第五投 永久凍土・マリーナ
『グレートジャーニーも今日で十一日目! 残りはおよそ六千キロメートル! レースもいよいよ後半戦だァ! しかし、各選手あまり動けてはいないようだぞォ!?』
ゴールの中国福州市まで、およそ六千キロメートル。現在の順位は、一位は変わらずダンテのフォーミュラ・ワン。そこから三十メートルほど離れて、二位マリーナのダイヤモンドダスト。さらに十メートル離れて、三位以下に四つのストーンが集団を形成している(シブシソ、ルーカス、燕青、それにローブの男)。
アーデルベルトのビスマルクは、燕青の秘技・万里の長城の際に潜航してから未だ浮上してきていない。
ゴールに近づくにつれ、海は時化ってきていた。空は黒々とした雲に覆われ、波がうねる。
『悪化してきた天候は、軽量ストーンにはキツイか?!』
先頭集団のストーンは、大和錦とギフト以外、軽量ストーンが多い。拳程度の大きさか、それより少し大きい程度だ。軽いストーンは波など天候の影響を受けやすく、海が荒れている状況では勝負がかけづらいのか、睨み合いとなっていた。
「やっと追いついたよ! さぁ、オレと勝負だ!」
しかしこの状況は、ワタルにとっては好都合。大和錦は少し小さくなったとは言え、まだまだ大型。その上、サイズ以上の重量がある。波にも風にも強い。
先頭集団の後方から猛追。ついに、背中を捉えることに成功する。
「ここで大型のストーンの相手はしたくない。満漢全石、秘技【万里の長じょ……ってアリャ? 力が入らな――」
「〈――スタミナ切れですな、燕青様。軽々しく大技を使うからです。だから控えるようにとあれほど……〉」
「ぐぬぬ、すぐに戻る! 調子に乗るんじゃないヨ!」
燕青は、技を発動することができずフラフラと集団を離れていった。
「やれやれ、ペース配分ってのも勝つには大切だぜ? さて、勝負といくかァ、ワタル!」
フロンティアスピリッツが、後方の大和錦に向けて数発の水弾を放った。
「もちろん! がっぷり四つだ! 下手に避けるくらいなら!」
迫る水弾を、大和錦は避けることなく受け止める。ふらつくこともなく、真っすぐ突き進んだ。
「へへっ、正面からならナンボか耐えられるよ! ほらほらっ、道を開けないと吹き飛ばしちゃうからね!」
「oops! しかたねェ、位置を変えるか」
突っ込んでくる大和錦に対し、フロンティアスピリッツは横に動いて進路を譲った。大和錦は堂々と直進を続け、フロンティアスピリッツの前に出る。
「よっし! ここから巻き返し……、ひぃぃ!」
後方から放たれた鋭い水弾が大和錦を掠める。掠った程度ではあったが、大和錦はバランスを崩してしまった。
「なるほど、そう来たか!」
「お分かりになったかな、ボーイ?」
先程とは違い、今は攻撃に対し背を向けているような状態。ストーンは勢いがついている前方からの攻撃に対しては防御力が高いが、後方からの攻撃には隙ができやすい。
「フロンティアスピリッツは、後ろにつかれる方が厄介なストーンなんだね」
「フフフ、ワタシもイルゾ。ワタルよ」
「シブシソさん!」
今度は、荒れた波に負けないくらいの水飛沫を上げて、ギフトが迫ってくる。ギフトの位置は大和錦のすぐ横だ。
「さっきはよくも出し抜いてくれたね!」
ビスマルクのことで、ワタルは恨み節を言った。シブシソは、バツの悪そうな顔をする。
「許セワタル。コレモマタ勝負――」
「――関係ないやい! 牛はさばいて焼肉にしてやる! 大和錦、【クサナギ】!!」
「良イ技ダガ、屈強なアフリカの牛ハ肉質ガ固イゾ? ギフトよ、【ヌーの突進】!!」
二人が言い争う下で、互いのストーンが激しくぶつかり合った。さらにその両ストーンを撃ち抜こうと後方から水弾も飛んできて、勝負は激しさを増していく。
「よし、このまま一気に駆け上がっ……あら? 大和錦?? どこ行った???」
ワタルが目を離した隙に大和錦が消えた。次に視界に入ってきたのはその数秒後で、真っすぐ跳ねていたはずの大和錦は、どういうわけだか上空から落下してくる。
「いったい何!? シブシソさんの技??」
見渡すとギフトもまた、上空から落下し海面に叩きつけられていた。
「ムム……? ソウイウコトカ!」
シブシソは目を凝らして何かを見つけ、ギフトを横方向に離れさせた。
「(あれ? ギフトじゃない……?)」
ワタルもシブシソと同じく、前方に視線を移して目を凝らす。
「一体何が……? あッ!」
荒れる波間にさしかかり視界が遮られた瞬間、またしても大和錦は上空に飛ばされた。今度はかなり横方向に飛ばされている。
「受け身だ大和錦!」
着水に合わせて姿勢を戻し、影響を抑える。なんとか耐えたが、これまでの疲労やダメージが蓄積しているストーンにとって、僅かな妨害でも、プレッシャーはそれなり以上。
「ダメージもらうのはまずいのに……。冷たっ?!」
顔に何かが当たった。当たったそれは、体温ですぐに水滴となる。
「水……? そうか!」
水滴の正体に気が付き、前方のダイヤモンドダストに視線を向けた。しばらく注視していると、ダイヤモンドダスト付近の海面が、波打つ状態で【動きを止めて】いる。
「今当たったのは氷! ……と言うことは、あなたのしわざだね、マリーナさん!」
前を進んでいたマリーナが振り向く。見事に伸びた銀髪がなびき、青い瞳が見つめてくる。
「気がついたか。日本の……、ワタル、だったかな? まぁ気付いたところで、【氷防壁】を越えて私のストーンまで近づくことは叶わないだろう」
冷静な調子でマリーナは返答。表情は冷たく、凄みを感じさせる。一方ワタルは、ぼーっとしていた。
「ひぇー、美人さんだぁ……。……あれ? オレの名前知ってるの? 水切ワタルって言うんだ。よろしく」
「前に名乗っていたろ。それよりいいのか? そのまま行くと、また飛んで行くぞ?」
「え?」
美貌に見惚れている間に、大和錦は氷の発射台のすぐ前まで来てしまっている。ダイヤモンドダストは能力で海面を凍結させ、波を発射台のように使って、他のストーンをあちらこちらに飛ばしていた。それが【氷防壁】だ。
周囲に展開されている氷防壁には様々な種類があり、大和錦が飛ばされたタイプの他にも、着水地点に張られた氷によりスリップを狙うタイプや、凍らせた波をそのまま壁のようにしているタイプなどがある。
「回避は、間に合わないっ! それならいっそ……、大和錦! テイクオフ!」
ワタルは、大和錦を直進させた。加速した大和錦は氷の発射台を滑り出し、凄い勢いであらぬ方角の空へと飛び立っていく。
