第三投 リタイヤ知らず・イザベル

 五日前、ワタルとシブシソは、お互いのストーンを前後にぴったりつけることによって、空気抵抗減らす作戦に出た。それはかなり上手くいき、二人は消耗を最小限に抑えつつ、速度は通常以上を発揮。開いていた先頭集団に追いつくことに成功した。


「なにこれ?! 海が凍ってる!?」


 先頭集団に追いついたワタルが目にしたのは、巨大な海氷が多数浮かぶ氷の海。ストーンが乗ると割れてしまう薄い氷と、割れずに上を滑ってしまう厚い氷があり、進めば進むほど凍っているエリアは広がっている。


 重い大和錦は、跳ねる度に氷を踏み割ったり、氷の上を滑ったりしてしまって、思うように進めないでいた。


「これじゃあ速度が出ない! でも、他の選手だって同じはず……!」


 辺りを見回すと、シブシソのギフトは砕氷船のごとく、厚い氷すらも踏み割りながら前進。イザベルのラリー・ダカールは、海面もしくは厚めの氷の上を進む。

 アーデルベルトのビスマルクはコース選択が巧みで、海面もしくは氷が特に薄い箇所を進み、速度低下を防いでいた。


「う、みんな、上手い。どうしよう、大和錦は重たいから上をひょいっと進むのは厳しいし、かと言って全部割って進むのもしんどい……」


 悩んでいるうちに、大和錦は不器用に氷を踏み割りながら、前を進むラリー・ダカールの近くまで到達。


 イザベルが皮肉っぽく話しかけてきた。


「あら、随分と若い代表選手ね。ここは子どもの遊び場ではなくってよ?」


 話しかけていながらも、イザベルはワタルに視線を向けず、眼鏡をかけてタブレット端末を操作していた。金髪縦ロールが、風になびいている。


 興味無さ気な態度だが、ワタルは元気よく返答した。


「オレは水切ワタル、十二才! 出場に年齢制限はないし、ちゃんと国内予選を勝って日本代表になったよ! お姉さん、お名前とお歳は?」

「えっと、ワタシはフランス代表のイザベル。今年でにじゅう……って、何言わせようとしているのよっ!」


 眉間にしわを寄せてイザベルは怒った。ワタルは、いたずらっぽく笑う。


「ごめんね、フランス代表イザベル選手。前回の世界大会に十九歳で初出場。粘り強いレースが持ち味で、出場試合は全て完走! 【リタイア知らず】の異名で有名なんだよね」

「うんうん、よく知っているわね……って。それじゃあ、年齢バラしてるようなもんじゃないっ! と言うか、知っているなら聞かなくていいでしょ!!」

「ばれちゃった? じゃ、オレは先を急ぐから!」


 イザベルはフロートから身を乗り出さんばかりの勢いで怒っていたが、ワタルは気にせず、先に進もうとする。


「……良い度胸してるじゃない」


 眼鏡を外してポツリと、それでいてどこか強い語気でイザベルは呟いた。


「このワタシが、世界の厳しさを教えてあげるわ……!」

 数分後にワタルは、口は災いの元であることを学ぶことになる。


――日本・ワタル宅――


『~~続いてはグレートジャーニーの速報です。現在、ワタル選手は先頭集団に追いつき九位についています。四位マリーナ選手の技【凍土障壁】に苦戦しているようですが、八位イザベル選手を捉えました。健闘して欲しいですね』


 茶の間では、世界大会の模様を伝える夕方のニュース番組が流れていた。


「ワタルはついていってるみたいね。それにしても、あのお嬢さん、どこかで……」


 何か気になる顔で、ワタルの母ミキリは茶をすすった。


「熱ッ……。あっ! もしかして……!」


――先頭集団後方――


「どうして追いかけてくるの?! イザベル選手は『バトルは控えめ』ってネット記事で見たよ??」

「ええその通り。でも作戦よりも優先される信念があるわ。『ナメた態度を取るヤツは許さない』、自分でネットに書いておいたら?」


 逃げる大和錦を、ラリー・ダカールは執拗に追いかけまわしている。


「(見たところ石英だろうけど、妙に鈍重ね。まるで身の丈に合わない服を着ているような……。硬度はあるけどコントロールが未熟なら、機動力で揺さぶってやろうかしらね)」


