第十投 夢の後


──日本チーム拠点・通信室──


 日本のチームの拠点、クルーザーハウスの一室にワタルの姿はあった。部屋の真ん中に置かれたイスに座り、真正面の大型モニタを見ている。ワタルから少し離れた場所に、保坂も座っている。


 モニタに映るスーツ姿の大人達のうちの一人が、ワタルに質問した。


「〈ワタル選手、何か弁明することはありますか?〉」

「ないよ。おじさん達が言うとおり」


 ワタルは素直に答える。


「わかりました。では、処分内容が正式に決まり次第、再び音声を繋ぎます」


 大人達はそう言うと、音声を切って話し合いを始めた。その間にと、ワタルの側に座っている保坂が声をかけた。


「すみません。僕のチカラ不足でこんな……。一生懸命競技に臨んだワタル君に、こんな仕打ちをしてしまって」


 沈んだ顔で言う保坂に、ワタルは首を横に振った。


「オレがしたことだもん、気にすることじゃないよ。むしろゴメンね、勝手な事ばっかりしちゃって大変だったんでしょ? 総理のじーちゃんにも、そう伝えておいて欲しいな」


 返答を聞いて、保坂は悔しがった。


「僕はワタル君の行いが、責められるものだとは思いません。むしろ、スポーツマンシップにのっとった、誇れる行為です。大会は選手達のものなのに、我々が何か言うなんておかしい」