「すっごい! めっっちゃ飛ぶ!! うぉーい! どこまで行くんだ大和錦ぃー!」
進行方向斜め横に飛んでいく大和錦に慌てながらも、ワタルはどこか楽し気だ。
「……アハハッ。そのまま飛び立たせるなんて!」
そんなワタルを見て、マリーナが子どもっぽく笑う。ワタルは、少し不服そうにした。
「だって、こうでもしないとバランス崩すし? 思いっきり飛び立つのも、いい経験、なのかな。……よしっ、大和錦、受け身っ!」
着水した大和錦は派手な水飛沫を上げたが、三度目にして見事な着地を決める。
「なかなかやるな。飛ばされて楽しむなんてまるで……」
マリーナが表情に陰を落とす。
「まるで……? どうかしたの?」
『おォーっとこれは厳しい! 荒れた海についに大粒の雨が降り始めた!!』
様子の変わったマリーナにワタルは声をかけようとしたが、大粒の雨に遮られた。荒れ始めていた波がいっそう高くなり、ついに嵐の様相となった。
『えー、視聴者の皆様。映像の乱れは嵐の影響なので、お使いのモニタは正常です』
雨に加えて雷鳴まで轟き始める。モニタの映像が乱れたり、音声にノイズがかかったりした。選手達のストーンは波に飲まれて予定進路から逸れるなど、自然の驚異にさらされた。
巡航にすれば嵐の影響を防げるが、速度は大幅に落ちる。嵐の中を進むか、嵐が過ぎるまで待つか、迷いどころだ。
「こりゃキツイなぁ……。大和錦、しばらくガマンして!」
大和錦は重量があるため、荒天に強い。しかし、嵐にダメージや疲労が重なったことで、跳躍は苦しい。それでもワタルは、そのまま進むことにした。
天候の変化に苦しんでいる選手は、ワタルだけではない。七位燕青は、満漢全石をロストすることを恐れて、戦闘を避ける慎重な方針に。六位ルーカスも同様だ。四位シブシソは荒れた海に不慣れなのか、激しさを増した波に苦戦し速度が落ちている。
五位のローブ男も、集団からはやや離れ、戦闘の意思を見せていない。一位を守っているダンテのフォーミュラ・ワンも速度が落ち、リードを少しずつ失っていた。
だが、それら以上に嵐の影響を受けたストーンがいる。ダイヤモンドダストだ。
「……天も味方しないか。当然だな。私は、罪深いのだから」
空を見上げながら、マリーナは呟いた。ダイヤモンドダストが作り出した氷のトラップ・氷防壁が、荒れ狂う波によって崩されている。
「チャンスかも! 悪いけど追い抜くよ!」
進路を妨害する罠が崩れた隙をつき、ワタルは大和錦を進めた。ここで順位を入れ替えてダイヤモンドダストの前に出ることができれば、凍結攻撃の影響を抑えられる。
荒れた海を力強く進んだ大和錦は、ダイヤモンドダストのすぐ後ろまで詰め寄った。
「……うん。思いきりの良い子だ。でもね」
距離を詰められたマリーナは、先程までの落胆した様子ではない。身も凍るような、いっそう鋭い視線を送ってくる。
「私は絶対に負けられない! それが、夢を奪った私にできる、唯一の償いだから!」
強烈な冷気が、ダイヤモンドダストから放出された。
「ダイヤモンドダスト、すべてを止めて。【永久凍土(ヴィエチナヤミィルズロータ)】!」
これまでと規模が違う冷気が、周囲だけでなく天にまで昇る。波打つ海は徐々に動きを奪われ、雨は雪の結晶に。
瞬く間に世界は白銀の、雪と氷の世界に変わっていく。
『これは凄いッ! ダイヤモンドダストの放つ凄まじい冷気が、荒れ狂う海を凍らせたァ!! うねりもそのままに凍り付く様は、時が止まっているかのようだ!!』
まるで凍土のように、海は固く分厚い氷と化した。海面は全く見えず、ストーンは氷の上を進むしかない。
「みんな凍った!? 大和錦ッ、無事かッ!?」
マリーナに最も近い位置にいただけに、焦った様子で大和錦の身を案じる。幸い大和錦はまだ凍り付いてはおらず、氷上を跳ねていた。
「よかったぁ、氷漬けにされたかと思ったよ。……って、ちょっと凍ってるじゃん!」
大和錦は、ボディが氷と接触する度に少しずつ凍っている。周囲の選手のストーンも程度の差こそあれ、氷上を進むことで徐々に凍結していっていた。
「……さすがに、終盤まで残っているストーンは手強いな」
マリーナが呟き、ダイヤモンドダストは更に強い冷気を放出する。風雨はすでに吹雪へと姿を変えており、容赦なく選手とストーンを襲った。
「ブリザードってヤツか。……チッ」
ルーカスが空を見て舌打ち。
「対策してたってのに、凍っちまってトリガーが引けねェ。なんて寒気だしやがる」
「ウーム、前ガ見エン。まるでハブーブ(アフリカなどで見られる砂嵐)のヨウダ! ……嵐ハ、ヤリ過ゴス他ナイ」
攻撃を封じられたルーカスが、安全圏に退避する。同タイミングでシブシソも退避。その他では、燕青は先頭集団のかなり後方で様子見、アーデルベルトは潜航したまま。
沈黙を守るローブ姿の選手のストーンは、横向きになり突起をスパイクシューズのように氷に突き刺して、前進。ワタル達をギリギリ目視できる距離を維持している。
完全凍結の影響が最も大きかったのは、ここまで一位を守っていたダンテのフォーミュラワンだ。
「マンマ・ミーア! スノータイヤじゃないから滑っちゃうYO!」
丸いサングラスに着崩した緑色スーツ姿の伊達男、ダンテが嘆く。深紅の極扁平ストーン、フォーミュラ・ワンは、本体に付着した海水の凍結によりスリップを連発。たまらず巡航に入ったものの、速度低下で燕青よりも後ろまで順位を一気に落とした。
『レース後半で試合が大きく動いたァ! ここまで先頭を譲らなかったダンテ選手を抑えて、マリーナ選手が前へ! 一番に大地を踏むのは、はたして誰なのかッ!?』
中国福州市まで残り六千キロメートル。上位選手なら六日~八日程度で到着できる距離。各選手ともスパートを狙っているが、試合を支配しているのはマリーナだ。ダイヤモンドダストの冷気を止めない限り、スパートをかけることすら難しい。
『……現……の順位……一位マリ……手、《ダイ……ト》に続き……二位……ワタ……選……《……錦》、三位……ロト……《コー……》……』
吹雪になったころから、通信機に混ざるノイズが酷くなった。GPSの類も不安定で、情報が取れない。
「保坂さん達と連絡取れなくなるかもなぁ」
ワタルは少し気にしたが、すぐに勝負に集中する。
「って、今は目の前に集中! 勝負だ、マリーナさん!」
「……キミは、どうしてついてくる? 自慢でもないが、生半可な寒さではないぞ?」
