第九投 勝者
「小僧、そのまま進めばそのストーン、失われてしまうぞ?」
ロトスが言う。コールは自爆によって得た爆発的な推進力により、破片を散らしながらも、大和錦とほぼ横並びの位置にまで食い下がっている。
「……大和錦と決めたことだから」
ワタルは静かに答えた。跳躍する大和錦の後ろに、金色の粒子が舞う。コールを引き離すため、大和錦は更に速度を上げた。しかし大和錦もまた、限界を超えた加速には代償を伴っていた。
超高速で前進することで、海面との間に強い摩擦熱が発生。熱で軟化したストーン表面が跳躍の度に剥離し、進めば進むほど小さくなってしまっていた。
コールと同じ捨て身の戦法を取るワタルに、ロトスは目を細める。
「小僧にとってはただの競技だろう? それで大切なものを失って何になる」
コールが大きな爆発を起こし、大和錦に並ぶ。そしてそのまま、体当たり。トゲが失われているため体当たりの威力は低いが、金であり柔らかい今の大和錦は、簡単に表面を削られてしまう。
「そのストーンに、時間をかけたのだろう? この一瞬で散り、ゴールもできないかもしれない。本当にそれでいいのか!?」
体勢を崩されたものの、大和錦はすぐに立て直して進んだ。コールは再び、体当たりをしようと接近してくる。
「……ッ! 小僧!!」
コールの体当たりが逸れ、当たらない。大和錦がロトスの目に太陽光を反射。視界を一瞬奪ったからだ。その隙に大和錦は、コールの前方に進み出る。
ワタルが口を開いた。
「オレ達は、何かをつかもうとしたことを、意味がないって思いたくない! それで大切なものを失ってしまったとしても……!」
前に進み出た大和錦は、コール前方の軌道を維持した。コールが左右に動けば同じように左右に動き、進路を塞ぐ。
「大切なものを失えば、残るのは悲しみとやりきれなさだけだ! それでいいのかッ!?」
強い口調でロトスは言う。コールが回転を速め、爆発的加速の予備動作に入った。ワタルは大和錦の加速を維持し、はっきりとした口調で言葉を返した。
「……うん。だけどレースなら、それだけじゃ無いと、思う! 何か得るものが、他に残るものが、きっとある! 何も残ってないって思われてた山で、大和錦と出会って、ここまで来たんだもん! このレースの後でだって、きっと何かが──」
「──それは自分を納得させようとしているだけだ! 悲しみが無いに越したことはない! 甘い幸せの誘惑に手を伸ばさなければ、悲しみは起きなかった! ここでやめればお前は、失わずに済む!」
「何も、悲しいことが好きなわけじゃないよ。オレ、上手くいかなくてもやってみたいと思っちゃったんだ。やってみたら何があるか、知りたくなった! それで悲しいことが起こったとしても──」
「──小僧にはわからんのだ! 真の悲しさが! 失うことがどれほど辛いことか!」
コールが黒煙を吐いた。大きな爆発を起こそうとしている。
「小僧も失って、痛みをわかれ! コール、【ダスト・エクスプロージョン】!!」
ロトスは大和錦を砕くため、コールに爆破攻撃を指示した。しかし、いくら待っても、コールは爆発しない。
「どういうことだ!? 何が起こって……!?」
コールの周りに炭塵が発生していない。
「?! まさか……!」
すでにコールは、大和錦から剥離した金でストーン表面を完全に覆われてしまっている。これでは炭塵を展開できず、爆発が起こせない。
「小僧! 邪魔を……するな!」
ロトスは金を取り除くようコールに動き回らせるが、大和錦が前にいる限り、上塗りされて続けてしまう。
大和錦が加速し、コールを引き離した。
「わかっているのか?! その技は、俺と同じだ! 身を滅ぼす捨て身の技だ!」
ロトスが叫ぶ。視線の先を進む大和錦は、もうコインほどの大きさもない。
『ついに両選手が港に入った! ゴールまであと一キロメートル! このまま大和錦が逃げ切るかっ、それともコールが巻き返すのかっ!!』
大和錦とコールが、港と運河との境界線を越えた。運河を一キロメートル進んだところに、ゴールラインはある。特設観戦席になっている河の両岸から、割れんばかりの歓声が二人と二つのストーンに降り注いだ。
「やめろ小僧ッ!」
