態と同じものだと思っているのだろうか。その時は鬱状態というものが皆と同じだと思っていたが、次第に違うものだと感じるようになってきた。それは人それぞれの間のギャップであったり、矛盾を少しでも減らそうと思うからだった。

 人と人の間のギャップや矛盾をゼロにすることはできない。限りなくゼロに近い状態にできるだけである。

 その思いがあるからこそ西村は、下北がキレた時、彼との関係を違和感なく、距離を置いた状態にできるのではないだろうか。

 下北が時々キレるのも、自分にはない思い切った行動をとることができるからではないかと思うようになり、その行動が時として、取り返しのつかないことに結び付くのではないかと思った。

 だが、今までそんな危ない橋を渡ってきたのではないかと思う下北だったが、なぜか一度も問題を起こすことなく、無難に今までやってこれた。それが西村には不思議だった。

――たぶん、彼にとって、何か救世主のような人がいて、最後にはうまく事を運んでくれているのではないか?

 と感じた。

 もちろん、下北が最初から望んでいるものではないだろう。偶然なのか、それともそれが彼の才能のようなものなのか、

「そんな存在、俺にもあってほしいよな」

 と下北を見ていると、そんな風に思い知らされる。

 今までは、ずっとそれを下北の才能のようなものだと思っていた。一種のとりえと言ってもいいだろう。しかし、彼が躁鬱症だというのを聞かされて、自分も彼を見ていて、その躁鬱症に違和感がなくなってくると、彼の才能と思えるような彼を助けてくれる人の出現は、

「本当は、偶然ではなかったか」

 と思えるようになっていた。

 だが、それを偶然だと彼にいってしまえば、失礼に当たるのではと思い、そう考えるだけでも、同じく失礼に思えてきたので、あまり下北を見ていて、偶然という感覚を感じてはいけないような気がしてくるのだった。

 そんな下北が、人を殺めたかも知れないと聞かされても、

「この男ならやりかねない」

 という思いと、

「確かに、彼がやったことは間違いないのだろうが、彼が裁かれることはないような気がする」

 という思いを感じたのもウソではなかった。

 むしろ、

「裁きというのは、動機があって、その人を殺めたり、犯人が違反行為をしたことで相手が死に至ることになった場合にのみ、受けるものではないか?」

 と言えるような気が、西村はしていた。

 つまり、衝動的な殺人であったり、相手にも非がある場合は、加害者には非があってはいけないという思いである。

「相手を殺す動機がしっかりしている場合の方が、気の毒なことはないかい?」

 と、ミステリーを好きになってから、友達と見syテリー談義をしたことがあったが、西村はその時の会話を思い出していた。

 その時の西村の考えは。今の下北を見ていて感じていることとは若干違っていた。逆にいえば、今下北を見ているから、今の感覚があるような気がしていた。

「というと?」

 と友達が訊いてきたので、

「だって、動機というのは、金銭欲だったりする以外は、ほとんどの場合、何かに対しての復讐の場合が多いんじゃないかな? 復讐というのは、する側にはするだけの理由があり、復讐される側にも同等の理由が存在する。つまり復讐が行われるまでお互いの立場は天と地ほどの差があるものだと言えるんじゃないかな? だから、復讐をした人を罰することって、他人にできるんだろうか?」

 と言った。

「それは、確かにそうだね。人が人を裁くのだから、難しいところだとは思う。でも、罪は罪として最初に罰を考えておいて、そこから情状酌量という形で見ていくことで、刑の軽減という考えが出てくるんじゃないかな?」

 と友達は言った。

「ということは、君は、罪は罪だということを言いたいんだね?」

「そうだね、だって、被害者は確実にいるわけだから、被害者側に何の見返りもなければ、法律を信用できなくなって、私刑というものが頭に浮かぶと、法律で裁けなければ、自分でやるだけだという思いに至らないとも限らない。つまり復讐は復讐を呼ぶということになるんだよ」

 と友達は言った。

「『目には目を、歯には歯を』という言葉があるけど、復讐って、それだけでは足りない気がするんだ。例えば、自分の肉親や恋人などが、殺されたとすると、復讐に燃える人は同じような殺し方では自分を満足させられない。なぜなら、これまで苦しんできたという思いがあるからで、最初の犯罪を一とすれば、復讐が二割増しになったりするんじゃないかな? それが成功すると、今度は相手がさらに二割増しの復讐を考える。負のスパイラルとは、次第にその輪を大きくしてしまうものであって、それだけにとどまるところを知らない。そこまで行っても、復讐が終わることはないんだ。なぜかというと、二割増しで行われた相手の復讐を相手は一だと思うからだよね。復讐者は、やられたことに対してすべて一だと思うから、二割増しを思いつくのさ。もし、負のスパイラルが、どんどんと増幅しているものだと最初から分かっていれば、果たして、一に対して一で満足できるだろうか? 満足できない復讐であれば、思いとどまる人も出てくるのではないか。それが負のスパイラルという復讐を終わらせられる唯一の方法なんだけど、それを意識してできるかということが問題になってくるんじゃないだろうか?」

 と西村は言った。

 その言葉を口にしながら、西村はまるえ自分に言い聞かせているかのようだった。

――確かに二割増しくらいにはなるわな――

 と考えながら話をしていたからだ。

 幸い今西村には、復讐による殺害など考える相手はいない。いくら父親が自分に対して絶望的な態度を示しているからと言って、復讐などという発想は浮かんでこない。

――あくまでもまだ、自分が子供だと思っているから、あんな態度を取るのではないか?

