第七投 黄金時代

「沈めろ、コール【スコルピオ――」

「――やっぱり、こういうやり方はダメだと思うよ!!!」


 攻撃指示を出そうするロトスに、ワタルが割り込んだ。後方から大和錦を走らせ、コールに接近させる。


「そんな状態で何ができる? 戦えば、それが砕けることくらいわかるだろうに!」


 大和錦は全面に亀裂を走らせ、コールのトゲが二本も突き刺さっていた。亀裂は縦に一周していて、強い衝撃が加わればたちまち真っ二つだ。


「わかってる! バトルしたら大和錦がくだけるから、それはしない!」

「だったら無力なクセに声をあげるな! 不愉快だ!!」


 コールのすぐ後ろについた大和錦は、大きく跳躍。コールの少し先に飛び込んだ。コールが着水してすぐの大和錦を狙う。


「フハハハ! 砕けてしまえ!!【バケットホイール・エクスカベーター】!!」

「大和錦、【八そう飛び】!!」


 着水してすぐ、大和錦は大きく跳躍。突進するコールが近づくと、更に跳躍。合計八回大きな跳躍を繰り返し、コールの三メートルほど前まで一気に抜け出た。


「逃げるつもりか!」

「そうだよ! というか、小僧じゃなくて、オレの名前は、ワタル!」

「名前なぞ覚える気はない! 次の機会など、俺にはないからな!!」


 一呼吸遅れて追いかけてくるコールに構わず、ワタルは大和錦をどんどん進めた。コールも速度を上げたため差は開かないが、それでも何とか、三メートルほどのリードを守っている。


「オレは、世界一の水切り選手になりたくてここにきたんだ! そのために、一番でゴール、する! ……悪いけど、それで決着ってことにさせてもらうよ!!」

「させるか……! コール、【スコルピオ──」

「──後ろがおろそかだぜェ?!」


 追いかけるコールが技を放とうとした瞬間、水弾が掠めた。フロンティアスピリッツだ。技が発動前に止められ、コールはいったん通常の跳躍に戻る。


「死にぞこないが、邪魔をするな!」

「誰のこと言ってんだァ?! オレ様はまだピンピンしてるぜェ! それよりワタル! 調子出てきたじゃねェか!!」

「ルーカスさん?! 別に手を貸さなくたって──」


 思わぬルーカスの行動に、ワタルは驚いた。


「──手助けなんかしてねェよ! 進むのに邪魔な石っころがあるから、撃っただけだ!」


 フロンティアスピリッツはボロボロで、水弾に威力はない。ロトスは再び技を放とうと構える。しかし。


「カウボーイよ、セメテもウ少シ、狙イヲ定メタラドウダ?」

「……ッ、アフリカの……!」


 水弾の隙間を縫って、今度はギフトがコールに近づいた。天面をコールに向け、激しくぶつかり合う。


「シブシソさんまで! 角もないのにぶつかったらひとたまりも──」

「──案ズルナ、ワタル。角ナラアル」


 ぶつかり合った衝撃で、ギフトが弾かれた。天面には折れたハズの角の位置に、色の薄い角が復活している。


「え!? なんで???」

「角ダカラナ、生エタノダ」

「そんなストーンありなの?!」


 素っ頓狂な声を出すワタルに、シブシソは冷静に答えた。


「精霊ノ宿ルストーンだカラナ。……ナンテ、冗談ダ。身ヲ削ッテ作ッタ。……アッ」


 二、三回ぶつかり合うと、新しい角はポロリと外れてしまう。慌ててギフトを下がらせ、コールから距離を取った。


「……生エタテハ、脆カッタカ」

「……無茶しないでね」


 シブシソとワタルは苦笑いをして、お互いの顔を見合わせる。


「ふざけるなよ貴様ら……! 覇権を争っているのに、何を楽しそうに……!」


 苛立った顔でロトスはワタル達を睨み付けた。ルーカスも、シブシソも、ワタルも、楽しそうに勝負をしているのが気に喰わない。


「コール! コイツらにはもう構うな! 【石炭の黄金時代(ザ・ゴールデン・エラ・オブ・コール)】!!」


 ロトスの一声が響く。コールは蒸気機関車のごとく、大量の黒煙を天面から吐き出し、回転速度を凄まじいほどに高めていく。それに伴って速度が上がっていき、大和錦が一瞬作ったリードを縮めていった。