 鋭い視線で、イザベルは大和錦を分析。ラリー・ダカールに指示を出した。


「ラリー、【サスペンション】を使いなさい」


 ラリー・ダカールの跳躍が高くなる。氷を踏み割り速度が上がらない大和錦に対し、ラリー・ダカールは大和錦並みの大型であるにも関わらず、高く跳んでも氷を踏み割らない。

 着氷の衝撃をストーンの中間層がクッションとなり吸収、打ち消しているからだ。それに加えて、ストーン下部が凹凸に加工されており、しっかりとしたグリップで、氷上でのスリップを防いでいる。


 氷をものともせず進む姿はさながら、砂丘を跳ねるラリー・カーだ。


「衝撃を吸収するストーン??!!」

「良い反応ね。柔軟性のあるイタコルマイトに、弾性のあるマスコバイト、それにいくつかの粘土鉱物を混ぜて作ったの」


 驚くワタルに、イザベルは得意気に話した。


「そんなふくざつな組み合わせでストーンを作るなんて……」

「そこらの選手じゃ、強度が出なくて終わり。でも、鉱物学・岩石学・地質学・etcを修めているワタシと、サポートチームの最新分析機器にかかれば不可能じゃない!」


 イザベルは誇らしそうに胸を張った。


「ワタシから言わせれば、意思のチカラありきの特別なストーンを使った戦術は、爆発力はあっても再現性が無くて信じられない! 意思は加齢で弱まっていくし、そもそも特別なストーンに出会えなかったら、発揮すらできないもの。だからワタシは、無くならない知識と技術を信じてる!」

「知識と技術……!」


 ワタルは圧倒されていた。イザベルの言葉が、確かな説得力を持っていると感じるからだ。イザベルは、大会出場ごとに成績を上げてきている選手。その理由が少し、理解できた気がした。


「それにしても貴方、意思は強いのにストーン操作はへたくそね。宝の持ち腐れっていうか、なんというか……。それじゃあこの先、厳しいわよ」

「なっ……!」


 余裕を見せつけ、ラリー・ダカールが軽やかな動きで大和錦の横を抜き去っていく。


「速度で勝てないなら技だ! 大和錦ッ、【手裏剣】!」

「?! 今、なんて……!」


 大和錦から放たれた石欠片が、ラリー・ダカールを襲った。石欠片はいくらか命中したものの、大したダメージを与えられず弾かれている。しかし、イザベルは信じられないものを見ているかのような、驚いた顔をしていた。


「……何なのよ今の技は! ぜんっぜんなってないじゃない!!!」


 辺りに響く、イザベルの声。大和錦の攻撃を見て、なぜか拳を握りしめて怒っている。ワタルは意味がわからず困惑した。


「えぇ?? なんで怒ってるの??」

「【手裏剣】って、二十七回大会で四位だった風飛ミキリ選手の技でしょ!? そんな再現度でパクってんじゃないわよ! いいこと? 【手裏剣】は、こう使うの!!」


 ラリー・ダカールは左右に鋭くステップ。海氷にボディをぶつけ、自身を削った石欠片と氷を大和錦へと放った。欠片は大和錦の回転を阻害する方向に命中し、速度と回転力を奪う。

 その間に、空高くラリー・ダカールは跳躍。上から更に石欠片を放ち、大和錦を海氷に押し付けた。


「母ちゃんに習ったのとまるで違う!? 大和錦っ、【ナワ抜け】!!」


 身動きを封じられた大和錦を狙って、ラリー・ダカールが落下してくる。とっさにワタルは大和錦に表面を薄く削らせ、石欠片の雨から脱出。落下攻撃を回避させた。紙一重のタイミングだ。


 落下攻撃を回避されながら、イザベルは少し感心した。


「へぇ、防御技はそこそこね。……って。え? 母ちゃん??」


 イザベルが一瞬無言になる。少し経って意味を理解したのか、大きな声を出した。


「母ちゃんって、あなた今そう言ったの?!」


――日本・ワタル宅――


『ワタル選手が、イザベル選手の猛攻を受けています。果たして乗り切れるのでしょうか。……現場の音声が入っていますね。えー、〈【手裏剣】は、こう使う……』


 茶の間のテレビでは、緊迫した調子で試合状況が伝えられていた。それを見ていたミキリは緩んだ表情をしている。


「向いてなかったとは言え、ちゃんと教えておくべきだったかしら。陽動とか牽制が主で、それだけで決め手になるわけじゃないものだって。……それにしても、あのお嬢ちゃんが出ているなんて知らなかったわ。頑張ってほしいわねぇ」