ワタルとロトス。二人のフロートが、水面に投影された白黒模様のゴールラインを越えた。一瞬の静寂の後、地響きのような歓声が辺り一面に巻き起こる。
『ゴーーール! 最初の到達者が決定!! 激闘を制したのは――』
実況の声がかき消されるほどの歓声。騒々しい会場の中でロトスは、はっきりとワタルの言葉を聞いた。
「──オレ、わかったんだ。離れ離れになることなんて、ないんだって」
ワタルは微笑んでいた。ロトスにはそれが、納得できない。
「俺は認めん、こんな結末など~~」
ロトスはワタルに何かを伝えようとしたが、勝者を取り囲むインタビュアーやカメラマンによって遮られてしまった。
――数時間後、ゴール付近――
「ここまで案内ご苦労だったな! 停戦協定はお終い! 満漢全石ッ【兵馬俑】!」
燕青が技を発動。満漢全石が放つ怪しげなオーラが海水に触れ、海水は槍を装備した兵隊の形に変化する。兵隊はフロンティアスピリッツとギフトを取り囲んで並走、ほどなくして一斉に突撃した。
「肩慣らしにいい的だ! くらえ、【ウォーターマグナム】!」
ルーカスはそれに少しも動じない。フロンティアスピリッツから発射された水弾が、兵隊を貫いた。
「所詮はただのオブジェだぜ! そらそら、粉々になりなァ!!」
次々に放たれる水弾が、兵隊達を砕いていく。兵隊をひとしきり倒すと、ついでとばかりにギフトを撃ち、遠くへ吹き飛ばした。
「フンッ、余裕をかましているのも今だけ! 【兵馬俑】の真の恐ろしさを味わうがいい!」
燕青が再び、数百、数千の兵隊達を新たに作り出す。
「海水があるだけ作れるってか? まぁこっちも、水がある限り弾切れなんてしねェがな! どっちがもつか我慢比べか、それとも――」
鋭い水弾が満漢全石のすぐそばを掠める。
「――将を落として、すぐにでも終わらせちまおうかッ!」
ルーカスが挑発的な笑みを浮かべる。燕青は一瞬驚きながらも、同様に笑みを返した。
「一騎当千なんて物語の中だけ。いい加減夢から覚まして――」
「――……アー、盛リ上ガッテイルトコロ悪イガ。オ前タチ、本当二気ヅイテナイノカ?」
張り詰めた空気に、シブシソが割り込む。どこか緊張感がなく、苦笑いを浮かべていた。
「あァ?」
「なんのことカ?」
ルーカスと燕青がシブシソを睨みつける。ブシソは構うことなく、手元の通信機についている時計を見た。
「サン、ニ、イチ……」
「はァ?」
「何を数えて──」
「──マァ、ウン。イイ勝負ダッタナ」
通信機の画面に『連続競技時間超過』の文字が浮かぶ。対象は燕青とルーカス。二人はここまで一睡もせずに戦い続けており、競技状態が二十四時間を超過した。
そのためこれから四時間、強制巡航状態に移行する。
「なんで牛ヤロウは制限かかってねぇんだ!?」
ルーカスはシブシソを問い詰めた。シブシソは呆れ顔だ。
「何度モ休ンデイタダロウ! オマエ達ガ小競リ合イヲシテイル間ニ!! ルートは送ルヨウニシタカラ、参考ニスルト良イ」
その会話を最後に、シブシソはルーカス達を引き離した。実際には、巡航に入ったフロンティアスピリッツと満漢全石が、勝手に速度を落としただけだが。
「テメェが突っかかってきたからだぞ! 燕青!!」
「突っかかってきたのはそっち! あぁ、朕の連続優勝が……」
「なんでニックは黙ってたんだ! ……って、通信障害かよッ。オーマイゴッド……」
どんどん小さくなっていくシブシソの背中に、ルーカスと燕青は嘆くばかり。このまま二人は、強制巡航のままゴール地に到達する可能性することになる。長い競技史でも前代未聞の出来事だが、二人はまだ気が付いていない。
「あら? 二人仲良くお休み? じゃ、ワタシは先に行かせてもらうわね」
ルーカスと燕青の後ろから、女性の声が聞こえた。
「「!? この声はイザベ――」」
聞き覚えのある声に、ルーカス達は振り向こうとした。しかしそうするまでもなく、イザベルはサッと二人を追い抜いていく。追い抜きざまにイザベルは言った。
「勝負は最後まで諦めないものね。アナタ達も、最後まで諦めなければいいんじゃない? 巡航のまま勝負がつくなんて、ある意味歴史的だし」
髪をなびかせ、イザベルは去った。嵐も抜け、穏やかさを取り戻した海に、ルーカスと燕青はポツンと二人、取り残される。
