終投 軽やかな気持ちで

 二〇××年、七月上旬。じりじりと照り付ける太陽と、そこら中から聞こえるセミの鳴き声が、これでもかと夏を感じさせる頃。民家まばらな山間(やまあい)の田舎町に、風景に馴染まない固い格好の男が一人歩いていた。


 半袖カッターシャツに紺色のスラックス。良く磨かれた黒の革靴が足元で光る。ビジネス用の黒いバックパックを背負い、手には紙袋。流れる汗をよくアイロンされた白のハンカチで拭った。


 男の名は、保坂優一。スポーツ庁国際スポーツ課に務め、広報を担当している。


「(確かこの辺だったはずですが……。あっ、壁の色が変わっていたんですね)」


 似た作りの民家が立ち並ぶ中、保坂は一軒の家の前で脚を止めた。築年数に対して、薄いグレーの外壁塗装が新しいこの家が、目的地のワタルの家。腕時計を見て時間を気にしてから、玄関横のインターホンを押す。


「ごめんください。ご連絡していました、保坂です。ワタル君はご在宅ですか?」


 少し経って、インターホンから女性の声が返ってくる。


『はいはーい。さすが保坂さん、時間ぴったりねぇ。今開けるわ』


 数秒後、玄関を開けたのは、地味な服装で少しふくよかな体型の女性。ワタルの母、ミキリだ。


「ご無沙汰しています。ミキリさん。少しは落ち着きましたか?」

「六年も経てば穏やかなものよ。最初の一、二年みたいに、家まで来て文句言ってくる人はもういないわ。最近だと、報道の人だって忘れた顔しているし。……って、暑いわよね。さ、どうぞ」

「すみません。失礼致します。こちらお土産です。皆さんでどうぞ」


 招き入れられた保坂は、紙袋を手渡した。


「あら、ありがとう。でも、そんな気を遣ってもらわなくても良かったのに。大体ワタルが行けばいいところを、わざわざ来てもらったんだから……」


 ミキリは一応断りながらも、紙袋に入った菓子折りを見て嬉しそうにしている。


「いえいえ、僕も久しぶりに来てみたかったので。明日は大滝を見てから、ワタル君に帯同して出発しようと思ってます」


 大滝の話題が出ると、ミキリはバツの悪い顔をした。


「あぁ、良くも悪くも有名になっちゃったアレね……」

「悪いことなんてありません。今は色々言われてしまっていますが、僕は良い思い出にしたいと思っていますから」

「ありがとう。保坂さんみたいな担当さんで、本当に良かったわ。ワタル呼んでくるから、座って待っていてちょうだい」


 保坂はミキリに促されるまま、リビングにある三人掛けのソファに座った。ソファは、真正面でテレビが見えるように配置されている。


 ミキリは菓子折りをキッチンに置き、廊下の階段を足早に上がった。


『ワタル! いつまでストーンいじってるの! 保坂さんいらっしゃってるよ!』

『え?! もうそんな時間?! わわっ、保坂さーん、今降りるねー!』


 声が聞こえたと思ったら、バタバタと階段を降りる音。勢い良く、リビングの扉が開かれる。


「ごめん、保坂さん! 【沖ノ鳥】を磨くのに夢中になっちゃってて!」


 慌てた顔で現れたのは、こんがりと日焼けした半袖半ズボン姿の青年。昔と変わらないツンツン黒髪だが、背丈は保坂より頭一つ分高く長身で、体はガッシリと鍛えられている。青年の名は水切ワタル。今年で十八歳になる。


 ワタルは右手に地味な焦げ茶色の石を、左手に研磨用のヤスリと布を持っていた。


「こんにちは、ワタル君。忙しい時にすみません」

「こんにちは! 保坂さんこそ、すっごい忙しい人なのに、急にどうしたの?」


 二人はサッと挨拶を交わした。七年近い付き合いともなると、やり取りはどこか、友達のようだ。


「ワタル君に観てもらいたいものがありまして……」


 保坂はバックパックから一枚のディスクを取り出した。受け取ったワタルはディスクに手書きされた文字を見て、首を傾げる。


「DVD? ……水切ワタル【第三十一回大会・激闘のキセキ】??」

「ワタル君を主役にした、大会映像や関係者へのインタビューをまとめた動画です」

「オレを、主役に??? ……あぁ! 前に色々聞かれたのって、コレのためだったの?!」


 ワタルは何かを思い出して、驚いた声を出した。およそ一年前、ワタルは保坂から第三十一回水切り世界大会【グレートジャーニー部門】での勝負について、根掘り葉掘りとインタビューを受けていた。


