第八投 大和錦

──二年前・日本某所・雪国──


 一台の大型トラックが雪景色の中を進む。少し暑いくらいに暖められた運転席では、車載オーディオで演歌がかけられていた。


「おーいっ、もうすぐ着くぞ。起きな、ワタ坊」


 ハンドルを握る短髪の中年男が、助手席で眠る男の子に声をかけた。男の子はなかなか起きなかったが、しばらくして目を覚ました。


「うーん。……あれ? オレ、ねちゃってたんだ。……あ!」


 男の子は寝ぼけ眼でいたが、窓の外を見て驚き、明るい声を上げた。


「すっごい真っ白! それに、山!」

「まぁ、田舎も田舎っていうか……。閉じた鉱山は、大体こんなもんだな。爺の代まではいくらか人がいたが、今は寂しいもんだよ。管理する人間がいないから、ただの雪山だ」


 窓の外は一面の雪景色。そして少し遠くに、鉱山と言われた山々が広がっている。それからしばらく進み、鉱山の入口付近の、もう使われていなさそうな事務所前に大型トラックは停車した。


 ここまで、民家どころか対向車もないほどで、とても静かな場所だった。


「よっし、無事到着だな、ワタ坊。爺に挨拶しとけよ」


 男はトラックを停車させた後、携帯電話を取り出しながら、男の子に声をかける。


「ありがとね、マッちゃん! 夏の時も……」


 男の子は荷物をまとめながらお礼を言った。運転席の男はニッコリ笑顔だ。


「子ども一人なんて誤差ってもんよ。それよか、今度は相棒、見つかるといいな、ワタ坊!」


 男の子の名前はワタル。年齢は十歳になる頃。両親の知り合いのつてで、トラック運転手をしているマっちゃんに同乗させてもらい、水切りに使うストーンを探して北の雪国まで来た。夏休みにも一度訪れており、今回で二度目。今は冬休みのため短い滞在になる。


「うん! なんだか今回は会える気かするんだ!」

 ワタルはマッちゃんに元気よく答え、ドアに手をかけた。


「そうそう」

 降りようとするワタルに、マッちゃんが声をかける。


「今じゃサッパリだが、爺の山、希少なモノもあったらしいぜ。見つけたら水切りよりも普通に売った方がいいくらいだってさ。まっ、詳しくは爺に聞いてくれ! がんばって探せよ!」


 マッちゃんはそう言い、取り出した携帯電話を操作し始めた。


「へぇ~。楽しみ! ……ずっとほり出されなかったヤツもいるのかなぁ」


 ワタルは少し寂し気にした。受話器に耳を傾けるマッちゃんは、話半分で答えた。


「ん? あるんじゃないのか? 見つかってない鉱脈だってあるだろうし『作業性が悪くて儲からねぇ』って、ほっぽってるのもあるだろうさ」

「みんなほり出されて、残されたヤツはさみしいかなぁ」

「さぁどうだか……、あっ、ミキリさん──」


 鳴らしていた電話がつながったようで、話は宙に消える。


「──今到着したんで、ワタ坊、降しとくよ。爺には世話するよう言ってるから……。いやいや、気にすることないって~~」


 マッちゃんは、ワタルの母ミキリに到着した旨を連絡している。しばらく話したあと電話を切って、ワタルに声をかけた。


「じゃ、おれっちは仕事があるから、もう行くぜ。爺は事務所で待ってるそうだ。危ないから一人で出歩くなよ? この辺は熊が出るぞ」

「うん、ありがとね! マッちゃん!」


 高い乗車スペースからステップを降り、ワタルは事務所前に立ってマっちゃんに手を振る。マっちゃんは一度ホーンを鳴らして、トラックを出発させた。

 大きなリュックサックが、雪道を進む。道路の近くは雪かきをしてあったが、事務所の入り口がある山よりの場所は手付かずで、ザクザクと雪に足が沈んだ。


「うー、さぶっ。でも……!」


 ジャンパーのフードを目深にかぶり、手袋をした手で顔を覆う。刺すような寒さに体を縮ませるワタルだったが、表情は明るい。


「今回は、会えそうな気がする!」


 目の前に広がる山々に目を輝かせ、たどたどしい足取りで事務所に向かった。辺りには、雪道を進む自分の足音だけが響いている。足を止めた時に訪れる静寂に、時が止まっているかのような感覚がした。


