第二投 大地の男・シブシソ

「出遅れたのが痛かったのかなぁ……」

 双眼鏡を使って、ワタルは水平線を眺めていた。先頭集団の姿は肉眼ではもう見えない。


「無理してでも追う? でもまだ始まったばかりだし。うーん。……あれ? 何の音?」


 悩んでいると、後方から地鳴りのような音が聞こえてくる。


「なに!? 誰か近づいてきてる??!!」


 慌てて音がする割れた海を覗く。するとそこに、露出した海底を突き進む、天面に二本の突起が生えた赤茶色の岩石が見えた。大和錦よりも大きいその岩石は、海底の【大地】をまるで水の上を進むかのように、勢いよく跳ねている。


「あのストーン、地面を跳ねてる?!」


『コレはッ! アフリカ合同チーム代表シブシソ選手操る、大地のストーン【ギフト】だ!』


 岩石にカメラが向き、実況が興奮した調子で伝えた。


「ダメだ、海にぶつかるよ!」


 ギフトが進む先には、十戒が残したと思われる海の裂け目の起点があった。このままでは、海の壁に激突してしまう。ワタルがそう思っていると、起点の少し前でギフトは、高く跳び上がった。


「凄いジャンプ! でも、高さが足りない!」

 跳躍の高さが僅かに足りていない。海の壁はもう目前だ。


「ツラヌケ! ギフト!」


 声が響く。ビリビリと痺れる、地響きのような力強い男の声。


「水ノ壁ナド、サバンナの猛獣ニ比ベレバ脅威デハナイ! 【ヌーの大移動】!!」


 声の主は、ギフトの側にいた。体に赤色の長い布をまとった、長身の男。シブシソだ。ギフトは、猛牛の大群を想起させる強力なオーラを放って、海の裂け目にぶち当たり、ぶち抜く。

 派手な水飛沫を上げて跳躍、海面に着水する様は、数百のヌーの河渡りのような迫力だ。


「すっご……。今のが、ヌー……」

「ン?」


 圧倒されたワタルは、口をあんぐりと開けた。気の抜けた声が聞こえたのか、シブシソはワタルの存在に気が付き、フロートを少しだけワタルに近づけた。


「……コンナ子ドモガ、代表選手カ」


 それだけ言うと、シブシソは前を見た。ワタルのことなど、眼中にないような態度だ。そんなシブシソを、ワタルはしっかりと見つめる。


「子どもだけど、オレが日本代表だよ! ワタルっていうんだ。よろしくね、おじさん!」


 ニッコリと笑う。それを見たシブシソは驚いた。


「オマエ、悔シクナイノカ? 子ドモダト侮ラレタノニ」

「うーん、少しムッとするけど……、気持ちは勝負に込めるものでしょ? 母ちゃんがよく言ってたんだ、『大人が競い合う大会なんだから、何か言われて当たり前。いちいちムキになってちゃ、まだまだだ』って」

「フム、ソレハ随分教育的ダ」


 シブシソが感心する。


「だけどね、こうも言ってたよ」

ワタルは姿勢を低くして、勝負の構えを取った。


「『子どもが大人に勝っちゃいけないルールなんてない』って。だからいくよ、おじさん!」


「! ソウキタカ!」


 一瞬戸惑いつつも、シブシソはすぐに真剣な表情に変わった。フロート上で軽くジャンプをして、勝負の構えをする。


「サッキハ失礼ナコトヲ言ッテ、スマナイ。ワタシハ、アフリカ合同チーム代表シブシソ」

「自己紹介どうも!」


 緊迫した空気が漂い、睨み合いが続く。しかし急に、シブシソが構えを解いた。


「あれ? 勝負するんじゃないの?」

「手合ワセシタイトコロダガ、陽モ落チテキタ。戦イハ明日ニシナイカ?」

「えー、せっかく気合入れたのに! 勝負しようよ! 勝負──」


 いつの間にか陽が落ちて暗くなってきている。ワタルは不満そうにしたが、言葉を言い終える前に、腹の虫が大きく鳴った。『今日はここまで』とでも伝えているかのようだ。


「──まっ、おじさんがそう言うんなら仕方ないね! 勝負は明日にしよ!」

「フフフ。ソウダナ、ワタル。チナミニワタシハ、オジサンと言ワレル年齢デハナイ」

「えっ……?」


 話をしながら、二人は互いに離れた位置に移動。身に着けている通信機器を操作して、自らのステータスを【競技】から【巡航】に変更する。


 五分の待機時間が経過し、フロートから射出された小型のドローンが各ストーンを上からバリアで包み込んだ。バリアに覆われたストーンは十六~二十ノットほど(時速三十~四十キロほど)まで速度を落としたが、操作の必要はなくなった。