「ルーカスが通信できていれば、こんなことになってない。だから、ルーカスのせい!」
「あァ!? テメェは邪魔しかしてこなかっただろうが!」
付近に誰もいなくなっても、ルーカスと燕青は言い争いを続けた。他にできることが二人にはなかったからだ。
――
『上位五名の入賞を争って、先頭集団がぞくぞくとゴールに集まってきたァ! まず見えてきた二つのストーンは……、シブシソ選手操る、大地のストーン【ギフト】と、イザベル選手が操る、リタイヤ知らず【ラリー・ダカール】だァ!!』
ゴール前で、シブシソとイザベルがデッドヒートを繰り広げる。ここにたどり着くまでに幾度となくぶつかり合った事が、両ストーンの損傷具合から伺える。
「ウォォ、ワタシは負ケル訳ニハイカナイ! セメテ、賞金ダケデモ!!」
「負ける訳がある人なんていないわよ! 私だって、強くなったところを見せなきゃならないんだから!!」
競り合った二つのストーンは、ほぼ同時ともいえるタイミングでゴールラインを越えた。二人は息をのんで、ゴール会場の巨大モニタに目を向ける。
しばしの間をおいて映し出された文字と映像を見て、シブシソは安堵し、イザベルは悔しそうに拳を握りしめた。
──
『さァ、二人の選手が辿り着いたぞォ!』
「朕がルーカスに遅れを取ることなどない!」
「あァ!? それはこっちのセリフだ、燕青!」
シブシソ達がゴールしてから三時間超が経過して、言い争う二人の選手がゴール会場に姿を現した。燕青とルーカスだ。
「朕が引導を渡してやる! コレで引退するが良い!」
「てめェをぶっ飛ばす力くらいはあらァ!」
白熱した様子の二人に、観客の視線も集まる。
『前回大会で燕青選手に優勝を阻まれたルーカス選手は、因縁を感じていることでしょう! 今回の勝負を制するのはどちらか。火花散る競り合いが繰り広げられて――』
実況はそこまで言うと、目をぱちくりとまばたきさせた。モニタに映し出されたのは、バリアに守られたまま、単調に跳ねる二つのストーン。速度も速くない。
『――ない! えー……失礼しました。両選手は現在、連続競技時間超過による強制巡航状態です。手元の時計を見ますと、あと二十秒はこのまま。つまり、通常状態に復帰してゴールまでの猶予は二、三秒あるかどうかでしょう』
実況が話す間に、両ストーンはゴールまで十メートルもない位置まで来た。僅かに満漢全石が先行しており、フロンティアスピリッツが追う格好となっている。
司会の言のとおり、仮に強制巡航が解除されても、勝負の時間は数秒ほど。
「くっはっは、これで天才ルーカスも終わり!」
燕青が振り向いて笑う。僅かに生まれているリードで逃げきるつもりだ。しかし笑いながらも表情に余裕はない。瞳は、ゴールラインとフロンティアスピリッツとを交互に、せわしなく動いている。
対するルーカスは声を張り上げることはもうせず、フロンティアスピリッツを見つめて息を落ち着かせた。
「……フロンティアスピリッツ、撃てるのは一発だけだ。いいな?」
「……コレが最後ヨ、満漢全石」
時計の秒針が進み、強制巡航の解除を知らせるアラームが鳴る。その瞬間に動き出した両ストーンによって、ゴールラインの上に水柱が上がった。
『なんと、今の一瞬で動きがあったァ!? フロンティアスピリッツと、満漢全石の圧巻の攻防! まず巡航解除と同時に、フロンティアスピリッツから放たれた水弾が――』
モニタにスロー再生の映像が流れる。そこには、フロンティアスピリッツが放った水弾を跳躍して回避する満漢全石の姿が映っていた。はずなのだが、ゴール後の燕青は唖然とした表情をしており、競り合いはルーカスが制したことがわかる。
フロートを降り、スポンサーボード前に来たルーカスと燕青に、スーツ姿の記者達が集まり、インタビューが始まった。
「ルーカス選手! 最後はいったいどういう方法で、満漢全石を退けたのですか!!? 水弾は、避けられていましたよね???」
息つく間もなく記者に詰め寄られたせいか、ルーカスは少し不機嫌そうにした。
「……海面に着弾した時の水飛沫を使って、満漢全石を打ち上げた。避けられた時のリカバリー手段だったが、上手くいったよ」
ルーカスは派手なパフォーマンスをせず返答。顔には疲労の色が見えており、短く切り上げて欲しいと言わんばかりだ。記者は構わず食い下がった。