マリーナは不思議そうにした。他の選手が凍結とブリザードを恐れて離れていく中、ワタルだけが真っ向勝負を挑んできたからだ。
「た、たしかに、しょーじき寒すぎだよ。顔が痛いし鼻水は止まらな……って凍ってる!?」
ワタルの顔はまつ毛まで白くなり、鼻水がカチコチに凍っている。
「だ、だけど、大和錦が耐えてるからね! オレがへこたれるわけにいかないよ! マリーナさんを越えなきゃ優勝はきっと無理だから、挑戦する!」
寒さで歯をガチガチと鳴らしながらも、ワタルは笑顔だ。
「……そうか、キミはそのストーンの良い相棒だな。一つアドバイスだが、こう寒い時は口をあまり大きく開けない方が良い」
マリーナは少しだけ表情を緩めると、自らの口を小さく動かして手本を見せた。
「な、なるほど、どうりでさっきからのどが痛いと思ったんだ」
マネをするように、ワタルも小さく口を動かして返事をする。
「それにしてもすごい寒さだよ。大和錦ッ! 動ける?」
海氷の上を跳ねる大和錦は、ワタルの呼びかけに応えて動く。表面の凍結と吹き付ける風雪のせいで、動きは鈍い。
「ちょっと厳しそうだけど、やるしかない!」
進路をダイヤモンドダストに向け、ワタルは気合を入れた。対するマリーナは吹雪を背に、迎え撃つかのごとく振り返る。ダイヤモンドダストがキラキラと光を放った。
大和錦もまた、凍結によるものか光を放っている。
「さぁて、濃すぎる雪化しょうは美人さんには余計だよ!」
「さすが子どもは、寒さを気にしないな!」
ワタルが煽り、すかさずマリーナが言葉を返す。勝負の始まりだ。
──
「~~とは言ったもののコレ、ちょっとどころじゃないくらい、ヤバイ?」
ワタルがぼやくのも無理はない。勝負を挑んでおきながら、大和錦はダイヤモンドダストに近づくことすらできないでいる。海が完全に凍り、慣れない氷上戦を強いられているからだ。
不格好にスリップしながら跳ねる大和錦とは対照的に、ダイヤモンドダストはスケート選手のごとく、氷上を優雅に滑っている。
不利な状況に加えて、すでに競技開始から十一日目。ワタルも大和錦も疲労していた。
「全然近づけない。このままじゃ……」
今の大和錦は、石欠片は消耗して使えず、付着した雪と氷により機動性は劣悪。氷上でのスリップの可能性があるため、突進攻撃も使いづらい。主要な攻撃手段と機動力を奪われていて、残っているのは頑丈さと重量くらいだ。
「さっきまでの威勢はもうお終いか?」
マリーナが言う。冷たく感じられる言葉遣いだが、表情はどこか寂し気だ。
「無理もない、我が国で育った人間にとっても、氷の世界は甘いものではない。キミにとっては余計そうだ。……いくら似ていると言ってもな」
ワタルが攻めあぐねている状況は好都合のはずだが、マリーナが向ける視線は敵選手に向けるものとは、少し違っていた。
「もう少しキミを見ていたかったけど、これで終わりにしよう。【氷柱(サスーリカ)】!」
ダイヤモンドダストが、上空に向けて強い冷気を放つ。吹雪の一部がストーンサイズの氷柱へ姿を変え、空から大和錦に襲いかかった。
「そんな技まであるっていうの!? 避け……るのは無理か! 大和錦、耐えてくれ!」
激しく撃ちつける氷柱に対し、回避を諦め受け止める姿勢をとらせる。下手な回避ではスリップの危険があるため、ダメージコントロールを狙ったのだ。しかし、あくまでも耐えるのみで、そう長く使える作戦ではない。
「(何か方法があるハズだ……! それまで耐えてくれ……!)」
氷柱に耐える大和錦を、ワタルは悲痛な面持ちで見つめた。
「冷気を止めて、氷柱だけでも……。あれ?! ダイヤモンドダストがいない!?」
考えているうちに、ダイヤモンドダストの姿が消えている。吹雪による視界悪化に氷柱が巻き上げる雪埃が加わり、少し離れただけで起こる、ホワイトアウト。
「そこか。くらえ、【サスーリカ】!」
視界不良の中、氷柱は大和錦付近に降り注いでくる。氷柱が直撃した大和錦は、右へ左へと飛ばされた。
「なんだってこっちの位置がわかるんだ?!」
「そこか!」
「!(もしかして……!)」
ハッとするワタルに、マリーナが話しかけてくる。
「雪と氷の世界の恐ろしさはわかったか? 吹雪が激しい時は家の周りでも遭難してしまうんだ。キミも気を付け──」
(『──吹雪の怖さはわかったかいマルク。しっかりついてこないとダメだよ?』)──」
「? どうしたの?」
話の途中、マリーナは一瞬黙った。しかし、何かを振り払うように首を横に振って、もとの調子に戻って話を続ける。
「……なんでもない。自然を侮ってはいけないということだ」
「そ、そうだね、わかってきたよ……。それにしても、マリーナさんの技は凄いね! オレが大和錦と出会った場所も、雪が降って寒いとこだったけど、それ以上だよ!」
危機的状況でありながら、ワタルはマリーナに世間話のような雰囲気で話しかけた。純粋に興味があるのはもちろんだが、別の狙いがある。
「そんなに良いものではない。いつもこんな調子で、寒いばかりで何もなかった」
話す間にワタルは、大和錦をダイヤモンドダストに突進させた。マリーナは同じく話をしながら、ダイヤモンドダストを操作して、華麗に回避させる。
「話しかけたのは、コチラの位置を把握するためか?」
マリーナが尋ねた。
「バレてた? でもそれだけじゃないよ。マリーナさんとおしゃべりするのは楽しいもん!」
ワタルは茶目っ気っぽく舌を出して答える。
「あがっ、舌がひっつくッ」
「言ったろ。自然は危険だ。お喋りも大変なんだよ、私の故郷は」
極寒の洗礼を受けるかのように、ワタルの口の中がヒリヒリと痛んだ。フロートから取り出したカイロを口に当て、口を小さく開いて話した。
「大丈夫! おしゃべりって声を出すだけじゃないし。オレは今、とっても楽しいよ!」
ワタルの視線の先には、突進する大和錦と、まるで踊るように美しく回避し続けるダイヤモンドダストの姿があった。
「困った子だな。避けるのも大変だと言うのに。遊んでやってるわけでもないんだが……」
楽しげなワタルを見て、マリーナは困り顔をしながらも、まんざらではなさそうだ。どこか楽し気な二人に合わせて、二つのストーンはしばらく追いかけあった。
──
「ダメだ、攻撃が当たらない!」
ダイヤモンドダストに攻撃を当てられず、ワタルは手で顔を覆って天を仰いだ。
「そんなこと言って、キミもなかなか強かだね。こうして常に距離を詰めていれば、氷柱は使えないし、見失なわないですむ」