 少し経って、日本チームのドローンがワタルに、夕食(レーションやおにぎり)やアロマなどの物資を運んでくる。受け取ったワタルはホッと一息。表情には、少し疲労の色が見えた。


 現在ワタルの順位は十位。十戒の大技で多くの選手がリタイヤもしくは、進路を大きく迂回したことが影響している。位置は、カルデラから六百キロメートルほど進んだところ。ゴールの中国福州市は、まだまだ遠い。


 食事やサポートチームとの連絡を手早く済ませ、ワタルは早々にフロートをカプセル型に変形させた。口に呼吸器をつけるとフロート内が洗浄液で満たされ、身体が洗われる。洗浄後は水気が取り払われ、内壁がエアーで膨らみクッションになった。

 変形して広がったとは言え、フロートは寝返りも難しいほど狭かったが、ワタルは疲れ切っていたのか、すぐに眠ってしまう。


 まどろみの中にいるワタルの耳に、声が聞こえた。


「ナントイウコトカ! ……イヤ、ダトシテモ勝タネバ。ワタシハ、精霊ノ土地ヲ──」


──


 翌日。

「大和錦っ【手裏剣】!!」


 ワタルの声に合わせて、大和錦は花弁のような突起を数枚剥がし、飛び道具にして並走するギフトへと放つ。対するギフトはいとも簡単にそれを弾き、接近してくる。


「ギフト! 【ナイルの〈死の回転(デスロール)〉!!】」


 回転速度を上げ、ギフトは天面の二本の角を大和錦に押し付ける。激しい火花が散り、強烈な摩擦音が響いた。


「とんでもない威力……! このままじゃ、まずい……!」


 突進を受けた大和錦がふらつく。ギフトの角によって表面が削られ、辺りに白い破片が散った。キラキラとした粒子が舞っている。


「大和錦っ【ナワ抜け】!」


 すぐにワタルは回避指示を出した。大和錦は、接触している表面を薄く剥がし、すり抜けるようにして突進からの脱出に成功する。


「あぶなかった! すごい突進技!」

「海ニ引キズリ込ムツモリダッタノダガナ。本物ノ猛獣ハ、モットスゴイゾ? 次ハコチラカラ行ク! 【スプリングボック・ジャンプ】!」


 次に仕掛けたのは、ギフトだ。


「シカっ?!」

「ウシ科ダ」

「ウシ? シカ?」


 小型の鹿を想起させるオーラがギフトから出ると、右へ左へと、軽快な跳躍が始まった。そして唐突に、大和錦に向かって角を向けてくる。


「ええっと、【岩戸隠れ】!」

「避ケナイナラ、良イ的ダ!」


 大和錦はその場で跳躍を止め、海面を滑るように進む。ギフトはチャンスとばかりに角で体当たりをした。


「……硬イ。守リヲ固メル技カ」


 ガリガリと音を立てるものの、ギフトの攻撃は大和錦に傷をつけることができない。しばらく攻撃を押し当てていたギフトだったが、たまらず距離を取った。


「ナルホド。随分シッカリ防御シテイルヨウダガ……」


 離れたギフトを、シブシソは加速させる。途端にワタルは焦り出した。


「スピードを犠牲ニシテイルヨウダナ」

「ばれてたの?! 大和錦、いったん止め! 進んで──って、うわっ!」


 慌てて防御技を解いた瞬間、ギフトが突っ込んでくる。ギリギリで回避できたが、息をつく間もない。


「はぁ~、一瞬も油断できないよ!」

「自然トハ、ソウ言ウ場所ダ」


 ギフトの攻撃にワタルはたじたじだ。だが、落ち込む様子はなく、シブシソの実力に感心している。シブシソもまた、攻防のやり取り以外は、にこやかに話した。


「シブシソさん、日が暮れてきたけど、どーする?」

「……ソウダナ。コノ辺ニシテオコウカ」


 ワタルの問いかけに、シブシソが頷いた。今日はここで巡航にするようだ。両者の速度・戦闘力が拮抗し、抜き去ることも、進行不能にすることもできないための膠着状態。ワタルはフロートの設定を巡航モードに変えた。