 ミキリが静かにお茶をすすっていると、キッチンの方向から男の声がする。


「……ワタルの応援もしてあげたら?」


 キッチンから出てきた大柄で優し気な顔つきの男は、苦笑いを浮かべていた。ワタルの父、水切タカシだ。タカシは料理の途中のようで、エプロン姿だ。


「でも、あのお嬢ちゃん凄いのよ? 教えてもない私の技をちゃんと再現してるんですもの。ストーンの仕様も全然違うのに」


 ミキリは感心した顔で、パチリと両手を合わせた。


「そりゃあ凄いね。【磨穿鉄硯(ませんてっけん)】のミキリの技を再現するなんて。きっとすっごい努力家だよ」


 そう言うタカシに、ミキリは顔を赤くして手を顔の前で振った。


「もー、やめてよ、そんな大げさなの。私が言い出したんじゃないんだから」

「でも、現役の時の君はそれが似合う雰囲気だったよ? おっと、そろそろかな」


 タカシはそそくさとキッチンへと戻っていった。


「ゴールには応援に行こうかしら」


 ミキリはまた静かにお茶をすすり、通信端末に文字を打つ。【福州市 美味しいもの】。


――海上・先頭集団後方――


「だーかーら、技は母ちゃんから教わったの! 母ちゃんの名前は水切ミキリ。結婚前は風飛ミキリ!」


 ワタルは叫ぶように返答しながら、ラリー・ダカールの猛攻突撃を大和錦に回避させる。しかし、不安定な氷を問題にしないラリー・ダカールの走破性の前に、じわじわ追い詰められていた。


「認めないわ! こんな情けないオコサマが、ミキリさんのご子息だなんて!!」


 ずっと怒ったまま、イザベルはラリー・ダカールを何度も突撃させた。大和錦に外傷は少ないが、バランスを崩され動きが鈍ってきている。


「ミキリさんは疾風迅雷・電光石火! 男性選手が上位を独占していた水切り界に颯爽と現れ、その美しく強力な技で並みいる強豪選手を翻弄していったのよ!」


 ミキリの現役時代を再現するかのように、ラリー・ダカールが縦横無尽に飛び回る。大和錦の隙を見つけては、衝撃を吸収する弾性を逆にバネのように使って、下から突き上げる攻撃を織り交ぜた。完璧に命中すれば大きく飛ばされ、大ダメージは免れない。


「う、母ちゃんって、そんなに……?」


 ストーンの攻撃とイザベルの口撃に、ワタルは手も足も口も出せないでいる。


「技の強さだけじゃないわ! 強靭な精神力でピンチをしのぎ、チャンスを伺う。隙を見せた者を容赦なく葬り去る粘り強い戦いぶりは、【くノ一】と恐れられた。そんなミキリさんの活躍をきっかけに、女性選手の躍進が始まったのよ!」


 怒りと自慢が混じって調子良く話すイザベルが、少しだけ声のトーンを落とした。


「どれだけ素晴らしい選手だったか。ワタシにとってミキリさんは……」


 手袋を取って、イザベルは自分の手を見た。華やかな姿からは想像できない、シミやマメだらけの皮膚の硬い手。何度もストーン加工や投石練習を繰り返していることが、一目見ただけで伝わってくる。