――


「じーちゃん! まきはこっちに置いとけばいいの? あと、炭は――」

「――薪はそこ。炭もそこでええ。それよかワタ坊や、山、いかんでええのか? 今日は雪、酷くないぞ」

「うぉっ! 忘れてた! 山、行きたい!」


 両手いっぱいに抱えた薪を、老人が指示した部屋の隅に置き、ワタルは慌てて家の裏手にある小さな倉庫にかけて行った。老人はマっちゃんの血縁者で、質素な暮らしをしているが、付近の山の権利を有する地主だ。


 ワタルが出ていったのを見た老人は、『よいしょ』と一息入れて立ち上がった。壁にかけてある、蓑と獣の毛皮で作られた防寒具を着込み、鍵のついた箱から、袋に覆われた猟銃と手帳型の許可証を取り出した。


「じーちゃん準備はやっ! オレもすぐに支度するよ!」


 炭を取って戻ってきたワタルが、荷物をまとめる。懐中電灯、カイロ、水筒、鈴などをリュックサックに詰め込んでいく。


「ヘルメットも忘れんようにな。軍手は二重に履け。坑道は狭いぞ」


 老人はワタルにヘルメットをかぶせ、一足先に家を出た。


「待ってよじーちゃん! リードはいらないの?」


 外に出た老人に声をかける。老人は『必要ない』と首を振り、土間に敷いた毛布で寝ていた白毛の犬の綱を外した。犬はサッと立ち上がり、老人と一緒に山へと歩き出した。


「オレが散歩する時は言うこと聞かないのに……。って、待ってよじーちゃん、コタロウ!」


 支度が済んだワタルは急いで、老人と犬(コタロウ)を追いかけるのだった。


――


 しばらく山を進み、坑道の入口が見えてきた。老人はコタロウを入口に待たせ、ワタルに尋ねる。


「ワタ坊は、何を探しとったんかな」

「水切りのためのストーンだよ! 日本代表をめざしてるんだ!」


 ワタルは即答。やる気に溢れているようで、鼻息が荒い。


「ふむ……、水切りかい。それなら良い石、必要じゃろうが……」


 坑道に入りながら、老人は不思議そうにした。


「わざわざこんなところまで来なくてもええんじゃないか? ざんざん掘りつくして、もう何も残っとらん」


 言葉どおり、ワタル達が入った鉱山はかなり昔に閉山しており、坑道内部にめぼしい鉱石は見当たらない。見当たるのは採掘した際にどけられた土砂や、岩石ばかり。


「そんなことないよ! ほら、これとか、イイ感じだし」


 ワタルは足元や坑道の内壁からストーンを掴み取り、懐中電灯で照らして見せた。丸みを帯びたストーンや、硬度の高いストーンなどがある。


「石英か。そら、遊びで使うならまだしも、世界は厳しかろうて」


 拾い上げたストーンに対して、老人は興味を示さず坑道を奥へと進んで行く。


「そうかもしれないけどさー。でも、良いストーンなんだよー」


 老人を追いかけて、ワタルも坑道の奥へ進む。しばらくは採掘用に整備された道が続いたが、だんだん狭くなっていく。


「ここまでじゃな。これ以上は、崩れるかもしれん」


 人がギリギリすれ違えるくらいの場所まで来て、老人は近くの岩に座り込んだ。