「レース中、頻繁に燕青選手から煽られていましたが、最後に足元を掬ったわけですね?」
その言葉に、ルーカスは更に機嫌を損ねた。無視してサポートチームのクルーザーに引き上げようとしたが、カメラが集まっているのを見て仕方がなさそうに口を開く。
「最後は、侮られちゃいねェぜ」
離れた位置にいる燕青をチラリと見た。
「余裕がない顔してたろ、アイツ。精一杯やってたんだ。だからアイツは、オレ様の渾身の一撃を、避けることができた」
記者も燕青に視線を向ける。燕青もまた、記者に取り囲まれていた。
「……どう……油断……で……?」
「朕は……から……油断……ウッカリ……ワッハッハ」
周囲のざわめきで、会話内容ははっきり聞こえない。燕青はゴールした瞬間こそ茫然としていたが、記者の前にした横顔は、いつもと同じ尊大な笑みを浮かべている。
戦いを終えた満漢全石を片手に、カメラに見せびらかしていた。
「我々には、普段通りの調子に見えますが……」
記者はそんな姿を見て苦笑い。ルーカスは一度溜息をつく。
「……はぁ。そんなもんかねェ」
記者と違い、ルーカスの視線は燕青の背中側に向いていた。後ろ手に握りしめられた、震える拳。言葉よりも雄弁に、気持ちを表している。
「さてと。この辺で勘弁してやってくれ。ゴール直後の選手に対する質問は手短に。グレートジャーニーのマナーだろ?」
諭すように話し、ルーカスはチームのクルーザーに戻ろうとする。記者は少し残念そうにしながら、インタビューを締めようとした。
「……以上、四位入賞ルーカス選手へのインタビューでした! それでは――」
「――! 今何て言った!!??」
記者の言葉をルーカスが遮る。
「オレ様が四位ってのはどういうことだ!? オレ様達の前は四人のはずだろ!!」
記者の襟首を掴み、揺すりながら捲し立てる。声を聞いたのか、燕青も寄ってきた。
「そう! 朕の前にはルーカスを入れて五人いるはず!」
「ど、どうもこうも、ルーカス選手達の前にゴールした選手が、三人だってことで……」
「それがおかしいって言ってんだろ!」
返答に対して、ルーカスと燕青は続けざまに反論した。記者は言うことを変えず、再度二人に説明する。
「だから、お二人の前にゴールした選手は三人しかいないのですっ! 三位はイザベル選手、二位はシブシソ選手。そして一位がロトス選手。コレが結果です!!」
「「!!??」」
ルーカスと燕青は顔を見合わせた。モニタに映る順位表も、同様の情報を表示していた。
──
『これより、表彰式に移ります。栄えある最初の到達者から、メダルと賞品を~~』
ゴールにたどり着いた順番で、選手達が表彰台に上がる。凸型の表彰台の中央、一番高いところが優勝者の立ち位置。それ以降、五位までの選手が段違いで左右に並んでいく。
先に壇上に上がっている優勝者に、後続の選手達が一言声をかけてから自身の位置につくのが大会の慣例だ。
最初にロトスが上がり、シブシソ、イザベル、ルーカス、燕青が表彰台へと進んだ。まずはシブシソが、壇上のロトスに声をかける。
「優勝オメデトウ、ロトス選手ヨ。シカシ、ドコカ不満ソウダナ? 気ニスルコトハナイ。コレハコレデ、意義深イモノダ」
「貴様こそ、よくゴールまで辿り着いたな。……貴様は地域や部族のために、優勝せねばならなかったのだろう? 二位で足りるのか?」
意外にもロトスは、シブシソのことを少し気づかった。
「案ズルナ、コノ順位ニモ意味ガアル。ソレヲ考エルサ」
シブシソは笑顔でロトスの横に立った。次に、三位のイザベルが表彰台の前まで歩いてくる。
「ラリーや皆をむやみに傷つけたアナタのこと、私、正直嫌いだけど……」
イザベルは厳しい視線をロトスに向けた。話をするのも、あまり気が進まない様子だ。
「でも、命がけでやってたんでしょ? そこだけは、認めてあげるわ。おめでと」
ぷいとそっぽを向いて、イザベルは表彰台に上がった。ロトスは少し間を置いて返答する。
「……あぁ、命がけだ。それだけは絶対に違わない」
特別反応を示すことなく、イザベルは観客席やカメラに向かって手を振った。
「ハッ、嫌われてんなァ。ま、オレ様もテメェのこと、好きじゃあねェけどよ」