 映像や当時の音声を確認しながら、当時何を思っていたのか、どういう状況だったのかなど事細かに、だ。


「えぇ、そうです。タイトルは仮ですが。他の選手へのインタビューや映像の編集が終わったので、最後に出来栄えを確認してもらおうと思いまして」

「他の選手……って、ルーカスさんやイザベルさんとか?」

「はい。あの時の上位選手の皆さんにご協力いただきました」

「全員なんて、すごい! じゃあ、さっそく観よう!」


 保坂の話を聞いて、ワタルは目を輝かせて再生する準備を始めた。テレビ台の下にある再生機にディスクを入れ、保坂の横に座ると、ちょうど映像が始まる。

 当時の大会映像を背景に、タイトルが浮かんだ。


『水切ワタル【第三十一回大会・激闘のキセキ】』


 落ち着いた声のナレーションが、タイトルを読み上げる。ワタルは大はしゃぎだ。


「へぇ~、すっごい本格的! スポーツ庁の宣伝にでも使うの?」

「今のところは未定です。僕の自主製作映像なので」

「自主製作ぅ?! じゃあ、インタビューとかどうしたの?? お金かかるんじゃ???」

「僕が皆さんのところに足を運びました。暇になっちゃったので、旅行ついでです」


 その言葉に、ワタルは苦い顔をした。


「う……、ごめんね。オレのせいで出世コースから外れたって……」

「気にしないでください。おかげで少し、人生を見つめ直せましたから」


 あっけらかんとした調子で、保坂は笑う。


「それはそうと、皆さん素晴らしい方ばかりで、取材を快諾してくれた上、取材料も出演料も不要と言ってくださって。もちろん、庁内で許可を取り付けて公式にできれば、ちゃんとしたお礼をするつもりです。許可が得られない場合は、インターネットの動画サイトでの公開を考えています」

「う、インターネット……」


 再びワタルは苦い顔をした。


「あぁ、ごめんなさい。ワタル君は、良い思い出ないですよね」

「ま、まぁね。今でも名前調べると『水切ワタル 税金泥棒』とか出てくるから……」

「存じています。でも、僕はその評価を変えたいんです。……さぁ、始まりますよ」


 オープニング映像が終わり、大会当時の映像に切り替わった。


「わぁ、チリの空! 懐かしいなぁ~。八月だし、日本と同じで暑いと思ってたのに、寒かったなんて驚きだったよ」

「ワタル君、僕の言う事を聞かないで、半袖半ズボンでしたからね。でも、すぐに慣れて、結局ずっとそのままなのには驚きました。移動だって、三十時間以上かかったのに、到着時も元気いっぱいでしたし」


 二人は思い出話に花を咲かせる。


「伊達に水切り選手やってないよ! 海の上には十数日いるんだから! えっと、このまま時系列に沿って進む感じ?」


 映像がチリ・カルデラの街並みになったところで、ワタルが聞いた。


「概ねそうです。僕がもっていたカメラや、日本チームドローンの映像、ワタル君につけていたカメラとマイクの音声を編集して、ダイジェストにまとめています。その途中に、関係選手へのインタビューを差し込む構成です」

「そうなんだ! わっ、ここ、【大和錦】を盗まれかけたところ──」


 ワタルはどんどん映像に集中して、当時と同じような表情で楽しみだした。それを見た保坂は安堵する。


 保坂が映像を作ったのは、大会結果によって、ワタルが世間から強烈なバッシングを受けたからだ。酷い時には、家にまで暴徒と化した人が来て、壁に落書きをしたり、窓に石を投げつけたりした。


 ミキリの言の通り、今は落ち着いているが、いつ再燃してもおかしくない。


 バッシングした人々のほとんどは試合をまるで見ておらず、雰囲気で動いていたに過ぎない。そこで保坂は、レースであったことや、他の選手の事情、やり取りを伝えるため、わざわざ自費で映像を作った。


「あっ、シブシソさんへのインタビュー! 今は、国連にいるんだっけ?」


 ワタルが尋ねた。映像には、スーツと民族衣装を合わせて着ている、シブシソの姿が映っている。


「そうですね。先住民族の権利を守る団体です。忙しくてワタル君に会えないこと、残念そうにしてらっしゃいました」

「そうだよねぇ。一緒に水切りしたいけど、まだまだ先になるかなぁ」

「きっとまたいつか、勝負できますよ。あぁ、そうだ。ロトスさんもインタビューを受けてくださったんです」


 ロトスの名が出ると、ワタルは驚いた声を上げた。


「あの取材嫌いのロトスさんが?!」

「はい。それとは別にメッセージも預かっています。言うまでないかもしれませんが……」


 そう言うと保坂は、ロトスから預かった小さな紙に書いてあるメッセージを読み上げた。


「『島の事も俺自身の事も片付けた。勝負するぞ、ワタル』」


──


『さぁ、第三十三回水切り世界大会グレートジャーニー部門も大詰め! ここまで試合を引っ張ってきた二名の選手が、デッドヒートを繰り広げるゥ!』


 ゴール地に突入する二人の選手とストーンを見て、実況が声を張り上げた。


「さすがのしぶとさだね、ワタル君。姉さんの言ってたとおりだ」

「そっちこそ、氷技だけじゃない! 守りが堅すぎるよ」


 海上を横並びに走る二隻のフロートの上で、青年達が互いに視線をぶつけあった。二人の足元には、キラキラした透明ストーンと、無骨な焦げ茶色のストーンが、火花を散らしている。