 俯いて拳を握りしめる。そして保坂は、絞り出すように言った。


「……選手から大会に出場する権利を奪うなんて、やり過ぎです!」


―─入賞記念パーティ会場─―


「小僧が次の大会に出られないとは、どういうことだ!!」


 立食形式のパーティ会場で、ロトスは声を荒げて大会運営委員に詰め寄った。今までにない剣幕で、その怒号は会場中に響いた。


 気弱そうな運営委員の男が、焦った様子で対応する。


「こ、小僧とは……?」

「日本代表の子どもだ!」

「え、えっと、出場選手選定は各国に任されているので、我々にはなんとも……」


 狼狽えながら、運営委員の男はなんとか答えた。


「なら、日本チームの責任者はどこにいる! 話をさせろ!!」

「た、たぶん、拠点かと、場所は──」


 拠点の場所を聞くなりロトスは、パーティには目もくれず会場を飛び出していってしまった。


「……主役がいないってんじゃ、居ても仕方ねェ。ニック、あとはテキトーに頼んだ」


 ドリンク片手に談笑をしていたルーカスが、眼鏡をかけた自国スタッフのニックに伝える。ニックは、溜め息をつきながらアイコンタクトをし、ルーカスも会場を離れた。


「この程度のもてなしじゃ、朕は満足できないネ。帰るからあの件、ちゃんと進めておけ」


 近くに居た燕青もまた、自国サポートチームの黒服に伝えて、ルーカスを追って外に出ていく。


「なになに? みんなあの子のところ行くわけ?」

 イザベルは会場を離れるルーカスらを見ていたが、気にせずドリンクを飲んでいた。


「(……あ、でも。あの子のところなら、ひょっとして)」

 少しの間考えた後、イザベルは突然、ドリンクを近くのスタッフに押し付けた。


「こうしちゃいられないわ! 後の事はよろしくね!!」


 慌てた様子でサポートチームに言い、イザベルも会場の外へ。立て続けに主役である選手達が離席したことで、会場はざわめいている。


「マァ、ソウイウコトダカラ、後ハ皆デ楽しンデクレ。少シ、話ヲシタイ選手ガイテネ」


 会場にいる人々に、シブシソは申し訳なさそう一礼。シブシソもまた会場を後にした。


―─日本チーム拠点─―


「おい! 小僧はどこだ! それと、ここの責任者もだ!!!」


 日の丸マークがついたクルーザーに、ロトスは怒鳴り込んだ。入口に居た二人の警備員が、手を広げて制止。侵入を防ごうとする。


「小僧とは……?」

「代表の子どものことだ!」

「あ、あぁ、ワタル選手なら今、査察を受けています。お話なら後に──」

「──邪魔をするな。話があるから通せ!」


 ロトスは警備員を押しのけ強引に奥に入ろうとしたが、結局は床に押さえつけられ身動きが取れなくなってしまう。


「つまらんマネを……!」


 抵抗するも、多勢に無勢。何もできないでいると、入口奥の扉が開いて、紋付袴姿の髭の長い老人が一人、現れた。


「通しなさい。彼は日本にとって、重要な取引相手じゃぞ?」


 老人は開口一番に言うと、ロトスの拘束を解かせ、申し訳なさそうに頭を下げる。ロトスは不機嫌そうな顔で立ち上がり、ローブのホコリをはらった。


「少しは話がわかる者もいるようだな。小僧はどこだ? それと責任者を出せ!」


 乱暴に迫るロトスに、老人は白い顎髭をさする。


「ワタル少年なら、奥の部屋で査察を受けておる。で、責任者はたぶんワシじゃな」

「! 貴様が小僧の邪魔をしたのか?!」


「待ってください! ロトス選手! 石渡総理はむしろ――」


 老人の胸倉を掴もうとするロトスの前に、眼鏡をかけたスーツ姿の男が割って入る。老人は石渡総理、眼鏡の男は保坂だ。


「──何が! 小僧から水切りを奪って何になる! そんな権限、誰にあると言うのだ!」


 声を荒げるロトスに、総理は困った顔をした。


「選手から競技を奪う権限など、誰にもないとワシも思う。しかしな……」

 悲し気な顔で総理は話を始めた。


「この大会は、大きくなり過ぎたんじゃ」


 総理の後方から、スーツ姿の政府関係者や議員がぞろぞろと出てくる。皆口々に何か話していて、聞こえてくる言葉は「損失」や「為替」など、経済的な内容ばかり。


 それを聞いた総理は、話を続ける。


「優勝景品のグローリーアイランドがもたらす経済効果は、かなりのもの。三年という短い期間でも、資源にいっさい煩わされずに済む。むしろ、おつりがくるくらいじゃ。それは、お主も知っておるな?」


 ロトスは頷いた。ロトスもまた、それを狙って大会に参加した一人だ。


「国にしてみれば、強い選手を育成できれば、もっと長い期間だって恩恵を受けられるかもしれん。アメリカがそうだったように」


 アメリカは、過去三度優勝したルーカス以外にも、何度か優勝者を輩出している。何年にもわたって恩恵を受けたことで、今の超大国となった。

 それ以外の国でも、直近三年は燕青の優勝で中国が恩恵を受けた。中国は経済成長の時期とそれが重なったことから、多大なる相乗効果を発揮。破竹の勢いで国力を上げている。


「詳しい事情は知らんが、お前さんもそれが目的よな? だから我が国でも、水切り選手には【特別な期待】をかける人々が多いんじゃよ。我々政治家も、国民も」


 問われたロトスは、納得していない顔をした。


「そんなものは周りの勝手な期待だろう。選手にどこまで関係があるというのだ」

「それが、あるんじゃよ」


 総理は淡々と説明した。


「今回の大会のために、どれだけの金が動いたと思う? 我が国では選手のために、数多の物・人・金を、選手達につぎ込んでおるのじゃ」

「それは……」


 ほぼ個人参加のようなロトスは、他国選手の事情についてあまり詳しくない。総理の言う事は知識として知っている程度だ。


「大会中だけでなく、選手の育成や国内大会など。上げればきりがないほど、選手達の周りでは金が動いている。それは大抵の国で、国民の税金で賄われる。我が国もそうじゃ」

「……そういうものか」

「ま、お主みたいに国家の支援なく、大会運営組織の支給品で賄う選手もいるにはいるんじゃが……。それでこの競技に優勝争することは、不可能だと考えられておった。ワタルも最新式のフロートや、数々の支援をうけておったろ?」


