第四投 世界の壁 天才・ルーカス×至宝・燕青
『ワタル選手が先頭集団に追いついた! しかし場は大荒れ、ついていけるのか!?』
イザベルとの勝負から一夜明け。ワタルが追いついた時には、先頭集団では激戦が巻き起こっていた。
現在の順位は、一位は変わらずダンテ【フォーミュラ・ワン】、そこから少し離れた以下は混戦で、二位燕青【満漢全石】、三位マリーナ【ダイヤモンドダスト】、四位謎のローブ男【コール】、五位ルーカス【フロンティアスピリッツ】、六位アーデルベルト【ビスマルク】、七位シブシソ【ギフト】、八位ワタル【大和錦】だ。
「あれ? シブシソさんの順位が上がってない?!」
ワタルは不思議がった。短い時間とは言えぶつかり合ったシブシソの実力は、トップ選手に引けを取らないと感じていたからだ。
「久シブリダナ、ワタル。困ッタ事ニ、ビスマルクに行ク手ヲ阻マレテイテナ」
「ビスマルクに?」
「ダガ、次コソハ!」
シブシソは困った顔で頭をかいたが、すぐに鋭い表情に変わる。ビスマルクのすぐ後方にギフトをつけた。
「イクゾ。【ナイルの死の回転(デスロール)】!」
かけ声と同時に、ギフトは上部の二本の突起を向け突進。ワニが獲物に噛みつくかのごとく、ビスマルクをえぐりにかかる。
「あの技、当たればひとたまりもないよ……。って、ビスマルクは動いてない!?」
ワタルは驚いた。強力なギフトの技を前にして、ビスマルクが一切回避しないからだ。軍服風の競技服を身に着けた大男、アーデルベルトは、全く風になびかないワックスで固めたオールバックの頭髪と同じように、腕を固く組んだまま眉一つ動かさない。
程なくして辺りに強烈な摩擦音が鳴り響き、ギフトに組みつかれたビスマルクは海面に押さえつけられた。
『あーっと、ギフトの攻撃がビスマルクを襲う! 強烈な一撃!! さすがのビスマルクもこれは効いて――』
カメラドローンが集まる。実況が煽った。
『――なーい!!! ビスマルクの美しいボディには傷一つついていないぞォ!』
「ウウム……」
攻撃の効果の無さに諦めたシブシソは、ギフトを下がらせた。組みつきを逃れたビスマルクは、攻撃など受けていなかったかのように元の調子で跳躍している。
しばらくして、沈黙していたアーデルベルトが口を開いた。
「……コレが、我がドイツが誇る技術の粋を集めた【絶対――」
『――【絶対防御】! ドイツ脅威の技術力は伊達じゃない! コレがビスマルクです!』
もったいぶって話し始めたアーデルベルトの声は、実況にかき消された。アーデルベルトは表情こそ崩さなかったが、咳払いを一つして話を続ける。
「……ごほん。とにかく、誰であろうと私の居場所を奪う行為は許さない、と言うことだ。わかったら妨害行為は止めろ。ならばこちらも、危害は加えない」
アーデルベルトは黙って前を向いた。攻防を見ていたワタルが感心する。
「すごい。ギフトの突撃でキズ一つついてないどころか、跳ねるリズムもバランスも、すぐに戻ってる! ……となると、ビスマルクに前を取られるってことは」
ワタルは、大和錦をビスマルクから横に離れた位置に動かす。しかし、どこに移動しようとビスマルクは、先を塞ぐよう機敏に進路を合わせてきた。
「少年、人の話を聞いていなかったのか? 私の順位を奪おうとするなら容赦しないぞ」
「やっぱりそっか。立ち塞がる壁、ってことね。でも!」
頬を叩いて気合を入れなおし、大和錦を少し下がらせる。仕掛けようとするワタルを見て、アーデルベルトは厳しい表情になった。
「無駄なこと。妨害するなら我が身を守らせてもらう」
言葉こそ攻撃的でないものの、目つきは容赦を感じさせない。
「壁があったら越えたくなるんだよね! いこう、大和錦!!」
ワタルの声に応えるかのように、大和錦が速度を上げた。
「先手必勝だ! いくぜッ、【クサナギ】ッ!」
大和錦は、ビスマルクのすぐ後方左側に着水すると、一瞬で後方右側へ移動。少し遅れて甲高い接触音が響き、風圧が前方を進む選手達にまで及ぶ。