「奥までは行くな。崩れて生き埋めになったら、助けられんからな。掘るときも注意せえ」

「うん。気を付ける。土砂くずれになること、多いもんね」

「覚えているなら、よし」


 座っている老人を横目に、ワタルは穴を少し進んだ。足元や壁、天井など隅々を懐中電灯で照らして目を凝らす。ストーンを見つけて拾い上げたり、掘り出してみたりした。


「昔は日本中で色んなもんが採れとった。もっと大昔は、それこそ黄金の国なんて呼ばれておったり……」


 物思いにふけりながら、老人は辺りを見回す。


「黄金の国? どういうこと?」


 ワタルはストーンを拾い上げながら尋ねた。


「夜にでも話しちゃるよ。……ここも随分と寂しくなった。採掘に集まったもんも、人がおったから集まったもんも、みーんなどこかに消えてしもうて」


 老人は昔の、山が賑わっていた時のことを懐かしんだ。採掘用のレールや道具の一部が放棄された坑道を見つめる瞳は、寂し気だ。


「うぉー!! なんかすっごいストーン、見つけたかも!!!」


 坑道内に、ワタルの声がこだまする。求めていたストーンを見つけて、興奮して喜び叫んでいる。


「なんじゃワタ坊、良い石、見つかったんか? ……はて? こんな場所、あったか?」


 立ち上がった老人は、首をかしげながら近づいた。ワタルは老人には近寄り難い場所にいて姿は見えないが、懐中電灯で照らされた壁に巨大な白いストーンが埋まっているのが見える。


「……そう騒ぐほどか?」

「良いストーンだってば! よーし! ほるぞ!」

「マサルがまた来るんは週末らしいが、間に合うんか?」


 ストーンに対して、老人はそれほど価値を感じていなかった。しかしワタルは気にせず、目を輝かせて熱心に掘っている。その日からワタルは、そのストーンを掘り出すため、雪が酷い日以外は連日、山に通い続けた。


――


「じーちゃん! キツネがいたよ! キツネ!」

「そりゃおるよ、山じゃから。病気もらうから近づくな」

「キツネもたいへんなんだねぇ」


――


「じーちゃん! この山すごいよ! アレ以外にもこんなにたくさん!」

「昔の名残じゃ。それよか、まだかかりそうか?」

「思ったより大きいんだよね。でも、きっとものすっごいよ!」


――


「ワタ坊や。今日は雪が酷いから外に出たらいかんぞ。家の近くでも遭難しかねん」

「うん。今日は冬休みの宿題、やってようかな」

「良い心がけじゃ。水切りばっかりもいかん。ワシは作業場におるから、何かあったら声かけな」


――


「よっしゃ! 雪落ち着いたし山行こう! じーちゃん!」

「今日は掘り出せるとええの。ほれ、これ使い」

「ほる道具作ってくれたの?! すごい! 使いやすい! ありがとね!!」


――


 そうこうしているうちに、マッちゃんのトラックに乗って帰る日になった。掘っていたストーンは、あと少しで掘り出せそうな状態にはなっているものの、なかなか最後のひと堀とはいかないでいる。