「……だが、老人よ。その理屈は通っていないぞ」


 ロトスが反論する。


「それは選手達が頼んだことではないだろう?」

「そうじゃな」


 総理が一度頷く。しかし、苦々しい顔で首を横に振った。


「じゃが、大抵の国で代表選手は組織に【選ばれる】のであり、実力だけで見てもらえるわけではない。そして組織の上には国がある。故に――」


 総理はそう言って少し歩き、近くの部屋に入っていった。ロトスもそれに続く。部屋にはワタルが一人、椅子に座っていた。そんなワタルに、総理が話しかける。


「──ワタル選手。キミは大会期間中、数回に渡り他国選手を助ける行為をした」

「……うん」

「特にシブシソ選手やロトス選手に物資を渡した行為は、わが国の選手規定違反。代表選手を支える人達から苦情がきていることは、知っておるな?」

「うん。勝手したのは、悪かったと思う」

「……そうじゃな。と、言うわけでワタル選手よ」


 真剣な顔つきで、総理はワタルを見つめた。一呼吸おいて、処分内容を伝える。


「次回大会までワタル選手は、日本代表の被選考者資格剥奪。当然、強化選手にも選抜されることもない。それが、今回の処分となる」


 総理の言い渡した内容に、ワタルは何も言わずに頷いた。


「小僧、これでいいのか!? つまらない連中に、勝手に決められて!!」

話を聞いていたロトスが怒ったが、ワタルはその手を掴み制止。


 下を向いたまま口を噤む。


「小僧はこれで納得できるのか!!」


 黙ったままのワタルに、ロトスが声を荒げる。ワタルはしばらく黙っていたが、顔を上げてロトスを見た。


「納得は、いってないよ」

「……は?」


 ワタルの言葉にロトスは面食らい、間の抜けた声を出した。


「実力で代表に選ばれないのはわかるけど、勝手に決められるのはヤだよね」

「ならどうして――」

「――でも、勝手しちゃったことは悪いと思ってるし、オレのせいで嫌な思いをした人がいるなら……。この方が、めんどくさいこと言われなくていいかなって」

「!? どこに行く、小僧!」


 突然ワタルは、外へ走って出ていってしまった。ロトスは今度こそ見逃さないよう、必死に追いかけた。


──


 辺りはすっかり暗くなっている。その中でゴール会場だけは、昼夜を問わずゴールする選手のため、明るく照らされていた。

 ゴールに近い選手がおらず、やや遅い時間に差し掛かっていたため、観客はほとんどいない。会場には、静かな時間が流れている。


 ワタルは会場近くにある、観客が水切り遊びをするための、小川サイズの人工川の前で脚を止めた。


「ハァ……ハァ……。急に走るな。十七日もフロートに乗りっぱなしだったんだぞ」

「ロトスさん、追いかけてきてたの?! 体悪いのに、走らせちゃってごめん」


 ぜぇぜぇと息を切らすロトスを、ワタルは心配した。息を整えるなり、ロトスは声を荒げた。


「話の途中だったろう! 何の用でここに来た!」

「……え?」


 怒鳴られると思っていなかったのか、ワタルはびっくり顔に。ばつの悪そうな様子で、ポケットから何の変哲もない平たいストーンを取り出した。


「水切り、したくなって。レース中に思いついたこといっぱいあったのに、ゴールしてからずっと、部屋で質問されてばっかりだったんだもん」


 そう言ってワタルは、ストーンを川に投じた。水面を勢いよく跳ね回ったストーンは、しばらくしてワタルの手元に戻ってくる。


 感覚を確かめるようにストーンを握って、ワタルは話した。


「……処分のことなら、次の世界大会は出られないけど、水切りができないわけじゃないから。オレが水切りやって誰かが嫌な顔するのは困るし、それでいいかなって」

「奪われて、黙っていられるか! お前にとってレースへの思いはその程度なのか?!」

「そんなことは……」


 困った顔で、ワタルはストーンをじっと見つめる。そうしていると、背後から聞き覚えるのある声がした。


「ちっとは落ち着けロトス。案外冷静だぜ、ワタルのヤツ」

 ルーカスだ。どういうわけか、燕青やシブシソもいる。


「貴様ら、そろって何の用だ?」

「様子見にきただけだ。ワタルのやつ、落ち込んでやしないかってな」


 ルーカスとロトスが話していると、燕青がワタルの肩をバシバシと叩いて話した。


「ワタル、日本チームで良かったな。朕の国で敵に塩を送って負けたらシュクセ――」

「――ソレハまた話ガヤヤコシクナル」


 燕青の話をシブシソが遮った。


「ええい、朕の邪魔す――」


 それでも話そうとする燕青を、今度はルーカスが遮る。


「──ま、オレ様の国でも、さすがにグレートジャーニー絡みは、処分が厳しいこともあらァ。オレ様は、他人にとやかく言われる筋合いはねェと思うが……。変な因縁をつけて来るヤツがいるのも事実。一昨年ぶっ飛んだウチの国のでけェ証券会社のせいで、世界中未だに不景気だしな」


 ルーカスは『やれやれ』といった態度で話を続ける。


「勝てば少なくとも三年は景気が良くなるってんで、お偉いさんから町のおっさんまで、興味津々でよォ。勝ちかけようもんなら『得られる〝ハズ〟の利益を失った』、なんて言って、相当オカンムリになるのさ」


 話を聞いていたロトスが反論した。


「そんなもの、無視すればいいだろう」

「オレ様ならそうするが、それじゃダメなんだよ。ワタルにとっちゃさ」


 ルーカスが両肩をすくめる。


「自分が楽しくやる分、周りも楽しくやってなきゃダメ、そうだろ? ワタル?」

 そう言って、ルーカスはニッと笑って見せた。ワタルもニッコリと笑う。


「うん! 水切りは楽しいけど、それで嫌な気分になる人がいたら、嫌だ」

「それは、ツマランやつらの顔色を窺っているだけだろう!」


 ロトスが言うと、ワタルはあっさり答えた。


「気は使ってないよ? みんな楽しくしてないと、オレが気持ち良くないんだよ。シブシソさんを助けたのも、ロトスさんに薬をあげたのも、その方がすっきり勝負できるって、思ったから!」