『居合切りのような強烈な一太刀! コレは効いたか!?』
実況が叫ぶ。モニタにスローモーションの映像が流れた。大和錦は急速に左右に動くことで、斬撃のような一閃をビスマルクに放ったのだ。
『……ビスマルク無傷!! かすり傷すらありません!!!』
ビスマルクにダメージは一切無い。むしろ攻撃を放った大和錦の方が、バランスを崩して横方向遠くまで跳ねてしまっている。
「さすがだね。だけどっ!」
ワタルは落胆していない。その瞳はビスマルクの前に向いていた。
「第二刃だ!」
視線の先で突然、海が三日月型に斬り取られた。斬り取られた位置はビスマルクの進路上。次に着水する位置だ。
「そのまま落っこちて沈むか、技でも放って避けるか。どちらにせよ動いてもらうよ! アーデルベルトさんッ!」
ワタルは不敵に笑う。アーデルベルトがどんな行動を選ぼうとも、その際に生じるであろう隙を利用して抜き去るねらいだ。
「……面白い技を使う」
アーデルベルトもまた笑みをみせた。回避行動を取らずに、ビスマルクを前進させ続ける。すぐにビスマルクは、斬り取られた海に到達。そして、落下。
海の切れ目はすぐに、流れ落ちる海水により閉じられた。
「え……? アーデルベルトさん、せめて何かした方が良いと思うよ? 間に合ってなかったのかもしれないけどさ」
無抵抗な様を見て、ワタルはキョトンとした。
「ま、いっか。このまま通らせてもらうから! じゃあね!!」
「……待て、少年」
「え?」
横を通り過ぎようとするワタルを、アーデルベルトが呼び止める。
「君は訂正しなければならないことがある。さっきの問い、二つの選択肢は誤りだ」
ワタルは気づいていなかったが、ビスマルクの位置と連動しているアーデルベルトのフロートは、未だ進み続けている。つまり。
「それと、訂正とは別にひとつ。足元に気を付けておけ」
海面を跳ねる大和錦の下方に、影ができた。
「もしかして……!」
「警告はしたぞ。そこにいると、ぶつかってしまうな」
不穏な様子にワタルの顔がひきつった。大和錦が着水しようとした瞬間、海面に水柱が上がる。海中からビスマルクが出現したのだ。
大和錦は下から現れたビスマルクによって打ち上げられ、後方に飛ばされた。
「一つ、海には落ちるが沈みはしない。二つ、避けることもしない。それが答えだ」
着水したビスマルクが、付着していた海水を弾く。太陽光を反射し、透明なボディはプリズムのような輝きを放った。
「硬いだけじゃなくて、潜水もできるの!?」
「硬いだけとはなんたる侮辱!」
ワタルが悔しそうに叫ぶと、間髪を入れずに言葉が返ってくる。
「少年、君は防御のなんたるかを知らないのだな!」
「それくらいわかるよ! 敵の攻撃を防ぐんでしょ」
「それだけではないぞ!」
「どういうこと???」
思わぬ反論にワタルは狼狽える。アーデルベルトは自信満々の表情で言った。
「少年は、守りを固めるビスマルクを見て、攻撃を選んだ。つまり私の防御が【先手】で、少年の攻撃が【後手】だ。つまり【先手必勝】なのは私だ!」
勝ち誇るように胸を張る。
「これこそが【絶対防御】の真髄。圧倒的防御力で敵を後手に追いやる守りの技!」
言い切ったアーデルベルトに、観戦会場の拍手と歓声が、通信機を通して届けられた。満足気に聞いた後、アーデルベルトは思い出した様子で付け加える。
「もう一つ訂正がある。ビスマルクは潜水ができるのではなく得意――」
『──硬いストーンに堅い守り! 【絶対防御】ビスマルクは、攻略もし難いのか!!』
またしてもアーデルベルトの言葉は、実況に遮られた。だが、実力が本物であることは間違いない。
「なるほど、さすが絶対防御。そうやって順位を守ってきたんだね。……って、あれ?」
ワタルは納得した顔で数度頷いていたが、ふと、疑問に首を傾げる。
「ビスマルクは最初三位だったよね? なんで今六位なの??」
「……! それは──」
話をそのまま受け取るなら、順位が降格することはあり得ない。その疑問は、すぐに解決した。