 カプセル状に変形したフロートが、身体の洗浄や水流を使ったマッサージを施してくれる。


 グレートジャーニーは、競技が超長距離で行われるため、競技期間は二十日ほどにも及ぶ。そのため独特のルールがいくつかあるが、最も特徴的なものが二十七回大会を機に作られた巡航ルールだ。

 選手の健康に配慮して作成されたルールで、競技中一定時間、巡航という状態をとることが選手に義務付けられている(一日四時間以上、十時間以内)。


 巡航状態のストーンは、進路変更と簡易的なストーン整備以外、一切の行動を禁止される。その代わり、他者からの攻撃や気象からバリアで保護され、操作の必要がなくなる。

 タイミングは任意だが、二十四時間を超えても巡航に入らなければ、即座に四時間の【強制巡航】状態に切り替わる(巡航状態と競技状態との移行には五分の待機時間にあるが、強制巡航にはない)。


 この一時的な休戦によって、選手達は睡眠や食事などの休養を取ったり、ストーンのメンテナンス(海面との摩擦で研磨が主)をしたりと、長期間に渡る競技を乗り切っている。


「〈ワタル君、だいぶ苦戦しているみたいですね〉」

「保坂さん!」


 通信機から聞こえる保坂の声。ワタルは興奮した調子で話をした。


「シブシソさん、すっごい強いんだ! まるで猛獣みたいな攻撃で!」

「〈えぇ、モニターしています。序盤からこんな強敵と進むことになるとは……。無警戒でコース取りを注意していませんでした。すみません〉」

「気にしてないよ! それより、シブシソ選手はどんな選手なの?」

「〈シブシソ選手はアフリカ南東の、いわゆるサバンナの出身です〉」

「サバンナ!! たくさん動物がいるところだね」

「〈そうです。そこに住む民族の若手リーダーを務めていらっしゃいます。もとはお兄さんが務めてあったのが逮……、いえ。事情があって交代されたみたいです〉」

「たい……?」


 テキストを読み上げていた保坂が、一瞬言葉に詰まった。しかし、すぐに話を続ける。


「〈そうだ、ワタル君! シブシソ選手の出身地域では、河が乾いてしまう時期があって、その時は地面にストーンを投げて練習していたそうですよ! それに、狩りにストーンを使っていたとか〉」

「地面! 狩り!!」


 ワタルが目を輝かせた。興味が移ったようだ。


「〈他にも、ギフトは【精霊の大岩】と呼ばれる由緒ある岩に雷が落ちて、その衝撃でできたストーンであるとか〉」

「だからあんなに迫力があるんだ」

「〈シブシソ選手もギフトも実力は指折りでしょう。足並みが揃わないことの多い合同チーム代表に選ばれるのは伊達じゃないということですね。……さて、そろそろお開きにしましょうか、ワタル君〉」


 ウトウトとワタルが眠たそうにしたため、保坂は話を切り上げた。


「……うん。あ、そうだ。保坂さん」


 眠気からか、口調はとてもぼんやりしている。


「明日は早いけど、四時から競技モードにするね。朝食はゼリーみたいな、すぐ食べられるものにしてもらっても、いい?」

「〈わかりました。引き離しにかかるんですね? バトル勝負はもういいんですか?〉」

「すっきりはしないけど……。このままじゃ先頭まで追いつけなさそうだから」


 ワタルは少し残念そうにした。バトルによって速度が落ちたことで、先頭集団に大きく離されてしまっている。これ以上状況が悪化すると、追い上げは難しい。


「あ、前は前でレース固まってるね」

「〈えぇ、遅れる人も抜け出る人も出ていません。ルーカス選手と燕青選手が居てこの展開は珍しいです〉」


 各選手の大まかな位置や状態は、通信機で公開されている。巡航情報も公開情報であり、巡航時はスピードが落ちるため、ペース配分やスパート等の戦略上、どの選手も注視している。