 という思いに駆られるからだった。

「一のまま、ずっと復讐が続けられていれば、どうなるんだろう?」

 と友達が言ったので、

「そうだなぁ、どこかで終わっていたとは思うけどね。人間には抑えることのできない感情があり、それを爆発させた行為が復讐なんだろうけど、その復讐を成し遂げると、その人がどうなってしまうかということで、ある程度決まるんじゃないかな? 人によっては、自分もそこで自害する人もいるだろうし、警察に捕まる人もいる。何しろ動機が一番あるのはその人だろうから、動機が判明した時点で、完全犯罪でもない限りは捕まるだろうね。つまりは、交換殺人がうまくいった時のような、信憑性が低い犯罪だね。そういう犯罪ってきっと犯罪計画だけではうまくいかないんだろうね。忠実に遂行していく中で、何かの偶然に恵まれたり、自分の予期せぬところで自分に有利な展開になってみたりというプラスアルファの何かがなければ、うまくいくものではないからね」

 と西村は自論を言った。

 ミステリー小説が友達も好きだったので、そこまで言えば、納得してくれているようだった。

 ただ、それは理屈に対して納得しているだけで、決して意見に対して納得しているわけではない。

 納得というよりも、

「理論的に話の内容が分かった」

 というだけで、自分がそれを容認できるかどうかは、別問題であろう。

 今度の下北が行った犯罪は、明らかに衝動的なものだった。

 いや、そもそも、これが殺人事件なんかどうなのかも、その時には分からなかった。

ひょっとしたら、殺したかも知れない」

 と言っているだけで、実際には戻ってみれば、殺害現場となるべき多目的トイレは使用中になっている。

 まさかそこに死体があれば、その場所を平気で使える人など誰もいないだろう。そうなると、警察に通報され、警察の捜査を見守る野次馬で、そのあたりは結構な人になるのではないか。そう思うと、不自然でしかなかった。

「下北君、君が夢でも見ていたんじゃないか?」

 と言いたくなるのも、冷静になって順序良く考えれば分かることだった。

 逆にいうと、それ以外の発想は、限りなくゼロに近いもので、それだけ不可解だったと言ってもいいだろう。

「下北君は、その男の顔を、配管のところに打ち付けたんだろう?」

 という西村に対して、

「ああ、その通りなんだ。だから、少しくらいの血痕が残っていても不思議はないんだけど、誰かがそれを拭きとったのかな?」

「もし、君が傷つけた相手が気絶していただけということで、その場を立ち去ったのであれば、意識は朦朧としているんだろうし、血を拭きとるのも意識がないかも知れないな」

 と西村がいうと、

「ひょっとしてあいつ、今意識が戻ったけど、朦朧としていて、すぐにその場から立ち去ることができず、もう少し落ち着くまで誰にも見られたくないと思って、自ら施錠しているんじゃないかな?」 

 と、下北は言った。

 その考えは、確かにありえることであるが、あくまでも都合よく考えられたことであって、西村も早い段階で、そのことも一度考えたのだが、話の内容から、死んでしまっていると思い込んでいたため、信憑性の低い考えであったが、よく考えてみると、この意見はこちらにとって都合のいいことではあるが、考えられないことでもないと思える。

 先ほど、復讐について考えていたこともあったこともあって、

「外人の男は死んでいる」

 と勝手に思い込んでしまっていた気がする。

 確かに意識が戻った、いわゆる蘇生したと考えると、意識は朦朧としていて、その場から普通に離れることがすぐにはできないと思うと、施錠して落ち着くのを待っているとも言えるだろう。

 彼は日本人ではなく、外人なのだ。外人というのはそれだけ何かあった時、日本人を信用できないと思うのではないだろうか。

 普段は馴れ馴れしい人であっても、別に慕っているわけではない。自分がうまく馴染めるようになるためにおべっかを使っているという風に思えるではないか。もっとも、下北が外人を嫌いなのは、そんなところが見え隠れしているところであった。

「やつの名前、グエン・ミン、何とかっていうらしいんだけど。実際には日本人に知り合いがいるようで、その人は角館俊二というらしいんだ」

 と、下北は言った。

「どうしてそんなことを知っているんだい?」

 と聞くと、

「彼の手帳に書いてあったんだ。きっと角館俊二という人が書いたんだろうね。まだの本後も話せないやつだったので、それくらいのことの説明くらいできないと何かあった時に困ると思ったんだろうね。それを手帳に書いたんだろう。やつを殴った時に胸のポケットからこぼれたのを、思わず触ってしまったので、しょうがないから持ってきてしまったんだ」

 という彼に、

「それはよかったかも知れない。やはり指紋が残っているものを残しておくのはまずいからね。君は指紋はふき取ったのかい?」

「ほとんど、どこにも触れていないんだ。でも、保木的トイレなんだから、下手に拭き取るよりも他の人の指紋と同じように残しておくという方がいいような気がしてね」

 という彼の意見ももっともな気がした。

 そういう意味では、手帳を持ってくるのは正解だったのかも知れない。

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