「──アー、ワタルよ、聞コエルカ? コウイウコトナノダ」
前方から聞こえるシブシソの声。ワタルはすべてを察した。
「……シブシソさん。オレが勝負してる間に抜けたね?」
「……ウム」
大和錦が勝負している隙に、こっそりとギフトは進んでいた。ビスマルクが順位を落とした理由は、後続の一人に対応している間に、別の選手に追い抜かれ続けたから。
「コレモ戦術ダ。悪ク思ワナイデクレ、ワタル」
あまり褒められた方法ではないと思っているのか、シブシソは苦笑いだ。
「仕方ないよ。一対一じゃないんだから。……でも、はぁ」
まんまと利用されて、ワタルは落ち込む。それよりもショックが大きいのはアーデルベルトで、幾度も同じ戦術にはまっていることに、憤りの気持ちを隠せていない。
「ええい、またしても、なんと姑息な!」
拳を握り込み悔しさを滲ませる。しかしどういうわけだか、攻撃して順位を奪い返すことはしなかった。
「? アーデルベルトさん。守りを固めるのは良いけど、なんで攻撃しないの?」
ワタルが尋ねると、アーデルベルトはまたも即答した。
「それが私の信念だからだ。攻撃することを私は望んではいない」
アーデルベルトは遠くを見つめる。
目的がどうであれ、積極的に試合を動かさない戦い方は、非常に厄介だ。単独突破が無理なら他の選手を利用するしかないが、ビスマルクの速度はそこまで速くなく、前方集団にすぐ追いつくことはない。さらに、後続者も近くにいない。
「〈聞こえますか、ワタル君。こちら保坂です。少々まずそうですね〉」
「あ、保坂さん! お願いが!」
保坂からの通信に、ちょうど良いとばかりに尋ねる。
「オレの次の順位の、イザベル選手は合流できそう?」
「〈イザベル選手は……、速度が上がっていません。すぐに追いつく距離ではないです。ワタル君の与えたダメージが大きかったのかもしれませんね〉」
イザベルはストーンを直しながら進んでいて、速度が落ちている。後続の選手が遠いということは、ワタルはこれまでの選手と同じ手段が使えないということだ。
「やり過ぎちゃったかなぁ。……ちょっとマズイかも」
有効な対策が浮かばぬまま、ワタルは大和錦を見つめた。頬に感じる風が生暖かくなったせいか、額に汗が滲む。空は曇っていて、穏やかだった海は湿気を帯び始めていた。
──
一日が過ぎた。ワタルは未だビスマルクを攻略できていない。アーデルベルトより前方では順位変動が起こっているが、関われないでいる。
競技スタートから十日目。一万二千キロメートルほど進み、残りは七千キロメートルほど。さすがのワタルも焦り始めていた。
「オレ一人で攻略できるのか……? どうしよう。とりあえず、【手裏剣】!」
狙いもなく技を放つ。大和錦から放たれた石欠片は、ビスマルクに命中したものの、傷一つつけることなく四方八方に弾かれてしまった。
「?! やばっ!?」
弾かれた石欠片の一部が、大幅に威力を増して大和錦に跳ね返ってきた。その威力は、掠めただけで大和錦の一部が削れてしまうほど。
「あっぶない! 直撃してたら穴あいてたかも。反射されると威力が上がるんだ。……ん?」
ぶつぶつと言って考え事を始める。しばらくして何かを思いつき、ワタルは大和錦に連続で石欠片を放たせた。石欠片はいったん空に飛び、上からビスマルクに降り注ぐ。
『先頭集団最後尾のワタル選手が、連続で石欠片を飛ばし始めたァ! しかしビスマルクには全て弾かれているぞォ!!』
実況の言の通り、大和錦の攻撃はビスマルクに一切ダメージを与えられておらず、四方八方に飛び散っている。それでもかまわず、ワタルは攻撃を続けた。
『自暴自棄になったのかァ!?』
実況がそう伝えた時、先頭集団から声が聞こえてきた。
「何カ、この石欠片は! 迷惑極まりない!!」
声の主は燕青だ。満漢全石は石欠片をギリギリのところで、アクロバットに回避した。回避を強いられているのは燕青だけではなく、一位のダンテ以外全員。