 その手をぎゅっと握って、イザベルはワタルを睨み付けた。


「それなのに……。それなのに貴方、何も受け継げていないじゃない!!」


――日本・ワタル宅――


『認めないわ! こんな情けないオコサマが――』


 茶の間では、相変わらず試合を映した番組が流れている。支度した夕飯の料理を並べながら、タカシは少し困った顔をした。


「あのお嬢さんに申し訳ない気がしてきたよ。ワタルは、僕に似て不器用だから……」

「あら。確かにワタルは不器用だけど、アナタに似て研究熱心だし、なんでもコツコツ取り組める。トレーニングだって、いつも工夫してやっていたわ」


 そう言ってミキリは、キッチンから普通の量のご飯と、山盛りのご飯がよそわれた茶碗を持って出てきた。そして山盛りの方を、食卓の自身の席側に置いて着席。手を合わせる。


「いただきます! ……あら、ハンバーグ? ひき肉足りなかったんじゃない?」

「うん。足りなかったからお豆腐で作ったよ──」

「ふわふわで美味しい! さすがね!」


 ミキリは豆腐ハンバーグを口にして、とても幸せそうな顔をした。次々と料理を口に運ぶミキリを見て、タカシは小声呟いた。


「──引退してからの君の体じゅ……。ボディバランスも気になるから……」

 残念ながら(?)、料理に夢中のミキリには聞こえていないようだった。


――海上・先頭集団後方――


「黙って聞いてたら色々言って! もうガマンならない!!」


 ワタルはそう言うと、大和錦を前を進むラリー・ダカールに向かって突進させた。ラリー・ダカールは石欠片や氷つぶてを飛ばしてきたが、構うことなく突っ込ませる。


「母ちゃんは母ちゃん、オレはオレ!」

「破れかぶれって感じ? 当たってあげるほど優しくなくてよ?」


 凄まじい勢いで突っ込んでくる大和錦を見てもなお、イザベルは余裕を崩さない。大和錦の突進が目前に迫ったところで、ラリー・ダカールを空高く跳躍させ、回避させる。

 標的を失った大和錦はそのまま海氷に突っ込んで、派手に氷を砕いた。砕けた氷はさらにその先の海氷までどんどん飛んでいき、遠く先までモヤを広がらせる。


「策もなく突進してくるなんて、いよいよ失望したわ。これ以上醜態をさらしてミキリさんに恥をかかせないよう、沈めて差し上げますわ!!」


 ラリー・ダカールが空中でゆらゆらと動き、落下速度を調整する。


「……今だッ! 【手裏剣】!」


 氷のモヤの中から突然、上空に向けて多数の石欠片が放たれた。大和錦によるものだ。石欠片は下から、ラリー・ダカールを襲う。


「ふんっ、一朝一夕に技術が身につくわけがないでしょ」


 奇襲攻撃にも関わらず、イザベルは呆れ顔だ。ラリー・ダカールは上がってくる石欠片をゆらゆらとした動きのままかわしていく。かわされた石欠片は上空に飛んでいった。


「まだだッ!」


 かわされた石欠片が上空から雨のように、ラリー・ダカールに降り注ぐ。


「しつこい男は嫌われるわよっ。こんなものっ、いなしなさい、ラリー!」


 しかしそれも、ラリー・ダカールは空中で更に体勢を変えて回避。少しだけ命中したが、体勢に乱れはない。


「このまま吹き飛ばしてあげるわ! ラリー、【サスペンション】を──」


 高度が下がると、ラリー・ダカールは落下に勢いをつける体勢に。サスペンションを反発に使い、着氷の勢いを突進攻撃の力に変えるためだ。落下位置の調整は済んでおり、下を進む大和錦はすでに突進の射程圏内。これを当てれば、勝負は決する。


「――勝負を急ぐなんて、らしくないんじゃないの? イザベルさん!」


 絶体絶命のピンチ、のはずだが、ワタルは笑みを浮かべていた。


「何が! 今に木端微塵に……、って、これは?!」

「足元がおろそかになってちゃね! 着水するにはちょっと、勢いつきすぎじゃない?」


 落下するラリー・ダカールを待っていたのは、氷が砕けた海面だ。


「なっ、いつの間に?!」


 厚い氷の上に降りるつもりで落下速度を上げていたラリー・ダカールは、勢いそのままに海水へ。派手な水飛沫を上げて着水してしまう。


「石欠片は足場を崩すのが狙いだったのね! だけど、もともと海面で戦っていたのだから、突進できなくても……!」


 水飛沫を散らして、ラリー・ダカールが浮上。速度は少し落ちたものの、前進し続けている。


「今度はこっちがお返ししてやるわ! ……あれ!? いない?!」


 周囲を見回すが、大和錦の姿がない。ほんの数秒後、イザベルがラリー・ダカールに落ちる影の存在に気が付いた時には、勝敗は決していた。


「コレで終わりだよ、イザベルさん! 【浴びせ倒し】!」

「上っ?!」


 高空から、大和錦がラリー・ダカールにのしかかる。衝突した衝撃で空気が揺れた。海氷に叩きつけられたラリー・ダカールによって、周囲の氷が粉砕され、辺り一面に白いモヤが漂う。