次はルーカスだ。茶化すような笑みを浮かべている。ロトスの近くまできてはいるものの、カメラや観客に手を振ってばかりでなかなか進まない。
「さっさと済ませろ。俺には時間がない」
「全くどいつもこいつも、自分のことばっかだなァ! 観客沸かせなくて何が世界大会よ!」
急かされたルーカスはぶつくさと文句を言いながら、小走りでロトスにかけよった。小声で会話できるほどの距離まで来ると、急にマジメな顔をした。
「……ワタルと、つまんねェ戦いはしてねェよな?」
ルーカスの問いに、ロトスは真剣な表情で返答する。
「……お互い死力を尽くした。最後の最後までな」
「ならオーケーだ! お疲れさん!! 記念にオレ様の連絡先をやるよ!」
返答を聞いたルーカスは満足気に笑い、電話番号が書かれた小さな紙きれをロトスに渡した。そして再び小声で話した。
「グローリーアイランドの交渉事で困ったら、オレ様に聞きな。国の連中ってのはどいつもこいつも厄介で鬱陶しいからよ」
「貴様……」
少し感心した視線をロトスが向けた時には、ルーカスは自分の位置に立って大げさに観客へ手を振ったり投げキッスをしたりしていた。
「何を勝ち誇った顔をしている! そこは朕の席だったハズなのに……!」
最後に声をかけたのは燕青だ。明らかに悔しそうな顔で、ロトスをじっとりと見ている。
「結果は結果だ」
ロトスは短く返した。
「すぐに正論で返すなんて詰まんないやつ。『えんたーていめんと』が、わかってない! 競技者にはそこも大切なところで……って、もうっ、最後まで──」
スタッフに急かされ、燕青は足早に自分の位置に移動した。
皆が揃って表彰式は始まり、ロトスから順にメダルと賞品が贈られる。賞金に加えて、優勝者に送られる特権【グローリーアイランド】の、次回大会までの権利を示す書面が手渡された。
二位以下の選手にも、順位に応じた賞金と副賞の類が送られ、以降はセレモニーや大会主催の挨拶など、プログラムどおり表彰式はつつがなく進んだ。
――
グレートジャーニーは、最初の到達者が決まった日に表彰式が行われる。上位の十二名までが賞の対象で、一位と同日にゴールできれば同じタイミングで表彰される(同日に到着できなかった場合は、到着次第簡易的に表彰)。
つまり、この時点で一番の催事が終了したことになる。と言っても入賞選手向けの記念パーティなどはあるため、上位選手達はすぐに帰国せず、クルーザーハウス等の自国拠点に滞在していた。
「小僧、ここにいたのか」
陽も落ちた頃。ロトスは、港の端に座って海を見つめるワタルに声をかけた。二人が話すのは、レースの終わり際に言葉を交わして以来だ。
「あ、ロトスさん。いいの? 取材とか、メディカルチェックとか……」
「メディカルチェックは済ませた。取材はくだらんからキャンセルだ」
「えー、せっかく優勝したんだから、楽しめばいいのに。でも、これからパーティなんでしょ? いいな~。美味しい料理、出るんだろうなぁ~」
ワタルは今までと変わらない無邪気な調子で、入賞者のパーティを羨ましがった。
「小僧もあんなことをしなければ、二位には──」
「──ロトスさんが気にすることじゃないよ。勝ちたくてつい、熱くなっちゃっただけ。オレも、大和錦もね」
そう言ってワタルは、海の彼方を見つめる。その手に大和錦は無い。ロトスの頭に、ゴール直後の会話が蘇った。
――
─
『激闘を制したのは、ロトス選手とその相棒、【コール】だァァァァァ!!!』
「俺は認めん、こんな結末など! いずれ自壊していた俺の側に、どうして立ち続けた! 身を削ってまで、どうしてコールを生かした! いや、それよりも――」
ゴールラインを越えた後、ロトスがワタルに問いかけたこと。
「――俺との戦いのために大和錦を失って、本当にそれで良かったのか!?」
――
─
ゴール後の慌ただしい対応で、答えは聞いていない。
「なぁ、小僧よ」
海を眺め続けるワタルに、ロトスが問いかける。レース中と違い語気は強くない。
「お前は、何のためにこの大会に出た?」
ワタルは眉間に皺を寄せて考えた。
「出たかったから、かなぁ……。どうして、って言われると……」
そのままワタルは、しばらく考え込む。幾度か頷いた後、にこやかに話した。