 ワタルはシブシソに笑いかけ、シブシソもまたワタルに笑顔を返した。


「ソウダッタナ、ワタル」

「うん! オレは、ベストコンディションの相手と勝負して、それで勝ちたかった。そんな勝負が楽しくて……。だから、今回の勝負、すっごく楽しかったよ!」


 そう言うとまた、ワタルは川に向かってストーンを投じる。テンポよく跳ねたストーンは夜空の月に向かって大きく跳躍、手元に戻ってくる。まるで池から魚が飛び出したかのようだ。


「オレとしては、そうやって目一杯勝負できる方が、自分も全力出せるし良いかと思ったけど……、みんなはそうは思わなかったみたい。だから、ちょっと悪いなって」

「……ふん。そうか」


 不満そうではあるものの、ロトスはいくらか納得した顔になった。そして、ハッキリとした口調で言葉を返してくる。


「俺は、小僧のあの程度の行動が、処分を受けるほどのことだとは思わん」


 ロトスもまた、足元に落ちていた平凡な石を川に投じた。投じられた石は、二度三度、弱々しく水面を跳躍した後、力なく沈んで行く。


「小僧にとってどんな意味を持っていたのであれ、俺は助けられた。だから、俺は俺の勝手をさせてもらうぞ」

「?」


 ワタルはロトスの話す意味が分からず、不思議そうにした。対するロトスは、背後にチラリと視線を向ける。


「話は聞いていたな? 総理とやら。俺はこの小僧に世話になった。意味は、わかるな?」

「……ハッハッハ、盗み聞きがバレたか」


 視線の先から、石渡総理が杖をついて歩いてきた。


「しかしな、ロトス選手よ。ワシやお主の力では、大きな流れまでは覆せん」

「チッ、総理と言えどそんなものか――」

「――じゃが、何もできんわけでもない」


 総理は自身の後ろをうろつく議員や官僚を向き、注目を集めた。


「お前ら、今の話を聞いておったろ? グローリーアイランドを手にしている者を、無下に扱うような真似はすまい。どれ、ワタル選手の処分についてじゃが――」


 議員らが騒めき始める。秘書にメモを取らせたり、録音をさせたりしている。


「――次回大会出場不可は変わらず。じゃが、今大会で喪失したストーンの保証をするのはどうじゃろうか。大和錦を継ぐ相棒を探すための、援助をするということじゃ」


 総理の言葉で騒めきは一層大きくなった。


「──「処分が甘いのでは」「私物のストーン補填は必要なのか」「人気取りだ」「グローリーアイランドの取引には良好な関係が」──」


 次々と聞こえてくる、批判や意見の声。総理はそんな議員達に呆れた表情だ。


「はー。この歳で素晴らしい経験をした選手に冷たくして、競技嫌いにでもする気か? 競技界に悪影響じゃろて。それに、いくらストーンが私物だと言っても、大和錦はモンスターゴールドじゃったから、時価八億円はくだらんじゃろ? 競技のため消失させたこと、簡単に無視できるんじゃろうか」


「「それでは国会で与野党審議をして――」」

「──まどろっこしい。強硬でも通すわい」


 総理の言葉に、困惑する議員や官僚達。したり顔をする者や、困った顔をする者など、反応は様々だ。


「あーあ、こりゃ、ワシの議員生命も終わりじゃなー。……と、言うことでワタル。詳しいことは保坂に聞いてくれ」

「総理のじーちゃん! なんでこんなこと……」


 ワタルが聞いた。総理はそそくさと帰り支度をしながら答える。


「ワシがそうしたかっただけじゃ。次の次の大会は、期待しとるぞ。……まっ、それまでワシが生きておったらの話じゃが」

「大丈夫! 総理のじーちゃんなら、百歳までは余裕だよ! ありがとう。オレ、がんばるね!」

「そうしてくれ。あとで保坂から『国内どこでも行ける』って感じの許可証が届くから、それで新しいストーンを探すと良い。良い出会いがあることを祈っとる。……と言うことでロトス選手、グローリーアイランドの取引、ちっとはサービスして――」