「おやすみ、保坂さん」

「〈はい。おやすみ、ワタル君〉」


 ワタルは早々に眠りについた。翌早朝、こっそり競技モードに移ってシブシソを引き離すためだ。バトルでの決着を諦めることにワタルは、後ろめたい思いを感じていた。


──


 翌早朝。後ろめたい思いは全くの杞憂だったと、すぐに思い知ることになる。


「これじゃラチがあかないよ!! 朝四時だよ? なんでシブシソさん起きてるの??」


 ワタルが競技モードに切り替えた時にはすでに、シブシソは競技モードだった。

ストーン同士はバトルになると、スピードが落ちる。先頭集団との距離は開いていくばかりだ。


 結局、その日はこれまでと同様、散発的に戦いが起こるだけで終わってしまう。


──


「また同じだ……!」


 翌日も同じ展開だった。いつ競技モードに切り替えても、シブシソも競技モードでいる。全力でぶつかればシブシソを退けられる可能性はあるが、消耗は避けられない。

 全体の六分の一も進んでいない現状で選ぶにはリスクがある作戦だ。


「(ねらいは持久戦……? でも、先頭からはなれてたら逆効果じゃ……?)」


 膠着状態が始まってから、シブシソは回避中心の動きをしている。今はワタルが引き離そうとしない限り、ぶつかり合うことも少ない。


「(こっちのルートをあてにしてるとか?? うーん……)」


 ワタルを出し抜く動きはなく、着いて行こうという動きだ。持久戦ではなく、日本チームのルート取りをあてにしている可能性もある。いつの間にかシブシソは、顔を隠すように布を被り、黙ってばかりになっていた。行動が不自然だ。


「何がねらいかわかんないなぁ……。でも!」


 ワタルはしばらく悩んだが、疑問を振り払うように首を左右に振る。


「なやんでても仕方ない! こうなったら一か八か、攻める! 保坂さん、良いよね?」

「〈やむを得ません。信じていますよ、ワタル君〉」

「まかせてよ! よーしっ!!」


 保坂に作戦を伝え、ワタルは両頬を手で軽く叩いて気合を入れた。少し離れた位置を並走するギフトに、大和錦を進めていく。


「この距離なら! 大和錦っ【あびせ倒し】!」


 大きく飛び上がった大和錦が、ギフトを踏みつぶそうと襲い掛かる。しかし、その攻撃は命中しなかった。ギフトが急減速したことで、狙いが外れたからだ。


「外された?! 何かの技? ……じゃ、ない!?」


 焦ったワタルはシブシソを見た。そこで初めて、ギフトの急減速はシブシソの意図することではないと知る。


「……!? シブシソさん? どうしたの!? しっかりして!!」


 シブシソは荒い息遣いで、フロートに膝をついていた。ワタルは慌てて近づき、身を案じて手を差し出す。だが、差し出された手をシブシソは振り払った。


「……要ラナイ。コレハ生キ残リヲカケタ、弱肉強食ノ戦イダ」


 そう言うと、シブシソは腕を突き出して、ギフトに攻撃の指示を出した。目深にかぶっていた布が翻り、やつれた顔が露わになる。


「そんなこと言って、シブシソさんフラフラじゃない!」


 頬がこけ、目の下の暗いクマが目立つ。唇はうるおいを失ってカサカサに割れていた。


「そんな体じゃレースは無理だっ! どうして?! 補給は???」

「ワタシノコトナド、オマエニハ関係ナイ。オマエノ目ニワタシガ、チカラナイ猛獣ニ見エルナラ逃ゲロ。弱ッタ獲物ニ見エルナラ喰ラエ。ソレダケダ!」


 厳しい口調で言い放ち、ギフトに何度も攻撃指示を出す。ギフトはその度に突進してくるが、意思の籠らない突撃に力はなく、避けずとも大和錦にダメージはない。


「なんで、こんな……???」


 ワタルは困惑し、反撃することも、無視して進むこともできずに立ち尽くした。


「〈ワタル君、保坂です。南アフリカ合同チームについて情報なのですが──〉」


 保坂から通信が入る。通信機に資料が送られてきた。


「〈──どうやら、大会開始直後に合同チーム参加国が政情不安に陥り、サポートチームが緊急帰国したようです。その影響でシブシソ選手は、競技開始から三日目の今日に至るまで、サポート無し、水すら飲めずに耐えています。ですが……〉」