『隻腕の貴公子マルク選手が駆るストーンは、姉から引き継いだ永遠の輝き、【ダイヤモンドダスト】! ここまで数多の選手を氷漬けにし、バミューダトライアングルの攻防では、ロトス選手の操る【チャコール】を、氷のオブジェにして雪辱を晴らしているぞォ!』


「ロトスさん、めちゃくちゃ怒ってたなぁ……『勝負の邪魔するな!』って」

「スタートから散々ワタル君を独占してたんだから、僕も入れてもらわなきゃね。やられっぱなしじゃ、姉さんも悔しいだろうし」


 雪のような白い肌の青年【マルク】は、そう言って不敵に微笑む。


「うー、マルクの笑みはなんだか肝が冷えるよ。寒いのはもうコリゴリだなぁ」

 冷たい微笑みに、ワタルは苦笑いだ。


『一方、六年ぶり出場の問題児、ワタル選手が駆るストーンは、雌伏の時に出会ったという【沖ノ鳥】!! 幾度となくピンチに陥りながらも、耐え続けるその姿はまさに不沈艦! ルーカス選手の狙撃やイザベル選手との我慢比べに耐えきったストーンに、死角無し!!』


「ワタルのストーン、随分とタフだよね。絶対沈まないぞ、ってオーラが感じられるよ。いったいどこで見つけたんだい?」

「これ? これは沖ノ鳥島に行った時に、島が弾けて――」


「〈――ワタル選手!! その話はマジかの!?!? 保坂! すぐに画像を……、ぬわぁ?! 島が欠けとるんじゃが!〉」


 二人の話に、ワタルの通信機から老人が割り込んだ。


「総理のじーちゃん、違うんだよ! 見学してたら急に島が割れて、オレの手元に……」

「〈あぁ、なんてことじゃ……。このままでは日本の領海が、水産資源がぁ……。こりゃ、グローリーアイランドの益は、海面上昇対策に使わないといかんかなぁ〉」


 必死に弁明するも、通信機からは老人の嘆きの声が次々と聞こえてくる。


「なんにせよ、これで負けようものならまた謹慎じゃぞ! 絶対勝つんじゃ、いいな!!」

「もっちろん、今度は負けないよ! いこう、沖ノ鳥!」


 ワタルは気合を入れなおして、目でストーンに合図を送った。


「〈ワタルは相変わらず元気だな。だが、うちのマルクは強い。なんたって、私に勝ったんだからね〉」


 マルクにも通信が入る。とても澄んだ、女性の声。


「あ、マリーナさん。久しぶり」


 ワタルが反応すると、マリーナは嬉しそうにした。


「〈久しぶり、ワタル! 今回はマルクに負けたので、勝負を譲ったわけだが……。そうだ、今度こっちに来てくれ。レナ川で勝負しよう、とても素敵な場所なんだ〉」


 通信機の画面はワタルには見えていないのに、マリーナはウインクまでしている。


「いいなー、どんなとこなんだろー」

「〈まかせて、案内する。その時はついでに実家の父母に挨拶を――〉」


「――姉さん! ナンパは後にして! こっちは真剣勝負中!」


「〈うぅ、ごめんよマルク。……では、二人ともがんばれ! ワタル、チケットはこちらで用意するから――〉」


 話の途中だったが、マルクは通信機の電源を切った。その様子にワタルは少し笑って、すぐに真剣な顔に戻る。


 二人は、前方に見え始めたゴールの陸地を、真っすぐに見つめた。


「恨みっこなしだ、ワタル!」

「負けないよ、マルク!」


 並走する強敵ライバルに、フロートを踏みしめるワタルの足にチカラが入る。


「……あっ!」


 視線の先で、金色の、まるで粒子のような光が煌めいた。輝きはゴールまで続き、やがて空に広がって、見えなくなった。


「(ねぇ、大和錦。あの時一緒に走ったおかげで、世界で一番楽しく水切りできる選手になれたよ! だから、これからもどこかで見ていて。絶対に、退屈させないから!)」

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水切りワタル!!! 小鷹 纏 @kotaka_matoi

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