「あれ、バレてた?」
マリーナに狙いを見透かされ、顔を覆っていた手の隙間から苦笑いを見せる。
「それに大柄なストーンをよく動かす。寒さに耐えているのも驚きだ」
「段々慣れてきたんだ! それに、大和錦は雪国生まれだからね! マリーナさんこそ、ダイヤモンドダストの動き凄いよ。まるでスケート選手みたい」
「雪や氷も、使いようだろう?」
「そうだね! ……あーあ、オレもマリーナさんみたいにストーンを扱えたらなー」
ワタルはマリーナの操作技術を羨ましがった。何気のない言葉であったが、マリーナにとってはそうではない。
(――『お姉ちゃんすごいや! ボクもお姉ちゃんみたいにストーンが扱えるようになりたいな!』──)
マリーナの頭に蘇る、昔の記憶。
「……あぁ、やっぱりキミは似ている。キミと水切りをするのは楽しい。でも」
「似てる? 誰に?」
言葉の意味がわからず、ワタルは困惑した。しかしマリーナに、相手の反応を気にかける余裕はない。
「マルクの夢を壊したのを忘れて、私だけが楽しく過ごしちゃダメなんだ。残念だけど終わりにする。……ダイヤモンドダストっ、【吹雪(メチェーリ)】!!」
ダイヤモンドダストが更に冷気を迸らせる。ストーン進行方向右手から、これまで以上の、とんでもない暴風が吹き始めた。
「何これ?! 立って、いられない……!」
フロートが警報を発し、手すりと、体を固定するベルトが足元に出てきた。ワタルは即座に体勢を低くし、手すりを掴んでベルトで体を固定する。
「大和錦、低くはねて! 滑るんでもいいから!!」
大和錦が地面を滑るような跳躍に変わる。それでも風の影響は凄まじく、予定進路からどんどんズレてしまっていた。
「〈抵抗は無駄だ、諦めろ。危険な目にあいたくなかったらな〉」
「〈通信?! マリーナさん??〉」
イヤホンから聞こえる、マリーナの声。ワタルは辺りを見回したが、周囲は暴風で巻き上げられた雪でほとんど見えず、マリーナの姿は見つけられない。
「〈嫌だ! 大和錦が諦めてないんだもん! オレが諦めるわけにはいかないよ!〉」
足元を滑る大和錦を見て、ワタルは答えた。大和錦は完全に氷に覆われてしまっている上、進路を流されていたが、それでも前進は止めていない。
「〈そこまでして、どうして進む? もしかすると転覆したり、大切なストーンを失ったりするかもしれないんだぞ?〉」
「〈それは……〉」
再び足元の大和錦を見る。視界は悪く、少しでも目を離せば見失ってしまうかもしれない状況。フロートもかなり風に煽られていて、怖いくらいに揺れていた。万が一の時は保護機能が発動するはずだが、それでも無事でいられるかはわからない。
ワタルは少し黙って考えたが、首を横に振って答えた。
「〈どうもこうも、進みたいから進む! それだけだよ!〉」
「〈……聞き分けの悪い子だ。そんなことでは、いつか取返しの付かないことになる〉」
「〈おどしのつもり?! 悪いけど、聞く気はないよ……!〉」
「〈脅しなんかじゃない。無茶をし過ぎるとどうなるか、その身に味わわせてやろう。……【雪崩(ラヴィーナ)】!!!〉」
暴風の中でも聞こえる大きさで、何かが崩れるようなゴロゴロとした音が聞こえてくる。ワタルと大和錦を覆うようにして、黒い巨大な影が落ちてきた。
「〈!〉」
ワタルの右手側に、雪山のように雪と氷が立ち上がっていて、雪崩となって落ちてきていたのだ。大和錦を逃がそうとしたが、間に合わない。
「大和錦っ!!!」
雪崩に飲み込まれる。フロートが保護壁を出して視界を遮る中、ワタルは必死に大和錦へ意思を集中させ続けた。
──
「……痛ってて。って、痛くないや」
真っ暗なフロート内に、オレンジ色の非常灯が灯る。マリーナの放った技で雪崩に襲われたワタルは、フロートが展開した卵型の保護壁で守られた。多少雪と氷も入ってきていたが、命にかかわるほどの影響はなく、怪我もない。
「さむい……。それに、一瞬で何も見えなくなった。『自然を侮るな』ってじーちゃんも言ってたけど……。ストーン一つでコレなら、ホンモノはもっと怖いんだろうなぁ」
冷え切った内壁に触れて、ワタルは一瞬、昔のことを考えた。ストーンを掘るために知り合いのお爺さんと山に入った時、雪崩や落盤事故の恐ろしさを話してもらったことがあった。
「でも、今は……!」
内壁の操作盤に触れて、無事を示す信号を発信する。少し経って、雪と氷から脱出したのか、フロートがかなり揺れた後、保護壁が解除された。
「大和錦! どこ?!」
暴風ほどではないものの未だ吹雪で、視界は悪い。大きな声で呼びかけながら大和錦を探す。フロートが動いているので、止まったり沈んだりはしていない。
しかしなかなか見つからず、焦りで気持ちが揺らいだ。
「どこ、どこに……! ……いた! 無事だったんだね!」
幸いにも、大和錦は呼びかけに応えて視界の範囲に現れた。速度がだいぶ落ちた上、二回りほど大きくなるくらいに凍っているが、なんとか無事だ。
ホッと胸をなでおろしていると、マリーナの声がした。
「まだ生き残っていたとはな。やれっ、ダイヤモンドダスト! 【サスーリカ】!」
「くっ……! 大和錦っ、つぶてを飛ばせ!」
すぐ右横を並走するマリーナの姿が見える。氷上を進む大和錦に、ダイヤモンドダストは氷柱を発射。対する大和錦は、左から右に動き強く着氷。足元の氷を叩き割って飛ばし、氷柱に当てて相殺を図った。
「狙いは悪くない、が。風向きが計算に入っていないぞ……!」
「うっ……」
嵐による強風は、ダイヤモンドダスト側から吹いている。風に乗って威力をました氷柱は氷つぶてを簡単に破壊して、大和錦に直撃した。
「だったら次は……、【雲隠れ】!」
ダイヤモンドダストから大和錦を離れさせ、吹雪に身を潜ませる。
「隠れるか。だが、影が見えている。そこだっ【サスーリ……、増えた?!」
「忍法【分身の術】! 今だっ、大和錦!! 【浴びせ倒し】!!!」
接近する大和錦の影に氷柱を放とうとした時、影が突然、二つ、三つと増えていった。狙いを絞れないうちに、その中の一つがダイヤモンドダストに飛び込んでくる。
大和錦の、飛び込みながらの体当たり。ダイヤモンドダストが破片を散らす。
「なかなか、できる! ……だが、カラクリはわかった」
マリーナは驚きながらも冷静で、すぐさまダイヤモンドダストに距離を取らせて吹雪に隠れさせた。
「もいっちょ行くぞっ、大和錦! 【分身の術】!」