特に、重量が軽く防御力が低いストーンを操る選手にとっては、無視できないプレッシャーになっていた。
「チィッ、ビスマルクがめちゃめちゃに弾くせいで回避しづら……、シット! 危ねェ!」
ルーカスが苛立つ。フロンティアスピリッツは真後ろに水弾を放ち、命中コースの石欠片をなんとか撃ち落としている。その他、マリーナのダイヤモンドダストは、能力で氷壁を作り防御。シブシソのギフトは防御力で攻撃を受け止めた。謎のローブ男のコールもまた、ストーンで受けとめ弾いている。
どの選手も対応こそしているものの、戦いの途中で更に注意すべき事項ができたことは、単純に負担だった。
『自暴自棄じゃなく作戦だァ! ビスマルクから跳ね返った石欠片が、先頭集団を襲うゥ!』
「この分だといつか痛い目見るよ! 前の人達!!」
不敵に笑ってワタルは上位選手を煽った。しかし表情にこそだしていないが、石欠片を放つ攻撃方法は大和錦にとって負担は大きい。
序盤からここまでに同系統の技を多用したことと戦いのダメージから、ストーン表面を消耗。本来攻撃に使わない部分まで達している。スタート時と比べて大和錦は、一回り以上小さくなってしまっていた。
「(ごめんよ、大和錦。あとちょっとだけ、耐えてくれ)」
小さくなっていく大和錦を見て、ワタルは奥歯を噛んだ。
「あ~、もうっ。朕の満漢全石に傷がついたら、どう責任とってくれるカ!?」
最初に痺れを切らしたのは燕青だ。二位の燕青は、回避に徹していた満漢全石を、三位以下と十数メートルほど離れた前方まで一気に進めた。
「ガキんちょに国力の違いを教えてやる。中国四千年の歴史を味わうが良い!!」
「〈燕青様ッ、こんな場面で大技を使ってはスタミナが──〉」
サポートチームが制止したが、燕青は無視して拳法のポーズをした。直後に満漢全石から紫色のオーラが溢れ出て、直下の海面がせり上がり始める。
「見よ! コレぞ必殺【山八珍・万里の長城】!!!」
上昇する海は、さながら長大な壁のように高く厚く左右に広がり、満漢全石の速度で進む。高さ数十メートルはある海水の壁が完成しようとしていた。
壁を見て、三位マリーナがダイヤモンドダストの速度を上げた。
「……万里の長城は、実際そう高くないと聞いた。確か、三メートルほどだったか。……その壁、建設は待ってもらう。【氷柱(サスーリカ)】!!」
極寒の空気を身に纏い息を白くしながら、マリーナがストーンに意思を込める。ダイヤモンドダストは、周囲の海水を【万里の長城】に向かって飛ばした。
海水は空中で人ほどのサイズの氷柱に変わり、せり上がる海壁に突き刺さる。氷柱が刺さった海壁は瞬時に凍り付き、上昇が止まった。
「何をするかッ! ちょっと、待っ――」
燕青が文句を言ったが、ダイヤモンドダストは、凍結により上昇の遅れた海壁部分をあっさりと飛び越えて、先に進んでいってしまった。
「──ぐぬぬ、朕の話を聞かないなんて無礼な! ……ま、問題じゃないけど。ふははっ、見よ! すでに長城は完成したっ!」
二十メートルはあろうかという海水の壁が、後続選手達に立ちはだかる。その頂上で燕青と満漢全石は紫色のオーラを出して、他の選手を見下ろした。
『高く、とにかく長ァい! 選手達の行く手を阻む海壁が完成したぞォ!!』
「ナントイウ技ダ。先ガ見エン」
海上に、どこまでも左右に広がる高い壁。その長さは目の良いシブシソをもってしても、果てが見えないほど。しかも壁は、満漢全石と共に前進している。
『壁の向こうに抜けたのは、ダンテ選手とマリーナ選手の二人だけ……、ではない! もう一つストーンが抜け出しているゥ!!』
カメラが壁の先を映し出す。モニタには、ダイヤモンドダストの後方を跳ねる、漆黒の禍々しいストーンが映っている。燕青は驚いた。
「なっ、どうしてあのストーンまで抜け出て……。あれはッ!?」
何が起きたかすぐに気が付いた。遠くの壁が、大きく円形に穿たれていたのだ。他の選手に気づかれないように海水で修復しながら、やってのけた選手を燕青は不審がる。