「間に合うかなぁ。なぁお前、一緒に水切りしようよ~」


 少し焦った顔で、ワタルはストーンに話しかけながら作業を続けた。老人はいつものようにワタルより手前の位置で座って、掘り返す作業を眺めていた。


「……ワタ坊はこんな何もないとこ、よう退屈せんな」

「退屈? なんで?」

「山と雪しかないから、ツマランじゃろう。じゃからみんな出て行ってしもうた」

「オレはここ好きだけどなぁ。オレ、山も雪も好きだよ」

「そんなものどこにだってある。街に比べて、面白くもなければ真新しさだって――」

「――あっ」


 ワタルが声を上げた。ようやくストーンが掘り出せたのだ。


「やった! 見てよこれっ、めちゃくちゃ重たい! こんなストーン初めて!!」


 両手サイズの白いストーンを重そうに抱えて、ワタルは誇らしげに老人に見せる。


「……。……? ……これは! 確かに、見た目より良い石じゃ。地下水で沈んで、掘り出されんで残っとったんか。この山にこんなモンスター××××が……」


 老人はストーンを見て、ハッとした表情を見せた。ワタルは、興奮して大喜びしている。


「良いストーンに出会っちゃったかも! 世界大会、出れちゃうかな?!」

「そりゃわからん」

「えー……」


 喜び勇むワタルをたしなめるように、老人が言った。ワタルはしょんぼりする。


「……世の中わからんことだらけじゃから」


 老人は、続けて語りかけた。


「出るだけじゃなく、案外イイ線、行けたりしてな。小学生が世界で良い勝負するなんてことも、世の中意外とあるかもしれん。誰も気づいとらんだけで」


 そう言って、老人は坑道を出口の方に進んで行った。


「うおお! オレ、もしかするとできちゃうかも?!?!」


 ワタルは気持ちが盛り上がり、抱えたストーンを頭上に持ち上げる。


「ま、ワタ坊がそれかは、わからん。前例がないってことは、難しいんじゃろ」


 老人が言うとワタルは手を滑らせ、ストーンをヘルメットで受け止めた。


「痛ったァァァァ!!」


 坑道中に声が響く。老人はその様子を見て、少しの間ケラケラと笑う。


「まぁ、けっぱりよ、ワタ坊。新しい世界を見つけるとええ。……埋もれてくすぶっとったソイツと、一緒にな」


──


――現在・中国近辺洋上──


『苛烈な先頭争いから一夜明け、二つのストーンが優勝を争い進むゥ! 最初に大地を踏みしめるのは、どちらの選手か! 水切り世界大会グレートジャーニーも、いよいよ大詰めだァ!!』


 実況が高らかに煽ると、朝もやを割いてストーンが飛び出した。優勝争いを繰り広げるストーンと選手の雄姿を収めるため、海上には多数のカメラドローンが飛び交っている。ゴールが近いこともあり、多くの観客を乗せた船もあった。


「……日の出だ、小僧。約束通り決着をつけようではないか」

 ロトスが言う。笑みを浮かべてはいるものの、真剣な瞳で前を見つめていた。


『先に姿を現したのは、マギルダスト島代表ロトス選手と、数々の強豪ストーンを打ち砕いてきた、爆裂ストーン【コール】!! そして、それに続くのは──』


 少し遅れて、朝もやからもう一つストーンが現れた。小さな影が海面に落ちる。


「勝っても負けても、恨みっこなしだよ!! いこう、【大和錦】!!!」

 ワタルの声。小ぶりなストーンは、閃光のような鋭さで前進した。


『──日本代表ワタル選手と、驚異の粘り腰を見せる大型ストーン【大和錦】! ……ん?! この姿は、もしや……!』


 カメラの前に姿を現したのは、滑らかな曲面と光沢が美しい、こぶしよりも少し小さいサイズの扁平型ストーン。スタート時の無骨な巨体とは、その見た目は全く違う。


『この光沢、この煌めき……!』


 実況や観客、映像が中継されている各所で、大きなざわめきが起こった。


『金、黄金、ゴールド!! これがワタル選手のストーン、大和錦の真の姿だ!! その輝きはまさに、黄金の国(ジパング)! 煌めく金襴【大和錦】が、黒いダイヤ【コール】を追いかける!!!』