 下心あり気に総理が言うと、ロトスは少し笑みを見せた。


「――ふん、どうだか。……まぁ、交渉の席くらいにはついてやる」

「お! こりゃ、意外と長生きできるかもしれんな。……じゃあの、ワタル」

「うん! ばいばい、総理のじーちゃん!」


 迎えの車に乗って去っていく総理に、ワタルは笑顔で手を振った。周りにいた議員達は足早に移動を始め、すぐに辺りは選手達だけになった。


――


「……さァて」

 ルーカスが一度、大きく伸びをする。


「オレ様はそろそろ帰っかな。ワタル、楽しかったぜ。これ、言ってたサインな」

「あ! 覚えててくれたんだ!! ありがとう、大切にするね!!!」


 かぶっていたハットに慣れた手つきでサインを書き、ワタルに手渡す。ワタルはそれをもらって、飛び跳ねて喜んだ。

 ルーカスはその様子を眺めて少し楽しんだ後、皆に背を向けた。去っていくルーカスに、燕青が話しかけた。


「これで天才ルーカスも見納めか。引退して、指導者にでもなるか?」


 特に反応せずにルーカスは、二、三歩と進む。しかし突然、ワタル達の方向に振り返った。


「……ハッ! んなわけねーだろ! オレ様はこんなところじゃ終わらねェ。ちょっと歳取ったくらいで引退なんて、天才の名が廃るってもんだ!!」


 いつもの自信に溢れた態度。ルーカスの表情は明るい。


「ちっと修行すっから、次の大会にはでねェかもな。だが、その次の、六年後には新しいオレ様を見せてやる! だからなァ」


 手で銃のような形を作って、ワタル達に向けた。


「首を洗って待ってろ、ヤロウども!! 特に、ワタルッ!!」

「うん!」

「次勝負する時もオレ様が勝つからな! 覚悟しとけッ!!」


 そこまで言って、ルーカスはどこかに消えていった。歩いていく背中には、未だ消えない闘志が宿っていた。


「デハ、ワタシモ失礼スルカ」

「シブシソさんも、帰っちゃうの?」


 寂しそうに言うワタルのそばに、シブシソが寄った。


「大地ヲ、取リ戻サネバナラナイカラナ」


 そう言ってシブシソは、大きな手でワタルの頭を撫でた。


「少シ心配シタガ、ワタルナラ大丈夫ダ。キット、良イ人生ヲ歩メル」

「シブシソさんも、元気で。色々、上手くいくといいね」

「アァ。マタ会オウ、ワタル」


 ワタルに手を振り、シブシソはどこかへ歩き出した。それを見て燕青もまた、シブシソに続く。


「燕青さんも、また会おうね!」

「ハッ、お前もせいぜいがんばれ。水切りはできるうちに、楽しむといいよ」


 去っていく二人の背中がみえなくなるまで、ワタルは元気いっぱいに手を振った。


――


「ま、あの様子なら、ジャパンのガキんちょは大丈夫ネ」

「オマエハ良イノカ? 【引退】スルノダロウ?」


 燕青とシブシソは、歩きながら話をした。どこか寂し気な表情をする燕青を、シブシソは心配している。

 レースの後、入賞者パーティで公表されたことだが、燕青は今大会で引退するとのことだった。一族で経営している巨大企業グループの、跡取りになるためだ。


「ふん、良くないに決まってる。ルーカスにしてやられたままなんて」

「ナラバ自分ノ好キナヨウニ──」

「──それは違う」


 燕青は首を横に振った。


「家を繁栄させることも、朕の使命であり夢。自分の夢と周囲の夢、どちらも手に入れてこそ、真の支配者。……夢を叶えたら必ず戻ってきてやる」


 そう言う燕青は、普段と同じ尊大な態度をしている。


「ソウカ、ソレハ大シタ野望ダナ」

「お前こそ、賞金程度じゃ、採掘企業をどけるなんて無理。どうするつもりか?」


 今度は、燕青がシブシソに問いかけた。シブシソは少し、驚いた顔をする。


「ドウシテ知ッテイル?」

「ビジネスに関する情報は常に仕入れている! 確か、××××って企業のはず。お前はその企業が悪いと思っているけど、お前の国の政府も一枚噛んでるのは知っているか?」

「ドウイウ意味ダ?」


 シブシソが不思議そうに尋ねる。


「いくらチカラある国の企業と言っても、いきなり他所の国の開発はできない。どうにかして許可を取り付けているはずで~~」


 燕青はざっくりと説明した。シブシソの故郷は政府によって、他国企業に開発が許可されているらしい。


「~~つまり、お前が戦う相手は企業だけじゃなく、自分の国でもあるってこと」

「ソウカ……。ダカラ兄者ハ、ワタシに世界ヲ見テクルヨウニト……」


 何度か頷いて、シブシソは考える。燕青は目を細めて見ていた。


「(なんか納得してるな。さて、今いる企業は潰すとして、上手いことコイツを懐柔して、後釜に朕の会社を入れさせないと。どうやって誘導しようか)」


 あえて説明しなかったが、シブシソの故郷を開発した企業は、燕青の実家のライバル企業。競技中、他の選手の弱点を探っていた燕青はそのことに偶然気づき、シブシソを利用すればライバル企業を排除できると考えていた。