「決まったっ、合わせ技! 【手裏剣】はそれ自体で倒す技じゃなくて、足止めしたり弱らせたりする技なんだよね? 今のなら、技のねらいは再現できてたと、思う!」


 ワタルは元気よくガッツポーズを決めた。モヤを抜けて視界が開け、もとの青く静かな海が視界いっぱいに広がる。


「……なかなかやるじゃない。美しさにはかけるけど、面白かったわよ。ワタル」

「え?」


 声のする後方に、柔らかな表情をしたイザベルの姿。ワタルは驚いた。ラリー・ダカールも、天面にヒビこそ入っているものの、変わらず海面を跳ねている。

 倒したと思って油断していたワタルは、一瞬あっけにとられたが、慌てて勝負の構えを取り直す。そんなワタルを見て、イザベルは面白そうに笑った。


「フフッ、ざんねんっ。ラリーはもう、巡航に入るわ。ちゃんと倒せたかどうかは端末を確認しないとダメよ? でないとこんな風に、逃げて立て直されちゃうから」


 腕につけた通信端末を指でコツコツと叩く仕草を見て、ワタルは悔しがった。


「やられた……。さすがリタイヤ知らず、引き際が良い! それに、大和錦の攻撃に耐えるなんて、ラリー・ダカールはタフなストーンだね! オレの方が消耗しちゃったかも」


 ひとしきり悔しがった後、ワタルは満足して笑顔になった。


「そうねー。ワタシとラリーは、こういう展開から立て直すのはいつものことだし、今回はしのぎきったワタシ達の勝ち──」


 変わらず自信あり気に話すイザベルだったが、ふいに微笑みを浮かべる。


「──と、言いたいところだけど、今回はワタシ達の負けだわ」

「えっ? 仕切り直しは得意な試合展開でしょ? どうして?」


 きょとんとするワタルに、イザベルは答える。


「貴方なりに考えた良い技だったから、かしらね。自分で考えて、自分の手で何かを掴み取るのは、とても大切なこと。どこまでいっても、自分は自分だから」


 そう話すイザベルは、少し寂しそうな顔をしていた。しかしすぐに、明るい顔つきに戻る。


「でもまぁ、勝負に負けただけで、レースに負けたとは一言も言っていないからね? 次は優勝争いをする時にでも会いましょう、ワタル。大和錦も、元気でね」


 挑発的な笑み。ワタルは真剣な顔でそれに答えた。


「うん。またね! イザベルさんとラリーの粘り強い戦い、すごい勉強になったよ!!」


 巡航となり速度が落ちたラリー・ダカールと、そのまま進む大和錦との距離が開き始める。ワタルが背を向けようとしたとき、イザベルが呼び止めた。


「そうだ、ワタル。忠告しておくわ」

「忠告?」


 眼鏡姿でタブレットを操作しながら、イザベルは話した。


「今七位の、ローブで顔を隠した男には気をつけて。怪しいところがあるわ」


 ラリー・ダカールの回転速度を落とし、側面に入ったキズをワタルに見せる。切り付けられたかのような深い亀裂が入っていた。


「ひどい傷……、大丈夫なの?」

「気にしなくていいわ。このくらいよくあることよ。少し前、ルーカスに撃ち上げられた時の、着水の隙にやられたの。誰かが攻撃しているストーンを一緒に攻撃しちゃいけない、なんてルールはないから、それ自体はおかしくはないのだけど……」


 手を口元にあて、考えながら話を続ける。


「あの時ワタシは、他の選手からの追撃を回避するため、かなり後方に落下するよう軌道を調整した。ルーカスの攻撃のダメージ確認もあったからね。だけどその怪しい男は、わざわざ下がってきてまで、こちらを攻撃してきた」

「イザベルさん達を警戒していたんじゃないの?」

「まぁそうね。……と、言いたいところだけど、順位を下げるリスクとは釣り合わないと思うわ。それにその少し前に、ヤコブの十戒もそいつに激しく攻撃されてリタイヤしたし」