 先行したコールの隣に大和錦が並ぶ。大和錦の軌跡は、黄金の帯のように輝いていた。


──


 石英ボディの下から現れた、黄金の滑らかで美しい姿。それを見て、観客や実況は大いに盛り上がっている。ワタルはそれを珍しくなさそうに聞いた。


「特別すごくなったわけじゃないんだけどなぁ……」

 呟くように言う表情は寂し気だ。


「大和錦……。もう少しで、終わっちゃうね……」

 気持ちを切り替えるため、頬を両手で叩いて気合を入れる。


「……よし、行こう!」


 フロートを踏みしめる足に力を込めて、大和錦と共に前を向いた。目指すのは、ゴールの大地。そんなワタルに並走して、ロトスは大和錦に視線を向けていた。


「(小僧のは、やはり黄金か。遥か昔から現代まで、人々を惑わす富の象徴。俺達の島で取れていたものがそれだったら、何か違っていたか……?)」


 苦虫を噛み潰したような表情で、コールと見比べる。


「最後くらい役に立って見せろ。それが中途半端な成果しか出せなかった、お前の果たすべき役目だろうよ」


 ロトスの言葉から一呼吸おいて、コールは黒煙を吐き出した。回転速度を高め、並走する大和錦に接近する。


「そんな石、高価なだけで実用性などない! コール、削り節にしてしまえ! 【バケットホイール・エクスカベーター】!!」


 鋭い突進に対し、大和錦は今までとはまるで違う、圧倒的な俊敏さで左右に動き回避。影も踏ませない。


「ぶつかったら、今の大和錦はひとたまりもない! だけどッ!」


 大和錦が急加速し、コールの前に躍り出た。


「今までのよりも、かなり速いよ!!」


 金属ボディの滑らかな曲面により、今の大和錦は海面との抵抗を極限まで減らしている。得られた加速力は凄まじく、金色の残像が見えるほど。比重の重さにより跳躍の高さも低く、その速度は高速ストーンのフォーミュラ・ワンが記録した大会最高速度すら超えるものだった。