 説明する声が暗くなる。


「〈バイタルに変調が見られます。フロートも故障しており、まともな休息がとれていないのでしょう。……とてもじゃないですが、競技できる状態ではありません〉」

「飲まず食わずで水切りなんて無理だ! 休めてないならなら、なおさら!」


 ワタルは驚いた。ストーンの操作に意思と体力を消耗するグレートジャーニーで、十分な補給と休息なしに競技をすることなどありえない。


「〈無補給で三日、驚異的な持久力です。並みの選手ならとっくにリタイヤしています。情報によると、サポートチームは再編成され、数日後には到着するそうですが……〉」


 ワタルは顔を曇らせた。補給前にドクターストップがかかることが明白だからだ。


「大会運営のサポートは受けられないの? マシントラブルなら……」

「できません。最初から運営サポートを選択しているなら良いですが、自国手配のサポートを選択している場合は選手側の責任になります。残念ですが……」

「だったら、せめてリタイヤを……、シブシソさん、それ以上はだめだよ!!」


 心配からの言葉だったが、シブシソは即答する。


「……続行スル。リタイヤはナイ」

「でも、命に関わるんだよ?! 大会ならまた出られるし、命懸けでやらなくても……」


 弱っていながらもシブシソは、鋭い眼光でワタルを見つめた。


「ワタシノ命デ良イナラ、幾ラデモカケルサ」


 絞り出すように言い、視線をギフトへと移す。


「合同チーム参加国ニハ、トテモ貧しイ国ガアル。明日ノ食事モ保証サレズ、飢エニ苦シム人々がイルノダ。……ダカラ我々ハ、優勝シテ豊カにナラネバナラナイ。ソレニ……」


 シブシソの所属国が合同チームという形態をとっているのは、経済的理由による。グレートジャーニーで選手に優勝を争わせるには、サポートや用具などに多額のコストがかかるが、それが一国で賄えなかったのだ。

 運営のサポートでも出場は可能だが、横になることもできない低性能なフロートや、カロリー不足の食事など、劣悪な環境になってしまう。


「ワタシハ、【グローリーアイランド】ヲ使ッテ取リ戻サナケレバナラナイ! 我ラノ愛スル、精霊ノ土地ヲ。兄者ト、ソウ約束シタノダ!」

「やめてよシブシソさん! 無茶したらホントに……!」


 攻撃指示に、ギフトは反応しなくなっていた。シブシソの意思が弱っているからだ。


「ドウシテコウナル……! 貧シサモ、兄者モ、ドウシテお前達ノルールで、イツモ!!」

「オレたちのルール……??」

「我々ト獣達ニ取ッテ大切ナ精霊ノ土地ハ、突然現レタ富メル国ノ企業ノ開発デ破壊サレタ! 抗議シタ我々ハ相手ニサレズ、逮捕サレタ! 権利侵害ダト言ワレテナ! ワタシの兄モ、ワタシを庇ッテ……。全テヲ取リ戻スタメナラ、ドンナ事ダッテヤル……!」