大和錦は再び吹雪に隠れ影を増やし、ダイヤモンドダストに並走する。先ほどと同じく、いつどの影が飛んでくるのかわからない攻撃だが、マリーナは動かない。
そうしているうちに、一つの影が少しだけ大きくなった。
「アレが本体だ! やれっ、ダイヤモンドダスト!」
「うそぉ?!」
大きくなった影を氷柱が撃ち抜く。ストーンのものと思われる白色の破片が弾けた。
「分身とは大そうな言い方だったが、実体は割った氷を並走させていたのだろう? 近づいてこられるのは一つだけ。それだけに注意すればいい」
「ッ……! だったら、これはどう!?」
今度はダイヤモンドダストの左右、後方にいくつもの影ができる。まるで取り囲むかのようだ。かなりの数だが、それでもマリーナは表情を崩さず、自身の後方を見つめた。
「おおかた、後方から氷つぶてを飛ばしたというところか。残念だが、キミはキミのストーンの大きさを計算に入れていないようだな」
左右の影は迫ってこないが、後方の影は飛びこんできている。それを見て、マリーナはダイヤモンドダストを動かさなかった。後方から飛び込んできた影のいくつかが判別できる距離まで入ってきたが、その全ては避けるまでもない、ただの氷つぶて。
「それが本体か。良い発想の技ではあったが。……これから私は最大の技を放つ。受ければキミのストーンは今度こそ、ただではすまないだろう」
後方から迫る、とりわけ大きな一つの影に向かって、マリーナは話した。
「キミはそれでも進むか? もう戦いが始まって随分経つ。ストーンも弱っているし、キミの体も冷えて辛いだろう。どうしてそこまでする?」
「オレは……!」
マリーナの問いに、ワタルは答える。
「オレは、世界一の水切り選手になりたくてここに来てる! まだまだできないことはいっぱいだけど……」
ワタルの言葉を聞いて、マリーナは再び、昔のことを少し、思い出した。
(──『ボク、姉ちゃんみたいにストーンが操れるようになりたい! それで、世界一の水切り選手になるんだ』──)
「……できないことは、これからできるようになっていきたい! やれることを全部やって、やりきって倒れちゃったら、その時からまた、次はできるようにがんばる!」
「(あぁ、キミは本当にマルクそっくりだね。だけど──)」
「──だったら、その倒れる時が今だ! 決めろ、ダイヤモンドダスト! 【絶対零度(アプサリュートヌィィ・ヌイ)】!!!」
ダイヤモンドダストから、強力な冷気が放たれた。上空に巨大な三本の氷柱が出現し、後方から迫ってくるとりわけ大きな影を狙う。
「やるしかない! 飛び込め! 大和錦ッ!」
ワタルが叫ぶ。巨大な影がダイヤモンドダストに飛び込んだ。
「はぁ、はぁ……。勝負あったな」
息を切らして、マリーナが言う。巨大な影は、落ちてきた三本の氷柱によって囲まれた。くさびを打ち込まれるように封じられた影は、冷気によって一瞬で氷塊に。
取り残され離れて行く氷塊を見て、マリーナは息をついた。ダイヤモンドダストもまた、冷気の放出量を減らしていく。
「……勝負あったね、マリーナさん!」
「!? どうして止まっていない!」
ワタルの声。マリーナは驚いた。見えてはいないが、ワタルは『したり顔』だ。
「フロートが進んでいる理由なんて、一つしかないよ! 忠告しておくけど、足元に気をつけてね。もう、遅いけど!! 忍法【畳返し】!!!」
ダイヤモンドダストの進路上の氷に、大きな亀裂が入った。察したマリーナは回避を試みたが、間に合わない。ダイヤモンドダストが着氷しようとしていた氷が割れ、海水と氷を散らしながら大和錦が浮上してきた。
勢いのまま、大和錦はダイヤモンドダストを下から突き上げ、大空に弾き飛ばす。衝撃で、大和錦にまとわりついていた氷が一気に弾けた。
「潜水していたのか?! その重量のストーンが、なぜ……」
大和錦の重量では、潜水はできても浮上はできないはず。マリーナは聞いた。
「ダイヤモンドダストのおかげ、になるのかな。大和錦を氷漬けにしてくれてたでしょ?」
「……! なるほど、浮力を得たか」
「うん! 雪も氷も使いよう、だよねっ」
「!」
ダイヤモンドダストの起こした吹雪によって、大和錦はかなり厚い氷に包まれていた。その氷によって浮力を得ることができ、潜水からの浮上攻撃が可能となったのだ。
「狙いがつくか心配だったたけど、前に似た技を受けていたのを活かせたね、大和錦!」
ニッコリと笑うワタルを、マリーナは優しい顔で眺めた。
「……やられた。私の負けだ」
天候はもとの嵐に戻り、海を覆う雪と氷が崩れ始める。空中を舞っていたダイヤモンドダストが海面に戻ってきたが、跳躍に力はなく、優勝争いに食いこむほどの速度はもう発揮できないだろう。
「キミに自然の恐ろしさを、驚かして教えてあげるつもりだったけど……、むしろ私が驚かされてしまった。……いや。本当のところは八つ当たりだったのだけどね」
そう言うと、マリーナは苦笑いを浮かべた。
「そんなこと……。一瞬だったけど、大和錦が沈んじゃったんじゃないかって思ったし、雪に埋もれたのも……、どっちも怖かった。じーちゃんから聞いた自然の恐ろしさって、こういうことだったのかなぁ?」
「そうか、ちゃんと学んでいたんだな、キミは。……八つ当たりしてしまって、すまない」
マリーナが頭を下げた。目元がきらきらと光っている。
「謝ることなんてないよ! ……それより、聞いちゃいけないことだったら、ごめんなさい。マリーナさんは水切りが好きなのに、どうして苦しんでるの? あと、マルクって誰?」
ワタルは問いかけた。勝負の中で聞いて気になった、ということもあるが、それ以上に、マリーナの目元で光っている涙の理由である気がしたからだ。
「……マルクは、私の弟だ。……私は、弟の夢を奪ってしまってね」
「弟? 夢?」
「あぁ。八つ当たりしたままなのも申し訳ないし、少し話そうか。マルクは毎日水切りしているような、水切りが大好きな子だったんだけど~~」
マリーナは昔を思い出しながら話をする。七つ年下の弟、マルクのことを。マルクはマリーナに似て白髪青目。マリーナ曰く、ワタルに雰囲気が似ている水切り好きの男の子。
話は、そんなマルクを起こった五年前のある出来事だ。
「~~五年前、私が国内の強化選手の一人に選ばれた頃。弟のマルクが私に隠れて、ストーン掘りをやるようになってね。最初気づいていなかったんだけど、手はボロボロだし、毎日泥だらけで帰ってくるものだから、山に入って遊んでいると思って、問い詰めたんだ」