「後れを取るな、コール! 燃やせ、もっと、もっとだ! これで終わりなんだぞ!!」


 加速する大和錦に追いつこうと、コールは自身に発火、爆発させた。爆発により急加速を得ることに成功するが、代償は少なくない。


『レース終盤にきて、両ストーンともスピード勝負だァ! 先行する大和錦に、コールが追いすがる!! しかしコールは、爆発で自身を破壊してしまっているぞォ!』


 崩壊しながらも進むコールを、ロトスは見つめた。


「……それでいい、コール。俺達に次のチャンスはない。たとえその身が燃え尽きようとも、熱を、灯を、チカラを生み出せ!」


――同時刻・先頭集団後方――


「ちょっと、全然速度が出ないじゃない! これじゃあレースが終わってしまうわ!」


 海の真ん中を、やや大柄のストーンが一つ進んでいた。そばでは金髪縦ロールを風になびかせて、女性が声を荒げている。イザベルだ。


「〈こっちも一所懸命やってます! お嬢も原因わかってないでしょ!〉」

「そうよっ。わかっているけど、わからないんだからしょうがないじゃない! バランスも、表面のキズも修復したハズなのに、なんで速度が上がんないのよ……!!」


 イザベルは焦った顔で、サポートチームと口喧嘩をしていた。


「こうなったら無理させちゃうけど、このまま――」


 速度低下の原因は不明だったが、イザベルは無理やり加速させようとした。そんなイザベルに、前方から現れた男が声をかけた。


「――それはやめておいたほうがイイよ、マドモアゼル。ラリー君が可哀そうだ」

「そのおちゃらけた声は、ダンテね。忠言に悪いけど、ウチの整備は完璧。アナタに何がわかるっていうの?」


 気にしないそぶりでイザベルは返したが、ダンテは飄々とした雰囲気で話しを続けた。


「そりゃあわかるとも。ラリーの側面に食い込んだ小さなトゲが、悪さしているよね。トゲごと表面処理をしているみたいだけど、それならもう少し削らないと重心が――」


 一瞬見ただけで、ダンテは速度低下の原因を見抜いた。頼みもしていないのにペラペラと話してくる。


「――整備班っ、ダンテが言ってるのはホント?!」

「〈こちらからはなんとも、データ上ではバランスしていますが……〉」


 イザベルと整備班はデータを見たが、数値上は目立った乱れはない。


「データ上はバランス……。なら、ホントかもしれないわ! ラリー、側面を『大きく』削りなさい」

「〈体積の消耗を最小限に表面処理したんですよ!? どうしてそんな――〉」


 整備班が慌てる。だが当のイザベルは全く聞く耳を持たず、ラリー・ダカールを海にぶつけ、ふた回り近く削って形を整えた。


「ワーオ、お嬢さん結構やるネ!」

「アナタにしかわからない乱れなんだから、うちで微調整するのは無理。それならいっそ作り直すくらい削れば、トゲもとれちゃうでしょ? ……っと」


 再調整されたラリー・ダカールは、ソフトボール程の大きさから、拳に収まるほどの小ささになった。しかし速度は見違えるほどに回復し、スムーズに加速していく。


「よしっ、じゃあ行くわね。アナタ、敵に助言なんてしてよかったのかしら?」


 ヒントを与えたダンテに、イザベルは問いかけた。ダンテは何も気にする様子はなく、にこやかに返答した。


「今のは、僕たちが気持ちよく勝つための言葉だよ」

「勝つって……。アナタのストーン、ボロボロじゃない。どう考えたって、優勝争いには間に合わないわ」


 フォーミュラ・ワンは、しばらく前のバトルで損傷しており、スタート時の美しい流線型のボディは、キズだらけ。最速を誇った走りは見る影もなく、調整が済んだラリー・ダカールに引き離されている。


「そうだねぇ、一番早くゴールするって意味じゃあ、勝つのは無理かも」


 海面を跳ねるフォーミュラ・ワンが、ストーンバランスの悪さにより、跳躍の度にふらつく。ダンテはそんなフォーミュラ・ワンを見ながら苦笑いを浮かべた。


「だけどネ」


 ダンテが鋭い視線をフォーミュラ・ワンに向ける。反応したフォーミュラ・ワンは、海面でその身を擦った。数秒後、元の跳躍に戻ったフォーミュラ・ワンは、キズがまるで意匠かと思えるような、美しい姿へと変貌を遂げている。


「……なっ、アンタも良くやるわね。カッコよく仕上げたじゃない」


 イザベルは少し驚きながらも、どこか呆れた様子。ダンテはとても誇らしげにした。


「そりゃあカッコよくもするさ! 一番早くゴールするストーンじゃなくなっちゃったけど、ゴールした中で一番【魅力的な】ストーンってのは譲れないYO! ラリーも随分ステキなストーンになったけど、フォーミュラ・ワンだって負けないからね!」