「シブシソさん……」


 シブシソは悔しさに拳を握りしめる。鬼気迫力だった。


 しばらくして、未だ動けないワタルを見かねた石渡総理からの通信が入った。先日とは違う、諭すような口調だ。


「〈ワタル少年、彼の言うとおりこれはサバイバル・レース。経済力も含めて、各国とも死力を尽くして戦っておる。放っておいてもそのうち力尽きるだろうが……〉」

「総理のじーちゃん……」

「〈あの目は諦めておらん。……後顧の憂いはない方が良かろう〉」

「……」


 総理の言葉を聞いたワタルは少し考えて、チカラ強く返答した。


「……いやだ。攻撃はしない」

「〈なら無視して進むか? 追いすがってくると思うが〉」

「無視もしない」


 ワタルは再びシブシソに近づいた。シブシソはさっきと同じように、追い払おうとするが、構わずワタルは腕を掴む。


「水と栄養ゼリー。受け取って」

「!」


 フロートからいくつかの飲食物を出して、手に握らせる。シブシソは驚きながらも、拒否しようとした。


「サッキモ言ッタダロウ。コレハ命ヲ懸ケタ戦イダ。情ケナド無用……!」

「〈ワタル少年! 敵に塩を送──〉」


 通信機越しに、総理の制止する声も聞こえる。それでもワタルは意に介さない。


「──みんなにとってはそうかもしれないけど、オレは命なんか懸けてない! オレはここに、勝負しに来たんだ。ハラペコでフラフラな相手を負かすなんて、勝負じゃない!」

「ヤメロ、ワタシニ構ウナ!」


 掴まれている腕を振りほどこうとする。しかし弱った体では子どもの腕すら振りほどけない。そのことで何か悟ったのか、シブシソは抵抗をやめた。


「……ホントウニ良イノカ? 裏切リ行為ニナッテシマウゾ」


 受け取ったゼリーと水を見て、シブシソが心配そうに尋ねる。


「いいよ!」

 元気に言うと、ワタルは通信機のカメラにニッコリと笑顔を見せた。


「ついでにフロートの修理も! いいよね総理? ダメって言ったら棄権しちゃうけど」


 通信機から、大きな溜め息が返ってくる。


「〈はぁ……。わかったわかった、好きにしなさい。しかしワタル少年よ。コレで負けようものなら、相応の処分は覚悟してもらうぞ?〉」

「うーん……。まぁ、勝てばいいってことだよね? 勝てるように、がんばるよ!」


 気持ちの良い笑顔でワタルは言い切った。あまりに清々しい言いっぷりは、シブシソや総理の緊迫した気持ちをどこかに消してしまうほどだ。


「……恩ニ着ル。アリガトウ、ワタル」


 礼を言ってから、シブシソは食料と水を口にした。相当消耗していたのか、口に含むのは少しずつだ。時間差で日本のサポートチームのメカニックが、ドローンを駆使してシブシソのフロートの修理を始める。


 日本チームの関係者からは困惑する声も出たが、総理の一言で静かになった。


「〈こうなった以上は仕方ないじゃろ。無償ODAとでもしておくわい。スポーツ機会提供のための、補給と機材修理支援ってところかの〉」


──


 フロートの修理が終わり、ワタルは総理に感謝を伝えた。

「総理のじーちゃん、ありがとう」


 口を尖らせて、総理は言葉を返した。


「〈ふん、そうでもしないとヘソを曲げるじゃろ。……して、ここからどうする?〉」


 現時点ですでに、先頭集団との距離はかなり離れている。シブシソのサポートチームもまだ到着していないので、取り残していくわけにもいかない。

 総理は半ば呆れ気味だが、ワタルはあっけらかんとして答えた。


「だーいじょうぶッ! 良い考えがあるんだよねッ! シブシソさん、協力してくれる?」


 ワタルはシブシソに耳打ちした。


「ムム、ソレハ……。ナルホド……」


――五日後、先頭集団近海――


「……これまでのようですね」


 白色の深い髭を蓄えた男──ヤコブ──はそう言うと、リタイヤを宣言し集団から離れた。フロートの側を跳ねるストーン【十戒】は、表面に爪痕のような酷い傷がついている。


「我らが民に栄光をもたらしたかったのですが……。そのために、十戒に刻まれた民への教えを失ってしまっては意味がないですからね」


 ヤコブは残念そうな顔で、海面を力なく跳ねる十戒を拾い上げた。


──


「ヤコブをリタイヤさせるとは……。ニック、あの【コール】とかいうストーンはなんだ? データにねェぞ」


 ルーカスが不審そうに、少し離れた位置の漆黒のストーンを見て目を細めた。まるでエモノを探すかのように蛇行して進むそれは、無数のトゲが全面を覆い、中サイズながら禍々しいオーラを放っている。


 操る人物は、ボロボロのローブで全身を覆って表情すら見せていない。


「〈データベースで調べてみたけど……。大会への出場記録もほとんどないし、よくわからない。気を付けて、ルーカス〉」


 ピットが言う。ルーカスは怪しい人物を注視しようとしたが、そうしている間に吐く息が白くなり、周囲の海が凍り付き始めた。


「チッ、今度は氷点下娘かッ! オレ様に近づくんじゃねェ、寒ィんだよ!!」


 フロンティアスピリッツを大きく跳ねさせ、氷から離れさせた。もといた海面は完全に凍り付いてしまっている。

 その様を見ていた後方を進む女性が、冷たく言い放った。


「……氷点下ではない、絶対零度だ。その舌、凍らせてやろうか? 震えも止まるぞ」


 ロシア代表マリーナ。ファーのついた黒づくめの服に、腰まで伸びる長い銀髪。顔立ちの整った、とても美しい選手だが、口調も態度も氷のように冷たい。得意戦法も相手ストーンを氷漬けにしてしまうもの。