──


「追いつかれる! でも、そんなことより……!」


 ワタルの視線の先では、大和錦が跳躍する度に、ミシミシと音を立てている。コールのトゲが亀裂を大きくしているのだ。


「大和錦、ゴメン。無理、してるよね」


 後方から迫るコールを引き離そうと、大和錦は必死に進む。


「母ちゃんが昔、『世界には、ストーンを最高に輝かせられる選手がいる』って、言ってたけど……」


 そう言って、ワタルは大和錦に笑いかけた。


「母ちゃんの言ってたこと、本当だったね! 最高に輝いたストーン達をたくさん、すぐ近くで見られた! シブシソさんとギフトは、自然の力を持っていて、動物みたいに力強い動き! イザベルさんとラリー・ダカールは、とにかく粘り強かった!」


 レースを振り返って、楽しそうに目をキラキラさせる。


「燕青さんと満漢全石は意思が凄くて、れいけんあらたか、っていうの? 不思議な力だったよね! ルーカスさんのとこは、自分のスタイルに合うようフロンティアスピリッツを作ってて、それをルーカスさんが更に上回る使い方をしてた! ……それぞれのストーンと、それぞれのやり方があったよね」


 話しているうちに、ワタルの目に少しだけ涙が溜まった。


「……マリーナさんとダイヤモンドダストは、思いが詰まっていたね。マリーナさん達、また楽しく水切りできるといいなぁ」


 大和錦とコールの距離が縮まる。もう少しで、追いつかれてしまう。そうなれば──。


「ねぇ大和錦。まだ出会えてないだけで、もっと色んな選手やストーンがいるんだろうね! この次も、その次だって! だから……」


 視線を大和錦に合わせられず、ワタルは俯いた。


「……大和錦、もう十分だよ」


 傷ついた大和錦を労う言葉であり、リタイアを提案する言葉でもある。未だ進み続ける大和錦に、ワタルは語気を強めて訴えた。


「オレ、お前に引っ張ってもらってばっかりで……。まだぜんぜん輝かせてあげられてない! これ以上続けたら、永遠にその機会を失っちゃう!」


 大和錦は跳躍を止めない。ワタルは更に声を張り上げた。


「どうして! 砕けちゃったら、もう二度と一緒に水切りできないんだよ!」

それでも、大和錦は止まらない。コールはもう間近だ。


「まだオレはお前と水切りしたいんだ。だから──」

「──まだむにゃむにゃ言ってんのか! ワタル!!」


 ルーカスの声が響く。フロンティアスピリッツが放った水弾がコールに当たった。威力は無いがバランスを崩させることで、わずかにコールが後退する。


「ヘタレたヤロウだったらここまで来れねェ! 投げたお前が居たから、跳ね続けたストーンが居たから、ここに立ってんだろうが!! ちゃんと輝けてるんだよ、お前達は!」


 フロンティアスピリッツの水弾は、コールだけを狙っているわけではない。大和錦にも飛んできていた。大和錦はそれを回避したり、命中して剥がれた欠片がコールを妨害するよう位置調整したりして、勝負を続けている。


「だけど、ここで大和錦が壊れたら……」

「壊れなかったら、またこんな勝負ができるってか? 世界一をかけた大舞台で、強い奴らに囲まれて、必死で食らいついて行くような、こんな良い勝負が!」

「それは……」

「色々ナコトヲ吸収シタヨウダナ、ワタル」


 今度はシブシソが声をかけた。ギフトはコールに突進を狙える距離へと近づき、波間からプレッシャーを放っている。これではコールも、迂闊には動けない。


「ワタルはマダ若イ。身ニツケルベキコトハ沢山アルダロウ。……ダガ」


 シブシソが優しく微笑んだ。


「【意思】ニ、耳ヲ傾ケルトイイ。大和錦ハ意思ヲ示シ、投ゲ手ノ本当ノ意思ヲモ汲ンデクレテイルゾ? 仮ニ失敗シテモ、ソレデ不幸セニナルカドウカハ、別ノ話ダ。軽ヤカナ気持チデ臨ムト良イ、ワタル」