 にこやかに答えるダンテを見て、イザベルは笑みを浮かべた。


「ふーん、そういうのも悪くないわね。……じゃ、ワタシは先に行くわ。アンタはまだ調整してくんでしょ?」

「もちろん!」


 先頭を追うため、イザベルはラリー・ダカールの速度を上げた。そして少しずつ離れていくダンテに向かって手を振る。ダンテはそれにウインクを返した。


「見た目がカッコイイだけじゃ、【スーパーストーン】は名乗れない! バッチリ調整して、大会最高瞬間速度、出しちゃおっかナ!」

「フフフ、なにそれ。じゃあね、伊達男。ワタシはワタルと、決着をつけにいくわ」


 イザベルは少し笑い、前方に視線を向けて拳をにぎる。


「……ワタル君かぁ。どうだろう、そこまでもたないかもしれないよ?」

「は?! それはどういう意味かしら?」


 ダンテの言葉に、イザベルは語気を強めて首を捻った。ダンテは手を左右に動かして、言葉を訂正した。


「失敬、君じゃなくてあの子らの話。でもレースは何が起こるかわかんないし、そうだな」


 そこまで話して、ダンテは明るい表情になった。


「やめとこ! 別れ際に無粋だったよ、ごめんネ」


 離れていくイザベルに向かって、ダンテは大きく手を振る。


「チャオ、マドモアゼル! ボンボヤージュ!!」

「言いかけてやめるなんて。……まぁいいわ、自分の目で確かめればいいことよ! アナタこそ、ボンボヤージュ!!」


 イザベルは少し考えたが、すぐに普段の顔つきに。追いかける彼女達もまた、ゴールまであと少しだ。


――ドラゴントライアングル付近――


 未だ三人の選手が、謎の悪天候と荒れ狂う海に悩まされていた。そのうち二人は、ずっと争い続けており、残りの一人はそこに加わることなく、静観している。


 燕青とルーカスと、シブシソだ。


「だぁー、もうっ! しつこい! いい加減沈メ!」

「テメェが突っかかってくるんだろうが! 邪魔すんじゃねェ!!」

「……夜モ明ケタトイウノニ、マダ争ッテイタノカ。ワタルがゴールしテシマウゾ?」


 シブシソは呆れた顔で眺めている。二人は私怨で争っているが、勝負以外の事情が争いの長期化に影響していた。


「そんなこと言ったって、どこがゴール方向かわからない! ルーカスのGPS、なんで肝心なところで役立たないのか!」

「馬鹿にしてんじゃねェ! ニック! ゴールの方向は……って、つながらねェ!」


 三人は、GPSすら使えない海域に迷いこんでいた。ゴールの正確な方向がわからず、足止めされている。燕青とルーカスの争いは、いわばそのうっぷん晴らしだ。


「そうだ、そこの、シブシソ! 野生の勘で進路がわかったりしないか?」


 思いついた顔で、燕青はシブシソに尋ねた。シブシソは、顎の下を触りながらしばらく考えた後、首を横に振る。


「海ハ初メテダカラ、ワカラン。ヒントがアレバ別ダガ……」

「ヒントって何か! もうっ、どいつもこいつも使えないヤツばっかり……」


 燕青がぼやいていると、前方の海が盛り上がり、龍のような形をした海水の塊、【スイリュウ】が出現。スイリュウは、顎に透明なストーンを捕まえている。


 そばにはすっかり疲れ果てた顔の、見覚えのある男もいた。


「「「……アーデルベルト?!」」」


 燕青とルーカスは、うんざりとした視線をカイリュウに向ける。しばらくの間沈黙が続いたが、シブシソが何かを見つけて口を開いた。


「喜ベ二人トモ、ゴールの目星ガ、ツイタカモシレン」


 シブシソの顔はカイリュウの方向に向いており、目は何かを追うように動いている。


「もしかしてアイツに関係あんのかァ?!」

「やっぱり龍は神秘的な存在――」

「――イヤ、アレハ全ク関係ナイ。……良ク目ヲ凝ラセ、ワカルハズダ」


 見つめる先。カイリュウの奥の空に、キラキラとした何かが舞っている。燕青とルーカスはそれを見て、シブシソの言う意味を理解した。


「なるほど、ガキんちょの進んだ方向ってことカ」

「流れてきてるってことは、大和錦は……って。考えても仕方ねェか。だが、牛ヤロウよ」

「……ム? ドウシタ?」


 空を舞っていたのは、大和錦を構成する【一部分】。シブシソは、それを辿ればゴールの方角がわかると言う。


「この荒れた天気だ、どこから流れてきたかなんてわかるのか?」


 三人がいる海域は、現在まで嵐が続いている。半信半疑なルーカスに、シブシソは落ち着いた様子で返答した。


「ワカルトモ。海デアッテモ風ハ風ダ。我々ガ、風ヲ読ミ間違エルコトハナイ」

「へェ……。さすがだな」


 ルーカスは、シブシソの誇りに満ちた表情を見て納得。しかしシブシソは、何か懸念があるのか、考え込むような顔をする。


「問題ガアルトシタラ、ワタシとギフトハ疲弊シ、【アレ】ノ相手ヲスル余力がナイ。ト、イウトコロダロウ」


 言葉を聞いて、燕青がニヤリと笑みを浮かべた。


「取引カ! 分かりやすくて大変よろしい! ルーカス、負担は半々ヨ!!」


 燕青がルーカスに視線を送る。ルーカスもまた、アイコンタクトで返した。


「牛ヤロウ、これで道に迷ったら、BBQにしちまうぜ?」


 行く手を阻むカイリュウに対して、フロンティアスピリッツと満漢全石が前に出る。程なくして、カイリュウと二つのストーンはぶつかり合った。二人の後ろでは、シブシソが空を舞う金色を見つめている。