「……もしかして、攻撃すること自体が目的だったってこと?」


 眉間にしわを寄せて考えながら、ワタルが聞く。イザベルは小さく頷くと、一転して表情を明るくした。


「なーんてね。ひょっとしたら、本当にワタシとラリーを警戒していたとか、単に判断ミスだとか、そんなものだったりして。不気味な雰囲気のせいで怪しくみえただけなのかも」

「そうかなぁ」

「じゃ、ワタシはしばらく休むから。御機嫌よう、ワタル」


 巡航状態のラリー・ダカールが、海面に自身を擦るような跳ね方をし、一気に速度を低下させた。速度差で、二人の距離がグッと開く。


「最後にもう一つ!」


 離れていくワタルに、イザベルが大きな声で伝える。


「最後まで気を抜かないこと! 完走者はみんな、勝者だからねっ!」


 その言葉が聞こえたのはわからなかったが、ワタルは笑顔で手を振っていた。イザベルは爽やかな面持ちで、ワタルの姿が見えなくなるまで見つめた。


「……それにしてもあの子、よりにもよって粘り強さの方を勉強になっただなんて。やっぱりそっちなのかしら、ワタシって」


 少し気を落としたイザベルだったが、すぐに気分を変え、勝気にストーンへ檄を飛ばす。


「さぁラリー、とっととキズを直すわよ! かなり重いのもらっちゃったから、急がないとレース、終わっちゃうからね。【リタイア知らず】の整備力、見せてやるわ!」


 タブレットの機能でストーンをスキャンしながら、イザベルは瞳を閉じた。


「(あなたはあなたで、ワタシはワタシで)」

 心の中でそう呟くと、在りし日の思い出が蘇ってくる。


「(目を閉じるだけで、あなたが出た試合の、どんな場面だって思い出せる。実況のセリフだって覚えているわ)」


──


『二十七回目の【グレートジャーニー】も終盤に突入! アメリカ・ニューヨークから、大西洋を下ってギアナを経由。ゴールのフランス・ブレストまでのおよそ一万キロメートルの旅も、いよいよ大詰めだァ!!』


 ゴール地点に特設された観客席に、実況の声が響く。巨大モニターに映し出された先頭集団の映像に、観客が注目した。映像の中心には、紫色の忍者装束に身を包む小柄な女性がいる。

 そんなモニターを食い入るように見つめる少女がいた。ふわふわでキラキラした金髪と、お人形のように整った顔立ち。十歳の時のイザベルだ。フランスのジュニア大会入賞者用の八つの招待席の端で、イザベルは小さなストーンを握りしめていた。


「(今日は絶対おしゃべりして、ワタシのことを見てもらうって決めてるんだから!)」


 イザベルは心の中で元気に宣言したが、並んで座っている数名の少年達の姿が目に入ると、肩をすぼめて弱気そうにした。


「……こんな機会、もう二度とないかもしれないもの」


 ポツリと呟く。弱気になるのも仕方のないことで、イザベルのジュニア大会での順位は九位。入賞を逃していた。今日はたまたま入賞者の一人が欠席したため、補欠で来られただけ。


『おおっと、四位ミキリ選手への徹底マークが続くゥ!』


「みんなで一人をねらうなんてずるいわ! あれじゃあ眠る時間もない!!」


 試合展開に対して、イザベルは憤りと不安な表情を見せる。応援しているミキリが、明らかに不利な状況におかれているからだ。

 ミキリへのマークは、ゴール会場に到着する三日前から今日まで続いている。六名ほどの先頭集団選手から昼夜問わず睨みを利かされ、睡眠どころか休憩すら許されないでいた。

 当時は巡航ルールがなく、常に競技状態。長い休憩をとる際は、他の選手から離れて隠れるように行っていたのだが、ミキリはそれを封じられた。スポーツマンシップに反する大変なマナー違反だが、女性選手に負けるのを嫌がった選手達が結託したのだ。


 その厳しい状況の中、ミキリはこの三日間隙を見せずに勝負を続けていた。


『まるで隙を見せない! いったいミキリ選手はいつ眠っているんだ?! まさか忍者は眠らな……違うっ、よく見るとまぶたに目が描かれている! ナイスユーモラス! 実にエンターティナーな~~』