「(大穴があくなんてよほどの大技。でも、いつの間に使った? アイツ、油断ならない)」
「なんだァ? 中国四千年の歴史っつーのも、案外大したことねぇんだなァ!」
黙っている燕青を、ルーカスが挑発。複数選手に壁を越えられている様を笑った。
「こんな壁なんて吹き飛ばしてやるぜェ! いけっ【ウォーターマグナム】!」
フロンティアスピリッツが、水弾を発射。水弾は海壁に命中したものの貫通するに至らず、弾痕を残すばかり。しかも弾痕はすぐさま海水で修復された。
「ッハ、ダサいやつ。その程度の技、【万里の長城】の前では無力。歴史の重みが違うヨ」
燕青はルーカスを挑発し返す。続けて、得意気な顔つきで語り始めた。
「朕の持つこの満漢全石は、覇王のストーン。中国を統べる者が玉座についた時、その傍らには常に満漢全石が輝いていた。満漢全石はいわば歴史の立会人であり~~」
海壁の頂上で、満漢全石は跳躍せずに高速回転しながら怪しげな妖気を放っている。
「~~例えば、かの有名な項羽と劉邦にも関係していた。最初は快進撃を続けていた項羽が満漢全石を所持していたが、劣勢で烏江に追い詰められた時、満漢全石を河に放り投げてしまったと伝わっている。それを劉邦がひそかに拾い上げたことで──」
「――話がなげェんだよ! 【ウォーターマグナム・FMJ(フルメタルジャケット)!】」
痺れを切らしたルーカスが、再び攻撃。撃ち出された鋭い水弾は壁を貫き、穴をあけた。
「いいぞ、フロンティアスピリッツ! このままバラバラに……」
一瞬手ごたえを感じたルーカスだったが、海壁はすぐに修復され傷一つなくなる。
「全く、どうして人の話を黙って聞くことできないか! 話が長いのは当然。なんたって歴史が長いからな! あっはっはっは」
「チィ、なら連射だ! あるだけ撃ち込め!!」
高笑いをする燕青とは対照的に、ルーカスは血管を浮きだたせるほど苛立っている。何度も攻撃を指示し水弾を乱射させたが、いくら撃ち込もうとも海壁は迅速に修復。崩壊の可能性などみじんも感じさせない。
「……こんな壁でオレ様が止まる?? 何度もぶっ壊してきたってのに???」
「老いってやつヨ。四十歳にもなるロートルは、これ以上晩節汚さずおとなしく引退したら?」
技を乱発して暴れるルーカスを、燕青は哀れむように見つめた。ルーカスは、はじめこそ苛立った反応をしていたが、次第に静かになった。
「老い? このオレ様が……? 馬鹿な、そんなこと……」
ルーカスがただ拳を握って、海とフロンティアスピリッツを見つめた。
「高イ壁ダガ、コノ程度ナラ飛ベル! ギフトよ! 【スプリングボック・ジャンプ】!」
沈黙するルーカスの隣を、シブシソが通り抜ける。ギフトは巨大なストーンとは思えない軽やかな跳躍で海壁をリズム良く駆け上がり、壁と満漢全石を飛び越えようとした。
「フーム。弱小国にしてはなかなかのジャンプ。でもここに朕がいることを忘れるな!」
頂上で待ち構えていた満漢全石が、駆け上がってくるギフトに体当たり。サイズ差があるにも関わらず、ギフトはまるで小石のように跳ね飛ばされた。
「ナルホド。隙ヲ突ケバ、重量差モ問題デハ無イト言ウワケカ。ナラバ!」
一度落下したギフトが、先程より大きい水飛沫を上げて再び海壁を駆け上がる。
「何度来ても同じ事。チョット小突けば真っ逆さまヨ!」
登ってくるギフトを突き落とそうと、燕青が構えた。ニヤリとシブシソが笑う。
「今度ノ狙イハ違ウゾ? ギフトよ! 【跳び上ガル黒イ耳(カラカル)】!!」
海壁の中間地点を足場にギフトは一気に跳躍。その巨体が向かうのは、壁の向こうではなく頂上に立つ満漢全石。
「サァドウスル? コノママ、力比べデモスルカ?」
一直線に突っ込んでくるギフトに対して、満漢全石は横に移動し進路を譲った。
「ふんっ。正面衝突すると、満漢全石に傷がつく。邪魔だからサッサと行け」
不貞腐れた表情で燕青が言う。それを横目にギフトは、満漢全石の横を通過。
「……なーんて、タダでは通さない!」