 レースにおいて、エモノを探しているのは一人だけではない。選手にとって、自身以外は全て警戒すべき競争相手だ。


 現在、先頭集団は七つのストーンで形成されている。トップを走るのは、スタート時から変わらず、イタリア代表ダンテ【フォーミュラ・ワン】で、二位以下を二十メートルほど引き離している。それ以下は混戦状態で、二位フランス代表イザベル【ラリー・ダカール】、三位アメリカ代表ルーカス【フロンティアスピリッツ】、四位中国代表燕青【満漢全石】、五位ロシア代表マリーナ【ダイヤモンドダスト(長方形・中サイズ・純白の氷塊)】、六位ドイツ代表アーデルベルト【ビスマルク】、そして七位に怪しげなローブ男が操る漆黒のストーン、【コール】が位置している。


 そして集団から離れ、八位アフリカ合同代表シブシソ【ギフト】、九位日本代表ワタル【大和錦】と続く。


 残距離は一万二千キロメートルと、中盤に差し掛かろうというところ。上位の各選手は仕掛け時を探していた。


「さァて、観客も退屈してきただろうし、盛り上げてやるかァ! ニック、アレを使うぞ!」


 ルーカスが指で銃の形を作り、前を進む選手のストーンに狙いをつける。


「〈睨み合いなんてガラじゃないもんね。撃ち過ぎには気を付けてよ?〉」

「ハッ、無駄撃ちなんてするかよッ! 見てなッ!!」


 ニックとの通信を終え、ルーカスはフロンティアスピリッツを、前を跳ねるラリー・ダカールの後方直線上につけた。ストーンの側には、それを操る女性選手がいる。


 フランス代表イザベル。目鼻のくっきりとした明るい顔立ちに、長く見事な金髪縦ロール。ゴージャスな雰囲気の容姿に対し、競技服はレーサーを思わせるスポーティなデザインで、ややタイトめな作り。手袋までしているため肌は見えないが、スタイルの良さが際立っている。


「よーく狙えよ、フロンティアスピリッツ。撃ち漏らしはカッコ悪ィぜ?」


 フロンティアスピリッツは跳ねるのをやめ、滑るように進み始めた。そしてストーン下部を海面につけるように、六回の上下動。

 イザベルはその動きを察知しており、回避を指示する。


「! 来るわよラリー、回避を――」

「――遅ェ!」


 しかしすでに遅く、ラリー・ダカールは空高く【撃ち】上げられた。


「遅いぜ嬢ちゃん! リタイヤ知らずって通り名も今日までだッ。蜂の巣にしてやるぜ、【ウォーターマグナム】!」


 フロンティアスピリッツは飛び上がり、体勢を横向きに。空中のラリー・ダカールへ、ストーン側面の穴から五発の水弾を連続発射する。


「全弾回避……は、無理ね。できるだけ回避なさい。ラリー」


 回避のため、ラリー・ダカールは空中で向きを変えた。素早い動作だったが、回避できたのは二発だけで、三発の水弾が命中。更に高々と飛ばされてしまった。


『あーっと!! ラリー・ダカールが宙を舞うっ! レースは続行できるのか?!』


 実況が煽り、カメラドローンが空中のラリー・ダカールを映す。イザベルは、腹を立てて文句を言った。


「この程度、なんともないに決まっているでしょ! ほら見なさい。ラリーは大したダメージなんて受けてないわ。順位なんて多少の上下動があるもの、最後に勝てば良いのよ!」


 ラリー・ダカールが宙を舞っている間、イザベルは矢継ぎ早に言葉を放った。余裕のアピールと、ルーカスへの挑発が主な内容だ。


「むしろ深刻なのはルーカスね。マグナムなんて大層な名前をしているのに、威力は随分と慎ましいじゃない! 水鉄砲のおもちゃの方がよっぽど威力はあってよ? それに――」