「一番大きなレースで、凄い人たちと勝負したかった、んだと思う! 世界一の水切り選手になるために!」
「……そうか」
ロトスの目は、憑きものが落ちたように穏やかだ。顔つきも険しいものではない。
「良い勝負は、できたか?」
「もちろん、面白い勝負ばっかりだったよ! スタート早々に海が割られたり、割れた海底を跳ねるストーンがいたり、母ちゃんと知り合いの人がいたり、氷に雷に~~」
レースのことを思い返して、ワタルは次から次へと話した。ロトスは、そんなワタルの話を、ただただ静かに聞いている。
「~~って、オレばっかり話しちゃったね。ロトスさんは、大会、楽しかった?」
不意の質問に、ロトスは面食らった顔をする。
「俺か? 俺は……」
思ってもみなかったことを聞かれ、考えながら答えた。
「……【グローリーアイランド】を勝ち取ること、そして、俺達が苦しむ原因を作った先進国に復讐すること。これが俺が、大会に出場した目的だ。目的を達した、という意味では良かった。……が」
波音だけが聞こえるほど静かな時間が流れる。
「小僧が聞きたいのは、そういうことではないのだろう?」
ロトスは、ワタルの横に腰かけた。
「身体の痛みで、レース中はずっと苦しかった。何度も吹き飛ばしたのに、食い下がり続ける奴らばかりで、息をつく間もなかった。こんな遊びに興じる奴らが許せなくて、腹が立った。……俺は、島民を苦しめる状況を変え、幼くして死んだ妹に報いるため、戦いにきたんだ。楽しむなんてことは、許されるハズがない」
ローブの袖から、金色の小石になったコールを取り出して眺める。その表情が険しかったので、ワタルは視線を足元の海に落として寂しそうにした。
「そっか……。少し残念だけど──」
「──だがな、小僧」
ワタルの言葉を遮って、ロトスは続きを話す。
「正直に言うと、少し、楽しかった」
そう言うとロトスは、少しだけ笑った。手のひらのコールと、遠く広がる海とを、満足そうに眺めている。
「途方もなく遠くのゴールを目指して進む、苦しい日々。全力で放った技が凌がれた、ひっ迫感。相手を退けたときの高揚。どれもが俺を夢中にさせてくれた。身体の痛みも、忘れるほどに。……熱中していたんだろうよ。そうじゃなければ、きっともたなかった」
コールを二、三度、空に向かって投げてはキャッチし、ロトスは一つ一つの言葉を噛みしめる。
「最後はあんなことを言ったが、正直なところ、何のために戦っていたのか忘れてしまっていた。……だろう? コール」
夜の海に向かって、ロトスはコールを投じた。海面に弧を描いて跳ね、コールはロトスの手に戻ってくる。コールの表面を覆う金箔が煌めいた。
「ロトスさんは、これからどうするの?」
「決まっている。グローリーアイランドから得られる財を使って、マギルダスト島を穏やかな島にする。猶予は三年しかないからな」
「そっかぁ、それは大変そうだね。体のこともあるし、水切りはしばらくお休み?」
「わからん。もうこの体は使い物にならないかもしれないからな。……だが」
ロトスはまっすぐ、ワタルの目を見た。
「小僧と戦えるなら、次の大会を目指してみてもいいかもしれん」
次回大会まで三年、ロトスにはその間に故郷の立て直しや治療など、解決しなければならない課題が山積みだ。それでも、ワタルと戦いたいという思いを口にする。
それを聞いたワタルはなぜか、寂し気な顔をした。
「……その、次回大会だけどオレ、出ないんだ」
「……は?」
ワタルは立ち上がって少し歩き、背を向けたままでいる。ロトスは困惑して問い詰めた。
「この大会で満足したのか? それとも、ストーンのことが……」
「いいや、違うよ。次は出られないってだけだから」
「違う? 何が……? ……ん? 出られない??」
言動の中に引っかかるものをロトスは感じた。しかしワタルは説明することなく、走り出してしまう。
「ごめんねっ。ヒアリングがあるから行かなきゃ。ロトスさんも元気で!」
「おいっ、小僧、待て!」
ロトスは去っていくワタルを追いかけようしたが、骨折だらけの体では満足に走れず、すぐに見失ってしまった。
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