 深刻さを感じさせないユーモラスさ。ミキリのふざけた(ように見える)対処に会場から笑いが起こる。イザベルも、しばらく楽しそうにそれを見ていた。


「アハハッ、おっかしい! でもすごいわ! まるで平気……」


 しかしイザベルは気が付いた。一瞬、ミキリの瞳から光が消えていたことに。


「(もしかして意識が……? 本当は平気じゃないの?)」


 試合は進み、いよいよゴール直前。先頭集団も減り、ミキリを含めて四人だけ。これまでの試合で見せたミキリの実力を考えれば、優勝もあり得る状況だ。


 だがしばらくして、ミキリはストーンの速度を一気に落とした。最終結果は、四位でのゴール。


──


「いやー、疲れちゃって。忍者だけに、耐え忍ぶってところ、見せて上げたかったけど……。コレで引退かと思うと、ちょっと、悔しかったな」


 試合後の、インタビューへの受け答え。長い質問攻めが終わった頃には陽も暮れ、ミキリは一人、疲れた顔で近くの日本チーム拠点(港に停泊しているクルーザーハウス)に向けて歩いていた。


「(いくのよ! いまいくのよワタシ!!)」


 それを陰から見ていたイザベルが追いかける。しかし拠点の入口で、複数人の警備スタッフに止められてしまう。


「お嬢ちゃん、勝手に入っちゃいけないよ?」

「えっと、その、ワタシはミキリ選手に……」


 大人に囲まれびっくりして、イザベルはもごもごと言い下を向いた。スタッフ達は帰るよう促し、何も言えなくなったイザベルは、黙ってそれに従う。


 残念そうに肩を落として、帰ろうと歩き出した、ちょうどその時。


「もうっ、寄ってたかってマークされたら、困っちゃうでしょ!」


 拠点の入口からミキリが現れた。突然のことに驚いたイザベルは、言葉が出ずに口をパクパクとさせる。

 スタッフがミキリに話しかけた。


「ミキリ選手?! 休まなくて良いのですか?!」

「いいのいいの。それより私、その子と少しお話ししたいんだけど。そのことを、そこで見守ってる親御さんに伝えてくれない?」

「……わかりました。あまり遅くならないでくださいね」


 ミキリは説得しつつ、物陰で見守っていたイザベルの両親に事情を伝えるよう、スタッフに指示した。それが済むと、イザベルの前で目線を合わせてしゃがみ、翻訳装置を操作してから声をかける。


「ぼんじゅーる、お嬢さん。私に何か御用かな?」

「あわわ、えっと、ええっと……」


 イザベルは慌ててしまって、上手く話せないでいる。


「隠れ身の術で消えちゃわないから安心して! そうだ、少し歩こっか」


 ミキリは少しでも緊張を紛らわそうと、印を結ぶ仕草をしながらおどけてみせ、二人で港を歩くことを提案した。


──


「ワタシ、イザベルっていうの! 十才で、今日は招待席でねっ~~」


 歩いているうちに緊張は解け、イザベルは楽しそうに話した。自分のこと、ミキリのファンであること、好きな技のこと……。ミキリもまた、その話を楽しそうに聞いた。


「へぇ、ジュニア九位なんて、凄い! イザベルちゃんって、けっこう〝づ〝よ〝い……ゲホッ」

「まぁ、のどがガラガラ! コレ、どうぞ飲んで」

「〝あ〝り〝が〝と。……あちっ」


 水分補給ができていなかったのか、ミキリの声はガラガラ。見かねたイザベルは、持っていた水筒から熱々の紅茶を入れてふるまった。そして二人は、港の端に座って海を見ながら、一つのコップで紅茶を飲んだ。


「ワタシね……水切りあんまり上手じゃないの」


 一息ついたところで、イザベルがかなしそうに話し始めた。


「どうして? 九位も立派よ! ……そうだ、イザベルちゃんの技、見せて!」

「技……、それなら!」


 イザベルは立ち上がり、海に向かってストーンを投げた。大きく弧を描く軌道で進んだストーンは遠くまで離れると、ストーン表面を剥がして飛び道具の様に飛ばした。そしてそのままぐるりと回って、イザベルの手元まで戻ってくる。