 ギフトはコールに突進したが、紙一重のタイミングで回避された。しかしまた波間に隠れ、隙を伺う。


「オレは……、大和錦は……」

 見つめると、大和錦が光を放った。とても眩しく、暖かい光。


「……そっか。ありがとうね、大和錦」


 ワタルは顔を上げて、真っすぐに前を見つめた。


「せっかくここまで来たんだ! 行こう、目一杯のところまで!!」

 大和錦が一度、大きく跳躍する。


「張り切るのはいいけど」

 苦笑いを浮かべて、ワタルは大和錦を見た。


「こっからはケッコーしんどいよ?」


 着水した大和錦は、バランスを崩して大きな水飛沫を上げる。すぐに体勢を立て直したが、明らかに進みづらそうだ。

 追いかけるコールは、苦戦しながらも、フロンティアスピリッツやギフトの攻撃を抜け、再び大和錦との距離を詰めていく。


「……カウボーイ、先達トシテ、背中ヲ押シテヤルトイイ」


 大和錦を指差して、シブシソはルーカスに声をかけた。それを見たルーカスは、何かを理解して目つきを鋭くする。


「! そういうことか。なんだよ、隠しダマあるじゃねェか!」

「ワタルは気ヅイテ無イミタイダガナ。シカしカウボーイ、随分ト難関射撃ダゾ」


 焚きつけるようにルーカスに話す。ルーカスはニヤリと笑ってみせた。


「ハッ、オレ様を誰だと思ってんだ? 難しくもなんともねェ。いっちょ魅せてやらァ!」


 前を進む大和錦を意識して、フロンティアスピリッツがせわしなく位置を変える。


「オラァ! ワタル!! これで転ばなかったらいいことあるかもな!」

「えっ? なに?? 何の話!?」


 ワタルは言葉の意味がわからずうろたえた。そんな反応を無視して、ルーカスは一人、カメラに向かって、ピストルのような手の形を作ってアピール。


「最高の選手・ストーン・サポートチームが贈る曲芸射撃! 見逃すんじゃねェぜ?」


 ルーカスの通信機に計測データが表示される。


「ニック! 大和錦のスピード、進路、回転速度、その他。もろもろ、合ってんだな?」

「〈計……に間違……ない……。ミス……ルーカス……せい……〉」


 荒れた音声でニックが答え、ルーカスは威勢良く答えた。


「それなら余裕で成功だなァ! 目をつぶっても撃ち抜けるぜ!」


 フロンティアスピリッツが海面を滑るように進み、水弾に使用する海水を取り込む。


「なぜ小僧を助ける!! 俺達の島には、そうしなかったくせに!!!」


 ワタルを手助けしようとするルーカス達に、ロトスが叫んだ。


「……オレ様に出来る事があって、それをしなきゃいけねェ状況に鉢合わせたからだ。すまねェな。今まで何も知らなくて」


 真剣な返答だったが、当然、ロトスは納得しない。


「謝罪などなんの意味も――」

「――ロトスさま! ルーカス達は朕がとめる! 満漢全石! 【万里の長城】!!」


 後方から満漢全石が接近。コールとフロンティアスピリッツの間を遮るようにして、満漢全石は【万里の長城】を発動。フロンティアスピリッツとギフトの視界と進路を阻む、巨大な海壁が立ちはだかる。