「で、結局お前はどうするつもりか? 戦うか、諦めるか」


 問われたシブシソはハッキリと答える。


「戦ウニ決マッテイル」

「どうやって?」

「ソコハ、考エガアル。今回得タ、【知名度】ヲ活カソウト思ウノダ。世界中の人ニ、我々の状況ヲ知ッテモラウ」

「悪くはない。で、具体的な方法は?」

「ウ……」


 踏み込んだ問いにより、シブシソは答えに窮した。燕青は鼻を鳴らして、偉そうに講釈する。


「フン。そんなことだろうと思った。知名度なんて水物。すぐに消えるんだから、迷ってる暇はない。いいか、まずは~~」

「~~ナルホド。ソンナ手ガ……」


 燕青の話は意外にも真っ当で、シブシソは納得した顔で頷いた。


「というわけで、朕が協力してやる。全て任せてくれればメイウェンティ(問題無いの意)」

「……協力ノ申シ出ニツイテハ考エテオクガ、全テヲ任セル気ハナイ」

「なっ……」


 シブシソが提案を受け入れると思っていた燕青は、面食らった顔をする。


「大方、何カ企ンデイルノダロウ? コウイウ時ハ、取引スルモノダト、ロトス達ヲ見テ学ンダ。取引ナラバ、ワタシに求メルモノを明カスベキダ」

「……思ったより強かじゃないか。ちょっと気に入った」


 燕青は、明らかに含みのある笑みを浮かべた。


「朕の目的は利益のみ。特定の土地への拘りは無い。儲かる場所を見繕ってくれれば、今いる企業はどけてやる」

「フム」

「だが、今のお前は何のチカラも無い。多少教育とプロデュースしてやるから、【知名度】を使ってせいぜい目立て。考えようによっては、覇道より大変かもナ」


 圧をかけてくる燕青の言葉に、シブシソも笑みを浮かべた。


「ソレハ有リダナ。足元ヲ掬ワレナイヨウニセネバ」


 燕青とシブシソ、二人もまた次のステージへと進んで行く。それは、競技とは違うものだが、彼らの人生にとっては同じくらい大切なことだ。


─―


「あら、もうみんな帰っちゃったのかしら? ワタル、ミキリさんは見てない?」

「あ、イザベルさん」

「……フランスの女か。貴様もワタルに用があるのか」


 燕青達が去ったところに、イザベルが現れた。


「ロトス。アナタはもう少し、言葉遣いを覚えた方がいいわよ? 今後のことを考えるなら、特にね。余計な争いの火種は、作らないに越したことはないわ」


 横柄なロトスの態度を、イザベルはたしなめた。


「いちいち気性の強い女だ」

「アナタこそ、いちいち態度がデカイ男ね」

「……すげぇ、絶対に言い返してくる。まるで母ちゃんみたい──」


 口論するイザベルを見て、ワタルは母を思い出して苦い顔をした。


「──私がどうしたって?」


 ワタルの肩に、背後から手が乗せられる。ワタルは驚いて振り返った。


「げぇ! 母ちゃん!」

「一ヵ月ぶりくらいかしら。ワタル、レースは楽しめた?」


 背後にいたのはミキリだ。ワタルの記憶の中より更に一回り、ふくよかな体型になっている。


「もちろん! レース、楽しかったよ! ……思いっきり負けちゃったけど」

「ずっと見てたわ。良い負けっぷりだったわね」


 肩を落とすワタルに、ミキリはさっぱりと言う。


「というか母ちゃん、レース見てたんだ。ハハハ……、ずっと、見てた?」


 そう聞くワタルの顔はひきつっており、明らかにミキリのことを恐れている。


「ええ、ずっと見てたわよ。シブシソさんやロトスさんを助けたのは、良かったと思うわ」

「そ、そうだよね。うん、じゃあ、オレはそろそろ帰ろうかなー、なんて……」


 ワタルは少しずつ移動して、その場を離れようとする。


「でも実力はまだまだ。相変わらず技が雑!」

「か、母ちゃん、その話は後でも(嫌な予感がする! 早く話を切り上げて――)」


 逃げようとした瞬間、ミキリはワタルの肩を強く掴み、捕まえた。


「(──ダメか……)」


 観念して頭を下げるワタルに、ミキリはくどくどと説教した。


「技はまだいいわ。でも、本当に情けなかったのは、我を忘れて暴れちゃったことよ!! いくら酷い戦い方をされたからって、自分まで暴れるのは良くないわ! そもそも~~」