「あれは……もしかして私の技?」

「うん! 【シュリケン】! たくさん練習したの!」

「そっか……うーん、えっと」

「あれ? ワタシ、ちゃんとできてない?」


 技をみたミキリは難しい顔をした。そんなミキリを見て、イザベルは不安そうだ。


「できてないとか、そういうことじゃなくて……。でも、イザベルちゃんには私の技は向いてないだろうし……」

「むいて……ない?」


 イザベルの瞳に涙が溜まる。


「やっぱりワタシ、ダメなのかな。いっぱい調べ物したのに……」

「ん! 調べ物? どんな??」

「技のポイントもくり返し動きをみて、それから、使ってるストーンの性質を~~」


 涙目のイザベルが自分のやってきたことを話すと、ミキリは楽しそうにどんどん聞いた。そうしているうちにイザベルは得意になって、楽しそうに話を続ける。


「~~技を何度も見たら、やり方はわからなくてもねらいはわかる、……時もあるし、ストーンの事を調べれば、自分のやりたいことに合ったストーンを作ったり、相手のストーンに合わせた戦い方をしたりできると思うの。今は上手にできないんだけど……」

「今はできなくてもだいじょーぶ! そうやってコツコツと粘り強く取り組めるのが、イザベルちゃんの……っと、呼び出しだ」


 通信端末が振動し、ミキリは残念そうに立ち上がった。少し離れたところに、日本チームのスタッフと、イザベルの両親の姿が見える。両親がゆっくりイザベルの元に歩いてきた。

 それを見たイザベルは、お別れの時間になったことを察して挨拶する。


「ミキリさん。今日は、ありがとう、ございます。会えてとっても、うれしかった!」


 にっこりと笑い、歩いてきた両親に迎えられ手をつなぐ。そんなイザベルに、ミキリも笑顔でこたえた。


「ふふっ。最初はわからなかったけど、さっき、やっとあなたを見つけたわ。自分を見失わなければきっと大丈夫。じゃあねイザベルちゃん、また会いましょう!」

「ワタシを、見つける……?」


 かけられた言葉の意味がわからず、イザベルは首を傾げた。しかし、今はそれ以上に聞きたいことがあった。


「それより! 引退しちゃうんでしょ? もう会えな──」

「──今度は私が応援に行くから! またね!!!」


 そう言ってミキリは、日本チームのスタッフと一緒に駆けて行った。イザベルは不思議に思いながらも、姿が見えなくなるまで手を振って見送った。


「(応援って、いったい、どの大会を……)」

 ハッとして、ストーンを強く握りしめる。


「(ううん、どこだっていいのだわ。いつあなたがワタシを探してもいいように、どんな試合も最後まで戦う、そんな選手になってみせる!!)」


――第三十一回大会開幕前・フランスチーム拠点――


 フランスチームの拠点では、裕福そうな格好の男女が話をしている。


「実力は、前回よりはマシです。次の世代までの繋ぎにはなるでしょう」

「えぇ。そこそこ戦えて、花がある女性選手ですし、どこかで目立ってカメラを集めれば広告としては十分……、おっと」


 気づかぬうちに、話題に上げている選手がすぐ隣にいた。しかし悪びれる様子もなく、男女は白々しく声をかけた。


「これはこれは、イザベル選手」。

「失礼します。試合前のご挨拶に伺いました」

「それはご丁寧に。健闘を祈っているよ」


 イザベルが挨拶したのは、チームに出資するスポンサーや、フランスの競技運営委員を務める要人たち。イザベルは早々に挨拶を済ませ、すぐに部屋を後にした。


「お嬢、言い返さなくて良かったのですか?」


 つかつかと歩くイザベルに付き添って、サポートチームの面々が近づき声をかけた。彼らは口々に、要人たちの発言や態度について不満を話している。

 しかし、当のイザベルは気にしていない。


「あの手の人は、実力を見せなきゃ静かにならないでしょ。結果だけが反論になるわ」

「! 確かにそうですね。我々も全力でサポートします。勝ちましょう」


 サポートチームの士気が高まる。チームでの直前ミーティングを終え、イザベルはしっかりとした足取りで投石地点へ向かった。

 これまでの国際大会の成績は上々で、投石地点も、有力選手が回りに居ない有利な位置を獲れている。この大会は【狙える】感覚がしていた。


「(ワタシはワタシとして、最後まで戦う。そしたら、貴女は見つけてくれるかしら)」


 イザベルは挑む。最も注目を集める大会の、最も注目を集める表彰台の上を目指して。

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