通り過ぎようとした瞬間、満漢全石は強烈な体当たりをギフトの背に叩きこんだ。
「オット……」
「それは通行料。払えなければ海の藻屑……。チッ、思ったより持ち合わせがあったカ」
思わぬ攻撃にバランスを崩したギフトだったが、ふらつきながらも壁の向こうに着水。前進を続けた。
「サスガハ前回覇者。手痛イ一撃ヲ貰ッテシマッタ」
「オマエこそ、朕の一撃を受けて立っているとは生意気。首を洗って待っていろ」
シブシソは苦笑いする。燕青は、ギフトのタフさを認めてその背を見送った。
『さぁ、四名の選手が長城の向こう側へ到達! 続く選手は、もういないか!?』
実況が声を張り上げる中、静かに海壁に向かって行ったのは、アーデルベルトだ。
「……なるほど、水を吸い上げているのか。素潜り程度のストーンならばこれで封じられるだろう。だが生憎、私のビスマルクは、潜りが得意だ。行け、【急速潜航】ッ!」
海面を跳ねていたビスマルクが、跳ねるのをやめ滑るように進む。海壁の前で水をかき分け、深く潜っていった。同時にアーデルベルトのフロートもカプセル型に変形し潜水。じきにどちらの潜影も見えなくなった。
燕青はそれを、どういうわけだか妨害せずに眺めている。
「……アイツ、深く潜り過ぎ。どうせしばらく上がってこられないから無視」
壁の後ろに残っているのは、ルーカスとワタルの二人。燕青が見下ろした。
「さて。ジャパンのガキんちょが暴れるから秘技を見せてやったが、随分と大人しい。チカラの違いに、戦意を喪失したカ?」
煽る燕青に、ワタルは真っすぐな視線を送る。
「いーや、すごい技なもんだから、どうやって攻略しようかって考えたところ! ビスマルクもいなくなったし、オレも挑戦し――」
「――待てよォ、ジャパンのボーイ」
海壁に挑もうとするワタルを、ルーカスが遮った。
「アイツを黙らせるのはオレ様だ……! おい燕青、オレ様を無視してんじゃねぇ!」
ルーカスが語気を強める。燕青は、冷たい表情を向けた。
「まだ居たか。昔ならともかく、落ち目のルーカスに突破は無理。諦めて、もう引退しロ」
「引退……?」
ルーカスは拳を握って黙る。燕青が言う事は侮辱ではあるが、引退については、あながちおかしなことではない。
水切り選手の選手年齢は十八歳~三十歳くらいで、ルーカスはかなりの高齢選手。優勝を含む三十代での活躍は競技史に残るほどだったが、さすがに四十歳ともなると、加齢に伴う意思や体力の衰えは隠せない。
ここ数年は昔のような圧倒的な攻撃力は見られなくなり、苦しい試合が目立つようになっていた。
「……ねぇ、ルーカスさん」
言葉を返せないでいるルーカスに、ワタルが声をかけた。ルーカスはなんの返答もしなかったが、ワタルは構わず話を続けた。
「こんな感じの展開、前にもあったよね? たしかドイツ選手の技で……」
「……いきなりなんだ、テメェ」
昔の話に、ルーカスが反応する。
「なんだっけ、二十四回大会の──」
「──ベルリンの壁だ。あの時ぶち抜いたのは。ま、本当に壊したのはソイツ自身だが」
苛立った調子で答える。ワタルは気にしていない明るい顔だ。
「そうだ、ベルリンの壁! 二十四回大会の激闘は熱かったなぁ」
キラキラとした眼差しで、ワタルはルーカスを見つめた。しかしルーカスはそんな態度が気に喰わないでいる。
「なんだお前、オレ様のファンか? それとも、あの時みたいにできねぇのを馬鹿に――」
「――ファンだよ!」
すごんで見せるルーカスに、ワタルは即答した。
「アメリカ代表ルーカス選手! 十六歳の時に出た二十三回大会で初出場初優勝! その後も出場した大会では必ず上位入賞していて、通算三回優勝! 失踪していた間も大会に出ていたら、競技史が変わってたって言われてる、生ける伝説! 実力に加えて、観客をわかせるエンターティナーな戦いぶりを、知らない人はいないよ!!!」
ワタルは興奮した様子で、聞かれてもいないのに鼻息を荒くして語った。
「大会終わったらサインちょうだい!」
「……はぁ?」