「さすがのルーカスもこの壁じゃ無理! 後は頼んだ!」

「フン、少しは役に立ったか」


 海壁の上で拳法のポーズをする燕青を見て、ロトスは笑みを浮かべた。


「……燕青。オレ様の話を聞いてなかったのか?」


 射線を隔てた海壁を、ルーカスはまっすぐに見つめている。


「的も見えないのに何を言って──」


 燕青は嘲るような態度を取ったが、ルーカスはどこまでも冷静に海壁と対峙した。


「――計測にミスはねェ。あとはオレ様が、寸分違わず撃ち込みゃいいだけの話だ」


 フロンティアスピリッツが回転速度を速めるのに合わせて、ルーカスは一つ二つとタイミングを計る。そして突然、瞳を大きく見開いた。


「今だ、ぶち抜けッ【ウォーターマグナム(FMJ)】!!」


 勢いよく放たれた水弾が、海壁を貫く。突き抜けた水弾は、壁の向こう側の大和錦へと進んだ。射撃の成否を確認する前に海壁は弾痕を修復し、結果は見えない。


「……当たったか?」

 ルーカスが呟く。額に汗が滲んでいた。


「安心シロ、カウボーイ。良イ音ガ聞こエタゾ」


 目を瞑って耳を澄ましていたシブシソが、柔らかな微笑みを浮かべた。ルーカスは一息つくと、リストバンドで汗を拭った。


「ふぅ。まぁ、これくらいオレ様にかかれば――」

「――落ち目なルーカスにしては良くやった。傷つけずにアレを解くには、あの一点しかなかったヨ。あとは、あのガキんちょが殻を破れるカ」


 海壁の頂点から燕青が降り、さも当然のように話に加わってきた。


「なんだ燕青、わかってたのかよ。オマエ、ロトスについてるんじゃねェのか?」


 ルーカスは呆れた顔をする。


「裏切ってなんかないヨ? 朕は言ったことは守ったわけだし。それに、ただでさえ落ち目のルーカスがまさか当てるとは。……いやはや、運だけはいいヤツ」


 燕青は少しも悪びれる様子も見せずに、偉そうな態度を取った。


「何回言うんだテメェ!? 一度勝ったくらいで調子に乗ってんじゃねェぞ!! 今ここで海に沈めてやらァ!」


 ルーカスが声を荒げる。同じくらいの勢いで燕青も声を上げた。


「直近の勝負で朕が勝ったんだから、朕が上に決まってる。ちょうど邪魔もいないし、朕が引導を渡してやるヨ!」

「渡されるのはテメェだ!」


 口論を繰り返しながら、燕青とルーカスはストーンを戦わせた。海壁によってコースを外れていることもおかまいなしだ。


「ヤレヤレ、陽モ落チルというノニ、随分元気ナ奴ラダ。ワタシハ少シ休ム……」

 激しく攻防するルーカス達とは対照的に、シブシソはコッソリ巡航に切り替えた。


「ワタルよ、精一杯ヤルトイイ。コノ旅ハキット、実リ多イモノダ」


 嵐だった天気は穏やかさを取り戻し始め、雲間からは夕日が覗く。落ちていく夕日が燃えるような橙色を滲ませると、照らされた海は黄金のように煌めいた。


 水切り世界選手権大会グレートジャーニー部門も、残すところ千キロメートルほど。翌日の午後にも、勝敗は決する。


──


 フロンティアスピリッツから放たれた水弾が海壁を貫き、大和錦に直撃。大和錦は、ミシミシと音を立て一瞬よろめいたが、すぐに体勢を立てなおして、それまでと変わらない様で跳躍を続けた。


「大丈夫?! 大和錦ッ!」


 大和錦の無事を確認したワタルは後ろを振り向いたが、ルーカス達は遠く、攻撃の理由を尋ねることはできない。


「後ろばかり見ていていいのか? 小僧」

「くっ!」


 勢いよく飛びこんでくるコールを、大和錦はギリギリのところでかわした。ロトスはワタルに、刺すような鋭い視線を向けている。


「どうして苦しんでもいないお前が、支援を受けられるのか……!」


 静かな怒りを込めてロトスは言う。そして目を細めて大和錦を見た。大和錦は光を反射していて、キラキラと輝いている。夕日を跳ね返していて、眩しい。


「(……? ……! 小僧のストーンは、まさか……!)」


 何かに気づいたロトスが、一度、カッと目を見開く。


「……そうだ小僧、知っているか? 小僧の国がジャパンと呼ばれるようになった由来を」

「由来??? ゴメン、知らない!」


 脈絡のない話に、ワタルは困惑した。ロトスは気にせず、落ちていく夕日を見つめている。


「ジャパンと呼ばれるようになった由来はな、大昔にマルコ・ポーロなる男が小僧の国を、【黄金の国・ジパング】とヨーロッパに紹介したためと言われている(※所説あり)。この男は、東の果てに『ジパング』と言う莫大な金を生む島があると、伝説じみた話を伝えたのだ」