──
─
「今日も泥だらけ……。この土、鉱山のだろう? マルク、もしかして勝手に入ってるんじゃないか?」
「え……。そ、それは……」
「はぁ。お姉ちゃん怒らないから、正直に言って」
「……入って、る」
「いいかい、マルク。自分のストーンが欲しいのはわかるけど、あの山は放棄されて長いから地盤が緩んでる。危ないから近づいちゃダメ」
「ごめんなさい、お姉ちゃん。でも、もうちょっとで掘れるから、後一日だけチャンスをちょうだい! 一生のお願いだから!」
「うーん……。……。……はぁ、わかった。あと一日だけだよ」
──
─
当時の事を話すマリーナの表情は曇っていて、どこまでも悲しそうだった。
「私はあの時、マルクを許してしまった。でも、少しでも年長者として、弟を守る姉として、絶対に許しちゃいけなかったんだ」
暗い表情を見て、ワタルは恐る恐る尋ねた。
「……いったい、何があったの?」
「……落盤事故が、起きてしまった。なんとか命は無事だったんだけど、マルクは利き手の……、右腕を岩石に挟まれてね、失ってしまった」
マルクはストーンを掘っている時に発生した落盤事故で、右腕を岩に挟まれた。その時点で恐らく右腕はどうしようもなかったが、腕が救出を阻んでいたこともあって、その場で腕を諦めることになった。
「そんな……」
ワタルは自分の右腕を左手でさする。マルクの身に起こったことを想像して、悲しい気持ちがした。
「だから、あの時止めなかった私は、マルクの夢を奪ったも同然。そんなマルクの事を忘れて、自分だけが楽しく水切りをするわけにはいかない」
「でも、それは……。たしかにマルク君に起こったことは悲しいことだけど……。それでマリーナさんがずっと悲しんじゃったら、マルク君もずっと悲しんじゃない?」
「……そんなところも、キミは似ているね」
気遣うワタルの言葉に、マリーナは少し微笑む。
「マルクも、気にしないでって言ってくれたんだ。……でも、割り切れなかった。マルクは病院で目覚めて、腕が無くなっていることに気が付いたのに、一番に気にしたのは、自分のことじゃなかったんだ」
マリーナはダイヤモンドダストに視線を向けた。白い氷でできた表面が光を放っている。
「あの子が気にしたのは、掘っていたストーンの事だった。事故現場で拾われて病室に届いていたこのストーンを見つけたあの子は、私に差し出して『プレゼント』って言ったんだ」
「プレゼント……」
「あの時の私は、強化選手に選ばれたというのに、ストーンを壊してしまっていて。マルクはそんな私にプレゼントしようと一生懸命探して、ダイヤモンドダストを見つけて、それで……」
マリーナの目から、ポロポロと涙が零れた。
──
─
「マルク、その、腕が……」
「あー……。……うん。大丈夫だよ、なんとかするから。それよりこれ、プレゼント!」
「掘っていたストーン……? え……?? あ……??? プレゼント???」
「うん、プレゼント。ストーンの名前は【ダイヤモンドダスト】。お姉ちゃん、ストーン壊しちゃってたよね? だからこれを使って。それで、世界一になってよ!」
「私のために……」
「お姉ちゃんは、お姉ちゃんの意思についていける強いストーンさえあれば、きっと世界一になれる。僕は、そんなお姉ちゃんが目標なんだ」
──
─
「『これで世界一になって』って……。私が判断を誤ったせいで大好きな水切りができなくなったのに、辛い気持ちを抑え込んで、笑いかけてくれて……」
「……強い人なんだね、マルク君って」
「そうなんだ。とっても優しくて、強い子だ。……キミがマルクにどこか似ていたから、マルクと遊んでいた頃を思い出して楽しくなって、そしてその分、悲しくなった。それで、八つ当たりしてしまったんだ」
マリーナは涙を拭いて、ワタルと大和錦を見つめた。眼差しはとても暖かく、優しい。
「……そんな私のことを、跳ね除けてくれてありがとう」
「はねのけるだなんて、そんなことないよ! 熱い勝負ができて、オレは楽しかった!」
ワタルは眩しい笑顔で答えた。
「マルク君は今、どうしているの?」
「……どうだろうな。退院してからはあんまり会っていないんだ。両親の話では、慣れない左腕だけの生活に苦戦していたけど、今は大抵のことは、昔と変わらないようにできるようになったそうだよ。……きっとたくさん、がんばったんだろうね」
「いつか会ってみたいな。マルク君に」
「ぜひそうしてくれ。その時は、故郷を案内するよ。……っと、長話が過ぎた」
ダイヤモンドダストの速度が落ち、回転が弱まる。バランスを崩し始めた。
「あわわ。ごめんね、ダイヤモンドダストっ。あっ、大きな傷が……」
「別に大した傷じゃない。じきに修復される」
一瞬見えたダイヤモンドダストの亀裂をワタルは気にしたが、マリーナの言葉のとおり、損傷箇所は海水を素材に修復しつつあった。
少し氷が解けたせいか、透明になったボディは光を美しく反射して、宝石のように輝いている。
「わぁ! 修復できるなんて、凄いストーンだね!」
「氷でできているからね。さすがにバラバラにされたら戻せないが、多少の傷なら冷やせば元に戻るよ。……とは言っても、そろそろ限界みたいだ」
回復してはいるものの、ダイヤモンドダストの跳躍は弱々しい。それを見たマリーナはワタルにお願いをした。
「一つ、頼んでいいかい? キミの攻撃でリタイヤしたい」
「えっ?」
「私の国は少し面倒なところがあってね。戦って倒れるのは良いんだが、リタイヤにはめっぽう厳しいんだ。申し訳ないが、頼む」
グレートジャーニーはゴールする順位を競うもの。追撃の危険が無い場合は、相手ストーンをリタイヤさせるまで攻撃する必要はない。後半戦であれば、追いかけてこない相手に労力を割くのはむしろもったいないことでもある。
それにワタルはストーンが好きだ。そのため、無暗に傷つけることを好まない。
「……うん。わかった」
しかしワタルは、応えたいと思った。大和錦をダイヤモンドダストから少し離し、ちょっとだけ助走をつけて、軽い体当たりをするために近づける。
「軽くでいいからね、大和錦。【突っ張──」
「――貴様ら、そんなにトドメをさして欲しいなら俺がやってやる!」
大和錦がダイヤモンドダストに接触しようとした、その瞬間だった。後方からもの凄い勢いで、漆黒の禍々しいストーンが、大和錦目掛けて飛び込んできた。
「ゆけ、【コール】! 【バケットホイール・エクスカベーター】!