『――おォーっと、今の攻防で順位が動き始めたかー?!』

「ちょっとぉ! ワタシの話を聞きなさいってば!」


 イザベルは話しを続けていたが、ルーカスとの距離はとっくに離れてしまっていた。それに加えて他の選手に動きがあり、注目はとっくにそちらへと移ってしまっている。


「……まぁいいわ。ラリー、下がっていいから気を付けて着地なさいね。……!?」


 着水したラリー・ダカールの方向から、強烈な衝突音。攻撃の主がわからず一瞬困惑しながらも、禍々しいストーンが通り抜けていくのをみて、事態を把握した。


「やられた……!」


 ラリー・ダカールは深い傷こそ負ったものの、幸い、レース続行に支障はないように見える。イザベルはダメージを悟らせないよう、即座に集団から離れた。


──


「ルーカスが動いた今が好機!」


 フロンティアスピリッツは、攻撃の隙で速度が低下。燕青はその隙を見逃さずに満漢全石を進め、フロンティアスピリッツの下をくぐって二位につけた。


「てめェ! オレ様がアイツをどかしたんだぞ!!」


 ルーカスが声を荒げたが、燕青は涼し気な顔だ。


「オマエラの小競り合いなんて知らない。朕はただ真っすぐ進んでいただけ」


 挑発のつもりか、満漢全石はわざとらしく派手に水飛沫を立て、ルーカスとフロンティアスピリッツに海水を浴びせかける。


「××××! 燕青テメェ、ずっと突っかかってきやがって、腹立たしいんだよッ!」

「悔しかったから当ててみるといいヨ。この××××!」


 ルーカスは放送禁止用語を言い放ち、満漢全石を狙ってウォーターマグナムを乱射。燕青もまた、早口で放送禁止用語をまくし立て、回避や応戦を繰り返した。二位、三位争いは大荒れだ。


 混戦模様の状況に、四位に上がったマリーナは目を細めた。


「この辺りが仕掛け時か。……ん?」

 何かに気がつき、振り返って遠くに目を向ける。


「……この音、ストーンか!」


 水平線上の彼方に、猛スピードで接近するストーンが一つ。赤茶色をしていて、並走するフロートには、背の高い色黒の男が乗っている。シブシソだ。


「──見エタ。先頭集団ダ!」

 シブシソの声が響く。


「……ふん、なかなか出来そうだ」


 マリーナは不敵に笑った。しかし、続けて聞こえてきた声を聞いて、驚きで目を見開いた。


「ね? 良い考えだったでしょ? シブシソさん!」


「子どもの声???」


 奇妙なことに、今度は子どもの声が聞こえる。視界に映るのはギフト一つなのに、二人分の声が聞こえるのだ。不審に思ったマリーナが目を凝らすと、ギフトのボディの縁がわずかにぶれた。

 更に注視すると、そのストーンの背後にぴったりと追従する、白いストーンが見える。


「白いのが子どものストーンか。であれば、良い操作精度だ。順位表からすると……、日本代表の、ワタル」


 シブシソの後ろから、ひょいとワタルが姿を現す。二人は楽しそうに話をしていた。


「風除けし合えて、随分とチカラを温存デキタ。良イ旅ダッタナ、ワタル」

「楽しかったね、シブシソさん!」


 ギフトと大和錦が、先頭集団後方に接近したところで、左右に広がる。


「じゃあ、そろそろ──」

「ソウダナ。ココカラハ――」


 シブシソの表情が厳しいものに変わった。ワタルもまた、真剣な表情を返す。


「──勝負だ! シブシソさん!」

「──勝負ダ! ワタル!」


 二人の声が重なり、ストーン同士が大きく一度、ぶつかり合った。すさまじい衝撃は先頭集団に伝わっている。

 各国選手達は一斉に振り返り、二人に鋭い視線を送った。


「フフ……。やはりここが仕掛け時か」


 眼光を飛ばす選手達の中で、マリーナは笑みを浮かべていた。操るダイヤモンドダストが強烈な冷気を発し始め、周囲がキラキラと輝いている。


「ゆくぞ、ダイヤモンドダスト!」


 ダイヤモンドダストから強烈な冷気が一気に拡散。瞬く間に周囲の海は凍り付き、辺りはまるで北極海のように、巨大な海氷が浮かぶ海となった。

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