 そしてその一つを手のひらに受け止め、優しく微笑んだ。


「良イ技ダ。ワタル、大和錦。素敵ナ旅ヲシタヨウダナ」


──ゴール付近──


 金表面の摩擦の少なさによる速度を活かし、大和錦は逃げ切りを図る。対するコールは、その身の石炭を爆発させて散らしながら、必死に追いかける。


「ゴールを踏み越える、そのひとかけらだけを残せばいい! コール、【ザ・ゴールデン・エラ・オブ・コール(石炭の黄金時代)】!」

「逃げ切るぞ大和錦! 【ジパング(黄金の国)】!!」


 コールは黒煙を吐き出し、大和錦はその身を輝かせた。爆発ごとに加速するコールと、常に加速状態を維持する大和錦。先行しているのは大和錦だ。

 両者は二メートルほどの距離を保ち、高速で海面を駆け抜けていく。


「〈摩擦熱でストーン温度が上がり過ぎています! それ以上加速を続けたら……!〉」


 通信機から聞こえる、保坂の声。しかし、ワタルは前だけを見ていた。


「……大和錦、これでいいんだよね?」


 跳躍する度、軌跡に金色の光が広がった。追いかけるロトスが目を見開く。


「そういうことか! ならば、小僧の石と俺の石、どちらが最後まで耐えうるか!」


 追いかけるロトスは、汗を滴らせながらも笑みを浮かべている。ワタルは、口をつぐんで前だけをじっと見つめた。


 太陽がじりじりと、強い日差しを放っている。夜明けから始まったデッドヒートは夕方まで続き、いよいよ終わりが近づいた。ゴールの中国福建省まで残り三十キロメートルもない。


 十七日間、一万九千キロメートルの勝負が、もう数十分もするうちに決する。先行しているのは大和錦だが、徐々にコールが距離を縮めている。


 それだけではなく、跳ねるごとに大和錦は【消耗】していた。


「……【黄金の国(ジパング)】。小僧、その技は俺と同じだ」


――中国福州市・ゴール港観客席――


 ゴール地の観客席では、ワタルの父タカシと母ミキリが、中継モニタで観戦していた。二人は試合展開を見ても慌てることはなく、のんびりとしている。


「大和錦が金で出来ていたなんて、驚きだねぇ」

「どおりでやたら重たかったわけね。まるっきり金で出来たモンスターゴールド。売れば数億円になるって言ったら、あの子ビビりそう。今になって、マっちゃんのお爺さんが『絶対に取り上げるな』って言っていた意味がわかったわ」


 ミキリが腕組みして、大和錦を見つめた。


「次の大会は厳しそうだね。白くて大きい大和錦、見慣れていたから、寂しいな」


 タカシは、気の毒そうにしている。


「あら、水切り大会はそんなものよ? 遠いゴールを目指す過程で、ストーンが傷ついたり、失ったりすることはよくあること。ストーンの大事を取って棄権する選手だっているし。結局はワタルと大和錦が、どうしたいかってとこじゃない?」


 ミキリは淡々と答えた。小さなポーチから小ぶりなストーンを取り出して、手の平でくるくると、ストーンの上下を変えたり、指の間で転がしたりした。


「そうは言っても、すっごく大事にしていたのを見ていたから、僕は情が移っちゃってるよ。風呂も寝る時も肌身離さずだったし。……ワタルと大和錦が後悔しないといいなぁ」


 しみじみとタカシが話す。


「うーん、ワタルが何を選ぶかはわからないけど……」


 ミキリは微笑んで、感慨深そうにした。


「どうであれ、きっとたくさん持ち帰ってくるんじゃないかしら。昔っから、なんでも拾ってきちゃう子だもの」


「……楽しみだね。……っと、そろそろ良いところかな」


 二人は笑顔で話を切り上げる。モニタでは、デッドヒートを繰り広げる大和錦とコールが、眩しく輝いていた。

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