「ごめんってば……」

「(酷い、戦い方だと……?! なんだ、この女は……!)」


 ワタルは成す術なく説教を聞くしかない。なぜかロトスも、ショックを受けた顔をしている。


「~~とにかく練習不足! 忍ぶ心が足りないわ! まだまだ優勝は遠いわよ!」

「うがー! 母ちゃんだって優勝したことないだろ!!」

「お母さんは誰かさんと違って完走してますー!」


 ワタルとミキリの親子喧嘩(?)が始まった。なぜかイザベルまで話に加わってくる。


「そうよ! ミキリさんは完走かつ四位という優秀な成績だったわ!」

「なにおう! オレだって無理しなきゃ、完走くらいできるし!」

「私は、ルールが悪くなければ優勝できてましたー」

「そう! あのルールかつ、複数選手にマークされての四位は実質優勝と言っていいわ!」

「もしもの話だろ!」

「ワタル! ミキリさんにたてつくことは許さないわよ!」


「……って、なんでイザベルさんが加勢すんのさー!!」


 二人相手だと、さすがにワタルも分が悪い。ワタルが折れると、ミキリはイザベルに話しかけた。


「アナタがイザベル選手ね。随分立派なお嬢さんになったこと! とっても良いレースだった。観ていてすっごく、面白かった」

「あ、あわわ……。はいっ! でもまだまだ、つ、次こそは、優勝して見せます!」


 褒められたイザベルは浮ついていて、嬉しそうな、誇らしそうな顔をしている。


「……なんでい、オレだって結構がんばってたじゃんかー」


 ワタルが少しむくれた。ミキリはそんなワタルをたしなめる。


「拗ねないで、ワタル。ワタルは知らないでしょうけど、イザベル選手はここまですごく頑張ったんだから。あの時のお嬢ちゃんが、こんな立派な選手になるなんて」


 そう言ってミキリは、ハンカチで涙をぬぐった。


「憧れを見つけられたから、ですわ。ミキリさんと出会っていなかったら、ワタシは……」


 イザベルもまた、指先で涙をはらった。


「憧れだなんて。私あの時、たぶん酷いことを言ったはずよ。技のセンスがないとか、そんなことだったかしら……」


 ミキリは申し訳なさそうにしたが、イザベルは首を横に振る。


「いえ。はっきり言ってもらえて、何ができるのか、どうなりたいのか、向き合うことができました。それに、ちゃんと手を引いて、背を押してもらっています」

「向き合い続けられるのが、アナタの素晴らしいところよ。活躍、楽しみにしてるわね」


 二人はしっかりと握手をし、数年越しの交流を深めるのだった。


「……なんかいい雰囲気になってるなぁ。イザベル選手は、小技が苦手だったんだっけ?」


 ワタルはその様子を、間の抜けた顔で眺めていた。呟くように言った言葉に、ミキリが反応する。


「そうね。だった、というか、今も変わらず技は下手!」

「うっ……」


 歯に衣着せぬミキリの物言いに、イザベルが苦々しい顔をした。


「私の技を使ってたけど、ちょっと大味過ぎるわ。見てて!」


 ミキリは懐からこぶし大のストーンを取り出し、川へ向かって投げ入れた。ストーンは数回跳ねた後、表面から石欠片を分離させストーンの上に漂わせる。そして石欠片は唐突に、渦巻いて上空に舞い上がり、矢の雨のように川へ降り注いだ。


「これこれ! これよ。ワタル!」

「相変わらずえげつない……。太っててこのキレの良さ……」

「ワタル、聞こえてるわよ」


 技を見たイザベルは興奮し、ワタルはちょっと引き気味だ。


「色々言っちゃったけど、イザベル選手の知識量・忍耐力・持久力・判断力はすべて素晴らしいわ。一度勝負してみたかった」

「そんな、今の私なんかまだまだです。必ず、もっと強くなって、優勝してみせます!!」


 イザベルはミキリに力強く言ってから、ワタルの方にくるりと向き直った。近くまできて、上機嫌で手を差し出す。


 ワタルもまた、にこやかに手を差し出し、二人はしっかりと握手をした。


「ワタシ達、負けちゃったけど、次は勝てるようにがんばりましょうか」

「え? 完走できたら勝ちって言ってなかったっけ?」


 首を傾げるワタルに、イザベルは優しく話した。


「よく覚えてたわね。グレートジャーニーは完走するだけでも難しい。だから、完走できた者はそれだけで勝者だと言っていい。だけどそれはそれとして、みんな自分の目標や、強敵(ライバル)との勝負があるわけでしょ?」