敵意に満ちた、男の声。その声と迫るストーンにワタルが気づいた時には、辺りにガリガリと、嫌な摩擦音が響いていた。
「……チッ。死にぞこないは後回しにしたつもりだったが。まさか他人を庇うとはな!」
ストーンに追従して現れた、ローブの男が舌打ちをする。男のストーン【コール】が放った、全面に生えた鋭利なトゲによる掘削攻撃を、ダイヤモンドダストが受け止めている。
「……あ? あぁ? ダイヤモンドダスト?? マリーナさん、どうして???」
ワタルは目を疑った。ダイヤモンドダストが大和錦を守るために、その身を盾にしたからだ。
「……私はここまでの人で、キミは先に進む人。私はキミを、悲しませたくない」
混乱しているワタルに、マリーナが微笑む。
「そんなこと! 早くソイツから離れて! じゃないと、ダイヤモンドダストが……!」
ワタルが叫ぶ。コールのトゲと強烈な回転で、ダイヤモンドダストはみるみるうちに表面を削られている。このままでは、バラバラに砕け散ってしまうかもしれない。
「残念ながら、私は動けない。抑えているうちに、先に行って」
「聞けないよ! そんなこと!!」
マリーナの言う事を無視して、大和錦をいったん離れさせ突進の助走をつけさせる。コールにぶつけるためだ。ワタルはローブ男を睨み付けて、声を荒げた。
「アンタ、何するんだ! そんな攻撃を続けたら、ダイヤモンドダストが壊れちゃうじゃないか!!」
ローブ男は、バカにした態度で大笑いした。
「ハッハッハ! 小僧、なにを当たり前のこと言っている? 壊そうとしているのだ! 粉々にな!!」
すでにダイヤモンドダストは勢いを失い自走不能。それでも男は、構わず攻撃を続ける。
「なんだって、そんなこと! ダイヤモンドダストは、マリーナさん達にとって大切なストーンなんだ! 大和錦ッ! アイツを止めて!!」
ローブ男を止めるため、大和錦に全速力でコールへと突っ込ませる。近づいてくる大和錦を見て、ローブ男は吐き捨てるように言った。
「大切だから、壊すんだろう……!」
コールの付近に粉が舞い始める。狙いに気づいたマリーナが咄嗟に声を上げた。
「ダメだワタル、近づくな! ダイヤモンドダスト、【氷防壁】!!」
ダイヤモンドダストから僅かな冷気が放たれ、大和錦の接近を阻むように海面の一部が氷壁となる。行く手を阻まれた大和錦は突進を止めた。
「マリーナさん どうして?!」
「……まとめて消してやろうと思ったが、まぁいい。爆ぜろ、【ダスト・エクスプロージョン】!」
ローブ男が言う。ダイヤモンドダストとコールの間で火花が起こり、一瞬で爆発。辺りに立ち込めた黒煙の中から、透明な破片が飛び散っていった。
「そんな……、ダイヤモンドダストが……!」
飛び散る破片の中で一つだけ、まだ海面を跳ねているものがある。コインくらい大きさのそれに合わせて、マリーナのフロートが速度を落としていく。
「……粉々にしたつもりだったが、存外大きな破片が残ってしまったか。慈悲だ。それは持って帰ってもいいぞ。クハハハハ」
高笑いをするローブ男の足元に、コールが戻る。ローブ男の目元は見えないが、次の狙いが大和錦であることは明白だ。
「次は小僧、貴様だ。その白い石ころ、粉々にしてやろう」
「なんで、なんでこんなことを……!!」
挑発をするローブ男を、ワタルは睨んだ。しかし意外にも、反撃せずに下がっていく。
「なんだ? 怖気づいたか?」
ローブ男がバカにする。ワタルは痛いくらいに拳を握りしめた。
「……アンタより、ダイヤモンドダストのことが大事だから」
視線を外して、大和錦の速度を落とす。ローブ男はそんなワタルの態度に苛立った。
「争っている相手を気にかけるなど、愚かな。順位勝負でなければ、この場で粉々にしてやりたいが……!」
ローブ男はそう言い捨て、ストーンを爆発的に加速させてその場を去った。
――
「マリーナさんっ、ダイヤモンドダストは?!!」
「……どうしたんだいワタル? キミのレースはまだ終わってない。進まなくちゃ」
マリーナは先へ進むようワタルに促す。声が震えていた。下を向いたまま、ワタルと視線を合わせることもない。
「ちゃんと、行くよ。その、ごめんなさい。オレのせいでダイヤモンドダストが……」
ワタルの目には涙が浮かんでいる。
「キミのせいじゃない。悪いのは攻撃してきたあの男だし、庇ったのは私がそうしたかっただけ。だから、気にせず先へ進んで。いいね?」
マリーナは顔を上げ、再び微笑んでみせた。ワタルは袖で涙を拭い、少しずつ速度を上げる。
「そうだ。聞いてもいいかな?」
二人のフロートが離れ始めた時、マリーナはワタルに声をかけた。問いかける表情は少し不安そうなものだ。
「キミに聞いても、仕方のないことだけど……」
言葉に詰まりながら、マリーナは胸の前で両手を握る。
「私はマルクに、嫌われてしまわないかな? ダイヤモンドダストをこんなにしたし、マルクが託してくれた世界一の夢も、私は破ってしまう」
不安そうなマリーナに、ワタルはしっかりとした言葉で答える。
「嫌われるなんて絶対ない! オレが世界一になるから!」
あまりにも自信満々に言い切るのを聞いて、マリーナは少し笑ってしまう。
「……フッ、そうか。私に勝ったキミが世界一になれば、まぁ、セーフ、なのかな。理屈になっていない気もするが」
「えぇ、そうかなぁ~」