あまりの素直さに、ルーカスはあっけに取られた。そして、どこか可笑しくなって、笑いだす。
「……クッ、ハハハッ。お前も代表選手だろ? ライバルにサイン求めるなんてどうかしてるぜ。まぁいいや、終わったら書いてやるよ」
ルーカスはしばらく笑っていたが、ふいに暗い顔をする。
「……どうせ、これで最後だろうからな」
ワタルは不思議そうな顔をした。
「どうして? アメリカにルーカスさんより強い選手はいないんでしょ?」
「そうじゃねェ」
ルーカスは静かに答える。
「アメリカで一番だろうと、どこで一番だろうと関係ねェんだ。オレ様はオレ様の水切りをしたいだけなんだよ。それができなくなっちまったとしたら、続ける意味はねェ」
「……ルーカス選手のやりたい戦いって、どんなもの?」
「そんなもん、決まって……」
考えながら、ルーカスは話した。
「派手な技で相手をぶっ飛ばす! ……じゃねェな。圧倒的なスピードでぶっちぎって優勝! ……でもねェ。オレ様のやりたい戦い、オレ様のやりたいことは──」
少し経って、ルーカスは少し照れくさそうにする。
「──みんなを、楽しませる戦いがしてぇなァ……」
「みんなって、観客のみんな?」
「いやいや、【みんな】だ」
ルーカスはチラリと燕青を見た。
「水切りってのは、ストーンと水辺さえあればどこでもできるだろ? 貧乏だったから、ガキの頃は遊びっつったらコレしかできなくてよ。でも不思議と退屈はしなかったし、オレ様がストーンを投げると見てるヤツみんな、楽しそうにすんだよ。……ありゃあ嬉しかったなァ。ダチもできたりしてさ」
懐からボロボロのリストバンドを取り出して、ルーカスは眺めた。
「大会に出るようになったのは、金持ちになりてェってのもあったんだが……。たぶん、ダチやみんなと一緒に夢を見るのが楽しかったんだ。誰も見たことがねェ展開を、技を、景色を見て、一緒に楽しむのさ」
「〈昔話をするなんて、【天才(ジーニアス)】ルーカスも随分と老け込んだね。こりゃあ今年のリストバンド・マッチは僕、勝てるかも〉」
通信機が起動し、サポートチームのニックが気さくな調子で話しかけてくる。
「馬鹿にしやがって。まだまだペンシルバニアでオレに勝てるやつはいねェよ」
子どもっぽく笑って、ルーカスは言葉を返した。しかしその声色は、どこか寂し気だった。
そんなルーカスを見て、ワタルが話す。
「それならまだまだやりたいこと、できるんじゃないかな?」
「そりゃあどういう意味だ? オレ様はもう、昔みたいに派手な技は撃てないらしいぜ?」
「うーん。そうだとしても、似たようなことは以前もあったし……」
ワタルは記憶を辿った。小さい時から何度も見ている、歴代の水切り世界大会の映像が頭の中で再生される。
「二十三回大会の時も、何発撃っても有効打にはならなかったよね? だけど何度も挑戦して、チャンスを作り出して決めていた!」
まるで見ていたかのように語るワタルに、ルーカスは驚いた。
「よくもまあ、生まれてもない時の試合の事をペラペラ喋れるもんだ。だが、それが何だってんだ?」
「あの試合大好きで何回も見たんだ! 実況のセリフだって……、じゃなくて! あの時だって何度も挑戦したのが良かったんじゃないかって! トライ&エラーってやつ!」
「……トライ&エラー、ね。だが、もう撃てる手なんて……。いや……」
ルーカスはポツリと呟き、真剣な顔で考え始める。
「出来ることを全部試して、勝ち筋を見出す。そうやってピンチを切り抜けるルーカス選手が好きなんだ! ……あっ、苦戦してるのがいいってわけではなくて――」
「――ハハッ、オーライ」
ルーカスがニヤリと笑みを浮かべた。
「……ファンにそこまで言われちまったら仕方ねェ。いっちょ魅せてやる!!」
サムズアップをしてみせ、フロンティアスピリッツを進める。
「いくぜ、フロンティアスピリッツ、【ウォーターマグナム・FMJ】!」
海壁に向かって飛び上がったフロンティアスピリッツは、数発の水弾を発射した。放たれた水弾は、満漢全石を守るために反り返った海壁上部に阻まれてしまっている。