 握手を解いてその手を胸元に、イザベルは握り拳を作った。


「全ての面で勝利する、ってのはなかなかできない。ほとんどの選手が、勝利も敗北も味わってるんじゃないかしら。ワタシの場合は『憧れの人の前で優勝できなかった』って敗北。ワタルの場合は、何でしょうね」


「オレは……。完走、できなかったし、代表選手としてルールも、マリーナさんとの約束も、守れなかった。それに、大和錦を──」


 ワタルがポツポツと、苦し気に話し始めたところでイザベルは話を遮った。握った拳をワタルの胸にトンと軽く当てる。


「──言わなくいいわ。胸に秘めていなさい。その敗北の悔しさが、貴方をもう一度ここに連れて来るんだから」


 ワタルの唇が震えた。目線をイザベルに合わせていられず、下を向く。


「イザベルさん、オレ……」

「なに、目にゴミでも入ったの? 目薬貸したげるから、向こうで差してきなさい」

「う、うん……。ありがと……!」


 イザベルから目薬を受け取ったワタルは、少しの間、その場を離れた。小走りで駆けていくワタルの背中を見て、イザベルは溜息をついた。


「はぁ。あの歳で優勝争いなんて、十分勝ってるっての。それであれだけ悔しがれるなんて、本当に大物なのかもしれないわね。あの頃のワタシなんて、ジュニア大会でも苦戦してたのに……」


 昔を思い出したイザベルが、しばらくぶつくさ言っていると、目を赤くしたワタルが戻ってきた。


「ごめん、イザベルさん。目薬ありがと。すっごくスッっとするね、コレ!」

「当然。これ、巡航にできない時に、眠気を飛ばすためのものだから。……それじゃ、ワタシも帰ることにするわ」


 ワタルから目薬を返してもらい、イザベルはどこかに歩き出した。


「イザベルさん。また勝負、しようね!」


 大きく手を振って、ワタルが声をかける。


「もちろん。必ずまた勝負しましょう。その時はミキリさんくらい強くなっててね」


 一度振り返ってイザベルも手を振った。颯爽と闊歩していく背中では、大きな巻き髪が元気に跳ねていた。


 イザベルが見えなくなったところで、ミキリはワタルの横に立った。


「だってさ、ワタル。六年『しか』猶予はないわよ」

「……うん」


 ワタルはしっかりと頷く。


「アンタがまだ子どもだから、今回はみんな助けてくれたけど、次回はそうはいかない。次までに、本当のライバルにならなくちゃ」

「……うん」

「それに──」


 ミキリはワタルの帽子の上から、少し勢い良く頭を撫でた。


「──相棒、見つけなきゃね」

「……」


 ワタルは何も言えなかったが、黙って頷いた。


「……さて、お父さんが待ってるし、私は先に帰るわね。アンタは保坂さんの言うことをよく聞いて、気を付けて帰ってくるのよ」


 そう言ってミキリは、足早に去っていった。


──


いよいよ、港に残っているのはワタルとロトスの二人だけ。


「小僧。……いや、ワタル」


 落ち着いた口調で、ロトスがワタルに話しかける。


「今回のこと、すまなかった」

 ロトスはしっかりと頭を下げた。


「オレは気にしてないよ! でも、マリーナさんとか、他にも迷惑をかけた選手がいるんだったら、ちゃんと謝った方がいいと思う」

「……そうだな」


 ワタルの言葉に、ロトスは素直に返事をした。


 静かな夜の港では、波の音だけが繰り返し聞こえている。


「なぁ、ワタル。次に会う時までに、島も、俺の身体も、しっかり整えてくる。今回みたいに、競技に余計なことを持ち込んでしまわぬよう。だから、その時は──」


 ロトスがワタルに手を差し出した。

 ワタルもまた、それに応えるように手を差し出す。


「──また、勝負してくれ」

「もちろん!! ロトスさん、また会おうね!!」

「あぁ、ワタル。絶対だ」


 二人はしっかりと握手をかわし、それぞれの目指す方向に歩いていった。


 水切り世界大会【グレートジャーニー】。総航行距離およそ一万九千キロメートル。参加選手人数二百人超。最初のゴール到達者ですら十七日を費やす、長い長いレースの一幕であった。


―十数日後・ゴール会場―


『ここで最後の選手がゴール到達! アーデルベルト選手!! お疲れ様だァ!! 最終到達者としてコメント、よろしく頼むぞォ!!』


「ゼェ、ゼェ……。ストーンの磨きすぎには注意することだ。さもなくば、龍に気に入られて、長旅になる」

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