「へぇー……??」


 ワタルは話の意図と意味がよくわかっていなかったが、話に耳を傾けた。疑問に首を捻りつつ、ロトスに尋ねる。


「じーちゃんもそんなこと言ってたような……って。なんだってそんな話を?!」

「なぜって、お前のストーンは──」


 ロトスは何か言おうとしたが、ワタルの顔を見て思いとどまり、話を続けた。


「(──コイツ、気づいていないのか?)……いや、それよりも。オマエの国は伝聞のとおり、多くの【黄金】を産出する国だったらしいぞ」

「しってるよ! でも、段々と、採れなくなったんでしょ? 今じゃ金山はほとんど枯れてるって、じーちゃん言ってた」

「採れなくなったのは事実だが、採った黄金が残っていないのは不思議に思わないのか? 大量に黄金が採れていたというのに、小僧の国は随分みすぼらしいだろう」

「え……?」


 問いかけられて、ワタルの脳裏に石渡総理の顔が浮かぶ。総理は社会保障の予算が無いというような、国の運営資金に窮しているようなことをよく言っていた。


 ロトスが笑みを浮かべた。


「ジパングは多くの黄金を産出し、蓄えていた。だが、黄金の国と語られる所以となった大量の黄金は、国外へと流出したそうだぞ」

「流出???」


 話についていけておらず、ワタルは不思議な顔をするばかり。しかしロトスは気にしない。いつの間にか、怒った顔で語気を強めている。


「奪われたんだよ、価値を知っている他の国にな。形の上では取引だったが、あり得ないほど低い交換割合で、小僧の国の黄金は買い取られていた。小僧の国も、俺の島と同じように、他の国の食い物にされたということだ……!」


 ロトスの考えでは、ジパングは他国に指定されるまま黄金を低すぎるレートで交易に使っており、蓄えを失ったそうだった。他国に騙された国、という点に、ロトスは故郷の島を重ねていた。


「取引だから小僧の国も、何も得ていないわけではない。黄金と引き換えに、一時的な豊かさや、先進の技術・道具などを得てはいた。だがそれは、黄金の枯渇と共に終わりを迎え、更に対価として得た豊かさは、後の大きな争いのきっかけになったと、俺はそう思っている」

「……」


 ワタルは黙って考える。話を完全に理解することはできなくても、ロトスの気持ちは知れるかもしれない。


「豊かさも喜びも、いつかは過ぎ去る! 残るのは無残な夢のあとだけだ!!」


 ロトスは叫んだ。陽はすでに落ちており、水平線の先にはいくらか赤みが残っているものの、辺りは夜の闇に飲まれつつある。


「……ロトスさんは後悔してるの?」

「後悔も何も、俺は恩恵に預かってすらいない。逆境を跳ね除けようとする意気すら、島には残っていなかった」

「……そっか」


 生まれた時にはすでに、マギルダスト島の【石炭による黄金時代】は終わっていた。その後は貧しく、鉱毒による公害に苦しめられるだけの島。ロトスが大会に出場したのは、優勝景品の【グローリーアイランド】により得られる資金で、島の環境をもとの自然豊かなものに戻すため。


「熱狂の後には、無残な時が流れるだけ。良い目にあったならまだしも、何も無い後の時代に生まれた者は、苦しさの中に生きるしかない。俺は憎い。無責任に騙した者が、夢を見る事ができた者が、夢破れたあと被害者面で負債を残していった者が。小僧にもわかるだろう?」


 ワタルは難しい顔をした。ロトスの言うように、ワタルも時代的な熱狂を、豊かな時代を経験してはいない。それどころか、それから離れた時代に生まれたことで、熱狂の残り香すら感じたことはなかった。


 しかしかえって、ロトスの言う恩恵を得られなかった、という悲痛さを実感することができないでいた。


「オレには……、わかんないよ」

「損をしたことは理解できるだろう! 騙されたんだ、憎らしくもなる!」


 脚を踏み出してロトスは迫ったが、ワタルは黙って首を振った。


「……でも、オレが黄金を持っていても、同じように使ってたと思うんだ」


 足元を跳ねる大和錦や、コールに視線を向ける。


「なにも昔の人だって、ただ『使っちゃおう』ってつもりじゃなかったのかも」

「そんなことはない! 考えなしに、富を使って豊かになりたかっただけだ!」

「だからその! 豊かになりたかったってのもあるんだろうけど!」


 ロトスを真っすぐ見つめて、ワタルは言った。


「……きっとみんな、前に進みたかったんだと思う」

「前に、進む……?」


 話す間に、陽はすっかり落ちてしまった。辺りが暗くなったことで、フロートの照明が点灯。選手とストーンを照らす。


「馬鹿な! 豊かになりたいという欲望に取り付かれて、前に進んだ結果に何が待っていた?! 自然は失われ、人は病み、多くの者が生き方を忘れてしまったんだぞ!!」

「そうだけど!」


 今夜の海上は、これまでの嵐が嘘のように穏やかだ。どこまでも静かな海は、照明の灯が無ければ、右も左もわからないくらいの真っ暗闇。ワタルは暗闇の先、通信端末が示すゴールの方角を見つめた。