「ッハ、そんな攻撃じゃ満漢全石には届かな──」
余裕を見せる燕青だったが、満漢全石の下から水弾が出現、慌てて回避させた。
「──! 壁を貫いて朕を狙うか! でも残念。このぐらいじゃ朕には当たらない!!」
連続して海壁を抜けてくる水弾を、満漢全石は小気味よく躱していく。
「コレでわかったか、天才ルーカス。もう自分のイメージを汚すな!」
「まだだッ! まだオレ様には何かできるはずだ……! まだ……!」
ルーカスは続けて水弾を放たせる。何度も、できる限り素早く、連続して。
「闇雲に撃っても朕には当たらない!(……少し速くなった? それに、逃げ場が)」
最初は変化なく見える連射だったが、僅かずつ、発射間隔が短くなっている。満漢全石は機敏に回避したが、徐々に余裕がなくなっていた。
「〈ルーカス! 何か狙いはあるの?!〉」
「……今はねぇ。だが、これから作るところだ! ニック、見てろ!!」
「〈わかった。期待してるよ〉」
ニックに返答するルーカスは、自暴自棄でもやぶれかぶれでもない。その瞳は自身のストーンと相手のストーンをしっかりと見据えていた。
「(このまま追い込めば当たるか……? いや、まだ足りねェ! もっと、もう一発……!)」
そしてついに、ルーカスは見出した。
「【ウォーターマグナム・ダブルバレット】!!」
「なッ! ルーカスに、まだこんな力が?!」
ほぼ同時に二発の水弾が発射され、満漢全石直下の海壁を抜けていく。満漢全石は一発目こそ回避したが、二発目の水弾に命中、高く撃ち上げられた。
「なんで……! ウォーターマグナムの発射は一発ずつのはず! そんなの知らない!!」
悔しがる燕青に、ルーカスは息を切らしながらも『してやったり』という顔だ。
「ぜぇ……ぜぇ……。新しい切り札を用意しないと、すぐに飽きられちまうぜ?」
「〈それ、僕らも知らされてないんだけど〉」
「当たり前だ。今できるようになったからよォ。やってみたら、案外何とかなるもんだな!」
「〈はぁ、ルーカスらしいや。さすが、生ける伝説〉」
ニックは不満そうにしながらも、声はどこか嬉しそうだった。
「そんな爺臭いのじゃなくて、『いけてる伝説』って言え! オレ様は常に成長してんだ!」
フロンティアスピリッツはそのまま海壁を駆け上り、悠々と飛び越える。
「コイツはファンサービスだぜ! ジャパンのボーイ!」
飛び越える最中、フロンティアスピリッツは大和錦の進路上、海壁の手前に水弾を放った。
「わわわ、なになに??? っていうか、ボーイじゃない! ワタルだよ!」
飛んできた水弾にワタルは驚く。水弾は大きな水柱を立て、飛び散った水飛沫は大和錦の前に小さな虹のアーチを作った。
「そっか! サンキューな、ワタル!」
そう言い残して、ルーカスは爽やかな顔で壁の向こうに消えた。
「ええい、待てルーカス! 朕と勝負ヨ!!」
ルーカスに壁を突破された燕青は、わめいていたが楽し気だ。満漢全石が空から落ちてくると、ワタルには目もくれず海壁の向こうに消えていく。
「おーい! オレを無視するなー!」
消えていく選手達にワタルは叫んだ。行く手には依然として、海壁が立ち塞がっている。
「まぁいいや。動かない的なら!」
ワタルは腰を落とし構えた。大和錦はスピードを落とし、海壁から一旦距離を取る。
「よっしゃ、いくぜ! 派手にぶちかませ!」
かけ声と共に前進した大和錦は、ぐんぐんと加速しながら海壁へと突き進む。
「必殺!! 【四十六センチキャノン】!!!」
速度がのった大和錦は、ストーン下部を壁に向けて飛んだ。砲弾のような一撃が直撃すると、海壁は左右十数メートルにわたって砕け散った。凄まじい威力の技にカメラが集まったが、ワタルと大和錦は気にも留めない。
その瞳はすでに、乗り越えた壁ではなく、その先の選手達の背中を見つめていた。
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