「まぁいい。私に勝ったんだ。絶対一番でゴールしてくれ。じゃなきゃマルクに、示しがつかない!」
「わかったよ!」
ワタルは笑顔で答えた。二つのストーンが離れて行く。速度が落ちた大和錦よりも更に、ダイヤモンドダストの速度が遅くなったからだ。
「あ、そうだ!」
別れ際、ワタルは大きな声でマリーナに言った。
「またいつか一緒に水切りしようね! マルク君も、一緒に!!」
マリーナは少し驚いた顔をしながらも、ワタルに聞こえるよう大きな声で答えた。
「ああ! また一緒に水切りをしよう、ワタル! マルクにも、そう伝えておく!」
ダイヤモンドダストを拾い上げ、フロートを止める。マリーナは嵐の中を進んでいくワタルの背中を、見えなくなるまで見送った。
──
フロートから発信された信号をもとに、回収艇が派遣される。海は荒れていたが、マリーナはすぐに発見された。
「迎え、か。でも、間に合わないかもしれないな。もう、こんなに小さく……」
手のひらに乗せたストーンが、少しずつ溶けて小さくなっていく。回収艇に乗りこむとすぐに、特殊な冷却容器にストーンを収納した。
チームへの報告もそこそこに、マリーナは容器を持って船の甲板へ上がる。冷気の影響も薄れ、ぬるいくらいの潮風に銀色の髪がなびいた。
「会ったらなんて言おうかな。ダイヤモンドダストをこんなにしてしまったこと、謝らないといけないな。それに、私だけ水切りをやっていることも……」
「……どっちも違うよ。姉ちゃん」
「えっ……?」
マリーナの後ろから、少年が声をかけた。短めの銀髪に活発そうな顔立ちで、右袖を風になびかせている。マリーナの弟、マルクだ。
「マルク! どうしてここに!? ええっと、その、お姉ちゃん謝らないといけないことがあって……、レースでダイヤモンドダストをこんなに――」
「――だーかーら、違うよ! 謝らなくたっていいんだって!」
慌ただしく話すマリーナを横目に、マルクはマリーナから容器を奪って、ダイヤモンドダストを取り出した。
「な、何をするんだ、そんなことしたら溶けてなくなって――」
「――なくならないよ。だってこの部分は、氷じゃないから」
「???」
きょとんとした顔をするマリーナに、マルクは説明する。
「ダイヤモンドダストの中心は、ダイヤモンド。周りに氷がついてあの形なんだ」
そう言うとマルクは、左手で握ったストーンに光を反射させる。キラキラと眩しく輝く美しい姿は、紛れもなく宝石のダイヤモンド。
「そうだったのか! ……壊れてなかったんだ。良かっ――」
「――おりゃ!」
「……ん? いったい何を」
安堵した瞬間、マルクは持っていたダイヤモンドダストを海上に放った。
「な、何してるんだ!? 投げ捨てちゃうなんて!」
ダイヤモンドダストの行方を探そうと、マリーナが海をのぞき込む。するとそこには、海上で大きく円を描くように跳ねる、ダイヤモンドダストの姿が見えた。
ぐるりと回ってきたストーンは大きく跳躍。甲板に立つマルクの手元へと戻ってくる。
「!!!」
驚きのあまり、マリーナは声が出なくなってしまう。目から涙が溢れた。
「だから言ったでしょ? どっちも違うって。ダイヤモンドダストは壊れてないし、姉ちゃんだけが水切りやってるわけじゃ、ない」
「……あぁ!」
マリーナはマルクを抱きしめた。二人の間で、ダイヤモンドダストが美しく輝いている。
「あ、そうだ」
マルクが思い出したように話す。
「世界一にならなかったことは謝ってよ? 世界一になった姉ちゃんを倒して、ボクが世界一になるのことが目標なんだから」
「……そうだな、わかってる」
「あと、ダイヤモンドダストの氷が戻るように、ちゃんと寒いとこに埋めといてね」
「……わかってるさ」
「なんか返事テキトーじゃない? ホントにわかってる??」
頷いてばかりのマリーナに、マルクは少し呆れ顔だ。しかしマリーナは、とても幸せなそうな顔をしていた。
そうして二人は、穏やかな顔で海を眺める。
「なぁマルク。今日は雪解けみたいだな!」
「なにそれ、海のこと? まったく。姉ちゃんは、相変わらず話を聞かないなぁ……」
「聞いてるよ。大丈夫って、ことだろう?」
話しながら二人は笑った。まるで雪解けを喜ぶように。
「……でも、本当に大変だったんじゃないか? ストーンを操れるようになるなんて」
「大丈夫って言っちゃったからね。まぁ……、とんでもなく大変だったんだけど」
「わかってる。今の水切りを見れば、全部伝わる。水切りはできることしか、できないからね」
「まぁ……、そっか」
その後しばらく二人で甲板を歩きながら、マリーナは大会の思い出をマルクに聞かせた。
「そうだ! マルクに会って欲しい子がいるんだ! ワタルって言って、歳はマルクと近い、のかな? とってもいい子で、しかも日本代表なんだよ!」
「ワタル君! 試合見てたよ。面白い技を使うよね! 勝負してみたいなー!」
マルクは瞳を輝かせた。以前からの夢を、以前より強い思いで追う。マリーナもまた、そんなマルクの姿を見て、次の勝負が、水切りが楽しみに感じられた。
この先もたくさんの勝負をするために、長く大切に、二人はストーンと技を磨き続けるのだろう。そうして磨き上げれば、きっと。
その輝きは、ダイヤモンドのように。
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