「幸せな時間は、通り過ぎちゃったかもしれないけど……。きっとみんな、進みたかったんだと思う。もっと良くしようとして、今までに無い違うものを見ようとして。そのために色んな物を使っちゃった。ただ、それだけで……」


 ピシッ、と、ワタルの足元で、何かが割れるような音がした。


「そんな考え、俺は認めん! 良くしようと思った結果が、こんな……」

「……こんな? あれ、ロトスさん、どうしたの?!」


 反論するロトスが、言葉も言い終わらないままフロートに膝をついた。額から脂汗を垂らしており、明らかに様子がおかしい。


「ロトスさん?! えっと、そうだ! 保坂さんっ、聞こえる? ロトスさんがっ!」


 ワタルは慌てて通信デバイスを起動し、サポートチームの保坂に通信を送る。


「〈…………。…………。……ワタル君! 通信が回復したのですね!!〉」

「良かった……。じゃなくて、お願いしたいことが!」


 何度かトライしてやっと保坂につながり、メディカルチェックを依頼。すぐに保坂は随伴医と共に、ロトスの状態を調べてくれた。


「〈ロトス選手のバイタルには、多数の異常が見られます。持病とこれまでの疲労、痛み止めの多用による副作用でしょう。命にも関わる、重い不調です」

「そんな……」


 心配そうに、ワタルはロトスを見た。ロトスは必死に苦しみに堪えている。


「……どうした小僧。俺はまだ巡航に切り替わっていない。叩くなら今がチャンスだぞ?」


 息も絶え絶えながら、ロトスが煽る。確かに、コールの巡航はたった今申請されたばかりで、移行まであと数分かかる。


 まともな操作を行えない今、コールはほとんど無防備。チャンスと言って良い。


「〈ワタル君、ロトス選手は本部サポートで出場のため、この状態に対応できるレベルの医療処置は受けられません。なので……〉」

「ねぇ保坂さん、もう一つお願いが──」

「〈──わかっています。医療用ドローンの到着は十分後です。それまでに、日本チーム随伴医で、問診や簡易チェックを行います。……これで良いでしょうか?〉」

「……うん。ありがとう。保坂さん」


 考えを察してくれていた保坂の言葉に、ワタルは静かに頷いた。ロトスは事態が飲み込めていないのか、混乱している。


「何を言っているんだ!? 小僧、俺は敵で――」

「――ロトスさんは競争相手だよ。だから、治療を受けて欲しい」

「まるで理解できん。俺が回復すれば、オマエは負けるかもしれないんだぞ?」

「それが競うってことなの! オレはここに、勝負しにきたんだよ!」


 声を荒げるロトスを、同じくらい強い語気でワタルは制止。


「勝負だと? 俺はそんな……」


 ロトスはまだ何か言おうとしていたが、体力の限界が近かったのか、それ以上は言い返さなかった。


――


「〈ロトス選手への処置、終わったようですよ〉」


 通信デバイスから保坂の声。ワタルもまた、ロトスが巡航に入ったのに合わせて、巡航に変更、食事や休息を取っている。


「どう? 元気になれそう?」

「〈完治が難しい病ですから、この場では治りません。でも、一晩しっかり休めば、最後まで競技続行できるくらいには回復する可能性はあります。もっとも、ケガもあるので、本来すすめられるものではありませんが……〉」

「ロトスさん次第ってことね! 大事にならなくて、良かったよ」


 ワタルはホッと胸をなで下ろした。保坂も穏やかな顔をみせる。不意に保坂は、イヤホンを起動するようワタルにゼスチャーで促した。


「〈……ワタル君、聞こえますか?〉」

 イヤホン越しに聞こえる保坂の声に、ワタルは頷いてみせる。

「〈ロトス選手自体は、最後まで競技続行が可能です。ですが、彼のストーン【コール】は、損耗具合から推察するに、途中で『燃え尽きる』可能性があります〉」


 保坂の報告を聞き、ワタルは静かに覚悟を固めた。強い視線と意思を、大和錦に向ける。


「そっか。もしそうなら、応えたいな。……朝には準備できてるよね、大和錦?」

「〈今の大和錦でそんなことをしたら──〉」


 大和錦の姿を見て、保坂は反論しようとした。しかし、ワタルの意思が固いことを察し、余計なことを言うまいと言葉を訂正する。


「〈──いえ、後のことは、ワタル君の判断に任せます。悔いが無いことを祈っていますよ〉」


 そう言って保坂は通信を切った。ワタルはイヤホンを外し、海の音に耳を傾ける。


「ねぇ、大和錦。燃え尽きるほど全力で進んだら、どんな気分なんだろうね」


 静かに話しかける。大和錦は、何か物を言うことはない。欠片を散らしながら、小気味良く跳ねるだけだ。


「よっし、明日に備えて寝――」

「――小僧。少しいいか?」


 睡眠のためフロートを操作しようとした時、ロトスが声をかけてきた。声には疲労が感じられたが、落ちついた調子だ。


「あらたまって、どうしたの?」

「……勝負のことだ」


 通信機にメッセージが届けられる。時刻が記載してあった。


「俺はお前の考えを認めん。俺の考えをお前に、世界に、突きつけてやる」

「真剣勝負ってことだね……! 寝坊しないようにしなくちゃ」


 ワタルはすっきりとした顔で、ロトスは鬼気迫る顔で、お互いの視線をぶつけあう。明日の勝負開始に時計を合わせて、両者はゴールの方角に目を向けた。


「……治療を受けさせてくれたことには感謝する。……だが、容赦しない」

「うん。オレも全力で行くよ。……あ」


 ふと、ワタルがロトスに尋ねる。


「オレも、聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「……なんだ?」

「ロトスさん、どうしてオレの国のことに詳しかったの?」

「それは……」


 ロトスは、少し言いづらそうにしながら答えた。


「本で、読んだことがある。昔集められていた本を拾って読んだ。それだけだ」

「読書好きなんだ、ロトスさん。オレは本読むの苦手だ~、じっとしてるなんて退屈になっちゃうよ~」


 ワタルは読書より、外で体を動かすことが好きだ。そんなことを、聞かれてもいないのに話した。


「空腹を紛らわすために、仕方なく──」


 淡々とした口調で言いながら、ロトスの頭に何十年も前の記憶が蘇ってくる。もはやわない、幼い頃の妹との会話。


(──『おにいちゃん、おなじ本をまたよんでる~』──)

(──『べ、別に良いだろ。読んでる間は、腹減ってるの忘れられるし』──)

(──『アタシはわすれられないよ~。だって本は、おなかがすくはなしばっかりなんだもん』──)


 当時、ロトスが家族と共に住んでいたあばら家には、たくさんの本があった。ロトスが廃墟となった図書館から拾ってきたもので、ジャンルも何もかも滅茶苦茶。その中でロトスは、郷土史や世界史に関する本をよく読んでいた。


 ジパングのことも、水切りのことも、グローリーアイランドのことも。ロトスは知っていたのは、本から学んだからだ。


「──仕方なく?」


 話を途中でやめたロトスを見て、ワタルが首を傾げる。ロトスは思い出したことを追い出すように、首を横に振った。


「仕方なく読んでいた本の一つ、と言おうとしただけだ。俺はもう休む。小僧もそうしろ」

「うん! じゃあ、また明日ね、ロトスさん」


 話はそこまでにして、二人はフロートを変形させた。変形するフロートに体を横たえると、視界には夜空に瞬く星たちが飛び込んでくる。


「(俺は絶対に負けられん。負けてしまったら、俺の人生は失い続けるだけのものになってしまう。……空から見ていてくれ。兄は必ず勝って、島をもとに戻すから)」

「(オレは進みたい。失敗しちゃったとしても、明日に……)」


 海上の夜はふけてゆく。一方のストーンは、内側に燃える思いを燻らせて、最後の発火の時を待っている。もう一方のストーンは、その身に秘めていた輝きを、より一層眩しく煌めかせようとしていた。

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